『DOG STAR』:2002、日本

元ボクサーのゴングは試合での無理が祟って失明し、盲導犬シローを伴って暮らしている。ゴングは盲目となってもボクシングへの思いを捨てておらず、今もジムに通って選手にコーチをしている。そんなある日、居酒屋で泥酔したゴングがシローを連れて道を歩いていると、走ってきたトラックにひかれて死んでしまう。
生き残ったシローは盲導犬訓練センターに引き取られ、職員の井上雅子が面倒を見ていた。ある夜、シローの前に幽霊となったゴングが姿を現した。ゴングはシローに、「地上で良い行いをしなければ天国に入れない。だから、お前の願いを1つ叶えてやる」と告げた。シローが望んだのは、幼犬の頃に可愛がってくれたパピーウォーカーの一家に再会することだった。
既に12歳のシローは、老いた犬の姿で会うことを嫌がった。そこでゴングは、ワケありで自殺した男の元へシローを連れて行き、その肉体を貸すことにした。人間の姿となったシローは、パピーウォーカーの家を訪れる。しかし、家族は10年以上前に飛行機事故で亡くなっていた。ただし近所の人によれば、娘のハルカだけは飛行機に乗っておらず、茨城県鹿島に暮らしているという。
シローが鹿島を訪れると、ハルカは幼稚園で保母として働いていた。幼稚園には、東海小次郎という男が出入りしている。彼はバスを使い、個人で移動動物園をやっている。だが、ハルカは動物を怖がるような素振りを見せていた。シローはハルカに近付こうとして、不審者に間違えられる。シローはハルカが恋人・藤川萩雄と親しくするのを見て、ショックを受ける。
シローは動物が懐くことを見込まれ、東海の下で働くことになった。一方、ハルカは他の保母と共に、園児をプールに連れて行く。だが園児の1人・陸が事故死したことで、激しいショックを受けた。やがてシローへの警戒心が解けたハルカは、夏休みに東海の手伝いをすることにした。シローと仲良くするハルカの姿を見て、萩雄は強い嫉妬心を覚えた。
東海が急に意識を失って転落事故を起こし、入院することになった。東海が退院するまでの間、シローとハルカが2人で移動動物園を切り盛りすることになった。しかし嫉妬に狂った萩雄が、動物の飼育小屋に火を放った。シローは萩雄を責めず、小屋の再建に取り組む。そんなシローの元に、東海が亡くなったという知らせが届いた…。

監督&脚本は瀬々敬久、製作は横濱豊行&利倉亮&河原洋逸、企画は利倉亮&三宅澄二&橋田一高、プロデューサーは江尻健司&深谷登&渡邉直子、撮影は斎藤幸一、編集は酒井正次、録音は沼田和夫、照明は上田雅晴、美術は坂本亨大、音楽は安川午朗。
出演は豊川悦司、井川遥、泉谷しげる、石橋凌、余貴美子、嘉門洋子、津田健次郎、重久剛一、深浦加奈子、大鷹明良、奥野敦士、諏訪太朗、迫英雄、田中要次、鈴木実、稲次将人、井口千寿瑠、土屋直子、大槻修治、一本気伸吾、伊藤猛、川上久枝、浅田美香、山本珠乃、中川麻衣、小越勇輝、木滝和幸、河井誠、中西理香ら。


1990年代にピンク映画の世界で新風を巻き起こしたピンク映画四天王の1人・瀬々敬久が撮った一般商業映画。
シローを豊川悦司、ハルカを井川遥、ゴングを石橋凌、東海を泉谷しげる、井上を余貴美子、ハルカの同僚・室井を嘉門洋子、萩雄(ハギくん)を津田健次郎、ボクシングジム会長を重久剛一、ハルカの行方をシローに教える主婦を深浦加奈子が演じている。

最初に「トヨエツが犬になる」というプロットを知った時、私は間違いなくコメディーだと思い込んだ。
しかし、この映画はコメディーではなかった。
「人間になったシローが犬として振舞ってしまう」という部分だけでも色々と笑いが作れそうだが、そういう意識は全く無い。
シローが匂いを嗅ぐシーンがあるが、犬らしい仕草はそれぐらい。コメディーとしてのそれは、皆無に等しい。

とにかく監督としては、感動的でファンタジックな映画にしたかったようだ。
いやね、こっちだって感動的にするのがダメだとは言わない。感動させたいのなら、それはそれで構わないのよ。
でも、全体をコミカルなテイストに包み込んで、「おもろうて、やがて切なき物語」にすればいいんじゃないかと思うのよ。なんで全体を根暗なムードで覆い尽くしてしまうのかと。

で、前述した「人間の姿なのに犬として振舞ってしまう」という部分で笑いを取りに行かないのなら、これって「犬が人間になる」という設定は要らないんじゃないかと思ってしまうのだ。
この内容なら、「冴えない日々を送っていた男が事故死したが何らかの理由で短期間だけ蘇ることになり、別の肉体を借りて愛する人の元へ戻る」という話の方がスッキリするんじゃないの。

シローはハルカに会ってどうしたいのか、それが良く分からない。
会うまでが目的で、そこから先は深く考えていなかったというなら、例えばゴングとシローの間に「どうしたいんだ?」「良く分からない」という会話でも用意してやればいいだけのことだ。
だが、そういう配慮は無いので、こっちは不可解な気持ちを抱えたまま観賞するハメになる。

この映画、やたらと「生と死」に関するセリフや描写が多い。唐突にゴングが陸に対して「運命を怖がるな、人生を楽しめ」と言ったり、陸が死んでしまったり(でも後に引っ張ることは無い)、「死は運命だ」というメッセージを何度も伝えようとしたりする。
どうやら監督、死生観をテーマに掲げているようだ。
ただ、やたら生と死に関して登場人物に喋らせている割には、飼い主ゴングが事故死したことに対してシローが屁とも思っていないように見えるのは、どうなのかと思ったりするが。
というか、ゴングの存在意義が良く分からないのよね。
ハルカが飼い主でシローが事故死し、人間の姿で短期間だけ蘇るという話でもいいような気がしてしまう。
で、石橋凌はゴングの代わりに天国の見届け人か何かにしておけばいい。
事故死したのは飼い主じゃなくシロー自身でいいと思うんだよなあ。どうせ後半は、あと少しで死ぬという「生の終わり」が色濃く出てくるんだし。

どうやら移動動物園の火事も「生と死」を表現するためのモノだったようだが、萩雄の放火が不自然極まりないものに見えてしまう。
そこまで追い込まれていないだろうに。
トチ狂った行動を取らせたいのなら、そこまで追い込んであげないとイカンだろう。
そうしないと、最初から危ない奴だったということに見えてしまうぜよ。

シローとハルカが惹かれ合うという展開があるのだが、そもそもシローがハルカに抱いていたのは飼い主に対する思慕だったはず。それが、いつの間にやら男としての異性に対する恋愛感情とゴチャ混ぜになっている。
そこを上手く処理できないのなら(実際に出来ていない)、恋愛感情は削った方がいいんじゃないか。
ただしトヨエツと井川遥だとどうしてもロマンスにしたくなるだろうから、シロー役はもっと年配の俳優にした方がいいだろうな。シローは実際、犬としてはジジイなんだし。
で、シローがハルカと恋人(あるいは片思いの相手)の関係を取り持つという話にすりゃいいんじゃないの。そうすれば、「犬、恋愛劇、死生観」と全ての要素を満たすことが出来るだろうし。

そもそも、この作品って「井川遥を主演に起用して、話に犬を絡ませるラブストーリー」ということで企画が始まっているらしいんだよね。
だったら恋愛劇に絞り込めばいいものを、監督が死生観というテーマを持ち込んだだけでなく、そっちに重点を置いてしまったもんだから、完全に収拾が付かなくなってしまっているんだな。
結局、瀬々敬久という人は商業映画監督としての責任感を投げ捨ててでも、映画作家として自身が描きたいことを優先したわけだ。だから、たぶん本人は、これで満足なんだろう。

 

*ポンコツ映画愛護協会