『デンデラ』:2011、日本

斎藤カユの貧しい山住む村では、70歳になると山に入る掟があった。70歳を迎えたカユは息子に背負われ、雪深い山にあるお参り場へ向かった。息子は申し訳なさそうな表情で両手を合わせ、その場を立ち去った。カユは寒さに震えながら、「極楽浄土、極楽浄土」と唱え続けた。やがて力尽きて倒れ込んだカユは、遠のく意識の中でも、なお「極楽浄土」と呟いた。そこへ歩み寄った数名は彼女が生きていることを確認し、「デンデラ、デンデラ」と口にした。
カユが目を覚ますと、そこは藁で作った小屋だった。外に出た彼女は、複数の老女たちが働いているのを目にした。声を掛けて来た面々は、カユの友人である桂川マクラ、福沢ハツ、浅見ヒカリだった。何年も前に、山に捨てられた老女たちである。そこは彼女たちがデンデラと呼ぶ、老女たちだけの集落だった。山の反対側に位置しており、村の人は怖がって足を踏み入れない場所にある。お参り場に捨てられた老女たちは、そこで死なずにデンデラで生き続けていたのだ。
極楽浄土へ行くことを望んでいたカユは救われたことを喜ばず、「なんで助けた?誰が助けた」と抗議した。そこへ住人の石塚ホノが現れ、デンデラを作った人の元へ案内することを告げた。デンデラでは椎の実、蕨、干し魚を冬が来る前に蓄え、貯蔵していた。今年は蓄えが少ないが、それでも村と違って食料を公平に分けるため、飢える者はいないという。カユが案内され家には、小渕イツルを始めとする複数の知人がいた。2階に上がると、そこにデンデラの創設者である三ツ屋メイの姿があった。
30年前に山へ捨てられたメイが生きていることに、カユは驚愕した。既に100歳を迎えているメイだが、元気に笑って「俺のデンデラはどうだ?ええ所だべ」と問い掛ける。メイは「30年前、俺はお山さ捨てられたんだ。村のため、家族のため、働き詰めに働いて来たこの俺が、役立たずの屑のようにな」と怒りを吐露した。お参り場へ置き去りにされた瞬間から、メイは生き延びることを考えていた。彼女は近くに転がっていた死体の着物を剥ぎ取り、木をかじって飢えを凌ぎ、火を起こして暖を取った。
何人か過ごしていると、お参り場には新たな年寄りが捨てられた。しかし男だったので、助けを求められたメイは「すぐに死ねる」と冷淡に告げて立ち去った。女が捨てられた時だけメイは助けてやり、雪山で生き抜くための方法を教えた。メイは老女の数が自分を含めて6人になった頃、何も無いところからデンデラを作った。そして現在では、カユを含めて50人の老女が暮らす場所へと成長していた。
メイはデンデラのことを誇らしげに語るが、カユは「みっともねえ。余計なことさねば、みんな綺麗に極楽浄土さ行けたのに」と批判した。メイは「そげな御伽噺さ信じておったのか」と鼻で笑い、「おめえの寿命は、まだ尽きてねえでねえか。死にたければ勝手に死ね」と言う。「もう一遍、お山さ戻るか」と問い掛けられたカユは、戸惑いながら「分からねえ」と答える。するとメイは「ならば、もう一遍、デンデラで生きてみるんだな」と述べた。
メイは「50人だぞ。50人揃えば、何だって出来る」と嬉しそうに言い、戦の稽古をしている老女たちの姿をカユに見せた。「俺たちは、来る日に備えて毎日、稽古しているのさ」と口にしたメイは、「年を取ることは罪ではねえ。年寄りは屑ではねえ。人だ。凍えながら俺は誓った。俺たちを捨てたことを、あいつらに後悔させてやろうと。復讐だ。あの村を叩き潰してやるのさ。男たちにしょんべん引っ掛けて、皆殺しにしてやるのさ」と高笑いを浮かべた。
カユが「長生きし過ぎて、頭がおかしくなったな。死に損ねえのババアが集まって、何が出来る?」と見下したように言うと、メイは「俺たちは、お山で一遍死んだ。一遍死んだモンは、つええぞお。連中は、デンデラのことは知らぬ。連中が寝静まった時を見計らって、襲うのさ」と自信ありげに語る。カユは村の襲撃を目論む村人たちに「年寄りがお山さへえらねば、ウチのモンは飢えて、村さ無くなってしまうんだぞ」と説くが、「デンデラには、これだけ年寄りがいて、誰も飢え死にしてねえ。どうしてなんだ?」と言われる。
デンデラの老女たちは、男ばかりが優遇されて偉そうにしている村への復讐心を燃やす者が大半だった。だが、それに反対する住民も、いないわけでは無かった。考えが違っても村のように殴られることは無いが、復讐に反対する者は「意気地なし」と呼ばれているという。翌朝、カユは村人たちに連れられ、ウサギ狩りに同行した。カユは雪道を歩くだけでも苦労するが、老女たちは軽やかな動きでウサギを追い込み、簡単に捕まえた。
カユは1年前にお山に入った親友・黒井クラも助けられたことを知り、村人たちに「なんで助けた?クラは早く極楽浄土さ行きてえと、いつも言ってたのに」と非難の言葉を浴びせた。すると村人たちは、クラがデンデラに運ばれる途中で「ありがとう」と口にしたことをカユに教えた。信じたくないカユに、村人たちは「本心から死にたがる奴なんかいるわけねえ」と告げた。カユが村に戻ると、老女たちは人形を武器で突き刺す稽古を繰り返していた。
メイは村人たちに、「機は熟した。いよいよ村さ襲う」と宣言した。彼女は動けない6人と復讐に反対する5人を除いた面々を4つの組に分けることを説明し、それぞれの組頭に自分とハツ、ヒカリ、保科キュウを指名した。村人が寝静まるのを待ち、2つの組がお山に近い家を襲う。1組が1軒を担当し、武器になる物を奪って次の家を襲う。それがメイの立てた計画だ。彼女は「男は皆殺しだ。女子供でも、デンデラに歯向かう者は容赦なく殺せ。デンデラを認める奴だけは、仲間さ入れてやる」と述べた。
カユが「自分のウチのモンも殺すがか?」と言うと、「自分のウチのモンには手を出さなくていい。他のモンがやる」という答えが返って来た。「ウチの息子は殺させねえ」とカユが鋭く告げると、村人たちはカユの息子への怒りを口にした。色男であるカユの息子が老女たちの嫁と次々に関係を持ったため、寝取られた夫は村で酷い目に遭っていた。メイは「村の揉め事をここさ持ち込めば、デンデラは終わりだ。俺たちは捨てられ、一度死んだんだ。前世の縁がそんなに気になるか」とカユに問い掛けた。
メイが「村のモンがデンデラさ見つけたら、まちげえなく俺たちは皆殺しだ。村がある限り、俺たちは安心して生きられねえ。殺されるか、殺すか」と話していると、復讐に反対派する椎名マサリがやって来た。彼女は「村の者を殺しても、何の意味もねえ。みんなで薪を集め、食べ物を探すべきです」と諭すが、メイは聞く耳を貸さなかった。マサリは「私のウチは村の掟を破ったと言われ、皆殺しにされました。生き残ったのは、嫁さ行ってた私だけ。片目を潰され、夫に離縁され、男たちの慰み者として生きることを、みんなに決められた。この中で一番村を憎んでるのは私だ」と話すが、「復讐するのは村の男連中と同じです」と言う。
マサリは「全ては貧しいからなんです。村よりも豊かになることが一番の敵討ちではないですか。大飢饉になれば、村になんもしなくても滅びます」と話すが、メイは「ここでは、子は産まれねえのだぞ。村がねくなれば、捨てられる者もいねえ。だから村を滅ぼし、女子供入れて、新しいデンデラとして生きるしかねえのだ」と反論する。するとマサリは「嘘だ。アンタは新しいデンデラのことなんて考えていないでしょ。アンタの頭の中には、ただ村を憎み、滅ぼすことしかねえ」と指摘すした。
メイは笑って彼女の指摘を認め、「俺たちババアには、先の話はねえ。大切なのは、昔に落としめえを付けることだ。村が滅びるところを、この目で見てから死にてえ。そのために、俺はこのデンデラを作った」と語る。「アンタは間違ってる」とマサリが糾弾すると、メイは「もう話は終わりだ」と一方的に彼女との会話を打ち切った。メイは老女たちに、5日後の満月の晩に村を襲うことを通達した。
カユは動けない面々に含まれているクラの元を訪れた。クラは「ここじゃ村と違って、この体を後ろめたく感じねえ」と告げた。カユが助けられた時に「ありがとう」と言ったことについて尋ねると、「極楽さ行きてえのはホントだけんど、やっぱり死ぬのはおっかねえと思った」とクラは答えた。彼女は「死ななくて良かったなあ」と、涙を浮かべてカユに告げた。カユは「ここさ来たら、分からねえことだらけだ。何が正しいのか、さっぱり分からねえ」と漏らした。
カユが「俺は女だし、自分で決めろと言われても、どうすればいいか分からねえよ」と言うと、カユは「一番正しいと思うことを選べばいいのす」と告げた。カユは幼少の頃の出来事を回想した。死ぬのが怖くなって姥捨て山から戻って来た老女が、村の男たちに暴行されるのを彼女は目撃したことがあった。幼いカユは、山に入った者が入って来たら極楽浄土に行くことは出来ず、男衆に責め殺されて糞溜まりに捨てられることを知らされた。
夜中に目を覚まして水を飲みに出たカユは、惨殺された数名の死体を目にして悲鳴を上げた。貯蓄していた食料を狙って、熊がデンデラに入り込んだのだ。そこへ駆け付けたメイは、「今が一番大切な時なのに、なんで邪魔する」と苛立った。周囲を調べると、親と子供の2頭の熊の足跡が残っていた。クラの住む家も襲われ、宙吊りになって助かった彼女を除く全員が殺された。死なずに済んだクラも、熊の襲撃で足を千切られて重傷を負っていた。
これまで一度も襲って来なかった熊が現れたことにメイが憤りを吐露していると、ヒカリが「あれは穴持たずだ」と告げた。今年は冬籠りするための食料が少なかったため、子供を引き連れてデンデラを襲ったのだというのがヒカリの分析だった。「一度、人の味を覚えた熊は、また人を襲う。あいつは必ず、またデンデラに戻って来る」と彼女は言う。メイは「デンデラが弱いからか。女だと、年寄りだと、熊にまで舐められるのか。あいつはメスだろうが。メスなのに」とメイは喚き散らした。
メイは罠を仕掛け、熊を誘い出すことにした。メイがクラをエサにして誘い出すと言い出したので、カユは激しく抗議した。「恥ずかしくねえのか」とカユはメイは非難するが、クラは「いいんだよ。私の体が奴に立つなんて」と穏やかに告げる。メイはカユに、「おめえ、腹を立ててるな。それはクラのためではない。おめえの気持ちが治まらないからだ。生きるか死ぬかの大事な時に、おめえの気持ちなど、どうでも良い」と冷たく告げた。
メイから「おめえたち、どうする?仲間が食い殺されたのに、見て見ぬ振りか」と問い掛けられたマサリは、「もちろん、私たちも協力します。デンデラを守るためなら、いつでも死にましょう」と述べた。翌日、カユやメイたちは、家の隅に隠れて熊を待ち受けた。日が暮れた頃、家の中央に寝かされたクラにおびき寄せられ、熊が姿を見せた。クラが呆気なく惨殺された後、メイの号令で老女たちが一斉に襲い掛かる。新たな犠牲者が出る中、カユやマサリが傷を負わせ、熊はデンデラから逃亡した。
カユはクラの死体に歩み寄り、「俺は嘘をついた。ホントはお山で死ぬのが怖かったんだ」と告げた。怖くなって逃げ出したマクラは、熊に見つかって惨殺された。それから5日が経過しても熊は再び現れず、メイは住民たちに勝利宣言をする。メイたちは殺した子熊を料理し、宴を開いた。メイはカユと2人になり、「生きるとは何だ?なぜ生きねばならねえのだ。俺は心の底から村を叩き潰してえ。だが、あの婆さまたちは、そげなことはどっちでもええんだべ。何か目指すことが欲しいだけ。その方が生きていて楽しいからなあ」と話す…。

監督・脚本は天願大介、原作は佐藤友哉「デンデラ」(新潮社刊)、製作・企画は中沢敏明&遠谷信幸、共同製作は冨木田道臣&高津祥一郎、プロデューサーは厨子健介&古賀俊輔&湊谷恭史、共同プロデューサーは宇生雅明、ラインプロデューサーは新野安行、庄内担当プロデューサーは丸山典由喜、撮影は古谷巧、照明は高坂俊秀、美術は稲垣尚夫、録音は加来昭彦、VFX・特殊造型は岡部淳也、編集は阿部亙英、音楽は めいなCo.。
出演は浅丘ルリ子、草笛光子、倍賞美津子、山本陽子、山口果林、白川和子、山口美也子、角替和枝、田根楽子、赤座美代子、石橋凌、月船さらら、星野晶子、坂田純子、金子幸枝、別府康子、遊佐ナオ子、宮内順子、小野敦子、恩田恵美子、松田真知子、藤井京子、長谷川とき子、余語米美、野尻佳代子、橋本せつ、山内幸子、芳賀自貴、菅原比路美、池下重大、小谷陽子、伊東幸純、仲野元子、小山典子、佐久間正明、梅津一生、穂上まどか、冨田明、太田健治ら。


佐藤友哉の同名小説を基にした作品。
監督&脚本は『暗いところで待ち合わせ』『世界で一番美しい夜』の天願大介。
カユを浅丘ルリ子、メイを草笛光子、マサリを倍賞美津子、ヒカリを山本陽子、イツルを山口果林、ホノを白川和子、キュウを山口美也子、マクラを角替和枝、ハツを田根楽子、クラを赤座美代子が演じている。
デンデラの住人を演じる女優陣は全員が老人メイクなので、カユ、メイ、マサリといった辺りは判別が容易だけど、それ以外の面々は誰が誰なのか良く分からない箇所も多かった。

カユがデンデラでメイと会って、すぐに復讐計画が明らかにされる。つまり早い段階で復讐という目的が示されるのだが、なかなか行動に移る段階へは進まない。
前半は復讐に賛成する者(メイと仲間たち)と反対する者(カユとマツリ)によるディベートがメインとなっている。
ウサギを狩ったり、キュウが弓矢で鳥を落としたりというシーンはあるが、その大半は会話劇によって構成されている。
ある程度は許容できるが、さすがに物語の歩みがノロすぎやしないかと感じる。

しかし、だからと言って「早く復讐計画に入れよ」とは思わない。
なぜなら、メイ&賛同派の復讐心に全く共感できないからだ。ハッキリ言って、狂信者の集団にしか見えない。
メイは「村や家族のために働いたのに、年を取ったら役立たずの屑扱いされて捨てられた」と恨みを口にするのだが、「果たして、家族は年寄りを屑扱いして捨てたのか」という部分に引っ掛かる。
カユを背負って山へ運んだ息子は、申し訳なさそうに拝んでいた。
そのように、「本当は捨てたくないけど、食い扶持を減らさないと全員が飢える」ということで、仕方なく掟に従っている者も少なくないのではないかと思うのだ。

メイが捨てられた時の回想シーンからすると、彼女を捨てた息子は淡白に立ち去っているので、冷たい奴だったのかもしれない。だから、もしも家族が酷い連中だったとすれば、メイが恨みを抱いたとしても、それは分からないではない。
しかし、デンデラにいる大半の老女がメイに賛同して復讐に燃えるってのは、どうにも解せない。
自分は手を下さなくても、身内も殺されることになるのだ。
老女たちを山に捨てた家族は、みんな冷酷非情な連中なのだろうか。申し訳ないと思い、罪悪感を抱きつつも、貧しさゆえに仕方なく掟に従ったということはないのだろうか。

あと、年寄りを山に捨てる掟は長年に渡って守られ続けてきたわけだから、メイと賛同派の老女たちだって、かつては年老いた自分の母親を捨てて、山で死ぬのを受け入れてきたはずだよね。そのことに関しては何も思わないのか。
カユやマツリも、そういう方向からの反論をすることは無いので、「自分たちが年老いた母を見殺しにした落とし前はどう付けるのか」という部分はスッポリ抜け落ちている。
「年寄りが山に入らないと村人たちが飢えてしまう」という考え方に対して、デンデラの老女たちは「ここには年寄りが大勢いるが、誰も飢え死にしていない」と反論する。
そうかもしれないが、しかし村の面々は「年寄りがいても飢え死にしない」ことを分かっていないのだ。
「男たちが優遇されて食事を多く取るから、そのせいで年寄りを捨てないと飢えるのだ」というのがメイたちの考えらしいが、それはセリフで語られるだけで、実証するためのシーンが用意されていないので、今一つピンと来ない。

食料のことだけじゃなくて、とにかく何に付けても村では男衆が優遇されていて、女は迫害されるからメイたちは復讐心を燃やしているということがあるようだ。
しかし、そういう「男たちは優遇され、女たちは虐げられる」という描写も用意されおらず、やはりセリフで説明されるだけなので、メイたちの怒りに共感することが難しい。
村人たちが「悪人」「憎き敵」としてのクッキリした輪郭を持ってくれない。
しかも、女を迫害してきた村の男衆に対して恨みを晴らそうということなのかと思ったら、「女子供でもデンデラを認めない奴は容赦なく殺せ」と言っているんだから、もう完全にアウトである。

それと、確かにデンデラの面々は飢え死にしていないのだが、「なぜ飢え死にしないのだろう」と引っ掛かってしまう。
「どうやってデンデラの住人たちが生き延びているのか」という生活描写が、ほとんど無いんだよね。
椎の実&蕨&干し魚が貯蔵されていることが語られたり、ウサギ狩りと鳥を落とすシーンがあったりはするが、「49人の老女たちが自給自足で元気に暮らしている」というところの説得力としては、ちと弱い。
ディベートも重要だろうが、そっちに費やす時間を、もう少し増やしても良かったのではないか。

メイたちの復讐心には全く共感できないが、しかし序盤で「村に復讐する」という目的は提示されているわけだから、そこへ向けて物語は進んでいくべきだ。
ところが後半に入ると、「それどころじゃない」という展開になってしまう。
いきなり熊が現れて(前半では何の伏線も張られていなかった)、「婆さん軍団と熊の戦い」というB級サバイバル・アクション映画に変わり果てるのである。
それによって、復讐劇はすっかり脇の脇へと追いやられてしまうのである。

個人的に、「復讐劇として始まったのに復讐を果たさずに終わる」という類の映画は大嫌いだけど、この映画に関しては、最終的に復讐を果たさないまま終わっても、まあ別に構わないかなあと思うのよ。
ただし、それは「復讐心を捨てる」「復讐をやめる」という決断に至るドラマを描いているならば、という条件付きだ。
この映画は、そういうことじゃないからね。それまで歩んできたルートを終盤に入ったら急に捨てて、まるで別の方向に走り出しちゃうんだよな。
「復讐すべきか、せざるべきか」という部分は守ろうよ。
なんで急に、「そんなことより熊との戦い」ってことになっちゃうんだよ。

熊を退散させて勝利宣言し、みんなが浮かれて盛り上がる。
だから「気が緩んでいたところへ再び熊が襲って来る」という展開になるのかと思いきや(セオリー通りなら、そういう展開になるはずだ)、そこは肩透かしを食らわせて、翌朝には村の襲撃に向かう。
本筋は復讐劇なので、正しいっちゃあ正しい。
だけど、急激に「熊との戦い」へ舵を切っておきながら、「ここで再び熊が来る」というタイミングで肩透かしを食らわせるってのは、それはそれで違うんじゃないかと。

イマイチ理由は分からないものの、カユも復讐に参加する決意を固め、デンデラ一行が村へ向かうのだが、その途中で雪崩に襲われる。
メイが「熊の次は、雪崩。なして俺の邪魔ばかりする?」と口にするが、見ているこっちも「なして復讐劇の邪魔ばかりする?」と言いたくなる。
どうやら、「生きるとは何か」という大きなテーマがあるようだ。
しかし、後半に待ち受けているエクスプロイテーション映画みたいなノリの前では、そんなテーマなど完全に吹き飛ばされてしまう。

雪崩によってメイを始めとする大勢の老女たちが命を落としたため、もはや復讐している場合じゃなくなり、それよりも村を立て直すことを優先しようということになる。
でも、また熊が村を襲い、「婆さん軍団と熊の戦い」に戻る。マサリを含む大勢が殺される中、カユは「絶対に熊を倒して新しい土地を探す」と強い決意を抱き、山に入る。
だけど何か熊を倒すための計画でもあるのかと思ったら、大声で呼び掛けて自分と同行したヒカリに気付かせ、逃げ回るだけ。
そのボンクラな行動のせいで、ヒカリが食われてるじゃねえか。

そんなわけで、後半の展開が「なんじゃらホイ」ってな感じなのだが、まさか最初からトンデモ映画やカルト映画になることを狙って作られた作品でもあるまい。たぶん原作でも、そういう展開なんだよな。
だけど、原作がそうだったとしても、やはり終盤の展開は大幅に変更すべきだったと思うんだよなあ。
でも、そういう原作を映画化しようと思ったからには、たぶん、そんな終盤の展開も含めて、製作サイドは惹かれたんだろうなあ。
ぶっちゃけ、「婆さん軍団が熊と戦うB級サバイバル・アクション映画」として全編を構成してくれたら、そっちの方が面白い映画になったんじゃないかと思ったりするんだけどね。

(観賞日:2013年9月29日)


第8回(2011年度)蛇いちご賞

・監督賞:天願大介

 

*ポンコツ映画愛護協会