『出口のない海』:2006、日本
1945年、イ号潜水艦は敵艦の攻撃に遭い、爆雷によって激しく揺れる。鹿島艦長や戸田航海長が必死に回避行動を取る艦内に、並木浩二、 北勝也、佐久間安吉、沖田寛之という4人の若者たちがいた。彼らは秘密兵器“回天”の搭乗員だ。やがて敵艦の爆雷が静まり、持久戦に 入った。40度を超える蒸し暑さの中、搭乗員はひたすら耐え続ける。回天整備員の伊藤伸夫が「落ちていました」と告げ、野球のボールを 並木に手渡した。ボールを握り締めた並木は、大学時代のことを思い出す。
明治大学野球部でエースとして期待されていた並木だが、肩を痛めて得意の速球が投げられなくなり、サヨナラ負けを喫した。しかし仲間 と共に行き付けの喫茶店“ボレロ”に赴いた彼は、球がスッと落ちて見えなくなる魔球を編み出すつもりだと熱く語る。そんな彼に、別の 席に座っていた陸上部員・北勝也が「スポーツなどしている場合ではない」と言い放つ。北は既に陸上部を辞めたことを語り、「走るのを やめたのは、走る道が無いからだ」と口にして立ち去った。
持久戦に入ってから3時間半が経過し、敵艦の応援部隊がやって来た。投下された爆雷を避けるため、鹿島は深度40メートルまで上昇する ことを選択した。並木は、“ボレロ”で北が海軍に志願したと知った日のことを思い起こす。野球部の仲間でも、「軍人になろうか」と 口にする者もいた。一方で、マネージャーの小畑聡のように「俺たちは職業軍人になれない」と漏らす者もいた。並木は仲間に魔球のことを 熱く語るが、キャッチャーの剛原力は「そんなことに力を使うぐらいなら国のために使え」と激怒した。
中野の自宅に戻った並木は、父・俊信、母・光江、妹・幸代に会った。家には並木と好意を寄せ合う幸代の友達・鳴海美奈子も来ていた。 並木は夕食の席で、海軍に志願する意思を口にした。海軍兵学校出身でない並木は予備学生となり、訓練を受けて戦地へ赴くことになる。 並木は美奈子を家まで送っていく途中、愛する気持ちを告白される。その直後、空襲警報が鳴り響いた。
敵の駆逐艦を無事に回避し、イ号潜水艦搭乗員は喜びに沸く。しかし回天の点検をすると、4号艇が故障して使えなくなっていた。4号艇 に搭乗する予定だった沖田は、その場で泣き崩れた。並木は、横須賀の海軍対潜学校時代のことを回想する。佐藤校長は予備学生を講堂に 集め、戦況が悪化の一歩を辿っていること、敵を殲滅する特殊兵器が開発されたことを語る。
佐藤校長は「参加志願者は配った紙に名前と二重丸を付けて提出するように」と指示し、2時間の猶予を与えた。講堂を出た並木が迷って いると、同じ予備学生の佐久間安吉と目が合った。佐久間は笑顔を浮かべ、講堂へ戻って行った。答えを出さぬまま講堂へ戻った並木は、 小畑から「丸を書けなかった」と打ち明けられた。うなだれる小畑と別れた後、並木は紙に二重丸を書いて提出した。
訓練のため山口県光基地に移った並木は、初めて特殊兵器“回天”が魚雷だと知った。光基地先任将校の馬場大尉が訓練生の前に現われ、 「回天を拝ませてやる」と告げて格納庫に案内する。馬場は訓練生に回天を見せて、「弾頭のTNT炸薬で敵艦を撃沈する」と言う。 詳しい説明を外山少尉に任せた馬場は、「脱出装置は無い」と訓練生に告げた。
砂浜で勉強していた並木は整備員の伊藤から声を掛けられ、高校と大学の野球部員時代の姿に憧れていたことを告げられる。並木が誘って 2人がキャッチボールをしていると、中尉になった北が姿を現した。昨日付で呉から転属になったと言う。並木は伊藤から、北が先月に 回天で出撃したが故障のため戻ってきたことを教えられた。
並木は上官の剣崎中尉や馬場大尉らが見守る中、初めて回天訓練機に乗ることになった。慎重に確認しながら作業を進め、訓練機は船と共 に海へ出る。しかし上手く発射されずに焦った並木はパニックになって大きな失敗をやらかし、もう少しで死にそうになる。剣崎の拳を 食らった並木は、彼が去った後で「お前がやってみろ」とわめいて荒れた。
出撃を前にして、並木は久しぶりに自宅へ戻った。並木は幸代から、美奈子の家が空襲で焼け、彼女が八王子の親戚の家にいることを 聞かされた。並木は「1日しかいられないから呼ばなくていい」と言うが、幸代は美奈子に電報を打った。小畑が米軍の攻撃で死んだこと を知った並木は、「敵を倒さなきゃ」と俊信の前で口にする。すると俊信は、「敵の姿を見たことがあるのか」と言い、知人だった米国人 が優しかったことを語る。「国と国との戦いだ」と並木が言うと、俊信は「国とは何だろうか」と問い掛けた。
翌日、並木は東京駅のホームで汽車に乗り込み、出発時刻を待っていた。汽車が出発する直前、美奈子が人だかりを掻き分けて駆け付けた。 美奈子から「危なくない?また会える?」と聞かれた並木は、大きく頷いた。「今度帰る時は必ず前もって知らせて」と言う美奈子に、 並木は走り出す汽車の中から「俺、美奈ちゃんのことが好きだ」と告げた。
いよいよ出撃の時が迫って来た。北に言われ、歌の得意な沖田が「誰か故郷を思わざる」を歌い始めた。やがて他の搭乗員も、声を 合わせて歌い始めた。その声を聞いていた鹿島と戸田の元に、敵艦発見の連絡が入る。命令を受け、並木、北、佐久間が回天に乗り込んだ。 しかし北の1号艇が故障で動かなくなり、佐久間の2号艇が敵艦に向かって発射された…。監督は佐々部清、原作は横山秀夫、脚本は山田洋次&冨川元文、製作は久松猛朗、プロデューサーは野地千秋&佐生哲雄、製作総指揮は 迫本淳一、撮影は柳島克己、編集は川瀬功、録音は鈴木肇、照明は渡辺三雄、美術は福澤勝広、VFXスーパーバイザーは貞原能文、 音楽は加羽沢美濃、主題歌『返信』は竹内まりや。
主演は市川海老蔵(11代目)、共演は伊勢谷友介、上野樹里、塩谷瞬、三浦友和、古手川祐子、香川照之、柏原収史、伊崎充則、黒田勇樹、 平山広行、尾高杏奈、永島敏行、田中実、高橋和也、平泉成、桐谷健太、嶋尾康史、竹嶋康成、清田正浩、神山寛、田村三郎、中村翼、 山本昴尚、古畑勝隆、井上恭太、川坂勇太、坂本真ら。
横山秀夫の同名小説を基にした作品。
監督は同じ横山秀夫の原作による映画『半落ち』でメガホンを執った佐々部清。
並木を本作が映画デビューとなる11代目市川海老蔵、北を伊勢谷友介、美奈子を上野樹里、伊藤を塩谷瞬、俊信を三浦友和、光江を古手川祐子、鹿島を 香川照之、佐久間を柏原収史、沖田を伊崎充則、小畑を黒田勇樹、剛原を平山広行、幸代を尾高杏奈、馬場を永島敏行、戸田を田中実、 剣崎を高橋和也、佐藤を平泉成が演じている。この映画の大きな失敗は、市川海老蔵を主演に据えたことだ。
もう明らかなミスキャスト。
年齢的にも当時28歳だから厳しいし、ガタイが良すぎるのも違和感がある。
しかし何よりも、その芝居が作品やキャラクターに合っていない。
ダイナミックでスケールの大きな芝居が持ち味の人を、等身大のキャラクターに押し込めちゃいけない。
また、現在劇としての喋りに慣れていないためか、台詞回しがモタついているように聞こえる。
現代劇でも柔軟に対応する歌舞伎俳優もいるけれど、市川海老蔵は、少なくとも繊細な芝居を要求される役柄には向いていないようだ。
もっと怒りとか迫力とか、弾ける感情を全面的に表現するタイプの役柄を任せた方が良かったんじゃないだろうか。市川海老蔵が歌舞伎界の大スターであり、これが映画デビュー作品であることを考えると、「まず企画があって後から主人公の配役を 考えた」ということではなく、「先に市川海老蔵を映画デビューさせる企画があって、そこに本作品を当てはめた」という可能性が強い。
ってことは、この作品を彼のデヴュー作として選んだことが失敗だったということだ。
伝統芸能の世界の人を映画に引っ張り出すのなら、普段とは違う芝居が求められるのだから、そこは慎重に考慮する必要があるはずだ。
『陰陽師』で安倍晴明を演じた野村萬斎の例でも分かるように、その人にフィットする役柄を選べば良かったのである(『陰陽師』は作品 としてはクソだが、野村萬斎の安倍晴明はハマり役だった)。
市川海老蔵の映画デビュー作には、やはり時代劇を選ぶべきではなかったか。どうしても現代劇で行きたいということならば、少なくとも リアリティーや等身大の芝居を求められるものではなく、ある種の荒唐無稽さがあるような役柄を演じさせるべきではなかったか。
この作品の並木は、「市川海老蔵だからこそ」という役柄ではないだろう。脇を固める面々では、軍人姿が似合う永島敏行や香川照之のように好演している面々もいるが、そうでないメンツもいる。
上野樹里は、もう登場した段階で違和感が強い。
おしとやかで丁寧な喋りも、全く口に馴染んでいない。
彼女が口にするセリフは、全てフワフワしている。
伊勢谷友介は、そもそも芝居が上手いわけではないので、彼がハマるような稀なキャラクターじゃないと厳しい。並木というキャラクターが、良く分からないものになっていると感じる。
例えば、喫茶店では国のために戦うべきと主張する剛原をバカにして批判的な姿勢を見せていた並木が、なぜ家族の前で海軍に志願する 意思を口にするのか、サッパリ分からない。予備学生となった並木が、なぜ特攻作戦に参加する気になったのか、決意の源はどこにあるのか、サッパリ分からない。
訓練機で失敗を犯した並木が剣崎に「心配させるな」と殴られて「お前がやってみろ」と逆上するのも、良く分からない。
それまでの、真面目に作業を覚えて訓練に取り組んでいた素振りからすると、そこは「おとなしく謝り、自分のふがいなさに腹を立てる」 ぐらいの行動になるんじゃないかと思うのよ。そんなに簡単に上官に反抗するのも違和感があるし。
彼の頭の中が見えない。なぜ並木がそこまで「死の覚悟」をするに至ったか、それが良く分からない。
仲間が死んだのに自分は死に切れないという無念さなのか、生きて帰ることに対する恥の概念なのか。
何のために死ぬのかが分からない。
本人は「回天を伝えるために死ぬ」と言うが、全くピンと来るものが無いよ。
無理矢理に捻り出した理由にしか思えないぞ。
実は死ぬ覚悟なんて無かった、怖くて仕方が無かったということが後になって分かるが、それなら、その場でそれを匂わせるようなモノが無いと困るよ。
後からモノローグで言われても、「そうか、あの時の態度や行動は、そういうことだったのか」と思わせるようなモノは無かったぞ。並木の野球に対する思いが、それほど描かれていない。
一応は基地に赴いた後も魔球を投げたりしているけれど、野球に対する夢を彼が持ち続けているのか、それを捨てて戦いに挑むのか、その 思いが良く分からない。
年老いた伊藤がボールを投げるというエピローグも、だから伝わるものは無い。
海軍に志願してからは「回天という兵器そのものを詳しく描写する」というところに意識が強く置かれていて、「そもそも野球選手だった 設定って要るのかな」というぐらいになってるし。並木はカッコ良くて勇ましい男ではなく、情けない姿が描かれている。
1度目の戦闘では出撃命令が出る前に攻撃が終了し、「敵を探してください」と懇願する。
2度目の戦闘では回天が故障して出撃できず、伊藤に八つ当たりする。
で、回天の故障で並木が出撃できなかった後、急に伊藤のモノローグが入り、彼視点での進行になってしまう。
どういう構成だ、それは。最後は「並木が練習機に取り残されて、戦後に回収されたら中で死んでいた」というマヌケな形を迎える。
しかも、回収されるまでの展開はナレーションだけで簡単に処理してしまう。
そういう形を取ることで戦争の無意味さや不条理さを主張したかったのかもしれないが、単に説得力の無いアンチ・クライマックスにしか感じられなかった。(2007/8.19)