『Deep Love アユの物語』:2004、日本

女子高生のアユは、援助交際で中年オヤジにクンニさせたりフェラチオしたりして金を稼いでいる。彼女はヤク中の健二と同棲しているが、自分はドラッグに手を出す気が無い。アユは近所に住む老女の玉枝と知り合う。朝から花の手入れをしている玉枝に、アユは「買えばいいじゃん」「咲かないよ」などと失礼なことを言う。それでも玉枝は怒らず、穏やかな態度で「頑張れば咲くのよ」と告げる。
アユが友人のレイナと街を歩いていると、リストラされたオヤジが援交を持ち掛けてきた。5万円を提示された2人は、10万円で承知した。健二が他の女を連れ込んでいるのを目撃したアユは、そのまま黙って家を出て行った。夜の公園に赴いた彼女は、「パオ」と書かれたダンボール箱に捨てられている犬を見つけた。アユは足に怪我をしているパオを連れて、玉枝の家を訪れた。翌朝、アユが目を覚ますと、玉枝の手当てを受けたパオが隣で眠っていた。
アユがパオを飼えないことを話すと、玉枝は「飼ってあげる」と言う。ただし足が悪くて散歩が出来ないのだと彼女が言うと、「散歩は私がやるから」とアユは告げた。電車で痴漢に遭ったアユは、金を請求した。玉枝の家で食事を御馳走になったアユは、遺影に気付いた。玉枝はアユに、戦争前に義之という男性と一日だけ結婚していたこと、特攻隊員だった彼が命を落としたことを語った。彼は出撃前に、「辛い時は空を見るんだ。君も空を見てごらん」と話していたという。
アユは健二から、「店の金を使い込んたのがバレた。200万円を返さないと殺される。助けてくれ」と泣き付かれる。玉枝が引き出しに200万円を溜め込んでいるのを知ったアユは、それを盗んで健二に渡した。アユと連絡が取れないので家に行ってみると、彼はドラッグの過剰摂取が原因で死んでいた。レイナを苛めているクラスメイトの景子は男たちに頼んで、彼女をレイプさせた。それを知ったアユは、景子を見つけて太腿にボールペンを突き刺した。
アユは玉枝に、金を盗んだことを白状しようとする。すると玉枝は「必要だったのよ、その人には、それで良かったのよ」と言う。何のための金か尋ねたアユに、玉枝は公園で見つけた捨て子に義之と名付けて養子にしたこと、義之は生まれ付き心臓が悪くて外国での手術が必要であることを話す。しかし実の父親に裁判で負けて取られてしまった上、その父親は手術を受けさせるつもりも無いのだという。アユは「必ず返すから。私、体売ってるから」と言うが、玉枝は心臓発作で急死した。
アユが玉枝の遺影に「アタシ、売り、やめるから」と誓っていると、義之が父親の武に連れられて現れた。武はアユを見て、「また拾って来たか。めんどくせえな」と仏頂面で言う。アユは玉枝の家で暮らしながら、居酒屋でのアルバイトを始めた。しかし男性客からの人気が高くなったことで、他の女性店員から疎んじられるようになった。パオを散歩させていたアユは、公園で義之と遭遇した。義之はアユに、「僕たちは、お婆ちゃんの子供ですよね」と告げた。義之は父から、外出は1日に1時間だけと決められていた。
アユは武と会い、義之の手術代として200万円を渡した。しかし武は「これじゃ足りない」と言い、1000万円が必要だと告げた。するとアユは、「私が稼ぐ。お婆ちゃんの願いだから」と述べた。アユはレイナから、生理が遅れていることを聞かされる。アユが付き添って病院へ行くと、医者は妊娠2ヶ月だと告げた。アユは泣き出すレイナに薬を渡し、「2ヶ月だから、これ飲めば大丈夫。でもレイナが決めな」と告げた。アユは居酒屋の男子店員たちにレイプされそうになるが、店長の相川が駆け付けて助けた。
アユは義之と会い、玉枝の写真を渡した。義之が沖縄に行きたがっていると知り、アユは彼の願いを叶えてあげることにした。アユは武にバイトで稼いだ金を渡し、義之の病気が少しずつ悪くなっているので早めの移植手術が必要だと聞かされる。アユは義之と一緒に沖縄へ出掛け、砂浜で語り合った。義之が触れようとすると、アユは「ダメ、アタシ、汚いから」と告げる。すると義之は「アユは誰よりも綺麗だよ」と言い、彼女の手を握った。アユは体を売っていたことを打ち明けるが、彼は「汚れてなんかないよ」と告げた。
レイナの妊娠を知った母の好江は、父親が分からないと聞いて中絶するよう促す。しかしレイナは「この子は悪くない」と言い、産むことを告げる。武の捜索願を受けた警官2名が、アユと義之を捕まえた。武の元へ赴いたアユは、義之に優しくしてもらう条件で彼に抱かれた。アユは売春を繰り返すようになり、避妊具無しのセックスを続けたせいでHIVウイルスに感染した。日に日に体調が悪化していく中でも、アユは義之のために金を稼ぐことばかりを考えていた…。

監督はYoshi、原作・脚本:Yoshi、企画は新井俊也、製作は山下勝也&中野秀二、プロデューサーは三村順一、アソシエイトプロデューサーは速水真吾、撮影は田中潤、照明は松隈信一、美術は龍田哲児、録音は岩丸恒、編集は冨田伸子、サウンドプロデューサーは家原正樹、音楽プロデューサーは川嶋あい。
主題歌『天使たちのメロディー』作詞・作曲:川嶋あい。
主題歌『12個の季節(ディープラブバージョン)』作詞・作曲:川嶋あい。
出演は重泉充香、古屋敬多、藤谷祥子、風見章子、本田博太郎、二木てるみ、竹中直人、黒田アーサー、和田聡宏、河田義市、谷川裕江、手塚政雄、山内勉、菊地一浩、望月次郎、中村敦子、深沢エミ、名倉右喬、金子貴伸、峯村淳二、尾道凛、阪本麻美、松本聖光、坂東美佳、猪浦里沙、小縄美帆、光田真梨緒、田辺弥生、若林裕太、高濱正明、脇田滋行、佐々木亮、青木直子、梅野舞、三波誠、相原雄太、二橋知香、東佳奈、青山潤、山村祐介、片平眞由、鈴木晴奈、飯野芹菜ら。


携帯サイトで発表され、後にスターツ出版から書籍が出版されて累計売り上げが270万部を超える大ヒットとなった小説『Deep Love』シリーズの第1部『アユの物語』を基にした作品。
原作者のYoshiが監督と脚本を務めている。
アユを重泉充香、義之を古屋敬多、レイナを藤谷祥子、玉枝を風見章子、武を本田博太郎、レイナの母・好江を二木てるみ、健二を和田聡宏が演じている。
相川役で黒田アーサー、リストラ親父の役で竹中直人が友情出演しているが、誰との友情なんだろうか。
この映画に関しては、その友情出演は恥ずかしいモノに感じる。本当に友情があるのなら、「作るのはやめとけ」とか「出るのはやめとけ」とか言ってやるべきだろう。

後のケータイ小説において「ティーンズのヒロインが薬物やら強姦やら殺人やら売春やら妊娠やら難病やら自殺やらといった問題に次々と巻き込まれながらも恋に生きる様子が、有り得ない偶然やバカバカしい展開の連続によって綴られる」という陳腐なフォーマットが流行した原型は、『Deep Love』シリーズにあると言っていいだろう。
それぐらい影響力の強いケータイ小説だったということだ。
内容が小説として優れているか否か、物語として面白いか否かってのを論じるのは、この作品に関しては、あまり意味が無いことだ。
それよりも、後のケータイ小説に与えた影響力の強さだけを捉えるべきだろう。

そんな原作の持つ圧倒的に素晴らしい味わいは、何しろ原作者のYoshi先生が監督と脚本を担当しているので、この映画版でも充分すぎるほどに堪能できる。
のっけからニヤニヤさせてくれる描写が連続し、それは最後まで続いてくれる。
先に書いておくが、これは真面目な気持ちで鑑賞したら「退屈する」か「腹立たしさを覚える」の二択だ。
しかし、おバカな映画として受け止めれば、相当に質が高いのだ。

まず冒頭、アユがオッサンにクンニされている様子が写し出される。
でもオッサンの舌はアユの観音様に届かない距離にあるし、アユはクンニされている時も売春が終わって金を受け取る時も全く着衣が乱れていない。つまり、彼女は全く脱がないってことだ。
そのシーンに限らず、アユが売春するシーンは何度もあるし、レイナが強姦されるシーンもあるが、脱がない。「セックスの後で座っているアユが背中をさらしている」という描写が1つ入るだけ。
なんでもかんでも脱げばいいというものではないが、この内容で「情事は全て着衣のまま。っていうか、そもそも情事そのもののシーンは無い」という辺りに、Yoshi先生のセンスを感じる。

アユは登場した時点で、既に健二と同棲している設定だ。
高校には通っているので、普通なら両親と同居しているはずだが、そうではない。
両親の元を離れ、ヤク中の男と同棲しながら普通の高校に通っているというのは相当に変わっているが、どういう経緯でそうなったのかは教えてもらえない。両親との関係性も、最後まで教えてもらえない。
同棲しているのは健二の家らしいが、なぜ彼が一軒家を所有しているのかも良く分からない。

レイナは「アユのバリ好きなパン、バリ買っといたんだよ」とニコニコしながら言い、買って来た10個ほどのメロンパンを机の上に広げる。
明確な説明は無いが、言動や態度を見る限り、こいつは間違いなく知恵遅れだ。
普通の高校で知恵遅れの生徒が同じクラスにいるのは異例かもしれないが、Yoshi先生の物語は現実世界とは異なる世界観で描かれているので無問題だ。
そうそう書き忘れていたけど、この映画はYoshi的ファンタジーなので、「現実的ではない」という批判は無意味だ。
それを言い出したら全てが終わる。

アユはパオに「飼ってあげられないよ」と冷たく告げて立ち去ろうとするが、足に怪我をしているのを見つけると玉枝の家へ行く。
まず会ったばかりの玉枝を頼っている時点で行動に少々の不可解さを感じるが、アユの行動に整合性を求め出したらキリが無い。
何しろ、パオを助けてやろうと考えて玉枝の元を訪れたのかと思いきや、「こんなに苦しむなら死んだ方がいい」と言い出す奴なのだ。
しかも、そう言われているパオは、そんなに苦しんでいないのに。

玉枝が戦時中のことを回想するシーンに入ると、特攻隊員の義之が「自分は明日、死んでしまうかもしれない」と話している。
しかし、そもそも特攻隊というのは「命と引き換えに敵の戦艦を駆逐する」という目的で作られた部隊であり、だから死ぬことは最初から決まっている。そのことは、特攻隊員も出撃する前から知っているし、「お国のために命を差し出すことを喜びとすべし」と教えられているのだ。
だから彼が「死んでしまうかもしれない」と「かも」を付けるのは不可解で、本来は「確実に死ぬ」という心構えを持っているべきだ。
しかし前述したように、これは現実世界の物語ではないので、たぶん特攻隊も我々の概念とは異なるのだろう。
「そもそも、この映画で戦争について語ることに何の意味があるんだろうか。本筋と全く関係ないはずなのに」と思っていたら、玉枝は「戦争はね、私から大事な物を全て奪ったの。あの人も、この足も、何もかも。でも、今の時代も同じかもね。お金と言う物が人の心を蝕んで、大事なものを見失って」と言い出す。
何の迷いも無く、戦争と今の時代を堂々と同列に扱ってしまえる辺り、さすがはYoshi先生、凡人には辿り着けない境地にいるのだろう。

玉枝は年金暮らしなのかと思ったら、造花を作って稼いでいる。「2個作って1円」と玉枝は話すが、アユは彼女が200万円を隠し持っているのを見つける。
2個で1円の内職仕事しかしていないはずなのに、200万円も溜め込んでいるのだ。
もしも造花作りだけで稼いだとしたら、全く金を使わなかったと想定しても、400万本を作る必要がある。
たぶん玉枝は、超人的な造花作りの達人なのだろう。

アユは健二が他の女を連れ込んでいるのを見て家を出て行った後、その家に戻った形跡が無い。その日は玉枝の家に泊めてもらっているし、翌日以降もそのまま居候している。
当たり前のように居座っているけど、普通のお婆さんなら「家に帰らなくていいの?」「ご両親に連絡しなくていいの?」などと気にするだろう。
でも造花作りで200万円を溜め込むぐらいの人だから、ちょっと普通とは感覚が違っているんだろうな。
っていうか、ホントに「アユと両親の関係」については全く触れないのね、この映画。
さすがはYoshi先生、そこを堂々と無視できる神経は只者じゃないわ。

アユは健二と付き合っているものの、そんなに強い気持ちがあるようには見えなかったし、浮気まで目撃しているのだが、「200万円を貸してほしい」と頼まれると、簡単に助けてしまう。
しかも、都合がいいことに、ちょうど200万円を玉枝が溜め込んでいた。それもアユが玉枝に引き出しから眼鏡を取るよう頼まれた時に、たまたま目に付くようにチラッと札束が覗く形で置いてある。
そういう有り得ないような偶然が重なり、アユは健二に金を渡すのだが、彼はドラッグで死亡する。
で、「ヤバいと感じたアユが金を持って逃げるが、事件として捜査を開始した警察に疑われる」という展開でもあるのかと思ったら、何事も無かったかのようにスルーされる。

なぜ警察が健二の死亡に関連して全く動かないのかというと、この映画の世界観では「警察」なる組織は存在しないからだ。
だから、全く緊迫感も痛々しさも無いダラダラした雰囲気の中でレイナのレイプ事件が起きても、犯行グループは検挙されない。
それはレイナが被害届を出さなきゃ動けないから警察が存在していたとしても無理なんだけど、じゃあレイプを知ったアユが怒りに燃えるので復讐するのかと思いきや、レイプを指示した景子の太腿にボールペンを突き刺して終わり。
アユの感覚では、レイナをレイプした男たちに罪は無いってことなんだろう。
私のような凡人だと全く理解できないが、きっと原作小説に感動したティーンズ女子なら共感できるんだろう。

同級生を断罪する時はクールに遂行したアユだが、なぜか玉枝に電話を掛ける。どうやら返り血を浴びて精神的にヤバくなったらしいが、ハッとなる前に電話を掛けているので、どういう心理だったのかは良く分からない。
で、どうやら居場所はちゃんと言えたのか、玉枝はアユの元へ駆け付けようとする。足が悪いのに血を流しながら必死で走るが、途中で心臓発作を倒して倒れる。
パオがアユを見つけて連れて行くと、玉枝は服に付着している血に気付いて「どうしたの、怪我は無いの?」と尋ねる。アユが「大丈夫」と言うと、玉枝は「良かった」と安堵するが、怪我が無いのに大量の血が付着しているんだから、それはそれで問題だ。
でも玉枝は、そういうことは全く気にしない。やっぱり、ちょっと感覚が変わっているのだ。

アユが「ごめんなさい、お婆ちゃんのお金」と金を盗んだことを白状しようとすると、全て言わない内に玉枝は「必要だったのよ、その人には。だから、それで良かったのよ」と告げる。
なぜか彼女は、アユが誰かのために金を盗んだことを見抜いているのだ。
で、何のための金なのか玉枝が説明した後、アユは「お婆ちゃん、ごめんなさい。あのお金、アタシが取ったの」と言う。
ついさっき、それは言ったはず。いや、完全には言ってないけど、もう玉枝には伝わっていたはずだ。
なぜ2回も同じことを告白するのかというと、アユがバカだからだ。それは、ここまで映画を見て来た人なら分かるだろう。
バカだから、「さっきはちゃんと告白してないから、お婆ちゃんには伝わっていない」と思い込んでいて、だから告白するのだ。バカだから、それは仕方が無いのだ。

アユは電話を掛けて玉枝を走らせ、発作で倒れさせている。その夜には「体を売ってる」と告白し、玉枝がショックで発作を起こして死んでいる。アユは気付かずに眠ってしまい、翌朝になって彼女の死を知る。
かなりボンクラだが、ともかくアユのせいで玉枝が死んだことは確かだ。
しかし彼女は自分が殺したとは気付いていないので、罪悪感を抱いたり苦悩したりすることは無い。
ヒロインを愚かな殺人者に仕立て上げておきながら、殺人者としては扱わないという無造作な形になっている。
さすがはYoshi先生だね。

アユがマトモに死後の処理をやったり葬儀会社と連絡を取ったり出来るとは到底思えないし、そんなことをやった気配も無い。
でもカットが切り替わると、玉枝の遺影が仏壇に飾られている。
もしも葬儀が行われたとすれば、アユと玉枝の関係についても尋ねられるだろうし、色々と問題が起きるはずなのだが、そういうのは全く無い。
しかし、つい忘れそうになってしまうが、これはYoshi的ファンタジーの世界観で繰り広げられる物語なので、きっと大丈夫なんだろう。

アユは玉枝の死後、普通にその家で暮らし続ける。どうやら権利関係の問題は全てクリアされているようだ。
そこもYoshi的ファンタジーの世界観では、全て大丈夫ってことなんだろう。
で、居酒屋でバイトを始めると、アユを嫌った女子店員たちが男子にレイプを依頼する。
「またかよ」と思うかもしれないが、Yoshi的ファンタジーの世界観では「女子のイジメと言えばレイプ」と相場が決まっているのだ。
それは我々の世界における「伊東に行くならハトヤ」ってのと同じようなモンなのだ。

強姦を指示する女子店員もクズだが、なんと指示を受けアユをレイプしようとする連中も全員が居酒屋の店員。
その居酒屋はクズの巣窟みたいなモンだが、なんと架空の店ではなく『甘太郎』という実在の居酒屋チェーンという設定。
この内容で場所を提供するだけでなく店の実名を使わせた『甘太郎』は、器がデカいというか、愚かしいというか。
で、そんな『甘太郎』で輪姦未遂事件が起きるわけだが、店長が全員をクビにすることで何も無かったことにされる。警察が存在しない世界なので、他に方法は無いのだ。
あと、そんなクズばかりを雇って、事件が起きるまで何も気付かなかった、もしくは気付いていたのに知らないフリをした店長もクズだぞ。

アユは武を不愉快なオッサンだと思っているはずなのに、なぜか義之の手術代として200万円を渡す。
玉枝から「あの男は手術をさせる気が無い」と聞かされていたんだから、そんな金を渡しても武が義之に手術を受けさせないのは簡単に分かりそうなものだが、アユはバカなので渡してしまうのだ。
この映画は、とにかく「アユが底抜けのバカである」ということを受け入れ、それを全面的に肯定し、擁護する立場に立ってあげないといけないのである。

アユはレイナのレイプを首謀した女には攻撃を加えるのに、自分をレイプさせようとした女たちには復讐しない。未遂だからOKという解釈なんだろう。
そんなアユはバカなのだが、堕胎のための薬を手に入れる方法は知っていたらしく、レイナに薬を渡す。
でも、やっぱりバカなので、「生まれ付き心臓が悪い」と聞かされていた義之の背後から近づいて「ワッ」と脅かす。
当然のことながら、義之は心臓を押さえて苦しむ。
下手すりゃ2つ目の殺人を犯すところだ。

アユは「義之を助けるため」という大義名分を手に入れて、体を売る稼業を再開する。
しかも以前の援助交際とは違って、避妊具無しでセックスさせる。
その方が稼ぎがデカいってことなのだが、運悪く、っていうか本作品的には幸運なことにHIVウイルスに感染する。
で、エイズやHIVウイルスに関するテキトーすぎる描写がありつつ、急に発症したアユは「今は死にたくない」とか言っているんだが、体が日に日に衰弱していることは分かっているのに病院にも行かずに、そのまま死ぬ。

武もHIVウイルス(ちなみに劇中では一度も「HIVウイルス」という言葉は使われておらず、「エイズ」と表現される)に感染し、急に自分の生き方を反省したらしく、義之に「必ずお前の命は助ける」と言う。
3年後に手術を受けて回復したらしい義之がアユの墓参りに来ているのだが、「武がアユの稼いだ金は全て使い込んだのに、どうやって手術を受けられたのか」という問題については、「武が稼いだ」ということのようだ。
マトモに仕事もせずに酒を飲んでばかりだったオッサンなのに、どうやって大金を稼いだのかは不明。
で、義之は墓前で「生かされてしまった」と、命懸けで頑張ったアユの苦労を台無しにするような言葉を吐いて立ち去る。

アユはHIVウイルスに感染したまま売春を続けているので、大勢の感染者を出している。
映画の最後には、「アユは、現代に生きる人々の鏡なのかもしれない」「流され、失望し、知らないうちに自らを傷つけてしまう」といった文字が出るのだが、アユは自分だけでなく売春で関係を持った他者も傷付けている。
婆さんを殺しただけに留まらず、そういう犯罪もやらかしているのだが、それでも映画では「哀れな犠牲者」として描写される。

「きっとアユのように・・・・・。あなたも変わることができる。そして、きっと義之も・・・・・。」という、きっと原作ファンなら全面的に共感できるであろうメッセージが表示され、クロージング・クレジットに突入する。
主題歌が流れ、画面には劇中で使用されたカットが次々に写し出されるのだが、それを「アユの思い出」という意味で使っているのかと思いきや、レイナが男たちにレイプされる時のカットも含まれている。
そういうのを平然と使える図太い神経は凄い。
さすがはYoshi先生だね。凡人には、とても真似できないぞ。

(観賞日:2014年5月15日)

 

*ポンコツ映画愛護協会