『DEATH NOTE デスノート the Last name』:2006、日本

人気アイドルの弥海砂は、ストーカーのADに追い掛けられた。しかし突然、そのADが心臓麻痺で倒れた。その直後、海砂の近くに ADの名前が記されたデスノートが落ちてきた。それを手に取った彼女は死神レムの姿を目撃した。第2のデスノートの所有者となった 彼女は、殺しを実行した。
夜神月は自分が殺害した幼馴染み・秋野詩織の葬儀に参列し、可哀想な男として振舞った。彼はワタリの案内で、Lが設置したキラ対策 本部へ赴いた。Lは月がキラだと確信しながら、あえて本部に招いていた。Lは月に、「後は殺しの方法を突き止めるだけ」と告げた。 一方、月がLに接触した目的は、デスノートで彼を殺害するために本名を知ることだった。
さくらTV宛てに、第二のキラを名乗る者から2本のテープが届いた。ディレクターの出目川裕志はキャスター・高田清美の反対を無視し、 上層部に内緒でテープを流すことにした。彼の指示を受け、メインキャスターの西山冴子が生放送で事情を説明し、テープを流した。 テープに吹き込まれていた声は、「キラの邪魔をする者は死んだ方がマシ。これから太陽テレビに出演している日々間数彦が死ぬ」と 語った。日々間はキラを糾弾している男だ。生放送で語っている最中、彼は心臓麻痺で死亡した。
第二のキラを名乗る者はキラ信奉者に対し、さくらTVに集まるよう呼び掛けた。ちょうどTV局の前ではさくら祭りが催されており、月 の妹・粧裕も友人と共に来ていた。出目川の指示で、祭りの会場をカメラが映し出す。信奉者が集まって騒ぎ始める中、粧裕と親交のある 模木刑事が現れ、キラを批判した。その直後、彼は心臓麻痺で命を落とした。駆け寄ってきた警官も、やはり心臓麻痺で死んだ。テレビを 見ていたLは、犯人がカメラを通じて相手を見ただけで殺害する能力を持っていると見抜いた。
第二のキラはテープの中で、キラに対して「私は目を持っている。協力しましょう」と呼び掛けた。粧裕はカメラに向かい、犯人を非難 する言葉を浴びせた。そこへ、ヘルメットで顔を隠した警視庁刑事部長・夜神総一郎が車で突入し、カメラとケーブルを破壊した。さらに 彼はテレビ局へ乗り込み、出目川に銃を向けて放送を中止させた。月は本部を出て、テレビ局へ粧裕を迎えに行く。その姿を見た海砂は、 月がキラだと知った。
Lは騒動の際にテレビ局の中にいた人物が第二のキラだと推理した。対策本部は局員と局にいた人物の膨大なリストを手に入れ、調査を 開始した。海砂は月の自宅を訪れ、自分のデスノートを触らせてレムが見えるようにした。彼女は月に、「私がLの名前を見るから彼女に して」と頼んだ。月が拒むと、彼女は「私のノートを預かって」とまで言う。
海砂が月を信奉する理由を、レムが説明する。3年前、海砂は家族を惨殺され、逃亡する犯人を目撃した。だが、その目撃証言が警察では 証拠不十分とされ、捕まった容疑者は不起訴となった。沈んだ日々を送る中、キラが登場して犯人を殺害してくれたため、海砂は熱烈な 崇拝者となったのだ。Lを殺すという目的のため、月は海砂を抱き締めて受け入れた。
月が大学にいると、Lがやって来た。そこへ海砂が現れ、Lの顔を見た。 海砂がLの本名を知ったことで、自分は勝ったと月は確信する。 だが、月が海砂から名前を聞き出す前に、Lは彼女を第二のキラとして逮捕させた。Lは対策本部に海砂を監禁するが、彼女は何も話そう としない。監禁5日目、海砂はレムに「いっそ殺して」と頼んだ。レムは彼女にデスノートの所有権を放棄させ、月の元へ赴いた。そして レムは、海砂がデスノートの存在も人殺しのことも忘却し、月を愛している記憶だけが残ったと説明した。
レムが海砂のことを親身になって考えるのは、死神ジュラスが彼女に惚れていたからだ。そのジュラスは海砂をストーカーから助けるため にデスノートを使い、それゆえに命を落としていた。月はレムと約束を交わし、デスノートを森の中に埋めた。月は対策本部へ赴き、Lに 対して「自分の知らない別人格がキラなのかもしれない。だから監禁して調べてくれ」と申し出た。
月の監禁から3日目、レムはジュラスのデスノートを清美に発見させた。監禁7日目、ついに月は「捨てる」と口にして、デスノートの 所有権を放棄した。キラとしての記憶を失った彼は、Lに「自分がキラではないと確信した。協力してキラを捕まえよう」と述べた。同じ 頃、レムに「キラの代理人として指名された」と告げられた清美は、デスノートを使った殺人を開始した。そして彼女は陰険にイビって きた冴子もデスノートを使って殺害し、メインキャスターに就任した。
月は自分の監禁前後でキラの傾向にズレがあるのを発見し、別の人物になっていると確信した。そして彼は、現在のキラがさくらTVに 所属する女性だと絞り込んだ。対策本部は清美の部屋を盗撮し、様子を窺った。そこで彼らは、清美の持つデスノートに被害者の名前が 記されているのを発見した。そして、右側に記された名前が、これから殺される被害者を示していると確信した。
対策本部では、清美に「部屋を盗聴してテープに証言を録音した」と脅迫電話を掛け、彼女を呼び出した。そして偽の名前を記した名刺 を渡し、金を振り込むよう要求した。その夜、清美は出目川からの電話で、さくらTVに脅迫して男が出演し、テープを公表しようとして いるのを知った。しかし、それは対策本部の作戦であり、実際にはそんな番組は放送されていなかった。
清美はデスノートに名刺の名前を書き込むが、偽名だったため時間になっても目的は達成されない。そこで清美はレムから死神の目を貰い 、急いでテレビ局へと向かった。テレビ局に乗り込んだところで、ヘルメットで顔を隠した対策本部の面々が彼女を確保した。デスノート に触れた対策本部の面々は、レムの姿を目にした。そして月はデスノートに触れ、記憶を取り戻した。全て彼の計画通りに運んだのだ。 月は隠し持っていたデスノートの切れ端で清美を殺害し、海砂に記憶を取り戻させるための行動へと移った…。

監督は金子修介、原作は大場つぐみ&小畑健(集英社刊)、脚本は大石哲也&金子修介、製作指揮は三浦姫、製作 は山路則隆&堀義貴&西垣慎一郎&平井文宏&北上一三&松本輝起&大澤茂樹、プロデューサーは佐藤貴博&福田豊治&小橋孝裕、 エグゼクティブプロデューサーは奥田誠治、製作指揮は高田真治、企画は鳥嶋和彦&佐藤敦、撮影監督は高間賢治、撮影は石山稔、編集は 矢船陽介、録音は岩倉雅之、照明は上保正道、美術は及川一、音楽は川井憲次。
出演は藤原竜也、松山ケンイチ、鹿賀丈史、藤村俊二、津川雅彦、中村獅童(特別出演)、池畑慎之介、戸田恵梨香、片瀬那奈、 マギー、上原さくら、五大路子、満島ひかり、中村育二、青山草太、清水伸、奥田達士、小松みゆき、前田愛、板尾創路ら。


週刊少年ジャンプに連載された人気漫画『DEATH NOTE』二部作の後編。
前編の公開から4ヶ月後という、短いスパンでの上映となった。
月役の藤原竜也、L役の松山ケンイチ、総一郎役の鹿賀丈史、ワタリ役の藤村俊二、佐伯警察庁長官役の津川雅彦、リューク役(声優)の 中村獅童、海砂役の戸田恵梨香らが前作から引き続いて登場。他に、レムの声を池畑慎之介が担当し、清美を片瀬那奈、出目川をマギー、 冴子を上原さくらが演じている。

冒頭、月のナレーションによってデスノートのルールに関する説明があるが、「そんなルールって前作でもあったっけ?」と思ってしまう ルールもある。
「デスノートを他人に預けるだけなら所有権はそのままだから力は失われない」という設定が出てくるが、そんなの、前作で言ってたっけ?
所有権を放棄するとデスノートの存在も人殺しのことも記憶から削除されるって、そんな設定があったのね。
実際に前作でも設定されていたかどうかはともかく、原作未読の人間にとって、全てのルールを把握するのが簡単な作業でないことは確か だ。冒頭にある説明も「知っていることが前提」という感じでサラッと処理されるので、ボーッと見ていると忘れてしまう。
だが、そのルールが展開において大きな意味を持つのだ。
やはり原作未読の観客に対しては不親切だ。

海砂は月を見ただけでキラだと分かるんだが、なぜなのかが良く分からない。
ヴィジュアル的に、例えば海砂が見た時に月だけが別の光り方をするとか、「彼だけは特別」という視覚表現があるわけでもないし。
原作を読んでいれば、死神の目を手に入れると別の死神も見ることが出来るようになるので、リュークが取り付いているのを見て気付いた ということが理解できる。
だが、映画の中では、ちゃんとした説明が無いので良く分からない。

海砂は両親を殺した犯人をキラが裁いてくれたので崇拝しているという設定だが、前作でキラが活動を開始した頃には、もう彼女は人気者 として活躍している。
両親を殺されたのは3年前。回想シーンから推測する限り、その頃はまだタレントではないはず。そしてキラが犯人を殺してからデビュー だと想定すると、人気者になるまでの時間が短すぎる。
ってことは、彼女は両親が殺され、犯人を目撃しているのに逮捕されていないという心の傷を抱えた状態で芸能界に入り、キャピキャピと 明るく活動していたわけか。
仮にキラが犯人を殺した後にデビューし、驚異的なスピードで人気者になったと想定しても、「犯人が殺害された瞬間にいきなり元気に なって芸能界入り(そんなに都合の良いタイミングで芸能人になれるとも思えないが)」ということになる。
どっちで考えたとしても、どうやら、かなり大らかな性格らしい。

大らかと言えば、この映画そのものが大らかさに包まれている。
前編はタイトルに「前編」と付いていたのに、後編は「後編」と付けない統一感の無さを放置している辺りからして、なんとも大らかでは ないか。
とにかく段取りを全てセリフで説明してしまおうというシナリオだが、それを問題視せず、そのまんまで映画を作ってしまうのも大らかだ。
エキストラの陳腐な芝居、テレビ局の安っぽい様子(凶悪犯でも何でもない単なる警官が殺されているのに、キラ崇拝者がフィーバー状態 になっている様子のなんとバカバカしいことか)などを、そのまんま平気で見せてしまうのも大らかさの表れだろう。

頭脳明晰なはずの月が、どこかボンクラに見えてしまう部分も否めないが、それでOKとするのも大らかさの表れだろう。
レムが海砂に入れ込んでいる理由の説明として、「ジュラスが惚れていたから」などという、唐突に登場した別の死神について語るだけ では不充分極まりないが、ほとんど説得力を持たせずに放っておくのも大らかさだ。
「海がLの名前を覚えていない」ということを絶対条件として終盤の展開は進められるが、「ひょっとこの面を着けていた変な男」という ことで彼女の印象に残っていた可能性も充分にある。緻密な頭脳戦のはずが偶然に頼っているという問題点も、大らかな気持ちで見逃そう。

Lは、例えば「キラの能力が他者に移って月と海砂の記憶が失われた」などと、シャーロック・ホームズのビックリの超推理を披露する。
まだホームズの場合、後付けとは言え「こういう証拠やヒントから推理に至った」というモノがあった。
しかしLの場合、見事に何も無い。丸っきり勘だけなのだ。
プロファイリングのような推理の方法は全く使わない。悪く言えば当てずっぽうだが、それでOKにしちゃうのも大らかさだよ、大らかさ。
そして、そんな映画に目くじら立てず、大らかな気持ちで見ましょうってことだわな。
この映画は、観客にも大らかさを求めているのだ。
清美を捕まえるまでの展開なんて、「ダラダラやらずに、さっさと月に記憶を取り戻させろよ」などと言いたくなるが、そこは大らかな 気持ちで待とう。
記憶を取り戻した月が、森へ行ってデスノートを掘り返し、レムと会話を交わすシーンがある。だが、記憶を取り戻した段階では、まだ彼 はLの監視下に置かれていたはず。「どうやって森まで行くことが出来たんだろうか」という疑問も生じるが、そこは大らかな気持ちで 無視しよう。

Lの逆転劇の後も、ウダウダと月や総一郎が自分の主張を熱弁するが、長いよ。
そんで最後はリュークの裏切りという、それまでの流れとは全く関係の無いところからポッと出た要素によって事件の幕引きとなる。
そうなると、Lの命懸けによる作戦も、無意味だったのではないかとさえ思える。
だってリュークがその気になれば、いつだって月を殺せたわけでしょ。たまたま彼の気まぐれが、そのタイミングがその時だったという だけで。
せいぜい、Lの作戦は、リュークの裏切りのきっかけを作ったという程度に過ぎない。
それならまだ、「Lが逮捕しようとするが、月が裏をかいた行動でデスノートに名前を書いて自害する」という形の方がスッキリするよ。
あと冷静に考えると、Lが自分の名前を先に別のデスノートに記し、月を逮捕するために命を懸ける必要なんて無かったんじゃないか。
だって、ワタリによって海砂のデスノートはニセモノに摩り替えられているんだから、そこに本名を記されても効力は無いでしょ。
ならば、死んだ芝居をして騙し、証拠を得た直後に月と海砂を拘束すれば済むんじゃないのかな(あと思ったんだけど、デスノートが ニセモノと摩り替えられても、リュークは海砂に何も言わないのね)。

そもそも、Lが命懸けで月を逮捕すること自体、おかしいんだよね。
だってさ、Lってのはゲーム感覚で犯人逮捕や事件解決に当たっている男という設定のはずなんだからさ。
「ゲームだったのが命懸けでキラを倒そうと考えるようになる」という心情変化が描かれているわけでもないんだし、そりゃ無理があるよ。
まあしかし、そんな細かいことをグダグダと考えず、素直に与えられたモノだけを見て楽しむ大らかさを持とうってことだわな。
っていうか、実は本作品に見られる大らかさって、ほとんどは原作から引き継いでいるモノだったりするんだよな。
それを考えると、原作を大事にしているってことだから、しょうがないのかね。
あと、前編でもそうだったんだが、映画オリジナルの展開になる終盤の部分は、原作よりも遥かに良い。
今回の結末にしても、原作だとレムにLを殺させて決着なのよね。肝心なトコで人間がデスノートを使わないのよ。
この映画版もレムが直接的に力を行使するけど、人間側もデスノートを使うし、こっちの方を高評価。

海砂の監禁シーンで、戸田恵梨香の両手両足を拘束して椅子に縛り付け、そっち系のアダルトビデオみたいな感じなシチュエーションを 設定する辺りは、さすが金子修介だ。
とにかく、この人は「女優(っていうか若い女の子)を撮りたい」ってのが全てと言ってもいいぐらいの監督なのだ。
前作では、その気持ちを満島ひかりに向けていたが、それほど物語に絡まない役だった。
しかし今回の戸田恵梨香は物語の中心に位置しているので、充分に自分の希望を満たすことが出来る。

金子監督の意識の中では、明らかに「戸田恵梨香を魅力的に見せる」ということに最も重点が置かれている。
そして話としても、盲目的崇拝によって月に全てを捧げようとする海砂の無償の愛が、映画を引っ張るエナジーとなっている。
では、その次に月とLの対決を重視しているのかというと、それも違う。
二番目に重点を置いているのは、片瀬那奈を魅力的に撮ることだ。
だから彼女の登場シーンでは、不必要に生足をアピールさせたりしている。
月とLの対決なんて、若い女に比べれば、後回しでいいのだ。

金子監督が女の子を撮るために仕事をしていることは自ら公言しているのだし、周囲も分かっているはずだ。
だったら、そろそろ「特撮映画の人」とか「大作映画を任せられる人」という解釈はやめて、彼を解放してあげたらどうなのか。
彼の気持ちを満たすために、女性アイドル映画を撮らせてあげたらどうなのか。
今関あきよし監督が児童買春で捕まって、そっち系の映画をしばらくは撮れない感じだから、その枠が1つ空いているんだし。

(観賞日:2008年2月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会