『DEATH NOTE デスノート 前編』:2006、日本

ここ最近、犯罪者や犯罪容疑者が心臓麻痺で死亡する事件が多発していた。これは日本だけではなく、世界各地で同じ出来事が起きていた。 インターネットの世界では、これを全て救世主キラという人物の仕業だと考え、彼を正義の味方として崇拝する動きが広まっていた。 そんな中、繁華街の大型ヴィジョンで立て篭もり事件のニュースを目にした青年・夜神月(やがみ・らいと)は、持っていたノートに犯人の名前を 記した。数十秒後、犯人は心臓麻痺で命を落とした。
翌日、月は通っている東応大学で幼馴染みの秋野詩織と話をする。月は将来の警察庁入りを目指す秀才で、司法試験に初受験で合格した ばかりだ。詩織のゼミでも、学生はキラの話題で持ち切りだった。キラの所業を非難する詩織に対し、月は「自分がキラのような力を 持っていたら、同じことをするかもしれない」と告げる。キラの正体は彼だった。
1ヶ月前、月は警察庁のデータベースに潜入し、凶悪犯の多くが不起訴処分となっているファイルを目にし、信じていた正義の限界を 知った。雨の夜、ある店に入った月は、不起訴処分となった凶悪犯の1人・渋井丸拓男が「俺は絶対に有罪にならない」と余裕の態度を 見せているのを目撃した。店を出た月は、黒い表紙に「デスノート」と書かれた1冊のノートを拾った。帰宅した月がノートを開くと、 「このノートに名前を書かれた者は必ず死ぬ」と記されていた。
月がテレビを見ると、女子高生誘拐殺人事件の初公判に関するニュースを放送していた。月は試しに、ノートに容疑者・顔沼陽介の名前を 書いた。翌朝、目を覚ました月は新聞を開き、容疑者が心臓麻痺で死んだことを知る。夜、月が渋井を見つけて名前をノートに書くと、目 の前で彼は死亡した。渋井の死んだ現場を離れた月の前に、空を浮遊する死神リュークが出現した。彼は自分がノートを落としたことを 明かし、「ノートを使用しても何の代償も要らない。気に入らなければ他の者に渡せ」と告げた。
4ヵ月後、月の父で警視庁刑事部部長の夜神総一郎は、一連の不審死事件を捜査していた。佐伯警察庁長官に呼ばれて赴くと、ICPOに 派遣されていた旧友・松原の姿があった。ICPOの最後の切り札である探偵Lが、犯人は日本にいると判断したのだという。松原の傍ら には、Lの交渉窓口であるワタリの姿もあった。総一郎は佐伯から、捜査本部長に任命される。
月がテレビを見ていると、ICPOの緊急中継が始まった。画面にはリンド・L・テイラーという男が現われ、自分がLと呼ばれる人物 だと明かし、キラを幼稚だと扱き下ろして挑発した。月はテイラーの名前をノートに書き、放送中に死亡させた。だが、それは全てLの 罠だった。テイラーはLが影武者として用意した死刑囚であり、それはキラが直接手を下さず人を殺せることを確認するための作業だった。 さらに、その放送は関東地域にしか流されておらず、それもLがキラの居場所を絞り込むための作戦だった。
Lは捜査本部の報告を受け、犯人が大学生だと目星を付けた。警察庁のデータベースにアクセスして捜査日誌を読んだ月は、1時間に1人 ずつ殺害していく。デスノートのルールでは、事前に死亡日時を指定することも出来るのだ。街を歩いていた月は、尾行されていることに 気付く。月は、それが警察の人間でないと推理したが、相手を始末しようにも素性が分からない。
月はリュークから、尾行者の名前を知るために死神の目が欲しくないかと持ち掛けられる。死神の目を手に入れれば、顔を見た人間の名前 と寿命を知ることが出来るのだ。リュークは死神の目を渡すのと引き換えに残り寿命の半分を要求してきたが、月は即座に断った。月は、 デスノートに触れれば死神の姿が見えること、デスノートの切れ端でも効力があることを思い出した。彼はそれを利用して、FBI捜査官 らしき尾行者の名前を知り、他の捜査官もまとめて始末する作戦を練った。
月は詩織と共に、タレント・弥海砂の宣伝が描かれたバスに乗った。尾行している男が後ろの座席に座り、バスは発車した。月は男に 語り掛け、「なぜ尾行するのか」と尋ねた。直後、停留所でバスが停車し、逃亡中の凶悪犯・忍田奇一郎が乗ってきた。忍田は運転手に ナイフを突き付け、バスジャックした。
月はデスノートの切れ端に「隙を見て襲い掛かる」と書き、尾行の男に見せた。男は自分に任せろと告げるが、月は「尾行していた人など 信じられない」と言い返す。仕方なく、男はFBIの身分証を見せた。月は、素早くレイ・イワマツという名前を読み取った。忍田は月 に近付き、メモを奪い取った。直後、彼はリュークの姿を見て錯乱し、発砲して弾丸を使い果たす。慌ててバスを降りた忍田は、そこで 命を落とした。忍田がバスに乗り込むところから、全ては月がレイの名前を知るためにデスノートに記した作戦だった。
レイはLの指示で行動しており、同じFBI捜査官の南空ナオミと婚約中だった。彼はナオミとの予定をキャンセルし、地下鉄に乗った。 不審を抱いたナオミは、密かに隣の車両に乗り込んでいた。レイは網棚の茶封筒を手に取り、中を見た。そこには、「私はキラです。同封 のトランシーバーを付けてください」と月が記した紙が入っていた。月は隣の車両に乗っており、自分がキラだという証拠としてレイの隣 にいる犯罪者・汚崎樽人を眠ったように死亡させた。
月は他の乗客を殺すと脅し、封筒に入っていた紙に他の捜査員の名前を記すようレイを脅した。レイは仲間の捜査官の名前を書き、封筒を 置いて列車を降りた。同じ駅で降りたナオミが声を掛けた直後、レイは死亡した。レイが予定をキャンセルして地下鉄に乗るところから、 全ては月がデスノートに記した作戦だった。月は他の捜査官も次々に殺害していく。
犯罪者でなくても標的にされることが判明したため、捜査本部では大半の捜査員が抜けるという事態となった。総一郎はLに対し、協力 してキラを捕まえたいのなら姿を見せるよう求めた。Lは承諾し、ワタリに言って残った捜査員をホテルの一室へ案内させた。捜査員の 前に現れたLは、ゲーム感覚で捜査を進める青年だった。
Lは、レイが死ぬ直前に調べていた総一郎と警察庁の北村次長の家族が怪しいと睨んでいた。Lは1週間の期限を設定し、夜神家に盗聴器 と盗撮カメラを仕掛けた。Lは月が犯人だと考えており、彼の部屋には隙の無いように複数のカメラが仕掛けられた。一方、レイの仇討ち に燃えるナオミも独自の捜査を進め、月が犯人だと確信するようになっていた・・・。

監督は金子修介、原作は大場つぐみ&小畑健(集英社刊)、脚本は大石哲也、脚本協力は田中孝治&及川章太郎、製作指揮は高田真治、 製作は山地則隆&堀義貴&西垣慎一郎&平井文宏&北上一三&松本輝起&大澤茂樹、エグゼクティブプロデューサーは奥田誠治、 プロデューサーは佐藤貴博&福田豊治&小橋孝裕、企画は鳥嶋和彦(高橋雅奈は間違い)&佐藤敦、CGプロデューサーは豊嶋勇作、 撮影は高瀬比呂志、編集は矢船陽介、録音は岩倉雅之、照明は渡邊孝一、美術は及川一、音楽は川井憲次、 主題歌は「ダニー・カリフォルニア」レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、挿入歌は「真夏の夜のユメ」スガシカオ。
出演は藤原竜也、鹿賀丈史、藤村俊二、戸田恵梨香、中村獅童(特別出演)、松山ケンイチ、瀬戸朝香、香椎由宇、細川茂樹、 五大路子、満島ひかり、中村育二、青山草太、清水伸、奥田達士、小松みゆき、中原丈雄、津川雅彦、田中要次、皆川猿時、顔田顔彦、 渡来敏之、森永健司、小林太樹、浅沼晋平、神崎智孝、ルビー浅丘モレロ、卜字たかお、奏谷ひろみ、松澤重雄、阿部亮平、木幡竜、藤井宏之、 網野圭介、純京介、河合龍之介、村松和輝、青木奈々、樋渡真司、高橋大祐、西川方啓、吉野晶、川屋雪隠、関口あきら、佐伯新、天田暦 、八下田智生、石賀浩之、野木太郎、藤澤よしはる、新津勇樹、安川祐香、橋山勇人、池亀未紘ら。


2003年12月から2006年5月まで週刊少年ジャンプで連載された漫画『DEATH NOTE』を基にした作品。
最初から、「前後編の2部作で、同じ年に公開する」という企画として製作されている。
ビデオ映画ならいざ知らず、全国公開のビッグ・バジェット作品としては、邦画界では異例の企画である。
原作は第1部と第2部に別れており、この映画2部作は第1部を基に作られている。
月を藤原竜也、Lを松山ケンイチ、ナオミを瀬戸朝香、映画オリジナルキャラの詩織を香椎由宇、レイを細川茂樹、海砂を戸田恵梨香、 ワタリを藤村俊二、総一郎を鹿賀丈史、佐伯を津川雅彦、月の妹・粧裕(さゆ)を満島ひかり、月の母・幸子を五大路子が演じている。
撮影監督の高瀬比呂志は公開から3ヶ月後の9月7日に死去したため、これが遺作となった。

この映画は、とにかく「分かりやすさ」を追求している。
まずデスノートの表紙にアルファベットで『DEATH NOTE』と書いてあるところからして、分かりやすさを求めていることの証拠だ。
死神が持っていたのだから表紙にタイトルを付ける必要は無いし、さらに1ページ目に詳しい説明を書いておく必要性も無いし、しかも タイトルも説明文も全て英語ってのは有り得ないんだが、それは全て分かりやすくするための配慮、観客のための配慮なのだ(っていうか 、ホントは原作がそうなってるんだけど)。

大勢の人がいる街中で月が堂々とノートを広げ、犯罪者の名前を書くというのは無用心に見えるかもしれないが、視覚的に分かりやすく するための配慮だ。
もちろん自宅でテレビを見て書くことも可能だが、それだと犯罪者が死んだ時の人々の反応を別のショットで見せなければいけなくなる。
それを回避するために、あえて月には無用心になってもらっているのだ。
エキストラの芝居が稚拙なのは、「これはバカバカしい話です」と観客に分かりやすく示すための呼び水として使うためだ。

常に沈着冷静な天才のはずの月が行き当たりばったりとしか思えない行動を取るのは、それによって「自分たちとかけ離れた存在ではない」 と観客に思わせるため、親近感を抱かせるための配慮だ。
ノートに書く字が汚いのも、ノートの使い方が雑なのも、ノートの隠し場所に無頓着なのも、屋外で平然とノートを出したり、リュークと 会話したりするのも、全て親近感を出すための配慮だ。
一片の隙も無い非情な天才ではなく、隙だらけの男にして、観客に親近感を抱かせようという配慮だ。
月を冷酷非情な人間として登場させず、「信じていた正義に失望したから、正義のために行動する」という熱い正義感からデスノートを 使わせ始めるのは、完全な悪党として登場させるよりも観客の共感が得られやすいという考えに基づくものだろう。
そして同時に、そこもまた、親近感を抱かせようという配慮が含まれているのだろう。

月がリュークを見ただけで「死神のお出ましか」と簡単に素性を見抜いたり、死神という非現実的な存在を簡単に受け入れたり、「なぜ デスノートを落としたのか」という疑問をぶつけなかったりするのは、余計なことに気を取られず物語を進行させるための配慮だ。
Lやナオミの行動を始めとして、全編に渡って御都合主義的な展開が多いのも、サクサクと話を進めるための配慮だ。
説明的セリフが多いのも、話を分かりやすくしてサクサクと進めるための配慮だ。
月は行き当たりばったりで行動し、Lは御都合主義的に犯人を絞り込んでいくので、高いレベルでの知能戦は一切登場しない。
これは、高いレベルの知能戦を描写すると、話が難しくなってしまうからだ。
あまり複雑で難解な話にするとアホな観客が付いていけなくなる可能性があるので、中身の単純化を狙っているのだ。

クライマックスにおいて、月がペンを取り出すという行動は、その必要性が全く無い。
なぜなら、事前に彼は問題解決のための方法をデスノートに記しているのだ。
しかし、それでもペンを取り出すという無意味でしかない行動を月に取らせたのは、そうした方が「それは観客への引っ掛けですよ」と いうことが分かりやすくなるからだ。
最後まで、分かりやすさを追求しているのである。

(観賞日:2006年11月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会