『ダーリンは外国人』:2010、日本
イラストレーターのさおりは、漫画家になるのが夢だ。彼女は雑誌の編集者から漫画誌の担当を紹介すると約束され、徹夜でイラストを 仕上げた。だが、「そうだっけ?」と編集者は誤魔化して立ち去った。時計を見たさおりは、慌ててトニーとの待ち合わせた場所へ行く。 トニーは漢字が大好きで、日本にやって来た。アメリカ人だが、日本語はペラペラだ。その日は、2人の3回目のデートだ。
トニーは歩きながら、「つかぬことって、どんなこと?「ぶん殴るって、なんで『ぶん』なのかな」など、日本語に関する素朴な疑問を口 にするが、さおりには答えられない。さおりは家に招待してもらえると思っていたが、トニーが案内したのは外国人だけのパーティー会場 だった。トニーの友人・フランコが、さおりに挨拶した。トニーが友人たちの元へ行き、さおりは一人にされて困惑した。
さおりが立ち尽くしていると、トニーの友人・クリスが話し掛けてきた。さおりは英語が分からないので、日本語が分かるクリスの友人・ ルーシーが通訳してくれた。クリスは「日本人の大人が漫画を読むのはおかしい」とバカにするので、さおりは反論した。するとクリスは 日本語で「英語、もうちょっと勉強したら」と言い、さらにバカにして立ち去った。さおりが悪酔いしているとトニーが来るが、彼は 「ごめんね、全然気付かなくて。お腹空いてるんでしょ?」と見当違いのことを口にした。
帰宅したさおりは、電話で姉の三佳と今日のデートについて語り、「特に何も進展無しで」という。そこへトニーからファックスが届いた 。さおりは「愛の言葉なのか」と期待するが、「今日は、ありがとう。ホレンソ美味しかったね。」という文面だった。そして何度目かの デートの後、彼はさおりのボーイフレンドになった。2ニンは一軒家を借りて、そこで同棲生活を開始した。
さおりは三佳の結婚式に出席するため、トニーと共に教会へ向かう。「ホントに行ってもいいのかな。ご両親にも挨拶してないし」と心配 するトニーに、さおりは「それは結婚式のついでに紹介するって」と告げる。トニーは「ついでは良くないよ」と言うが、彼女は「いいの 、ウチの家族はそういうの気にしないから」と軽く返した。三佳から「結婚は考えてるの?」と訊かれたさおりは、「その内、出来たら いいなあって」と告げた。
結婚パーティーでトニーを見掛けたさおりの母・一江は、彼を牧師と間違えた。トニーが挨拶すると、娘の恋人が外国人だと知った父・ 正利と一江は驚いた。一江はさおりに「怪しいわよ」と耳打ちする。正利がトニーに「娘とは、どこで?」と尋ねると、さおりが代わりに 「きっかけはね、たまたま読んだ新聞記事」と答える。国際交流会のイラストレーター募集があって、イベントを担当していたのがトニー だった。トニーを見て、さおりは驚いた。そこに持って行くイラストとして、電車の中で居眠りしていた外国人を描いたのだが、それが トニーだったからだ。
一江が新郎や彼の両親の前で「ウチの子たちは恥ずかしいところばかりで」と話していると、トニーは真面目な顔で「どうして、そんな 酷いことばかり言うんですか」と口にする。「あえて言ってるのよ。悪口言ってるんじゃないの」と一江は笑った。彼女はトニーを気に 入り、さおりに「トニー君、いい子じゃない。感動したわ」と告げる。だが、正利はさおりに「お前たちの交際には反対だ。国際結婚 なんて苦労するに決まってる」と言う。父に反対されていることを、さおりはトニーには言わなかった。
トニーの元に、2人目の赤ちゃんが出来た弟から写真が送られてきた。「一度、顔を見に帰っておいでと言われているので、秋に帰ろうと 思ってる。一緒に来ないか。家族を紹介したい」と、彼はさおりを誘った。さおりは決意に満ちた表情で、「行く。トニーのママに会う。 あたし頑張る。漫画も英語も頑張るから」と告げた。彼女は気合いを入れて持ち込み用の漫画を描き、英会話教室にも通う始める。一江に 教わって、料理の勉強も始めた。
ある夜、トニーは遊びに来た三佳を駅まで送り、さおりが頑張りすぎているのが心配だと相談する。三佳は「いい奥さんになる練習でも してるんじゃないかな」と告げた。帰宅したトニーは、さおりに「僕、いい夫になれるかな」と訊く。さおりが少しためらって「うん」と 答えると、トニーは返答まで時間があったことを気にした。トニーが「あえて言うと?」と尋ねると、さおりは「夫っていうのは、家庭的 な意味も含むのかなって。トニーは自分の仕事ばっかで、特に何もやってくれてないじゃん」と告げた。するとトニーは、「僕、いい夫に なるよ」と微笑んだ。
さおりはメディアファクトリーの編集者・遼子に漫画を持ち込み、「試しに一本、読み切りを描いてみる?」と言われた。彼女が帰宅する と、トニーは部屋の掃除をしており、「いい夫に見える?」と得意げに言う。食器も全て洗ってあるが、洗剤が残っていた。さおりはそれ を指摘せず、「助かった」と告げた。次の日、トニーは朝早くから起きて洗濯をするが、伸ばさずに干したり、手洗いマークの衣類を ネットに入れずに洗ったりしていた。さおりがトニーのママに会う日に着ようと思っていた服も、知らずに洗っていた。それを知らされて 落ち込むトニーの様子を見て、さおりは「いいよ、他のにするから。洗濯してくれてありがとう」と笑顔で取り繕った。
夜、さおりが漫画を描いていると、トニーはミルクティーを持って行き、「少しは休んだ方がいいよ」と声を掛けた。しかし、さおりは 「今、いいとこだから後にする」と告げて仕事に集中した。さおりは三佳と外で会い、「最近、家にいると気詰まりで」と漏らした。そこ に遼子から電話が入り、さおりは来月号に掲載が決まったと知らされて喜んだ。さおりは雑誌に掲載されると、母に電話をして知らせた。 大喜びで帰宅し、トニーに見せると、彼は「ドギモ、ヌカレマシタ」と興奮してさおりと抱き合った。
そこへ一江から電話が入り、さおりは正利が心臓発作で倒れたことを知らされた。トニーと共に病院へ急行すると、父はすっかり回復し、 元気になっていた。病室でトニーと正利は2人きりになった。そこで初めてトニーは、正利が交際に反対していることを知った。帰宅した さおりの元に姉から電話が入り、容態が急変して正利が死んだことが伝えられた。父の死後、まるで筆が進まなくなったさおりに、遼子は 「貴方が描きたいことを描けばいいのよ。自分から諦めてほしくないな」と告げた。
トニーが「ちょっといいかな」と何か相談しようとしても、さおりは漫画に没頭し、「ごめん、後で」と告げる。その夜、「ちょっと話が あるんだ」とトニーが声を掛けるが、さおりは仕事を優先しようとする。するとトニーは「もう無理しないで。アメリカには、僕一人で 行くよ。行こうと思えばいつだって行けるんだから」と告げた。さおりが「今まで私がなにのために頑張ってたと思ってるの」と怒ると、 トニーは「信頼し合ってるから悪口も言える。でもさおりは最近、僕に何も言わない。なんで遠慮するの」と語った。
トニーに「お父さんから聞いたよ。僕たちのこと反対してたって。さおりから聞きたかったよ」と告げられ、さおりは何も言えなくなって しまった。結局、トニーは一人でアメリカへ戻った。さおりは実家に戻り、母に「私たち、もうダメなのかも」と漏らした。すると一江は 、正利が英会話の本を購入し、英語を勉強していたことを明かす。驚くさおりに、彼女は「お父さんは、2人が本気なら、いつかきちんと 挨拶に来るだろうと言っていた」と告げた。
「トニー君ともう一度向き合ってみたら」と促す母に、さおりは「日本人同士だったら上手く行くことも、トニーとだったら違いすぎて」 と言う。すると一江は、パン好きの自分が結婚当初は和食好きの正利に合わせようとしていたこと、我慢できなくなって打ち明けてから 朝食がパンと味噌汁になったことを語り、「外国人かどうかは関係が無い。誰かと一緒に生きて行くってことは、違いをちょっとずつ 認めて、許して、分け合っていくことなんじゃない?」と告げる。さおりはトニーに会うため、アメリカへと飛んだ…。監督は宇恵和昭、原作は小栗左多里(メディアファクトリー刊)、脚本は大島里美、エグゼクティブプロデューサーは濱名一哉、 プロデューサーは久保田修&辻本珠子、製作は氏家夏彦、共同製作は芳原世幸&島谷能成&島本雄二&辰巳隆一&久保田修&中村美香&林尚樹&松田英紀宮路敬久&喜多埜裕明& 松本哲也&大宮敏靖&岩渕弘之、ライン・プロデューサーは原田文宏、アソシエイトプロデューサーは今井義人&石黒研三、撮影は加藤等 、編集は小暮好成、録音は島袋保光&加来昭彦、照明は大竹均、美術は岩崎有緒&花谷秀文、音楽は牧野奏海、 音楽プロデューサーは野口時男。
主題歌はaiko『向かいあわせ』作詞/作曲:aiko。
出演は井上真央、ジョナサン・シェア、国仲涼子、戸田菜穂、國村隼、大竹しのぶ、ダンテ・カーヴァー、ジェームス・デ・バラード、 ガウ、ジル・イトウ、入江雅人、パトリック・ハーラン(パックンマックン)、川岡大次郎、坂東工、五明祐子、市川しんぺー、小栗左多里、 トニー・ラズロ、坂上みき、ザンボニ・クレメンツ、 嶋崎伸夫、井上夏葉、渡辺道子、村瀬香奈、下竹原志保、中村明花、鈴木あきえ、麻里奈、オリム、レベッカ・ミルナー、ムザファー、 ニナP他。
小栗左多里がトニー・ラズロとの生活を描いた同名のエッセイ漫画を基にした作品。
監督の宇恵和昭はCMディレクター出身で、これが映画デビュー作。
さおりを井上真央、トニーをオーディションで選ばれたジョナサン・シェア、三佳を国仲涼子、遼子を戸田菜穂、正利を國村隼、一江を 大竹しのぶ、編集者を入江雅人、英会話教室の先生をパトリック・ハーラン(パックンマックン)、フランコをダンテ・カーヴァー、 クリスをジェームス・デ・バラード、ルーシーをガウが演じている。冒頭、「ダーリンの言動で驚いたことを教えてください」とテロップが出て、素人の国際結婚夫婦がカメラに向かって「日本でどんな仕事 に就くつもりか訊いたら」「はい、羊飼いです」などと語るインタビュー映像が入る。
そのインタビュー映像は、何度か挿入される。ロブ・ライナーの『恋人たちの予感』や『ストーリー・オブ・ラブ』の真似なのかもしれん が、どうであれ、それは邪魔なだけ。
何が一番の問題かって、最初の素人のセリフがおもいっきり棒読みで、その時点で脱力させられるのよね。下手な芝居をさせちゃってて、 自然なインタビューじゃなくなってるんだよな。
「インタビュー風の大根芝居」なのよ。時期尚早という言葉を「好きな日本語だなあ。でも漢語だな。和語だとねえ、たりとも、とか言うね」と語るなど、日本語に関するトニー のボケが何度かあるが、描き方が悪いから、まるで面白くない。
最もダメなのはさおりのリアクションだが、これは演技の付け方が悪いのと、芝居が良くないのと、両方だ。
井上真央は芝居が下手というよりも、この役柄に合っていないんだと思う。さおりとトニーは一軒家を借りて同棲生活を始めるが、そんな金を2人が持っていたようには見えない。
っていうか、そもそもトニーが何をしているのか全く見えない。
結婚式の後のパーティーで、母が「聞くところによると、ジャーナリストっていうの、大学でも先生やってるんだって」と語り、ここで 初めてトニーの職業が分かるが、それじゃダメだろ。
しかも働いているシーンは、それ以降も一度も出て来ないし。結婚をクライマックスにしておきながら、出会いのシーンを冒頭で描かないというのは間違いでしょ。
っていうか結婚がクライマックスじゃなかったとしても、出会いのシーンは最初に描くべきだぞ。
いきなり3度目のデートから入るとか、どんなセンスなんだよ。
出会いからの経緯が省略されているから、どう考えても恋人同士っぽい感じなのに、なぜさおりが「ジャストフレンド?」と悩んでいる のか、ワケが分からない。
「付き合ってください」と言われて付き合い始めたんじゃないのかよ。その後、テロップと英語モノローグで「そして何度目かのデートの後、彼は私のボーイフレンドになりました」と語るが、そこも大事な とこだろ。省略するなよ。
だからさ、そういうのを省略するぐらいなら、クライマックスを結婚にすんじゃねえよ。
で、結婚パーティーの場で、さおりが「きっかけはね、たまたま読んだ新聞記事」と語り、初めてトニーと出会ったシーンが描かれるが、 そんなのは回想で描くべきことじゃない。
時系列順に構成すべきだよ。で、次のシーンで、電車で寝ているトニーを向かいの席で描いているが、これも回想なのだ。
もうガタガタだよ、構成が。
しかも、それは出会いを描いただけで、デートする関係になった経緯・きっかけは、やっぱり描かれていない 。結婚式直前には、さおりが姉に「繊細と言えば、この間ね」と話し掛け、鳥のカッコウについて話したらトニーが怯えたのを喜んだ回想 が綴られる。
でもね、そんな些細なエピソードを、わざわざ回想で描く構成はどうなのよ。
この映画で回想を入れるべきシーンなんて1つも無いぞ。正利が「お前たちの交際には反対だ。国際結婚なんて苦労するに決まってる」と言い出すシーンには、唖然とさせられた。 原作を、そんな古臭い話に変換してしまい、特に捻りも無く凡庸に仕上げるとは。
で、じゃあ父が賛成するまでの流れをどのように描くのかと思ったら、そこを父の死で終わらせてしまうというのも、すげえ雑だよ。
っていうか、もはや悪趣味にさえ感じる。
ちゃんと風呂敷を畳まないのなら、広げちゃダメだ。っていうか、この題材で、なぜラブストーリーをメインに持って来るのか、そのセンスは理解に苦しむ。
どう考えたって、トニーの日本語に対する誤解や疑問を全面的に押し出して、ホノボノとしたホーム・コメディーにすべきでしょ。
ワシは読んでないけど、原作が人気を集めたのも、その部分が面白かったからじゃないのか。トニーの一挙手一投足が面白いってことが 受けたんじゃないのか。
原作が受けた要素を薄めて、まるで別の部分で勝負しようとか、どういう考えでそういう風になったのか。
この映画がやるべきなのは、我々が当たり前に使っている日本語にトニーが「美しい」と感動したり、我々が当たり前に感じている日本の 習慣にトニーが「どうしてなのか」と疑問を感じたり、「いかにトニーがヘンテコで面白いダーリンなのか」を描くことだったんじゃ ないのか。「映画で客を呼ぶなら、やっぱりラブ・ストーリーの方が女性客に受けるし、そっちの方がいいよね」と製作サイドは考えたの だろうか。
だとしたら、アホすぎる。
すぐに泣かせる映画を作ろうとするプロデューサーと同じぐらいアホすぎる。
結婚をクライマックスにするとか、製作陣、ホントに原作を読んでんのかよ。
ワシは原作を読んでなくて、「こんな感じの原作」というボンヤリとした頼りない情報しか無いけど、それでもズレてることは分かるぞ。原作の良さを活かそうとするなら、出会いから結婚までの経緯なんて短くまとめて、最初の10分ぐらいで処理しちゃえばいいんだよ。
で、そこからは、夫婦になった2人の日常風景を、串刺し式のスケッチ集という構成にでもして描けば良かったんだよ。
結婚までの部分は、ナレーションベースでサクサクと処理すればいい。
私は「ナレーションが多い映画はダメな作品が多い」という考えの持ち主だが、この映画に関しては、ナレーションの必要性を感じる。
さおりのナレーションで進行していくべきだったと思う。大きなドラマなんて作ろうとするから、ダメな映画になっちゃったのよ。
ラブストーリーがメインだと、ダーリンの疑問とか聞き間違いという要素は全く活かせないじゃないか。
さおりが悩むとか、そういうのも間違いで、彼女は語り手というポジションに据えるべきなのよ。
ダーリンのボケに困惑するとか、振り回されるとか、呆れるとか、そういう「受け手」に徹するべきだったのよ。日本語の聞き間違いや言い間違い、疑問といったネタは、中盤以降は完全に消え去ってしまう。
映画に抑揚を付けるための脚色をするにしても、トニーの言い間違いや誤解、日本の文化を理解できないがゆえの変な行動が原因でト ラブルが勃発するとか、そういうコメディーとしての味付けに持って行くべきでしょ。
恋愛劇にするにしても、せめてロマコメにしろよ。
すげえマジになってんじゃん。トニーの洗濯のやり方を見たさおりが笑顔で取り繕って部屋に入った後、シリアスなピアノのBGMが入り、シリアスに「恋人関係に 不協和音が」みたいな描写にしてあるけど、そんなもん、ギャグとして処理するような出来事でしょ。
大体さ、それってトニーが外国人だから生じた問題じゃないし。洗剤が残るとか、洗濯のやり方を知らないとか、そういうのは日本人の男 でも起きる可能性は充分にあるでしょ。
トニーがミルクティーを持って行き、さおりが「後にする」と告げて仕事に集中する展開も同様で、トニーが外国人である必要性 は全く無い。仕事が忙しいせいで関係がギクシャクするというのは、日本人同士でもあることだ。
トニーが「信頼し合ってるから悪口も言える。でもさおりは最近、僕に何も言わない。なんで遠慮するの」と言い出す展開も、別に彼が 外国人じゃなくてもいい。
「女が男に遠慮して言いたいことを言わずに済ませるが、それによって恋人関係にヒビが入る」というのは、日本人が相手でも成立する ネタなんだよな。
後半の展開は全て、トニーが外国人である必要性が皆無になっている。さおりは母に「日本人同士だったら上手く行くことも、トニーとだったら違いすぎて」と言うが、2人の不和に「トニーが外国人だから」 というのは全く無関係なんだよね。
母が父とのエピソードを語るが、そこで「日本人も外国人も関係ない」という意見を述べるのは別にいいのよ。
ただ、それでもさおりとトニーとの不和は、やはり「外国人だからこそ起きる問題」じゃなきゃダメなのよ。
さおりがアメリカへ行く展開も、単なる無駄。そこでさおりが日本でのトニーと同じ立場になってカルチャーギャップや言葉が通じない ことに苦労するような展開でもあるのかというと、あっさりとトニーと出会ってしまう。わざわざアメリカまで行った意味は全く無い。
そんなの日本で充分だ。
だって、そこで描かれるのは、ただ「さおりがトニーとヨリを戻す」ということだけなんだぜ。(観賞日:2010年11月27日)