『大日本人』:2007、日本
大佐藤大がインタビューを受けている。大佐藤はバスを降り、商店街で買い物をして自宅に戻る。壁には「死ね」という落書きがある。 インタビューのクルーは、彼の私生活をずっと追い掛ける。大佐藤は都内の一軒家で野良猫と共に暮らしている。大佐藤は自炊して食事を 始める。妻と8歳の娘とは別居中だという。インタビューの途中で投石があり、窓ガラスが割られた。月給は20万が支給されており、他に 副収入が30万ある。しかし大佐藤は、月に80万は欲しいと語る。
大佐藤は町の食堂へ行くと、いつも力うどんを食べる。週に2、3回は来ているという。そこの主人は、大佐藤が大日本人だということを 知らなかった。大佐藤は公園へ行く。すぐ動けるような状態でなければならないので遠出は出来ないし、海外へは行ったことも無い。 パスポートも持っていない。防衛庁からの電話連絡が入り、大佐藤は「化ける」ためにバイクで極東第二電変場へ向かう。立ち入り禁止 なので、クルーは外からカメラを回した。大佐藤は大日本人に変身し、締ルノ獣と市街地で戦った。
クルーは大佐藤のマネージャーにインタビューする。番組の視聴率は悪い。大日本人は大きくなった後、放っておいたら元のサイズに戻る という。マネージャーは大佐藤に、「胸にスポンサーが付きましたから、次回からあんまり腕を組んだりしないで下さい」と告げて去る。 町の人々にインタビューすると、「好きじゃない」とか「迷惑だ」とか、大日本人への好意的な意見は聞かれない。
大佐藤が元のサイズに戻ってから、またインタビューする。自宅には祖父である四代目の写真が飾られている。その頃は羽振りが良くて、 使用人が50人ぐらいいたという。昔はゴールデンで放送されていたが、今は深夜枠だ。中部地方に獣(じゅう)が出そうだという情報を 受けた大佐藤は、三河の電変場へ新幹線で向かう。全国に電変場は全盛期は52ヶ所あったが、今は3つしか残っていない。その内、青森の 電変場は、ほとんど使われていないという。
一般的には怪獣と言われているが、大佐藤は獣(じゅう)と呼ぶ。「怪しくはないし、現実的に戦っていかなければならないから」と彼は 説明する。「自衛隊が出た方が早く済むのでは」という意見もあることについては、ナンセンスだと言う。「伝統というものをどう考えて いるのかという怒りもあるし、生き物と生き物が戦って弱いものが死ぬという文化を絶やしてはいけない」と彼は語る。
三河の電変場では、カメラが中に入る許可が出た。クルーが中に入ると、大佐藤は白装束に着替えて畳の座敷に登場し、神主が来て儀式が 執り行われた。電変場の職員によると、今は簡素化されているが、昔はもっと厳格な儀式をやっていたという。大佐藤が大日本人に変身 すると、胸にはカトキチの広告が入っていた。大日本人は跳ルノ獣と戦い、勝利した。大佐藤は名古屋のスナックでホステスとカラオケに 興じた。ママによれば、大佐藤は名古屋で仕事がある時は必ず立ち寄るという。彼女は昔からの大親友だ。
春、大佐藤は社会福祉法人「やすらぎの里 白樺ハウス」を訪れた。そこで認知症の祖父が暮らしているのだ。大佐藤は、祖父が認知症に なったのは電気を浴びすぎたのが原因ではないかと口にする。大佐藤の父はもっと大きくなろうとして電圧を上げたためにショック死し、 その分も祖父が長くやっていかなければならなくなり、電気の回数が増えたのだと彼は説明した。
祖父が勝手に電流を流して変身し、大暴れした。この騒動はマスコミにも大きく取り上げられ、大日本人はバッシングを浴びた。大佐藤は マネージャーから「こんなことがあったらスポンサーがいなくなる」と責められた。大日本人は睨ムノ獣と戦って倒すが、その直後、未知 の獣ミドンが登場した。ミドンの強さに恐れをなした大日本人は、その場から逃走してしまった。皮肉なことに、普段は1か2パーセント という低い視聴率だった番組が、その回は7パーセントを記録した。
大佐藤は久しぶりに娘と会うため、待ち合わせの場所であるビッグボーイへ赴いた。そこへ現れた元妻はカメラが来ていることに不快感を 示し、「娘がイジメを受ける」ということで顔にモザイクを掛けるよう要求した。クルーは元妻にもインタビューした。彼女は大佐藤と娘 の面会について、半年に1回程度に留めたいと話す。大佐藤は別居だと話していたが、元妻は「離婚しているつもりです」と語る。彼女は 仕事先の社長と親密な関係にあり、娘も相手に懐いているという。
夏、匂ウノ獣のメスが出現したため、大日本人が出動した。しかし、そこにオスが現れて交尾を始めたため、それを斡旋したとして 大日本人はマスコミに非難された。人畜無害の童ノ獣が東京ドームの屋根に現れ、大日本人は抱き上げた。しかし乳を噛まれて痛かった ために手を離してしまい、童ノ獣は落下して死んだ。大日本人は子供を殺したとして、また非難の対象となった。そんな中、またミドンが 出現し、防衛庁は大佐藤の自宅に押し入って彼を大日本人に変身させた…。監督は松本人志、脚本は松本人志&高須光聖、企画は松本人志、企画協力は高須光聖&長谷川朝二&倉本美津留、プロデューサーは 岡本昭彦、アソシエイトプロデューサーは長澤佳也、製作総指揮は白岩久弥、製作代表は吉野伊佐男&大崎洋、助監督は谷口正行、監督補 は高橋純、撮影は山本英夫、編集は上野聡一、録音は白取貢、照明は小野晃、美術は林田裕至&愛甲悦子、特殊造形・デザインは百武朋、 ミニチュア美術は平井淳郎、大日本人デザインは天明屋尚、音楽はテイ・トウワ、スーパージャスティス音楽は川井憲次。
出演は松本人志、竹内力、UA、神木隆之介、海原はるか、長谷川朝二、板尾創路、宮迫博之、原西孝幸、宮川大輔、橋本拓弥、 矢崎太一、街田しおん、中村敦子、永倉大輔、鳥木元博、矢野恵大、葉山純士郎、北村晃一、中山法夫、小池敏廣、田中淳夫、高橋美夫、 粕谷吉洋、いせゆみこ、ロゼリン・ヨシオ、岡島花保、呉貞淑、島崎義久、大貫克宗、小張教人、関根正幸、松本匠、鄭龍進、大場達也ら。
お笑いコンビ“ダウンタウン”の松本人志が初めて監督を務めた映画。
脚本は松本と構成作家・高須光聖が共同で担当。
大佐藤を松本、マネージャーをUA、取材ディレクターを長谷川朝二(ただし姿は写らず声だけ)が演じている。
跳ネルノ獣役で竹内力、 童ノ獣役で神木隆之介、締ルノ獣役で海原はるかがクレジットされているが、本人は顔の部分だけで、体はCGで表現されている。最初に触れておくと、私はダウンタウンを『四時ですよ〜だ』の頃から見ているし、『ごっつええ感じ』も大好きだった。熱狂的ファン ではないが、ダウンタウンの番組は今でも良く見ている。
そんな私だが、この映画は「駄作だ」と断言する。
これは松本人志信者(ここはダウンタウン信者ではダメ)でなければ高く評価できないような、「教祖様の有り難いお言葉」的な作品だ。
もっとハッキリと書いてしまうならば、松本人志の自己満足で終わっている作品ってことだ(っていうか、これでホントに満足なのか)。この映画の批評ではあまり語られていないように思うが、松本の演技力の低さは大きなマイナスだと思う。
彼の芝居が下手であるために、映画という枠を用意しても、その中身が映画として成立しない。コントにしかならないのだ。
関西弁のイントネーションなのに中途半端に標準語チックな言葉を使おうとして、あるいはカッコ付けた芝居をしようとして、それが 違和感になっている。
芝居の稚拙さを誤魔化せるはずのインタビュー形式でも、芝居の下手さが露呈するという結果になっている。
ただし、松本の演技の稚拙さを抜きにしても、やはり作りとしては、長い尺のコントなのである。インタビューは、ただ無神経な質問と、それに対する答えがダラダラと続くだけで、そこに笑いは全く無い。インタビュアーの質問は 無神経なものが多いが、ただ無神経なだけで、笑えるわけではない。あくまでも大佐藤の私生活についての質問で、大日本人について 掘り下げて行くインタビューというわけでもない。
たまに佐藤の言葉に対する揚げ足取りのような質問があって、そこは笑いを作ろうとしているのかな、という意識は感じるが、それも 忘れた頃に、たまにある程度。
反米感情というのがインタビューの中で出てくるので、そこから社会や政治を風刺するのかと思ったら、そこも掘り下げない。
他にも、大佐藤が去った後でインタビュアーがホステスに「(身長が)大きいね、何センチ」と尋ねるとか、特撮ヒーローとは無関係な ところで笑いを作ろうとしている向きも見られるが、それは焦点が全く定まっていないとしか感じない。映画の大半はインタビュー映像だが、そのインタビュー映像の大半は、ただダラダラと時間を無駄遣いしているだけと言ってもいい。 それ以外にも、電変場へ向かうだけのシーンに時間を割いたりする。
そんなのはショートカットすればいいことだ。
コントの時間を長く取った分、ボリュームが増えているのかというと、この半分以下で済みそうな内容を、薄っぺらく引き延ばしている だけなのだ。特撮ヒーロー物のパロディーとしては、ディティールが粗い。
例えば大日本人は世間から批判を浴びているが、そこに笑いは一切無い。
笑いがある無いという以前に、なぜ批判されているかという理由の説明が無い。
視聴率がどうとか言っているが、戦闘を撮影しているクルーは見当たらないし、それを撮っている連中にインタビューすることも無い。
大佐藤が、その番組の関係者と話をするシーンも無い。
テレビ欄で深夜2時40分の放送だということが示されるだけで、実際のテレビ放送が流れることもない。怪獣との格闘シーンでは街に人の姿が全く見られないが、これはコントであれば、まるで気にならない。
しかし映画としては、そこは引っ掛かるポイントになる。そこで「なぜか戦っている時に人がいない」「そこで生活している人がいるはず なのに被害が出ない」ということを笑いとして提示するのであれば、それはそれで成立するだろう。
だが、そういう演出は無い。
特撮ヒーローものをパロディー化するにしても、もっとディティールを細かくやらないと笑いにならないよ。
たぶん監督も脚本家も、本人が持っているレベルの特撮への知識だけで作っちゃってるんだよな。2人とも別に特撮オタクってほど造詣が 深いわけじゃないから、おのずとディティールが甘くなっている。
これを作るために特撮について詳しく調べたり、そういう作業もしていないだろう。
そこに特撮ヒーロー物への愛も感じないしね。
愛があれば、こんな雑には作らないよな。儀式で言葉を喋っている神主をインタビュアーが止めて、「もう一回、途中からやってもらえます」と無神経に言うシーンがあるが、それ も笑いにならない。
これが例えば幽霊を祓うための儀式だとか、そういうことなら、それは「ごく普通の光景」であり、だから、ごく普通の光景に余計な茶々 を入れるというのは、笑いとして成立する。
しかし、「特撮ヒーローが変身する前に儀式をやっている」という時点で既に変なのだから、そこを邪魔したところで、もう笑いに ならないのだ。ディティールがズタボロなので、そこは笑いとしてやっているのか、そうじゃないのか、判断に困る箇所も色々とある。
例えば第二電変場に大佐藤が行くと老いた警備員が一人で出てくるが、それは「本来ならば厳重に監視されているべき防衛庁管轄の敷地が 、そんなジジイ一人に警備を任せている」というネタとして受け止めるべきものなのか、そうではないのか。
そういうのって、ツッコミ役がいればクリアになるんだよね。
しかし、この映画にツッコミ役は登場しない。怪獣との戦いに、特に笑いは無い。ほとんど普通に戦っているだけ。
敵の造形は滑稽だけど、出オチとしての笑いは無いレベル。
そして、あっさりとバトルは終わるので、怪獣バトルとしての面白さも無い。
笑いも無ければアクションの醍醐味も無いというわけだ。
役者の使い方も勿体無いし。
あんな使い方なら、別に竹内力や神木隆之介じゃなくてもいい。彼らを無駄遣いしている。
そこに彼らを使っているということが笑いになっているわけでもないし、何の価値も持っていない。あれなら無名のエキストラでもいい。匂ウノ獣が登場した時は、大佐藤がインタビュアーから「怪獣出ましたよ」と知らされて驚いたり、大日本人が匂ウノ獣と喋ったりと、 それまでのルールも平気で破ってしまう。
獣の出現は防衛庁から知らされるんじゃないのか。
あと、童ノ獣の場合は、人畜無害だとされているのなら、なぜ出動命令が出たのか。
そもそも、なぜ獣の名前や特徴は既に知られているのか。
「それは変だ」ということを笑いとして描いているならともかく、そういうわけでもない。
単にディティールが甘いだけだ。どうやら松本監督は、『ごっつええ感じ』のようなテレビ番組でやっていたコントと同じような感覚で、最初から最後まで演出したようだ 。
結局、監督はコントの要素を映画に取り込んだのではなく、コントを撮っているに過ぎないのだ。
しかし最も重大な問題は、「コントである」という部分には無い。
このコントの最大の欠点は、コントなのに全く笑えないということにあるのだ。コントであるならば、せめてスケッチを重ねて行くという手法を取るべきだった。このように約2時間にも渡る長編コントにすべきでは なかった。
ロングのコントは、『ごっつええ感じ』でやった「トカゲのおっさん」がギリギリだろう。
恐ろしいことに、この長尺コントは、最後の最後にオチがあって、そこに向けて描かれているという構成なのだ。
つまり、約100分程度は、長すぎる前振りに過ぎないのだ。っていうか、もっと恐ろしいことを書いてしまうと、実は前振りにすらなっていない。
スーパージャスティスの家族が登場する部分をオチとして持ってくるなら、コントとしては8分ぐらいでいい。
インタビュー部分の大半カットしても、そのオチは全く同じように作用する。
大日本人の情けなさを描くのに3分、ジャスティス登場と戦いで3分、反省会で2分といったところか。そもそも、「ここからは実写でご覧下さい」となるのも、捨ててはいけないルール設定を放り出しているだけにしか感じない。
そこから急に別物になってしまうのだ。
そこで急に地球防衛軍が登場するのも、ジャスティスを応援する病気の女の子が登場するのも同様。
繰り返しになるが、松本監督は今までやってきたコントをボリューム・アップしたのではなく、ただ薄く引き延ばしているだけだ。
中身の充実度は、ちっともアップしていないのだ。(観賞日:2010年4月26日)
第4回(2007年度)蛇いちご賞
・監督賞:松本人志