『大(だい)コメ騒動』:2021、日本

大正七年(1918年)、あらゆる権利を男が握っていた頃。富山県のある漁村では、働く女房「おかか」たちに生活の全てが委ねられていた。松浦いとは仲間の水野トキや小川サチ、沢辺フジたちと共に米俵を背負い、浜辺で待つ小舟まで運んだ。四月。いとの夫である利夫は妻と3人の子供、母のタキを村に残し、秋まで出稼ぎに行くことになった。彼は学問が好きな妻のために、本を贈った。魚が捕れない時期になると、村の男たちは舟に乗って北海道や樺太へ出稼ぎに行くのだ。
三ヶ月後。当時、漁村の肉体労働者たちは、一日に白米を男は一升、女は八合も食べていた。いとは料理が苦手で、タキから「浜に嫁いで十三年。いつになったらまともに魚を煮たり出来るのかのお」と嫌味を言われた。そこへフジが来て、いとにトキの一大事だと知らせる。「清んさのおばばも来っと」と彼女が言うので、いとは食事の途中だが付いて行く。フジはサチにも知らせ、一緒にトキの家へ向かった。既に村人たちが押し寄せており、家の中ではトキが夫の源蔵と向き合っていた。
源蔵は酒屋の女中に手を出し、家に連れ帰っていた。彼は「妾の一人や二人で騒ぐなや」と開き直り、妾は奉公先を追い出されたので家に住まわせると告げる。トキが彼に殴り掛かったので、サチたちは慌てて仲裁に入った。イトは妾の顔を見て、幼馴染のヒサだと気付いた。清んさのおばばが到着すると、全員が静かになった。おばばは器の小さい源蔵を扱き下ろし、女たちは同調して嘲笑した。「俺だって辛い。外で仕事をして帰ってきたら、気の強い浜の女に甚振られて。こんなながら樺太に言った方がましやけ」と源蔵が漏らすと、おばばは行けばいいと冷たく突き放した。彼女はトキを大事にするよう説教し、ヒサは「ここに居場所は無い」と追い出された。
村の女性陸仲仕たちの日当は約二十銭で、その金で亭主の一日分の米をやっと買えていた。しかし村で唯一の米屋である鷲田商店では米の価格が一升三十三銭に値上がりしており、いとたちは愚痴をこぼした。いとは新聞を読み、「富山の米が値上がりしているのは北海道に送るため。今年は蔵に残っている米が少ない」という情報を主婦仲間に教えた。彼女は解決方法を相談されるが、何も思い付かなかった。おばばは村の女たちに号令を出し、船に積まれる米俵を奪おうとするが失敗に終わった。
いとたちの行動は、新聞に暴動として掲載された。大阪新報社の編集局長・鳥井鈴太郎は記事を読み、記者の一ノ瀬果に富山で取材するよう命じた。一ノ瀬は富山へ行き、しばらく薬種問屋で居候させてもらうことになった。池田雪は問屋を寺子屋として使い、子供たちに学問を教えていた。雪は一ノ瀬に魚津の事情を説明し、暴動は大げさだと笑い飛ばした。この年、全国各地で米の価格が暴騰した。原因は米の需要増加が引き起こした米不足で、それに目を付けた投機筋がコメの値段を釣り上げた。そこにシベリア出兵の噂が拍車を掛けた。出兵が現実になれば、兵隊たちの食糧として米が必要になる。そうなれば、政府は米を高く買い取るに違いないからだ。
魚津でも米はさらに値上がりし、いとたちは鷲田に今まで通りの値段で売ってほしいと陳情する。鷲田は「買わんがなら帰ってくれや」と冷たく言い放ち、彼女たちを追い払った。その様子を見ていた一ノ瀬は、いとたちに声を掛けて取材を申し入れた。いとたちは承諾し、黒岩仙太郎の元へ赴いて米を安くしてほしいと頼むことを決める。黒岩は大地主で貿易会社を経営し、米の輸出も手掛けている。しかし彼は女たちに米を与えるつもりなど無く、警察署長の熊澤剛史に警護を要求した。熊澤は黒岩の援助で警察署長になった恩義があるため、彼のために尽力することを約束した。
いとはばあばに、黒岩の元へ行く考えを話した。おばばは村の女たちを集め、黒岩の元へ向かう。途中でいとは野菜売りの栄次郎と遭遇し、一緒に行くことになった。すると待ち受けていた警官隊は、理由も告げずに栄次郎を逮捕した。いとたちは警察署へ赴き、栄次郎の解放を要求した。いとは自分たちも逮捕しろと詰め寄るが、警官に帰るよう命じられる。いとたちが座り込みを始めると、栄次郎は解放された。一方、おばばはトキたちを引き連れて黒岩の元へ行くが、相手にされなかった。中で待機していた熊澤は外へ飛び出し、「次にやったら逮捕する」と恫喝して追い払った。
いとはおばばたちと遭遇し、黒岩の店へ来なかったことで裏切り者呼ばわりされる。いとは栄次郎が逮捕されたので助けに行ったと説明するが、おばばたちは聞く耳を貸さない。いとは非を認めろと詰め寄られ、みんなを振り回すなと非難された。トキは源蔵から、幾ら行動しようと無駄だと告げられる。源蔵は彼女に、「男が動きゃあ社会は変わる。けど、女が動いたところで、なんも変わらんがやじゃ」と述べた。いとはタキから握り飯を食べるよう促され、早く元気になれと言われる。いとが「何をやっても空回り」と弱音を吐くと、タキは「なら里に帰れ。同情してほしいんやんか。足手まといなだけや」と突き放した。
一ノ瀬が女たちの勇敢さを記事にしようと考えていることを話すと、雪は「あの人たちは強くなんかありません。強がるしかないがです」と話す。出稼ぎに行った夫が帰らなければ、収入が途絶えてしまう。そうなったら自分が家族を養うしか道は無い。そんな状況が続く中で、強がるしか無いのだと彼女は説明した。いとは町を歩いている時、酒屋で働くヒサを目撃した。ヒサは彼女に、頭を下げて戻ったのだと告げた。ヒサは女学校時代、頭の良いいとに他の皆が憧れていたと話す。「きっと苦労したやろね」と彼女が口にすると、いとは「そんなこと無いが」と否定した。
一ノ瀬は記事を本社に送るが没にされ、鳥井から「彼女らが戦う理由なんて誰も興味あらへんて。読者が求める記事を書くのがブンヤの仕事」と告げられた。生活の困窮が続く中、サチは幼い一人娘のみつを黒岩に会わせる。サチの夫は3年前に漁に出たまま、戻っていない。ミツが父のような漁師になりたいという夢を語ると、黒岩は「もっと人に尊敬される仕事があろう」と言って警官や米屋を例に挙げた。みつは警官や米屋のせいで辛い思いばかりしていると言い、尊敬したことは無いと話す。サチが慌てて無礼な発言を謝ると、黒岩はみつに体を使って稼ぐよう持ち掛けた。
正一郎は雪に、母が朝から晩まで懸命に働いているのに米が食えない理由を質問した。雪はシベリアに行く兵隊に多くの米を送るために不足して値段が上がっていると説明し、皆の母が手を尽くしているので必ず腹一杯に米が食べられる日が来ると語った。いとはおばばに頭を下げ、シベリア出兵が始まる前に手を打つ必要があるのだと語る。「もう限界だ」と彼女が言うと、おばばは最後通告を突き付けた上で協力を承諾した。
おばばは女仲仕たちを引き連れて鷲田商店に押し掛け、米を安く売るよう訴える。女将のとみは窓から外を覗き、「努力もせんと金持ちに文句ばっかりや」と漏らして出て行こうとしない。しかし入り口の障子が壊れたので、彼女は腹を立てて窓を開けた。とみはおばばたちに文句を言い、食えなければ死ねばいいと扱き下ろした。鳥井は一ノ瀬から受け取った記事に手を加え、この騒動を「越中の女一揆」として大々的に報じた。とみは妹のきみから新聞を見せられ、自分が悪者扱いされていることに激怒した。ある活動家は新聞記事を利用し、無念を晴らすために立ち上がれと聴衆に呼び掛ける。おばばは講釈を垂れているだけだと罵り、いとたちは同調した。
とみは熊澤に騒動を早く終わらせるよう要求し、そのための方法を伝授した。熊澤は難色を示すが、黒岩の頼みでもあると聞かされて承諾した。熊澤は警官隊を率いて花嫁行列が始まろうとする現場へ押し掛け、おばばを逮捕した。とみはいとを呼び付け、彼女の家だけ今まで通りの値段で米を売るので騒動から手を引けと取引を持ち掛けた。いとが断ると、とみは「本当に困っているのはアンタとサチぐらいだ」と話す。他の女は夫がいるし、米を隠し持っている家もある。おばばが怖いから付き合いで騒いでいるだけだと吹き込み、とみは改めて取引を持ち掛けた。いとは取引を承諾し、それを知った息子の正一郎から軽蔑の眼差しを向けられる…。

監督は本木克英、脚本は谷本佳織、プロデューサーは岩城レイ子、プロダクション統括は木次谷良助、キャスティングプロデューサーは福岡康裕、ラインプロデューサーは石川貴博、撮影は南野保彦、美術は倉田智子、照明は江川敏則、録音は山本研二、編集は川瀬功、音楽は田中拓人、音楽プロデューサーは佐々木次彦、主題歌『愛を米て』は米米CLUB。
出演は井上真央、三浦貴大、室井滋、夏木マリ、鈴木砂羽、舞羽美海、冨樫真、吹越満、立川志の輔、西村まさ彦、石橋蓮司、左時枝、柴田理恵、木下ほうか、中尾暢樹、工藤遥、吉本実憂、窪塚俊介、内浦純一、日野陽仁、朝倉伸二、ジジ・ぶぅ、神戸浩、永倉大輔、北島美香、瀬尾智美、楠見薫、橘ゆい、木守智子、木村天音、生駒星汰、萩沢結夢、笹川椛音、海勢いちよ、松井丹奈、西村諭士、櫻井忍、美藤吉彦、小澤明弘、大石昭弘、中島崇博、東田達夫、仲野毅、田中千尋、岡部朱希、川田琥珀、鍛冶明澄、梅田太朗、梅田拓朗、梅田ひかり、田中道代、小神野誠、坂本実来、吉村尚郎、新木敬史、木山紘臣、阿閉三興、武内良樹、若林稔、萩原純一、室田勝ら。


1918年に富山県で起きた越中女房一揆を題材にした映画。
監督は『空飛ぶタイヤ』『居眠り磐音』の本木克英。
脚本は『JK☆ROCK』の谷本佳織。
いとを井上真央、利夫を三浦貴大、おばばを室井滋、タキを夏木マリ、トキを鈴木砂羽、サチを舞羽美海、フジを冨樫真、源蔵を吹越満、尾上を立川志の輔、活動家を西村まさ彦、黒岩を石橋蓮司、とみを左時枝、きみを柴田理恵、鳥井を木下ほうか、一ノ瀬を中尾暢樹、雪を工藤遥、ヒサを吉本実憂、熊澤を内浦純一が演じている。

映画の冒頭、「あらゆる権利を男が握っていた頃。富山県のある漁村では、働く女房「おかか」たちに生活の全てが委ねられていた」ってことがナレーションで説明される。
利夫が船で村を去るシーンでは、「魚が捕れない時期になると、村の男たちは舟に乗って北海道や樺太へ出稼ぎに行く」ってことがナレーションで説明される。
なので、ずっとナレーション進行を状況説明に使うのかと思いきや、そういうわけでもない。米の価格が高騰した理由については、いとが新聞を読んで情報を知る形にしてある。
ただ、そのシーンに関しては、特に気になることは無い。そういう方法を使っても、「統一感が取れていない」とは微塵も思わない。

ただし、立川志の輔が「この年、全国各地で米の価格が暴騰した。原因は米の需要増加が引き起こした米不足で、それに目を付けた投機筋がコメの値段を釣り上げた〜」などと語るシーンが訪れると、そこは「統一感が取れていない」と明確に感じる。
彼は村にいるわけでもないし、それどころかカメラ目線で語り掛けるのだ。そういうシーンを入れることによって、「色んな形で説明するよりも1つに絞れよ」と言いたくなってしまう。
そして真っ先に排除すべきは、カメラ目線で語るキャラクターだぞ。
あと、立川志の輔が演じるのは尾上公作というキャラクターらしいが、何者なのかサッパリ分からんぞ。

順番が前後してしまうが、雪が一ノ瀬を浜に案内し、魚津の事情を説明するシーンがある。つまり、ここでは「雪が一ノ瀬に教える」という形を取って、観客に説明しているわけだ。
このシーンが訪れた時、「ここから始めればいいんじゃないの?」と思ってしまう。
いや、さすがに物語としては変かもしれないけど、ようするに一ノ瀬が取材して情報を得る姿を通して、観客に説明する形に統一したらいいんじゃないかと思ったのだ。
逆に、そういう形を取らないのなら、一ノ瀬の存在って上手く話にハマっていないしね。

あとさ、一ノ瀬に事情を話す雪も、当事者じゃなくて傍観者に過ぎないんたよね。ここは一ノ瀬を傍観者じゃなくて、渦中の人物との絡みにしておくべきじゃないかと。
なんで一ノ瀬と渦中の人物の間に、別のキャラを1つ噛ませているのかと。それって、何のメリットも無いだろうに。
だったら逆に、一ノ瀬を外して「雪が見た騒動」という形で描けばいいでしょ。一ノ瀬と雪、2人は要らないよ。
実際、雪って何の意味があるのか良く分からない存在になっているし。サチがおみつを黒岩に会わせるシーンで雪が同席しているんだけど、なぜなのかサッパリ分からないし。

源蔵の浮気がバレて村の女性たちが押し掛けるエピソードは、何のために用意されているのか良く分からない。越中女房一揆とも、米の値段の高騰とも、まるで関係の無い出来事だし。
おばばを登場させるタイミングなら、他の方法でも用意できるし。っていうか、おばばが何者なのか、ボンヤリした形になっちゃってるし。
ひょっとすると、「この村では女性が強い」ってことを示す狙いでもあったのか。仮にそうだとしても、ものすごく中途半端だ。ヒサがどうなったのか、フワフワしたまま放り出されるし。
あと、いとがヒサの行方を気にする気配も無いから、とても薄情に感じるし。

粗筋の台詞部分で分かるかもしれないが、この映画は富山の方言を使っている。
なので、意味が分かりにくい単語や聞き取りにくい箇所もあるが、映画を理解する上で大きな障害にはなっていない。状況がイマイチ飲み込めない箇所は幾つかあるが、それは方言が理由ではなく別の問題だ。
そうなのだ、この映画、ちょっと良く分からないシーンが幾つかある。
そんな事態が起きてしまったのは、話の作り方や場面の見せ方に大きな欠陥を抱えているからだ。

例えば、新聞で「暴動」と掲載される出来事を描くシーン。その直前、いとたちは米価の高騰について話し、「なんとかせにゃならんね」と言っている。だが、そこで何とかするための計画が持ち上がるわけではない。
そこからカットが切り替わると、いとたちは浜辺にいる。そして、おばばの「米を旅に出すな」という号令で、米俵を運ぶ男たちに一斉に襲い掛かる。
だが、いとたちが米俵を小舟に運ぶ様子が、それ以前に2度も描かれている。その時の浜辺と、そこは同じ場所だろう。なので、なぜ自分たちが米を運んでいたのに、今回は奪おうとするのか、ちょっと分かりにくいのだ。「だったら自分たちが運ぶ時に横取りすれば良くね?」と思ってしまうのだ。
っていうか、最初の計画が米俵の強奪で、次が地主への陳情って、それは順番が逆じゃねえかと思ってしまう。
米俵の強奪って、もはや最終手段と言ってもいいぐらいの強硬な作戦でしょ。ちっとも穏便な方法じゃなくて、暴力オンリーで解決しようとするんだから。

いとは栄次郎を助けるために警察署へ赴くが、鷲田商店へ行かなかったことで、おばばたちから厳しく糾弾される。
だけど、栄次郎が警官に逮捕される時、すぐ近くにおばばたちもいるのよ。それなのに栄次郎の連行を全く知らないのは、状況として無理があり過ぎる。
それと、警察署へ向かったのは、いとだけじゃなくて、他にも仲間たちが押し掛けているのよ。それなのに、そいつらが誰もいとを擁護せず、非難を浴びるのを黙って見ているのは変だろ。
なんで「栄次郎を救うために警察署へ行ったのは事実」と証言しないんだよ。
っていうか根本的な問題として、こんなトコで内輪揉めさせている構成自体が間違いだと感じるのよ。

おばばたちはいとをまったく許さず、その後もネチネチと嫌味を浴びせて批判する。
でも、おばばたちもいとの話に賛同したんでしょうに。いとだけを悪者扱いして糾弾するのは、御門違いも甚だしい。
アンタたちが責めるべきは、黒岩や警察の連中でしょうに。
ここで簡単に仲間をバッシングする姿を描くことによって、村の女たちを応援できなくなってしまうのよ。
まあ、そんなことが無かったとしても、応援する気持ちを全く刺激してくれないシナリオではあるんだけどさ。

表面的には喜劇として作っているが、まるで笑えないのも大きな欠点だ。
一応は「ここで笑いを取りに行っているんだろうな」と思わせる箇所が幾つか出て来るが、1つたりとも笑えない。
そりゃあ、実際に庶民は困窮し、大変な苦労を抱えて貧しい生活を余儀なくされたんだから、本来なら笑える余地なんて微塵も無い出来事なのよ。
でも、それを笑いで包んで明るく仕上げることが、この映画に求められる仕事じゃないのかと。
それに失敗している時点で、もはや致命的な失敗と言ってもいいんじゃないかと。

いとは再び女仲仕たちが鷲田商店へ押し掛ける時、大きな石を掘に投げ込んで誰かが落ちたと叫ぶ。そうやって騒ぐことで、とみが顔を出すように仕向けようという作戦だ。
だけど、これでとみが出てくるわけではない。
堀を覗こうとした面々がバランスを崩し、落ちないように下がった勢いで店の扉が壊れたので出てくるのであって、いとの作戦が成功したわけではない。
そして、そのアクシデントがギャグとして面白いわけでもないのだ。

花嫁行列が始まろうとする時に、おばばが逮捕される。だが、これを受けて何かいとたちが行動を起こすのかというと、ただ行列を中止するだけ。
そこからシーンが切り替わると、いとたちが舟まで米を運ぶ様子になる。つまり、おばばが逮捕されたのに、「怒りの決起」みたいなトコに繋げずに「いつもの暮らしを続ける」という状態なのだ。
話を盛り上げる気ゼロなのかよ。
その後で、いとがとみから取引を持ち掛けられる展開に入るけど、まあ話が沈滞していること。

物語を牽引するという意味では、いとのキャラクター設定からして失敗していると感じる。
彼女は黒岩の元へ陳情に行く計画を自ら言い出しているし、栄次郎の救出にも率先して向かう。その一方、おばばたちに責められると自らの正当性を強く主張せず、弱々しい態度で攻められっ放しになる。
積極的に行動するタイプなのかと思ったら、意外に弱気で小心者の部分もある。
ここのキャラクターが、キッチリと定まっていないようにも感じる。

最初の内は弱々しさや消極的な部分が目立っても、「困窮が続く中で少しずつ変化して」みたいな成長や変化のドラマがあれば、それでも別にいいのよ。
むしろ、そういう展開を用意することで、ヒロインに感情移入しやすくなったり、高揚感を刺激する効果に繋がったりする可能性もあるからね。
だけど物語も佳境に入った辺りに来て、いとは卑怯な取引を承諾し、とみの横暴さを受け入れて低姿勢になる。
その後、おみつが母のために米を盗もうとして命を落とすシーンがあるが、これで後悔して奮起するわけでもないのだ。

いとは酒屋を去るヒサと話したり、正一郎が士官学校へ行きたがっていることを雪から聞いたりした後、また米の積み出し阻止に動こうと仲間に提案して断られる。br> その後、ハンガーストライキを続けていたおばばが村に戻され、いと以外の面々も自分の家族だけが助かるために卑怯な手を使っていたことが判明する。このタイミングでいとが改めて決起を持ち掛けると、仲間も賛同する。br> もうさ、無駄にモタモタしていて色々とタイミングが遅いのよ。br> いとが熱い言葉を語って決起を呼び掛けても、何も響かないのよ。こっちの気持ちは冷め切っているのよ。br> そして最後の積み出し阻止も、これっぽっちも盛り上がらない鈍重で退屈なシーンになっているし。

(観賞日:2022年9月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会