『だいじょうぶ3組』:2013、日本

東京の郊外にある松浦西小学校が、その年の新学期を迎えた。5年3組に新しい担任としてやって来たのは、赤尾慎之介という男だった。彼は生まれ付き両方の手足が無く、電動車椅子に乗っていた。教育委員会から派遣された幼馴染の白石優作は、補助教員としてサポートすることを生徒たちに説明した。白石が介助員に付くということで、市が特例として赤尾の教師赴任を認めてくれたのだ。赤尾は子供たちに、「困っている時は手伝ってほしい」と告げた。
赤尾を教師に推薦した白石は、彼にしか出来ない授業があると考えていた。また、かつて教師をしていた白石も、再び子供たちと向き合いたいと思っていた。白石と赤尾は初日から遅刻したため、5年1組の担任である青柳秀子に注意を受けた。「困っている時は手伝ってほしい」という子供たちへの発言に関しても、彼女は「私たちは教師ですよ。どうして児童に手伝ってもらわなければいけないんですか。もっと教師としての自覚をしっかりと持って頂かないと」と批判した。
赤尾は「やばいって。ちゃんと許可取ってからにしろよ」と言う白石の反対を軽く受け流し、生徒たちに指示してホワイトボードを校庭へ運ばせる。赤尾は桜の木の下で学級活動の授業を校庭で行い、生徒たちに「今年のクラス目標」を決めさせる。しかし中西文乃だけは意見を発しようとせず、本を読んでいた。赤尾が「参加しないのか」と問い掛けると、彼女は「興味ありません」と言う。工藤公彦が「みんなが笑顔のクラス」という案を出すと、他の子供たちも賛同した。
白石は副校長の灰谷慎一から、「勝手なことをされては困ります」と注意される。「思い付いたことは、すぐに行動に移さないと気が済まない性格でして」と白石が弁明すると、青柳は「特別採用だからと言って、何でも許されるというわけではありません。授業は遊びじゃありません」と非難する。校長の黒木智恵子は「お花見の授業、楽しそうですね」と理解を示したものの、「お花見の授業を認めるわけにはいきません。他のクラスからも要望が出るようになると、学校では対応し切れませんからね」と述べた。
白石は恋人の坂本美由紀が働くお好み焼き店で赤尾と飲みながら、勝手なことをすると保護者への対応が大変であることを説明する。前に白石が勤めていた学校でもクレーマーまがいの保護者がいて、教育委員会に異動が決まった時には安堵したと彼は話す。赤尾が帰った後、白石は美由紀に、授業の準備があるので明日のデートは難しいと告げる。美由紀が不満を口にすると、彼は「今度は子供たちと、きちんと向き合いたいんだ」と説明した。
翌朝、学校へ赴いた赤尾は、山部幸二の上履きが無くなっていることを知らされる。赤尾は他の生徒たちを教室に行かせ、幸二には「今日は下履きのままでいいから」と告げた。赤尾は生徒たちに、放課後になってから全員で探そうと告げた。放課後、沢村陽介たちは上履きを探すが、川口康平のように全く協力しない生徒もいた。冷たい態度を取る康平に腹を立てた陽介が掴み掛かり、他の男子たちが制止した。女子たちも上履きを探していたが、新たに千葉聡子の上履きも無くなってしまった。
白石は5年2組の担任である紺野鷹志と一緒に飲み、ほぼ間違いなく犯人はクラスの生徒だろうと言われる。紺野は初期対応が肝心だと告げ、最悪の場合は学級崩壊を招くと忠告した。彼は「SOSを発信してるのかもしれませんね。もしかしたら、その子も辛い思いをしてるのかも」と話す。白石が「どうしたらいいですか」と質問すると、紺野は「冷たく聞こえるかもしれませんが、赤尾先生が自分で考えるしかないんですよ」と述べた。
赤尾は生徒たちに対し、「上履きは誰かが持って行ったと考えるしかない。先生が知りたいのは誰がやったのかということより、どうしてそんなことをしたのかってことなんだ。その子も何か理由があって、そうしたのかもしれない。だとしたら、そのことを先生に伝えてほしいんだ」と語る。すると生徒たちの中からは、「犯人が分からなくてもいいなら、悪いことしても黙っていればいいんだ」という意見が出る。「犯人は言える時が来れば自分から言ってくれるはず」と考える陽介は、皮肉っぽい態度を取る康平に掴み掛かった。
康平は5年1組の野田雅也から「今度の運動会、きっとまたお前と一騎打ちだな。絶対負けないからな」とライバル心を剥き出しにされるが、「別に勝とうなんて思ってないから」と無表情で受け流した。すると陽介が彼を突き飛ばし、「言ってやればいいじゃねえかよ、絶対負けねえって」と声を荒らげる。康平は「どうせあいつには勝てないんだよ」と陽介に掴み掛かり、他の男子たちが喧嘩を止めた。
白石と赤尾は細野から、ずっと康平が学年トップだったこと、野田が転校してきて勝てなくなったことを聞かされる。「今の子は負けても悔しくないんですね」と白石が言うと、紺野は「ゴール直前で、みんなで手を繋いでゴールなんていう学校もあるご時世ですからね」と話す。赤尾は「ホントにそう思ってんのかな。本当は勝ちたいんだけど、勇気が無いんじゃない?ほら、勝つって言って勝てなかったらカッコ悪いし、傷付くじゃん」と語った。
赤尾は給食の時間、「今度の運動会の百メートル走、各クラスから2人ずつ合計6人が14レース走る。そこで、14レース全部で3組が独占するんだ」と告げる。そんなのは無理だと生徒たちが騒ぐと、彼は「独占できたら、みんなの言うことを何でも聞くぞ」と言う。「そうは言っても、何か買ってくれとか、そういうのは無理だぞ」と赤尾が言うと、康平は「坊主になってよ」と要求した。白石は面白がり、他の生徒たちも賛同したので、赤尾は約束した。
子供たちは放課後に自主練を始めるが、康平は「俺は関係ねえし」と参加しなかった。仲間の荒木慎吾と鷲田達也に、彼は「行きたきゃ行けよ」と冷たく告げた。しかし白石は望月日菜子たちから、康平が密かに自主練習を積んでいることを知らされた。白石は康平と会い、赤尾が高校時代はアメフト部だったことを話す。「あんな体だからアメフトなんか出来ない。でも仲間に勝ってほしくて入部したんだ。パソコンでデータを整理したり。フォーメーションの研究をしたり。雑用を引き受けたり。地区大会で初めて優勝した時は、子供みたいにワンワン泣いてた」と彼は語る。
白石は「みんなベストを尽くして勝利を目指そうとしてる。クラスが1つになってるんだよ。お前にも、一緒に頑張ってほしいんだよ。みんなの気持ち、分かってやれって」と、目を潤ませながら康平に説いた。全員で練習を積み、いよいよ運動会の日がやって来た。しかし他の生徒たちがトップを取る中で、康平だけが野田に負けて2位に終わった。「幾ら頑張ったって、負けたら意味がねえよ」と泣く康平の肩を抱いた白石は、「良く頑張ったよ。ベストを尽くしたろ」と慰めた。
赤尾は「結果より成長」という言葉を生徒たちに教え、「みんなは残念ながら、結果を出すことは出来なかった。でも、この1ヶ月間、一生懸命に努力をして、その結果、大きく成長することが出来た。本当に大切なのは、結果よりも、こうやって努力して自分の力を大きく伸ばすことなんだ」と語った。白石は生徒たちに約束のことを確認し、「みんな頑張ったんだから、赤尾先生には14分の13、坊主になってもらうってのはどうかな」と提案した。彼はバリカンを持参しており、生徒たちに赤尾の頭を刈らせた。
2学期に入り、文乃が学校を休むようになった。白石と赤尾が家に行くと、母親は文乃が部屋に閉じ篭もったまま出て来ないと告げる。ダウン症の姉が挨拶に来て、自分の作ったお菓子を2人に差し出した。母親は白石と赤尾に、夏休みに家族で動物園へ行ったこと、姉が象を気に入って柵の前から動かなくなったことを話す。象の真似をする姉を見て、客たちは笑った。その晩から、文乃は部屋に閉じ篭もってしまったのだと母は語った。
赤尾は文乃の部屋の前まで行き、「お前のことを助けたやりたいけど、どうしたらいいか分からないんだ。もう一度、ゆっくり考えてから、また来るな。でも、きっと大丈夫だからな」と泣きながら語り掛けた。赤尾は帰宅し、学校に来てほしい気持ちを手紙に綴った。彼は「今日の5時間目は時間割を変更して道徳をやります。先生に1度だけチャンスをくれませんか。文乃には是非、その授業に参加してほしい」と書き、その手紙を文乃の母に託した。
道徳の授業で、白石は「赤尾先生の体はヘンだと思いますか?」という言葉を黒板に書く。文乃も来る中で、授業は続けられる。赤尾は生徒たちに、「この体は本当に変なのかな」と問い掛ける。生徒たちは赤尾に出来ること、出来ないことについて、口々に意見を言う。「手足じゃないって普通じゃない」という意見が出た辺りで、赤尾は「じゃあ普通って、どういうことなのかな」と問い掛けた。
生徒たちが次々に自分の考えを述べる中、工藤が「圧倒的に数が多いってことじゃないかと思います」と言う。他の生徒たちも納得すると、赤尾は「先生は圧倒的少数派ってことになるよね。じゃあ、やっぱりこの体は変ってこと?」と尋ねる。白石が「色んな障害を持っている人がいる」と言うと、赤尾は「障害だけじゃないぞ。肌の色、話す言葉、宗教、人には色んな違いがある」と述べる。「少数派の人を僕らは変だとか、普通じゃないとか言って馬鹿にしちゃうことがあるよね。みんなと違うからダメってことになるのかな」という白石の質問に、生徒たちは「ダメってことはない」「みんなと違っていてもいい」という考えを述べた。
帰宅した文乃は姉から「学校休んだの、お姉ちゃんのせい?」と訊かれ、「関係ないって。もう早く出てってよ」と声を荒らげた。姉は「ごめんね」と謝り、自作のお菓子を置く。文乃はお菓子を食べ、「美味しい?」と訊かれて「美味しい。お姉ちゃんのクッキーが世界で一番美味しい」と泣きながら答えた。後日、赤尾は遠足について、登山に参加できないので留守番すると生徒たちに告げる。赤尾と一緒に遠足へ行きたい生徒たちは、行き先を変更するために署名を集めることにした…。

監督は廣木隆一、原作は乙武洋匡『だいじょうぶ3組』講談社刊、脚本は加藤正人、製作は市川南&服部洋&藤島ジュリーK.&入江祥雄&松田陽三&吉川英作&宮本直人、エグゼクティブ・プロデューサーは山内章弘、企画・プロデュースは阿部謙三、プロデューサーは澁澤匡哉、ラインプロデューサーは竹山昌利、プロダクション統括は金澤清美、撮影は清久素延、美術は丸尾知行、録音は深田晃、照明は小笠原篤志、編集は菊池純一、音楽は世武裕子。
主題歌「手紙」TOKIO 作詞:YUKI、作曲:蔦谷好位置、編曲:野間康介。
出演は国分太一、乙武洋匡、榮倉奈々、余貴美子、田口トモロヲ、根岸季衣、三宅弘城、安藤玉恵、渡辺真起子、木下ほうか、寺脇研、蜷川みほ、山崎えり、上白石萌音、神子彩、三船海斗、中野澪、飯島幸大、有馬レオン、村田義仁、畠山紫音、菊地時音、谷口優人、関ファイト、住本英優、藤崎太一、河口瑛将、遠藤温人、鷲田詩音、田辺桃子、平祐奈、朝田帆香、うらん、石井杏奈、伊藤桃香、竹内海羽、川西美妃、三谷愛華、遠藤由実、日向ななみ、吉川日菜子、矢野里奈、吉田翔、星名陽平、市川雅、上野秀年、鎌森良平、中山京子ら。


3年間の小学校教師生活を綴った乙武洋匡による同名エッセイを基にした作品。
五体不満足な登場人物を演じることの出来る役者など存在しないので、原作者の乙武洋匡が赤尾を演じている。
白石を国分太一、美由紀を榮倉奈々、黒木を余貴美子、灰谷を田口トモロヲ、慎之介の母を根岸季衣、紺野を三宅弘城、青柳を安藤玉恵、文乃を上白石萌音、文乃の母を渡辺真起子、文乃の父を木下ほうかが演じている。
文乃の姉を演じた神子彩は、実際にダウン症の女優。
監督の廣木隆一と脚本の加藤正人は、『機関車先生』『雷桜』のコンビ。

まず冒頭シーンからして、「そんな見せ方でホントにいいのか」と言いたくなる。
赤尾が白石と共に教室へ向かう時点で、その姿を引きの絵で見せている。でも、そこは「生徒たちが新しい担任の登場を通達され、どんな人が来るのかとワクワクして待っていたら、ドアが開いて入って来たのは手足の無い赤尾」という見せ方にした方が効果的なはず。
また、赤尾が入って来た時に生徒たちの様子が写るが、静かに見つめているだけで何のリアクションも無い。担任が健常者ではないと分かった時点で、動揺や困惑があっても良さそうなものなのに、そういうのが全く無い。
そして赤尾が自己紹介している間も、みんな静かに行儀良く聞いている。白石の説明が終わり、出席を取る様子に移る。そういうのを、淡々と処理していくのだ。
それは掴みとして、明らかに失敗している。

その後、「普通の先生の方が良かった」と1人の女子生徒が口にする様子が挿入される。
だが、他の生徒たちは特に赤尾を敬遠したり、腫れ物を扱うような態度を取ったりすることは無い。
子供特有の「純粋な悪意」によって赤尾に対する差別的な攻撃を仕掛けることも無いし、好奇心旺盛に色々と質問しようという様子も無い。
授業は普通に騒がしいし(それは赤尾を担任として普通に受け入れているという意味での騒がしさ)、質問されると普通に答えている。

給食のシーンになった時、ようやく「どうやって食べるのか気にする」という様子が描かれるが、いかにも取って付けた感じが否めない。
っていうか、それは「生徒たちが赤尾を特異な存在として意識している」ってことを示すためのシーンと言うよりも、「乙武洋匡の得意技を披露させる」という意味で盛り込んだシーンにしか思えないんだよな。
そして、その辺りの描写を見ると、「ドキュメンタリーではなくドラマに」という意向があったらしいけど、むしろドキュメンタリー的に撮った方が良かったんじゃないかと感じる。
そもそも、この映画って、ドラマとして撮っている割には、中途半端にドキュメンタリー的に匂いがあるし。

その後、上履きが紛失する事件が起きたり、上履き探しに協力しない康平が冷淡キャラをアピールして正義感のある陽介と喧嘩になったりするが、そういうのは「赤尾が五体不満足である」ってこととは何の関係も無い。健常者の教師であっても起きることだ。
そして本作品でも、そういった問題に対して「赤尾が五体不満足である」ということが意味を持つような展開は生じていない。
そりゃあ、「五体不満足であろうと、普通に教師をすることは出来る」ってことを訴えようとしているんだろうってことは分かる。
だが、「五体不満足ならでは」のエピソードを用意しないのであれば、「主人公が五体不満足である」というキャラ設定の意味が無くなってしまうのだ。

校庭で男子たちがサッカーをやっているところへ赤尾が来て「先生も入れてくれよ」と言うと、生徒たちは次々に去ってしまうエピソードがある。
そこは「五体不満足な教師が、そう簡単には生徒たちと打ち解けられない」ってことを描こうという狙いを持つシーンなのかもしれない。
しかし、そこに関しては、「そりゃ赤尾が悪いぞ」と言いたくなる。
五体不満足で電動車椅子に乗っている人がサッカーに参加するのは難しいと、たぶん誰だって思うはずだ。そりゃあ、生徒たちは困るだろうし、理由を付けて立ち去るってのは理解できるぞ。

後半には赤尾が生徒たちと一緒にサッカーをやっいる様子がチョロッと描かれるけど、「特別ルールで彼がゴールすると2点」ということになっているんだよね。しかも、あくまでも手加減してもらった上で一緒にサッカーをやれているわけで。
つまり、そういう形で生徒と仲良くなろうってのは、ちょっとアプローチを間違えていると思うのよ。
サッカーに加わったとしても、「五体不満足なのにサッカーも出来るのよ」というトコをアピールすることになるだけであって、「教師として生徒と仲良くなる」ってのとは違うんじゃないかと。
実際、一緒にサッカーをやるシーンは、「乙武洋匡の得意技を披露させる」という意味が明らかに強いし。

美由紀の存在意義がサッパリ分からないし、キャラの動かし方にも大いに問題がある。
最初に登場した時、彼女は白石から授業の準備があるので明日のデートは難しいと言われると、「それって慎之介の仕事でしょ。なんで慎之介のためにそこまでやんなきゃいけないの」と不満を漏らす。「慎之介のためじゃない。自分のためだ。今度は子供たちと、きちんと向き合いたいんだ」と白石が説明しても、彼女は不満そうな表情を崩さない。
でも、初登場の時点で既に「白石に強い不満を抱いている」という形にするのは早すぎるし、そこがドラマとして膨らまない。
何しろ、それ以降、美由紀は終盤に入るまで全く登場しないのだ。

そんで終盤に入っても美由紀は不満を漏らし、白石が「もっと甘えてもいいんだよ」だの「慎之介に教えてもらった」だのということで仲直りしているんだけど、取って付けたようにしか感じない。
美由紀を登場させたから処理しなきゃいけないという都合にしか感じない。最初から美由紀なんて要らないだろ、としか思えない。
もっと白石と赤尾の関係性に重点を置いて、そこを厚くしたり掘り下げたりすべきじゃないのかと。
そこの関係描写は、すんげえ薄いんだよな。

白石という補助教員の存在を大きく扱っているのは、「ドキュメンタリーにしないため」ということが大きいんだろう。
しかし、そのことが大きな失敗に繋がっていると言わざるを得ない。白石の存在を大きく扱うのであれば、赤尾は「白石から見た赤尾」という描き方に徹底すべきだ。そういう形にしておけば赤尾の内面を掘り下げずに済むから、乙武洋匡が役者ではないことを考えると、そっちの方がいいんじゃないかと思う。
そして、赤尾のキャラクター自体も「五体不満足だけど立派に教師をこなしている」という形にした方がいい。そんな赤尾を見て、白石が反発したり、影響を受けたりするという内容にした方がいい。
しかし実際には、そういう形を取っていない。白石も赤尾も、両方を主役のように扱おうとしている。
その結果として、赤尾を勃てようとしている時間帯は白石がキャラとして死んでしまい、逆に白石を勃てようとしている時間帯は赤尾が要らない子になるという事態に陥っている。

上履きの紛失事件が発生した後、赤尾は生徒たちに「先生が知りたいのは誰がやったのかということより、どうしてそんなことをしたのかってことなんだ。その子も何か理由があって、そうしたのかもしれない。だとしたら、そのことを先生に伝えてほしいんだ」と語る。
生徒の中から「誰がやったのか分からなくていいんですか」「悪いことしても黙ってりゃいいんだ」という声が上がり、「このクラスじゃ何やったってOKだってよ」と言う康平と「(犯人は)言える時が来たら自分から言ってくれるはずです」と話す陽介の間で喧嘩が勃発する。
さて、そんな中で赤尾がどのように対処するのかというと、何もしていないのである。
「誰がやったのか分からなくていいんですか」「悪いことしても黙ってりゃいいんだ」という意見に対して、赤尾は「それは違う」ということを訴えることも無く、何がどう違うのかを説くことも無い。そして喧嘩が起きた時も、それを制止できていない。白石が止めに入ることで、喧嘩は大きな騒ぎにならずに済んでいる。
ようするに、そういう騒動が起きる中で、赤尾は単なる飾りでしかないのだ。

運動会に向けた自主練についても、白石は参加するが、赤尾は何もしていない。ひねくれ者の康平が一緒に練習するようになるのも、白石の説得のおかげであって、赤尾は何もやっていない。
白石が説得する時に高校時代の赤尾のことを話しているけど、それが康平の心に響いているとは思えない。その後の、涙混じりのメッセージが彼の心に響いた形になっている。
運動会で負けた康平が泣いて悔しがった時も、赤尾が「良く頑張った」と声を掛けると彼は「幾ら頑張ったって、負けたら意味ねえよ」と言い、さらに赤尾が話し掛けようとすると白石が制する。そして白石が康平の肩を抱き、「良く頑張ったよ。ベストを尽くしたろ」と慰める。
白石の方が赤尾よりも康平との距離が遥かに近いし、彼の心を動かしているのだ。

前半の内容だけを捉えると、「かつて保護者のことばかり気にして生徒と真っ直ぐに向き合えなかった白石が、今度は向き合おうと考え、教師として成長する」というドラマとしてまとめた方が、間違いなくスッキリする。
そして、そんなドラマにおいて、赤尾という存在は全く必要性が無い。
なまじ「五体不満足」という見た目のインパクトが強いだけに、飾りにも関わらず目立つことは目立つので、余計に「要らないだろ」という印象が強くなってしまう。

運動会に向けて赤尾は、「14レース全部で3組が独占独占できたら、みんなの言うことを何でも聞くぞ」と持ち掛ける。
それは生徒たちの勝ちたい気持ちを喚起するための発言なのだが、そもそも「生徒たちが勝ちたいとは思っていない」というわけじゃないからね。たまたま康平が「勝とうと思っていない」と発言したことを受け、「今の子は負けても悔しくない」という一般論に繋がっているけど、じゃあ3組の生徒たちも勝ちたい気持ちを抑えているのかというと、そんな様子は全く無かったわけで。
むしろ、陽介なんかは勝ちたい気持ちを明確に出すタイプだし、他の生徒たちも運動会で普通に頑張りそうな連中なんだよね。何しろ、ちょっと反抗的な態度を取る奴らも申し訳程度にいるけど、基本的には行儀が良くて、とても素直で健全な子供たちなんだからさ。
しかも、肝心の康平だって、その約束を受けて頑張ろうと思ったわけじゃなくて、そもそも最初から密かに勝ちたい気持ちを持っていたわけで。それに、「先生を坊主にしたい」という気持ちで自主練を始めたわけでもないでしょ。

っていうか他の子供たちだって、同じでしょ。別に「先生を坊主にしたい」という理由で自主練を積むわけじゃないでしょ。それが動機だとすれば、すんげえ嫌な子供たちってことになってしまうじゃねえか。
だってさ、「赤尾が坊主になる」ってのは、罰ゲームのような扱いになっているんだぜ。
つまり、それが動機だとすれば、「赤尾に罰を与えてやりたい」ってことになるわけで。
だから、「生徒たちに勝ちたい気持ちを起こさせたい」という狙いで坊主になる約束をするってのは、なんか違うんじゃないかと。

赤尾は文乃が閉じ篭もるようになった原因を聞かされた後、彼女の母親に「ちょっといいですか」と告げ、何かを決意したような表情で階段を上がる。そして文乃の部屋の前まで行くので、どんなことを言うのかと思ったら、「お前のことを助けたやりたいけど、どうしたらいいか分からないんだ。もう一度、ゆっくり考えてから、また来るな。でも、きっと大丈夫だからな」と泣く。
おいおい、マジかと。
いや、そりゃあ、時には自分の無力さを素直に認めることも大切だろう。だけど、そこは「教師として、生徒の心を打つ言葉を語る」というシーンにすべきじゃないかと。そんなことを言われても、「知らんがな」って話でしょ。「きっと大丈夫だからな」って言ってるけど、何の根拠も無いし。
そんで赤尾は手紙を書いて母親から文乃に渡してもらうんだけど、そうすると文乃が授業に来るんだよな。なんて簡単に問題が解決してしまうのかと。
この映画に出て来る生徒たちって、ホントに素直で行儀がいいんだよなあ。反抗的だった康平も、簡単に素直になっちゃうし。

その道徳の授業は、いかにも健全な内容だが、ものすごく説教がましい。そして、「そんな簡単に行かないだろ」と言いたくなる。
ただし、そういう授業でも用意しないと、赤尾の存在意義が皆無になってしまうってことも確かなのだ。
しかし前述したように、赤尾の存在意義を出そうとすると、今度は白石の必要性が無くなってしまう。
その授業において白石は、黒板に文字を書いたり、赤尾の説法の一部を担当したりしている。しかし、そういうのは別に白石がいなくても何とかなるだろう。
赤尾は黒板に文字を書けないけど、だったら説法だけで済ませりゃいいわけだし、事前に文字を書いた紙を用意しておいてもいいだろう。

その後、「赤尾が遠足の登山を辞退して留守番を申し出て、生徒たちが行き先変更の署名を集めるという展開がある。ここもやはり、赤尾の存在意義が生じている一方で、白石の存在意義が無くなっている。
そんで結局、赤尾は遠足に行くことになり、白石は「みんな、あんなに楽しそう。俺はさ、こんなクラスは作れなかった。お前は昔から周りを大きく変えてしまうようなパワーを持ってるんだよ」と語る。
だけど、赤尾のおかげで3組が楽しいクラスになったという印象なんて、全く感じられない。
そもそも、最初から生徒たちは楽しそうにやっていたでしょ。赤尾の登場で、そんなに変化したかね。反抗的だった康平は素直になったけど、それは白石の力だし。

その後の「自分の出来ないこと&得意な所や良い所を生徒たちに書かせる」という授業も遠足のエピソードと同様で、赤尾だけがいれば白石がいなくても事足りる。
ただし、そういう中でも白石に存在義を持たせることは可能だ。
前述した「白石視点から赤尾を描く」という形を取れば、そんな中で白石が色んなことを感じたり、影響を受けたりするというドラマを描くことが出来る。
そういうアプローチを取らなかった結果として、「両雄並び立たず」になっているのだ。

(観賞日:2015年3月21日)

 

*ポンコツ映画愛護協会