『大脱獄』:1975、日本

網走刑務所には強盗殺人放火の南川剛太、爆弾大量殺人の赤田光一、左翼党首殺人の北郷国臣、傷害・殺人の風見寅吉、強盗殺人の梢一郎、強盗放火殺人の大池浅吉、尊属殺人の国岩邦造、毒物大量殺人の里見清次という八人の死刑囚が収監されていた。この内、ガラス片を使って自殺した里見を除く面々は脱獄を計画した。大池が舌を噛んで自殺を図ったように偽装し、看守を独房に誘い込んで絞殺した。彼は拳銃を奪い、他の囚人たちに鍵を渡した。
脱獄に成功した七人は民家を襲撃し、衣服と食糧を調達した。大池と南川は民家の娘を強姦しようと考え、順番を決めるくじ引きを始めた。北郷はくじ引きに参加した赤田に激怒して殺害し、南川を突き飛ばして「娘さんに手を出したら承知しない」と凄んだ。大池は彼を射殺し、先に民家を出て行こうとする風見たちを脅して留まらせた。しかし風見が「捜査犬の音がする」と言い出したため、大池と南川は強姦を諦めて立ち去ることにした。
大池と南川は梢たちを脅して外套と食糧を奪い取り、その場を去った。風見は梢と国岩に、大池と南川が向かったのは行き止まりの谷だと教えた。大池と南川は発狂し、衣服を全て脱ぎ捨てて死亡した。梢は鎌倉を作って休息を取り、過去を振り返った。彼は東京で剛田という男に誘われ、銀行強盗を手伝った。金庫破りだけという約束だったが、剛田は警備員を射殺した。怒った梢は降りようとするが、脅されて金庫を破った。剛田は全ての罪を梢に被せ、裁判では仲間の友成と情婦の時子がアリバイを偽証した。
風見が鎌倉で息を引き取り、梢は捕まる危険を考慮して国岩に別行動を提案した。しかし国岩は梢が銀行強盗の金を隠していると確信し、離れることを拒んだ。梢たちは小屋を見つけて中を調べるが、食糧は何も無かった。梢はネズミを捕まえ、それを焼いて食べた。国岩から分け前を要求された梢は殴り付けて気絶させ、小屋を去った。腹痛で歩けなくなっている風間あきと遭遇した彼は、背負って町まで運んだ。梢があきを安宿に連れて行って去ろうとすると、主人が見ているテレビでは脱獄のニュースが報じられていた。
宿泊客の佐川が階段を下りて来ると、梢は隠れるようにあきを部屋へ運んだ。改めて彼が宿を去ろうとすると、主人は万事屋の隣に医者がいること、汽車が雪崩で不通になっていることを話した。梢は医者を呼び、あきを診てもらった。彼は除雪作業人夫の募集を知り、梶政組で働き始めた。先輩人夫は煙草を梢に分け与え、吸い方を見て前科持ちだろうと指摘した。
約束の賃金が貰えなかったため、梢は梶政の元へ行って陳情した。すると梶政は、梢の写真が掲載されている新聞記事を見せた。梢は脱獄を知っているのが梶政と側近の加賀見だけと確認し、彼らを叩きのめした。先輩人夫は一部始終を目撃するが、口外しないと約束した。彼は「金が必要だろ」と梶政が金庫に入れてあった札束を渡し、口止め料を貰った。梢は夕食の材料を買って宿に戻り、明朝から汽車が開通することを主人に知らされた。新聞を読んでいた佐川は、梢が脱獄囚だと知った。
回復したあきは梢に礼を言い、ドサ廻りの踊り子であること、体を悪くして置いてけぼりにされたことを語った。あきは夕食を作り、梢は隣に宿泊する親子を誘って一緒に食卓を囲んだ。佐川が来て梢に新聞の切り抜きを見せるが、「まあ、しっかりおやんなさい」と言うだけで去った。宿に刑事たちが来たので、梢は包丁を手に取って隠れた。あきが怯えて助命を嘆願すると、彼は自分が逃げるまで何もするなと脅した。しかし刑事たちの狙いは梢ではなく、親分の仇討ちで殺人を犯した佐川だった。
刑事たちに捕まった佐川は、「頑張れよ」と大声で叫びながら連行された。あきは梢を情事に誘うが、拒まれて涙を流した。翌朝、梢はあきに金を渡して別れ、札幌へ飛ぶ。彼は時子のアパートへ乗り込み、首を絞めて剛田と友成の居場所を吐くよう要求した。梢が承諾した時子と汽車に乗っていると、国岩が現れた。梢は銀行の金を当てにしても無駄だと話すが、国岩は耳を貸さなかった。時子はトイレに助けを求めるメモを残すが、気付いた国岩が回収して梢に教えた。
小樽に着いた時子はパトカーの前で気付かれるように転倒し、乗せてもらって梢からの逃亡を図った。梢はタクシーを拾い、パトカーの後を追った。時子が剛田のアパートに行くと、若い愛人と一緒だった。時子は「大仕事だなんて上手いこと言いやがって」と激怒し、全て梢に暴露すると言い放った。彼女は剛田に突き飛ばされ、ヤカンの熱湯を顔に浴びて大火傷を負った。剛田は愛人を連れてアパートから逃げ出し、入れ違いで梢がやって来た。
梢は時子から、剛田がボスの所へ行ったことを知らされた。ボスは北海興業の松井田で、梢の妹と子供を殺したと時子は明かす。梢の妹は兄の無実を証明するため、剛田の元を何度も訪れていた。そこで松井田は、彼女と子供を車でひき殺したのだ。梢は復讐を果たすため、函館へ飛んだ。そこへ国岩が現れ、アパートの廊下で話を全て聞いていたことを話す。彼は復讐への協力を申し出ると、松井田が一億円の列車強盗を計画していることを教えた…。

監督は石井輝男、脚本は石井輝男、企画は矢部恒&坂上順、撮影は出先哲也、録音は広上益弘、美術は藤田博、照明は川崎保之丞、編集は祖田富美夫、擬斗は日尾孝司、音楽は青山八郎。
出演は高倉健、菅原文太、木の実ナナ、田中邦衛、小池朝雄、室田日出男、郷^治、山本麟一、加藤嘉、三井弘次、三谷昇、須賀不二男、田中浩、桧よしえ(檜よしえ)、奈三恭子、杉山とく子、高宮敬二、佐藤京一、中田博久、横山あきお、苅谷俊介、伊東辰夫(伊東達広)、日尾孝司、小林千枝、前川哲男、山本清、河合絃司、佐藤晟也、久地明、相馬剛三、仲原新二、土山登士幸(土山登志幸)、滝島孝二、津奈美里ん、東祐里子、山田光一、亀山達也、清水照夫、五野上力、小川レナ、青木卓司、高月忠、山浦栄、原純子、伊藤慶子ら。


『ポルノ時代劇 忘八武士道』『直撃地獄拳 大逆転』の石井輝男が監督と脚本を務めた作品。
梢を高倉健、国岩を菅原文太、あきを木の実ナナ、剛田を田中邦衛、佐川を小池朝雄、大池を室田日出男、南川を郷^治、梶政を山本麟一、風見を加藤嘉、宿の主人を三井弘次、先輩人夫を三谷昇、松井田を須賀不二男、友成を田中浩、時子を桧よしえ(檜よしえ)、一郎の妹を奈三恭子が演じている。
石井輝男の監督作で高倉健が主演を務めるのは、1973年の『現代任侠史』以来となる。

映画の冒頭、八人の死刑囚の氏名と罪状、年齢がテロップで表示される。
そんなキャラクター紹介をしておきながら、早い段階で次々に死亡し、あっという間に生き残りは梢と国岩だけになってしまう。室田日出男や郷^治、加藤嘉といった面々が、あっさりと退場するのだ。
彼らに限らず、この映画は脇を固める役者をどんどん使い捨てにしていく。
山本麟一は登場したと思ったら、同じシーンで出番を終える。重要な役回りっぽく登場した佐川も、すぐに逮捕されて出番を終える。

当時の東映作品でお馴染みの顔触れが、まるでゲスト出演であるかのような短い出番で退場していく。
では、お馴染みではない顔触れに多くの出番を与えて新鮮味を出す意図があるのかというと、そういうわけでもないんだよね。
木の実ナナだけは新鮮味があるので、あきと梢の関係をメインに据えてくれてもいいぐらいだけど、それは本筋から外れるし。
あきが梢と一緒にいる時間はそれなりにあるけど、安宿を出ると終盤までは消えている。

ロードムービー的な側面もあるので、どうしても「梢が行く先々で出会う人々」は、彼が別の土地へ移動すると出番が終わるのは仕方の無い部分もある。
ただ、そういうことを考慮しても、やっぱりキャラの扱いは雑だと感じる。
肝心な梢と国岩の関係も、「旅は道連れ」のはずなのに、それほどでもない。粗筋を読めば分かるだろうが、途中で国岩が消えている時間帯がある。
そのため、コンビネーションの面白さが、映画のセールスポイントになるほどには昇華していないんだよね。

梢の目的は脱獄かと思いきや、鎌倉の回想シーンで「剛田に罪を着せられた」という事実が明らかになる。
つまり彼の目的は復讐なのだが、そこから「復讐に向けて動き出す」という展開に入るわけではない。
しばらくの間は、「追っ手から逃れて身を隠す」という状態が続く。あきと出会って安宿に泊まり、「梢が剛田に罪を着せられている」という情報と無関係な方向へ話が転がっていく。
物語が復讐劇に転化するのは、梢が札幌へ移動してからだ。

復讐劇が物語の中心に位置すると、国岩が梢に付きまとう意味が弱くなる。まだ事情を知らない内はともかく、国岩が梢の目的を知った後は、リスクを考えても協力する必要性は乏しい。
一応は「金ヅルに死なれちゃ困るから」と梢に加勢する理由を用意しているが、ちょっと厳しいことになっている。
ずっと旅は道連れでやって来たわけでもないし、梢と国岩の間に「同志としての絆」みたいなモノが芽生えていないんだよね。
なので、国岩が危険を承知で梢を手伝う動機は、かなり弱い。

梢が復讐する相手は剛田と時子と友成の三人だけだったはずが、時子の口から「剛田のボスは松井田」という情報が語られる。
だけど剛田が梢に罪を着せて時子と友成にアリバイ偽証させた件は、松井田とは無関係だよね。「銀行強盗も松井田の指示」ってことじゃないよね。
だとしたら、剛田が出会ったばかりで能力不明な梢を誘う理由が謎だし。
で、「松井田が妹と子供を殺した」という設定を用意することで松井田も梢の復讐相手に含めているけど、強引極まりない。
そもそも、松井田も復讐相手に入れるなら、登場が遅すぎるよ。

松井田の一味は炭鉱のボーナスを狙って列車強盗を企てており、梢は乗客に紛れて復讐を遂げようとする。
でも列車強盗の設定とか、全く要らないわ。派手なアクションシーンでクライマックスを盛り上げたかったんだろうけど、もっとシンプルに復讐劇に集中した方がいいよ。
先に剛田と友成と松井田を始末しちゃうから、復讐が終わった後に機関車を切り離した一味との戦いが残っちゃうし。
復讐が目的のはずなのに、そこから離れたアクションが最後ってのは、不細工な構成だろう。

汽車のアクションシーンでは、梢の発砲を受けた剛田の頭が弾け飛んだり、一味の腕が千切れたりという描写がある。
友成や松井田が死ぬ時には、スローモーション映像が使われる。血はドバドバと出るし、急に残酷風味が強くなっている。
「たっぷりと溜めて、爆発させる」というサム・ペキンパー的な演出術は、これっぽっちも感じない。
「当時の流行りである残酷描写を深く考えずに取り込んだら、完全に浮いてしまった」と感じるだけだ。

この映画は興行的に失敗したが、理由の一つに「高倉健の人気が落ちていた」ということが挙げられる。
東映任侠路線で大スターになった高倉だが、1973年から実録路線が始まったことに伴って立場は変化していた。
そんな中、1974年12月に公開されたアメリカ映画の『ザ・ヤクザ』と翌年1月公開の『日本任侠道 激突篇』が、いずれも興行的に失敗した。
いよいよ厳しくなる中で、ある意味では高倉の再起作と言えるのが、この映画だった。

ただし東映の社長だった岡田茂は、「高倉健の再起」を目的に本作品を企画したわけではない。この映画は、石原プロモーションに所属していた渡哲也が高倉との共演を熱望したことから企画が立ち上がっている。
岡田茂は渡哲也を「東映を背負う次世代のスター」として引き抜こうと目論んでおり、彼のために企画したようなモノだ。
そして、これは本作品がコケてしまった最大の理由に関係している。
その最大の理由とは、「こんなはずじゃなかった」ってことではないだろうか。

キャストの顔触れを見れば、渡哲也がいないことは分かるだろう。つまり、当初の企画は実現しなかったのだ。渡哲也は病気で長期入院したため、降板を余儀なくされた。
そして渡哲也だけでなく、当初は出演予定だった五木ひろしも降板している。
渡が体調を崩した当初は、その代役を菅原文太が務め、渡は出番の少ないポジションに回るはずだった。それに伴って当初よりも番手が下がることになったため、五木ひろしは降板を選んだのだ。
つまり、公開前は「高倉健、渡哲也、菅原文太、五木ひろしの競演」として期待感を煽っておきながら、実際には高倉健と菅原文太だけになったわけだ。
そして前述したように、その高倉健と菅原文太の共演も満足できるモノではない。配役のマイナスを解消して余りあるほど質の高い脚本ってわけでもないし、まあコケても仕方がないかな。

(観賞日:2024年3月30日)

 

*ポンコツ映画愛護協会