『大病人』:1993、日本

365。俳優で映画監督の向井武平は、自ら主演を務める映画を撮影していた。彼が演じるのは入院中の癌患者で、神島彩が妻役だ。その日は妻が病室に来て、自分も癌だと告白するシーンを撮った。撮影が終わると、スタッフのミッチャンたちは向井の誕生日をお祝いした。夜、向井はホテルで愛人の彩と会った。彼は急に具合が悪くなり、トイレに駆け込んで吐くと血が混じっていた。向井が帰宅すると、妻の万里子は荷物をまとめて出て行こうとしていた。彼女は結婚指輪を渡し、「しばらく連絡しないけど」と告げる。しかし向井が軽い口調で「今日、吐いちゃってさ。吐いた中に血みたいなのが混じっててさ」と話すと、「病院に行きましょう」と電話を掛けた。
万里子は大学時代の友人である緒方洪一郎に連絡を取り、彼が勤務する大病院で向井を診察してもらう。向井は能天気な態度で看護婦の林を口説き、緒方にも軽口を叩いた。緒方は気になることがあると言い、レントゲンと胃カメラの検査も行う。360。緒方と同僚の医師たちは、向井が癌で下手をすると余命1年だと判断する。しかし病院が告知しない主義なので、緒方は向井に胃潰瘍だと嘘をついた。彼は「手術するから入院が必要」と告げ、撮影スケジュールを理由に向井がごねると「悪い所を切らないと死ぬ」と説明した。
緒方は万里子を呼び、向井が癌で状態は悪いと知らせた。手術は成功するが、緒方は万里子に「長くて1年以内に再発するだろうと思う」と言い、その場合は助からないことを告げた。180。向井は撮影したフィルムを確認し、翌日のラストシーンに向けた準備に入ろうとする。しかし急に倒れて意識を失い、病院に担ぎ込まれた。緒方は緒方の病状が予想以上に悪化していると知り、胃を全て摘出した。向井が「もう治ったと思ってた。まさか癌じゃないだろうな」と言うと、緒方と万里子は否定した。
映画のスタッフは、向井が好きな赤いグッズを幾つも病室に持ち込んだ。向井がロビーでタバコを吸っていると、長期入院している老人が匂いを吸いに近付いて激しく咳き込んだ。老人は癌で余命3ヶ月だと言い、周囲は胃潰瘍だと嘘をついているので騙されたフリをしていると語る。彼は「死ぬなら家がいい」と話し、退院するつもりだと向井に告げる。「いざっていう時には病院の方が安心でしょう」と向井が言うと、老人は「いい物見せてやるよ」と口にした。
老人は瀕死の病人がいる部屋へ向井を連れて行き、痰を取るため喉に穴を開けたので喋れないこと、体が弱って動けないことを教える。彼は瀕死の病人について、「死にたくても自殺も出来ないし、殺してくれとも言えない」と語った。なぜ自分が癌だと分かるのか向井が訊くと、老人は「紫の点滴は抗癌剤で、副作用で禿げてきた」と説明した。向井は自分の点滴が紫だと知って激しく狼狽し、次第に頭髪が抜け始めたので焦りを覚えた。
向井は激しい痛みに何度も見舞われ、林に「死にたくない」と弱音を漏らす。林は緒方にモルヒネを使うよう提案し、独自で勉強した資料を見せた。緒方は反対するが、勉強のために資料を借りた。瀕死の病人は状態が悪化して心拍が停止し、緒方たちは蘇生を試みる。妻は「静かに死なせてやって」と懇願し、それを見た向井も「なぜ死なせてやらないんだ。こんなのは治療じゃない、拷問だ」と怒鳴った。緒方は看護師たちに、妻や向井を病室から出すよう指示した。
向井はプロデューサーに、彩と会わせてほしいと頼んだ。プロデューサーがロビーで万里子と話している間に、向井は病室で彩との情事を楽しんだ。彼は証拠を隠蔽するが、万里子は浮気を見抜いた。彼女はに向井に平手打ちを浴びせ、「貴方は最低よ。死んじゃえばいい」と言い放った。向井は自分の叔父を装って緒方に電話を掛け、言葉巧みに本当の病名を聞き出そうとする。向井は策略に気付いた緒方から説教され、憤慨して罵った。カッとなった緒方は反論し、死が近いことを漏らしてしまった。向井は緒方を殴って昏倒させ、病室から逃亡する。向井は屋上で自殺を図るが、緒方や林たちが発見して蘇生させた…。

脚本 監督は伊丹十三、EXECUTIVE PRODUCERはYUKUO TAKENAKA、CO-EXECUTIVE PRODUCERはNIGEL SINCLAIR、プロデューサーは細越省吾、プロデューサー補は川崎隆、製作は玉置泰、撮影は前田米造、照明は矢部一男、特機は落合保雄、美術は中村州志、録音は小野寺修、編集は鈴木晄、音楽は本多俊之、音楽監督は立川直樹、カンタータ 般若心経 作詞・指揮は黛敏郎。
出演は三國連太郎、津川雅彦、宮本信子、木内みどり、高瀬春奈、熊谷真美、田中明夫、三谷昇、高橋長英、左時枝、南美希子、清水よし子、渡辺哲、村田雄浩、山内としお、秋間登、米倉真樹、加藤善博、上田耕一、久遠利三、小川美那子、有薗芳記、麻立丸、荒牧太郎、関川慎二、田原洋、飯島正和、小林操、杉ア浩一、沢村裕二、一見直樹、新井今日子、伊藤哲哉、喜田智津子、天田益男、宮坂ひろし、野崎海太郎、中山正弦、中井信之、藤浪晴康、松野芳子、山崎陽子、坂尾直子、見方あゆ美、大隈智子、稲垣弘子、池田薫、日下部江美、村井のり子、朝岡実嶺ら。


『あげまん』『ミンボーの女』の伊丹十三が脚本&監督を務めた作品。
向井を三國連太郎、緒方を津川雅彦、万里子を宮本信子、看護婦を木内みどり、彩を高瀬春奈、ミッチャンを熊谷真美、プロデューサーを田中明夫、老人を三谷昇が演じている。
瀕死の病人役で高橋長英、その妻役で左時枝、通りがかりの看護婦役で南美希子、若い看護婦役で清水よし子、助監督役で渡辺哲、医師役で村田雄浩&山内としお&秋間登&米倉真樹、レントゲン医師役で加藤善博、麻酔医役で上田耕一が出演している。

粗筋で記した「365」「360」「180」という数字は、実際に劇中で画面に表示される。
これが何を意味しているのかは、きっと多くの観客が早い段階で気付くだろう。
それは向井が死ぬ日までのカウントダウンだ。
「問題の解決」や「目的の達成」といった結末が無く、ハッピーエンドにならないことは最初から分かり切っている。
それだけを取っても、これまで伊丹十三が脚本&監督を務めた作品と同じような作り方が出来なくなっている。

向井が撮影している劇中劇の内容は、もちろん彼の病気に絡めて用意されているモノだ。
ちなみに、粗筋では省略したが、向井が倒れる前に確認していた映像は「病状の悪化した妻が主人公に殺してほしいと頼む。主人公が躊躇すると、妻は自害を選ぶ」という内容だ。
ただ、癌で余命わずかな向井の物語と劇中劇を関連付けようとする仕掛けは、まるで成功していない。
向井は終盤まで自分が癌だと知らないし、だから自分の病状を重ね合わせて撮影したり演じたりすることも無い。撮影中に自分の病気を重ね合わせて、何かを感じたり語ったりすることも無い。
じゃあ観客がその中で本筋と劇中劇を並べて何を感じ取れるのかというと、それも難しい。

むしろ、劇中劇は「生」に向かう物語や能天気な喜劇にでもした方が、「それを死が迫っている男が主演して監督を務めている」という部分に痛々しさや切なさ、あるいは悲しい皮肉を感じ取ることが出来たかもしれない。
途中で向井は「癌ではないか」と疑うようになり、自殺を図った彼が蘇生した後には緒方が告知する展開もある。
しかし、その頃になると向井は長期入院中なので、劇中劇を撮影するシーンを挟めなくなっている。
映像を確認するシーンの後、劇中劇の撮影風景は終盤まで訪れない。

これまでの伊丹十三監督は、ずっと「貴方が知らない業界の裏側教えます」的な内容の映画を作っていた。
しかし本作品は、そういう狙いが全く無い。
大病院という場所に関するマニアックな情報にも、医者や癌治療に関するハウツー的なテクニックにも、まるで興味を示していない。向井が死ぬまでの道のりを、粛々と描いていく。
途中で向井が感情的になったり、逃亡して自殺を図ったりという大きな波は用意されているが、トータルとしてはメリハリに乏しく、「淡々と物語を紡いでいる」という印象を受ける。

『マルサの女』や『ミンボーの女』では、悪人サイドの動きだけを追い掛け、その中で「こんな方法がありますよ」ってのを描くパートがあった。
しかし本作品では、医者の動きだけを追い掛け、「病院は患者の知らない所でこんなことをやっています」といった情報を描く趣向は用意されていない。
今回は伊丹十三が入院生活で感じたことを描こうとしているので、『マルサの女2』や『ミンボーの女』以上に生真面目になっているのかもしれない。

自殺を図った向井の蘇生処置が始まると、肉体から魂が抜け出す様子が描かれる。向井の魂は死後の世界を彷徨い、シュールで幻想的な風景が映し出される。
何となく大林宣彦ワールドっぽさも感じるが、面白くはない。
丹波哲郎のような「死後の世界を教えます」という意識で、トンデモ度数の高い方向へ振り切っているわけでもないし。
ここで描かれる死後の世界も、ひょっとしたら伊丹十三が臨死体験で見た景色なのかもしれないが、とにかく面白くはない。

終盤、癌告知を受けた向井は緒方に頼み、ラストシーンを撮影するため退院させてもらう。彼はコンサートホールへ行き、オーケストラや大勢の僧侶がいるステージで指揮棒を振る。
ここでは黛敏郎が作曲した『カンタータ「般若心経」』が演奏され、画面には般若心経が読み仮名付きで表示される。
このシーン、「なんだ、そりゃ」という感想しか出て来ない。
そこでの般若心経には違和感しか抱けないし、怪しいセミナーやインチキ臭い啓蒙映画のような匂いがプンプンと漂うシーンになっている。

(観賞日:2023年1月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会