『超少女REIKO』:1991、日本

9月27日月曜、香陵高校の生徒会長・緒方志郎は、山川教諭にESP研究会の発足を申し出た。最近、学校では怪奇現象が多発しており、幽霊が出ると噂になっていたからだ。発起人は緒方の他に、上品な物言いの副会長・内藤由美、由美に惚れている剣道部キャプテン・高品雄二、2年生のガリ勉・新城高史、憂さ晴らし目的の不良娘・万田梨花、そして1年生の演劇部員・九藤玲子だ。
28日、6人が部室に決めた生徒会室でも怪奇現象が起きるが、玲子が特殊な能力を発揮して霊を追い払った。玲子の祖母は霊媒師の九藤光霊で、彼女も霊能力を受け継いでいたのだ。29日、6人は校内点検を実施することにした。緒方と雄二、高史と梨花、由美と玲子の3班に別れて、メンバーは夜の学校を巡回する。緒方と雄二は他校の制服を着た女子生徒の幽霊を目撃するが、玲子らが駆け付けると彼女は姿を消す。しかし解散した後、他のメンバーも女子生徒の幽霊に脅かされる。
30日、緒方らは玲子に頼んで、降霊会を行うことにした。玲子は迷いながらも承諾し、山川も立ち会うことになった。玲子は幽霊を呼び出し、素性や死んだ理由を聞きだそうとする。しかし6人は幽霊の力によって、海上に飛ばされてしまう。何とか元の場所に戻った6人は、幽霊から「しみずまちこ」という名前を聞き出した。
さらに幽霊から詳しいことを聞き出そうとした時、玲子が彼女に憑依されてしまう。そこへ光霊が駆け付け、幽霊を追い払った。翌日、緒方らは「しみずまちこ」が温羅高校の生徒であり、失踪していることを知る。さらに彼らは、玲子も憧れているスケコマシの演劇部員・渡辺譲治が温羅高校から転校してきたことも突き止めた。
山川は、まちこが投身自殺した後、好きだった譲治を求めて香陵高に出没したと推理した。彼は緒方らに、もう終わったことだと告げる。実際、まちこの幽霊が祓われたことで、全てが終わったはずだった。しかし学園祭の当日、またも学校で怪奇現象が発声する。緒方らは、まちこの幽霊を操っていた黒幕が演劇部員・深尾麗子だと突き止めた・・・。

監督&脚本は大河原孝夫、製作は富山省吾、製作協力はバーニングプロダクション、撮影は山田健一、編集は長田千鶴子、録音は斎藤禎一、照明は蝶谷幸士、美術は鈴木儀雄、特殊効果は浅田英一、音楽は朝川朋之、音楽プロデューサーは岩瀬政雄&北原京子。
主題歌「風の中で」作詞・作曲は尾崎亜美、編曲は井上鑑、歌は観月ありさ。
出演は観月ありさ、大沢健、佐藤浩市、小泉今日子、菅井きん、島崎和歌子、長澤ユキオ、山田久子、磯崎洋介、筒井道隆、佐藤B作、佐倉しおり、井上麻美、杉原貴志、佐藤友紀、高椋文博、原恵子、菅野伸一郎、斉藤麻里、田中優、小島法子、川井英裕、児玉貴子、橋野元樹、関根雪絵、門脇三郎、永田美妙、川口節子。


東宝映画の助監督だった大河原孝夫が執筆した第13回城戸賞準入賞の脚本を、本人の初メガホンで映画化した作品。
玲子を観月ありさ、緒方を大沢健、山川を佐藤浩市、光霊を菅井きん、由美を島崎和歌子、雄二を長澤ユキオ、梨花を山田久子、高史を磯崎洋介、演劇部部長・朝倉を筒井道隆、玲子の父・俊夫を佐藤B作、麗子を佐倉しおり、まちこを井上麻美が演じている。また、演劇部顧問・藤沢教諭役で、小泉今日子が特別出演している。監督助手の1人として、手塚昌明が携わっている。

観月ありさは、これが映画デビュー作。彼女の所属事務所であるバーニングプロダクションが、製作協力としてクレジットされている。
皆まで言わずとも分かるかもしれないが、これはアイドル・観月ありさを売り出すためのプロモーション・フィルムである。観月は4歳の頃から子役モデルとして活動していたが、この頃から主演女優として売り出されたのだ。
ただし困ったことに(というか当然のことながら)、大河原監督はアイドルの売り出しを意図して脚本を書いたわけではない。なので、そこには意識の大きなズレがある。
監督が「お仕事」と割り切ってアイドルの魅力を引き出すことに精力を傾ければ、その溝は簡単に埋めることが出来るだろう。しかし、どうやら譲れない魂があったようだ。
その結果として、アイドル映画としても、サイキック・ホラー映画としても、中途半端で冴えないモノになってしまった。

私の持論は、「アイドル映画は基本的に明るく楽しいテイストにして、アイドルの笑顔を魅力的に見せるべきだ」というものだ。
なぜなら、大抵のアイドルにとって最も魅力が発揮できる表情は笑顔だろうし、それに明るいキャラの方がシリアスな役柄よりも芝居の稚拙さが誤魔化しやすい。
アイドルは芝居が下手ってのが仕様なので、そうした方が何かと都合がいいと思うのだ。

しかし、この映画において、最後まで観月ありさが明るい笑顔を見せることは無い。
この映画は、ESP研究会のメンバーは緒方を始めとしてコミカルなキャラクターになっているし、明るいテイストが無いわけではない。だが、玲子は常にクールで物静かな態度を崩さない。
周囲がコミカルモードであっても玲子は陰気で暗くシリアスモードなので、そこにアイドルの若々しさや瑞々しさは全く見られず、芝居の稚拙さばかりが目立つことになってしまう。
その玲子が「演劇の主役に抜擢されるぐらい芝居が上手だ」ということになっているのは、ギャグとしか思えない。

幾らシリアスにやったところで、終盤までは全く死者が出ないし、幽霊が出てきても脅かすだけなので死の危険という匂いさえ無い。
どうせ死人が出ないのなら、もっとコメディー・タッチにしても、それほど困らない気もするんだが。
シリアスにするなら、まだスクリーミング・クイーンにしちゃった方が勝ち目が出たような気はするが、それだとキャラクター設定が根本から変わってくるんだよな。
というか、この素材でアイドル映画をやろうとしたバーニングが、そもそも間違っていると思うけど。

冒頭、緒方が発起人の名前を挙げて紹介映像が流れるが、玲子については名前さえ語らない内に次のシーンへ進む。先にESP研究会の他のメンバーを出した後に登場させ、それから玲子を登場させる。登場しても、なかなか顔は映さない。
しばらく喋った後、名前を聞かれて振り返り、ようやく顔と名前を明かすという形を取っている。
アイドル映画としても、そうでないとしても、やり方はいいんだが、だったら、そこでタイトルクレジットに入るべきなんじゃないのか。
なんで最初にタイトルを出しちゃってるんだよ。

演劇部の練習シーンが何度か挿入されるのは、玲子が譲治に惚れていることを見せるという意図が強いんだろうが、ものすごくギクシャク感がある。
あと、そもそも玲子が表情の変化に乏しいキャラなので、譲治に惚れている心情も見えない。
まちこが温羅高校の生徒だと分かるシーンまで、譲治がスケコマシだという設定が明かされないのも手落ちだろう。

最初はホラーにしたいのかとも思ったのだが、それにしては降霊会で6人が輪になったまま海上に飛ばされ、そのまま天高く昇って元の世界に戻るというファンタジックなシーンに長く時間を割いたりするんで、方向性が今一つ分からない。
しかも元の世界に戻ったところでシーンに区切りを付けるのかと思いきや、さらに降霊会を続けるという構成もマズすぎるだろう。
というか、そのまま玲子が憑依される展開に続けていくのなら、6人が海上にワープする下りは明らかに要らないんだよな。

まちこを操る黒幕がいることは終盤になるまで明かされず、そこまでに麗子は全く登場していない。そして終盤になって、わずか数分の間に「黒幕がいて、それは麗子で、彼女は恐山のイタコの血を引いている」ということが説明される。
伏線も何も無しに、いきなり盆をひっくり返すわけだ。
麗子は黒幕というより、デウス・エクス・マキナである。
そりゃあ前半から麗子を登場させておいたとすれば、たぶん黒幕であることがバレバレになっていた可能性もあるんだが、そっちの方がマシだろう。
ただし、佐倉しおりの出番を大幅に増やすことになるので、そうなると完全に観月ありさを食ってしまったことは確実で、それを避けるという意味では終盤のみの出演にしたことは賢明だったかもしれないが。

残り15分ぐらいになってサイキック・アクションにシフトすることは甘受するし、麗子に騙されていたまちこが報復に現れるのもいい。
ただ、肝心の玲子が倒れており、まちこが麗子を退治するのを傍観するだけになっているのはどうなのよ。
あと、まちこが剣を麗子の首に突き刺すという、いきなり残酷な描写が出てくるのも違和感があるなあ。そこまでに1人も殺されないまま話を進めていたのなら、そこは麗子が霊力を奪われて警察に逮捕されるとか、そういうことでも良かった気がするんだよな。というか、
まちこが自らの意思で自殺したことにしておけば、麗子は誰も殺していないわけだから、「改心しました」という締め括りでも成立したはずなんだよな。

 

*ポンコツ映画愛護協会