『散り椿』:2018、日本
享保十五年、京。瓜生新兵衛は親しき友の父による不正を見逃すことが出来なかった。重役に訴え出たが認められず、故郷である扇野藩を妻の篠と共に離れることになった。それから八年の歳月が経っている。雪の降る日、彼は帰宅途中で三人の刺客に襲われて返り討ちにした。新兵衛が家に戻ると、篠は夫の袖口を見て刺客と戦ったことを見抜いた。彼女は「やはり御家騒動からは逃れられないのですね」と口にした後、また故郷の散り椿が見てみたいと述べた。病を患う篠は死が近いことを自覚しており、「貴方にお願いしたいことがございます」と告げる。春になって篠が死去すると、新兵衛は京を発った。
扇野藩士の坂下藤吾と宇野十蔵は、茶屋で休息した。藤吾は先月の山崩れで潰れた田畑に関する調査結果を記しており、十蔵は「真面目なものだな。八年前に切腹を強いられた兄貴の二の舞は無いということか」と言う。藤吾は「兄は潔く自決され、坂下家を守りました。何も恥じる所はありませぬ」と告げ、「それに、この新田開発は采女様の御意向でもあります」と続ける。十蔵が「榊原采女ねえ」と否定的な態度を示すと、藤吾は「この扇野藩をより良く出来るのは、若殿の側用人となられる采女様の他にございません」と主張する。しかし十蔵は同意せず、「それはどうだろうな。この藩が潤ったのは城代家老、石田玄蕃様の手腕があってこそ」と述べた。
暴れ馬が走って来るのを見た藤吾は、街道で遊んでいた幼女を助けた。そこへ新兵衛が現れ、暴れ馬に飛び乗って手懐けた。藤吾と十蔵は、新兵衛が戻って来たことを知って驚いた。采女は城で玄蕃と会い、翌年三月に江戸から来る扇野藩主の嫡男、千賀谷政家が新たな政策を望んでいること、新田開発が民のためになることを訴えた。しかし玄蕃は藩の財政を困窮させるだけだと否定し、新田開発の中止を求めた。田中屋が独占販売している扇野和紙の利益で藩の財政が持っているのだと彼が主張すると、采女は恩恵を受けているのが家老たちだけと指摘した。玄蕃は政家の弟が次期藩主になる可能性に言及し、清濁併せ飲むよう采女に説いた。
玄蕃は采女に、平山道場で共に修業を積んだ四天王は誰も残っていないと告げる。四天王は采女の他に新兵衛、坂下源之進、篠原三右衛門という面々だ。しかし新兵衛は藩を去り、源之進は切腹し、三右衛門もおとなしくしていた。新兵衛は平山道場へ赴き、亡き師匠の息子で師範を務める平山十五郎と会う。「八年前のことを掘り起こすおつもりか」と問われた彼は、「ワシは不正を訴え出ただけのこと」と言う。十五郎は「世間はそうは見ておりません。御家老もまたしかり」と述べ、八年前の事件について語る。勘定方頭取の榊原平蔵は田中屋から賄賂を受け取ったと糾弾され、屋敷に戻る途中で何者かに殺害された。その切り口から、四天王だけが使える蜻蛉斬りで殺されたことが明らかになっていた。
なぜ戻ったのかと十五郎に問われた新兵衛は、「死ぬべき時と場所を見つけた」と答えた。玄蕃は十蔵から新兵衛が戻ったことを知らされ、目を離すなと命じた。新兵衛に京で刺客を差し向けたのは玄蕃であり、そこで始末できなかったことを彼は悔しがった。帰宅した藤吾は、姉の里美に新兵衛が戻ったことを伝えた。里美と藤吾にとって、新兵衛は姉である篠の夫だ。しかし藤吾は新兵衛の存在を疎んじており、里美にも関わり合いにならないよう忠告した。
翌朝、新兵衛が坂下家を訪れると、里美は歓迎した。藤吾は早く藩から立ち去るよう新兵衛に要求し、城へ向かった。途中で三右衛門の家に立ち寄った彼は、新兵衛が上役の不正を重役に訴えて藩を去ったのは事実なのかと問い掛けた。すると三右衛門は、過去の出来事を彼に語った。三右衛門は篠が采女と結婚すると思っていたが、彼女が選んだのは新兵衛だった。それから間もなく、新兵衛は采女の養父である平蔵に不正があったと訴え出て藩を去った。半年後、平蔵の不正は明らかになったが、彼は大目付の取り調べに黙秘を貫いたまま、何者かに殺害された。源之進は責任を背負い、自決した。
篠が采女ではなく新兵衛を選んだ理由を藤吾が尋ねると、三右衛門は養母が身分違いの結婚を許さなかったからだと答えた。現在、藤吾は三右衛門の娘である美鈴と婚約していた。登城した藤吾は采女から、新兵衛が戻ったことについて確認される。采女は「篠殿にもお会いしたいものだ」と呟いた後、新兵衛に訪ねるよう伝えてくれと告げた。帰宅した藤吾は、篠の死を知らされた。新兵衛は彼と里美に、自分の代わりに故郷の散り椿を見てほしいと篠に頼まれたことを話した。すると里美は、翌年まで待つ必要があると教えた。
田中屋の主人である惣兵衛は新兵衛を呼び出し、用心棒になってほしいと要請した。彼は玄蕃を信用しておらず、罪を押し付けられるのではないかと疑っていた。惣兵衛と別れた新兵衛は、襲ってきた刺客を撃退した。彼が坂下家へ戻ると、里美は読んでいた采女からの手紙を隠した。「姉上は全てを残されたいと思ったのでしょうか。始末したい物もあったのではないでしょうか」と里美が訊くと、新兵衛は「篠は愛おしい物だけを残したと存ずる」と答えた。彼の優しさを感じ、里美は涙をこぼした。新兵衛は篠から、采女を助けてほしいと頼まれていた。
新兵衛は藤吾と共に、采女の屋敷を訪れた。采女は「なぜ篠殿と離縁して国を出なかったのか」と言い、篠を苦労させて死なせたと新兵衛を批判した。そこへ養母の滋野が来て新兵衛を罵ると、采女が落ち着くよう諭した。新兵衛は田中屋へ行き、藩の行く末を決める起請文の存在を惣兵衛から知らされた。惣兵衛は新兵衛に、それを持っているから狙われる恐れがあるのだと語った。その夜、田中屋に刺客が押し入るが、新兵衛が撃退した。
刺客は起請文を玄蕃の元へ持ち帰るが、それは白紙の偽物だった。惣兵衛は怪我を負いながらも、本物の起請文を隠していた。新兵衛は手当てを受けた惣兵衛に「親しい者には用心しろ」と警告し、本物の起請文を持ち去った。翌朝、采女は登城する前に、母に昨晩の事件を伝えた。彼は父に賄賂を掴ませて藩を腐らせたと評して玄蕃を批判し、「父上は弱かった。それが大きな罪を作った」と指摘する。滋野が「もしや平蔵を斬ったのは」と顔を強張らせると、采女は「それ以上は言わぬ方がよろしゅうござる」と告げた。
玄蕃は町奉行や勘定奉行を呼び寄せ、田中屋の襲撃事件について「あってはならぬこと」と厳しく告げる。同席した采女は、「襲ったのが何者なのかは、藩内の者は薄々存じております。動けば悪戯に死人が増えましょう」と述べた。藤吾は十蔵たちに拉致され、新兵衛は手紙を受け取った。新兵衛が指定された寺へ赴くと、玄蕃が惣兵衛や十蔵を従えて待ち受けていた。新兵衛は玄蕃から起請文を渡すよう要求され、ある人物に預けてあると答えた。
新兵衛は渡した相手の名前を教える代わりに、藤吾を連れて来るよう要求した。玄蕃が藤吾を連れて来させると、新兵衛は采女に渡したと告げる。玄蕃は激しく狼狽し、新兵衛は藤吾と共に去ろうとする。十蔵たちは両者を取り囲んで刀を向けるが、玄蕃は「既に底が割れた。そやつに構うな。お前たちの敵う相手ではない」と告げた。里美は新兵衛の依頼を受け、起請文を采女に届けた。その起請文は、田中屋を藩の御用達にするため、玄蕃が平蔵に賄賂を渡していたことを示す内容だった。
正月は穏やかに過ぎ去り、新兵衛は里美や藤吾たちと家族のように暮らした。新兵衛は藤吾に、剣術の稽古を付けた。春が訪れると、政家が家臣たちを率いて藩へ入った。三右衛門は出迎えに行き、一緒に城へ向かった。采女は政家に挨拶し、玄蕃が病気を理由に来ていないことを伝えた。政家が翌朝から巻狩に行くと言い出したので、采女は警護の準備が整わないと反対する。しかし政家は全く耳を貸さず、三右衛門に警備を命じた。翌朝、政家は三右衛門や藤吾を従え、巻狩に出掛けた。そこへ刺客の一団が発砲し、三右衛門が撃たれた。彼は藤吾に、錯乱して采女に襲い掛かった平蔵を自分が斬ったと告白する…。監督・撮影は木村大作、原作は葉室麟(「散り椿」角川文庫刊)、脚本は小泉堯史&木村大作、製作は市川南、共同製作は吉崎圭一&藤島ジュリーK.&大村英治&杉田成道&林誠&堀内大示&宮崎伸夫&広田勝己&松田誠司&板東浩二&吉川英作&田中祐介&安部順一&東実森夫&井戸義郎&忠田憲美&吉村康祐、プロデューサーは上田太地&佐藤善宏&臼井真之介、美術は原田満生、録音は石寺健一、照明は宗賢次郎、殺陣は久世浩&山田公男&岡田准一、編集は菊池智美、音楽は加古隆。
出演は岡田准一、西島秀俊、黒木華、奥田瑛二、富司純子、池松壮亮、麻生久美子、緒形直人、石橋蓮司、新井浩文、柳楽優弥、芳根京子、筒井真理子、渡辺大、駿河太郎、柄本時生、矢島健一、螢雪次朗、井上肇、仁科貴、雨宮慧、松永大輔、久世浩、山田公男、児玉純一、西村正明、真島敏貴、高野弘樹、岡山和之、横山恒平、鎌田栄治、蒼島えいすけ、西山啓介、香川正樹、徳原桂作、馬場哲男、濱田一也、生駒利治、大岩匡、白石義人、西本篤心、鈴木誠克、杉山裕右、広瀬圭祐、佐藤五郎、加藤幸司、渕井達也ら。
ナレーターは豊川悦司。
葉室麟の同名小説を基にした作品。
監督&撮影は『劒岳 点の記』『春を背負って』の木村大作。
脚本は『阿弥陀堂だより』『蜩ノ記』の小泉堯史と木村大作監督による共同。
新兵衛を岡田准一、采女を西島秀俊、里美を黒木華、玄蕃を奥田瑛二、滋野を富司純子、藤吾を池松壮亮、篠を麻生久美子、三右衛門を緒形直人、惣兵衛を石橋蓮司、十蔵を新井浩文、十五郎を柳楽優弥、美鈴を芳根京子が演じている。
アンクレジットだが、榊原平蔵役で木村大作監督が出演している。映画の冒頭、ナレーターの豊川悦司が「瓜生新兵衛は親しき友の父による不正を見逃すことが出来なかった。重役に訴え出たが認められず、故郷である扇野藩を妻の篠と共に離れることになった。それから八年の歳月が経っている」と語る。
「そこをナレーションで片付けてしまうのかよ」と、いきなりツッコミを入れたくなった。
しかも、どうせ少し経てば八年前の事件に関する説明が入るのよ。
だから、そのナレーションは、のっけから無駄に作品を不細工にしているだけなのよ。新兵衛が三人の刺客に襲われるシーンは、大雪が埃のように降っており、かなり見づらい。
あと、そこに限らず、なんか映像がイマイチ。
木村大作って撮影監督として数多くの大作やヒット作に参加してきた大ベテランだけど、「リアリズムの人」であって「映像美の人」では ないんだよね。だから、様式美が求められるような類の時代劇には向いていないんじゃないか。
ただ、それにしても映像が汚いんだよね。得意分野じゃないから、余計に目立っているのかな。篠が新兵衛に話す台詞によって、彼女の死が近いことは伝わる。ただ、その時点で、彼女が重病を患って体が弱っていることは、そんなに感じられない。
その後、新兵衛に抱き締められた彼女が咳き込むシーンがあるけど、なんか「後付けの言い訳」みたいに見えちゃうのよね。
むしろ死を覚悟した台詞の前に「篠が病気で衰弱している」ってのを明確に表現し、台詞の後はそういうのを無くした方がいいぐらいだ。
あと、「咳き込んだ篠が口を押さえた手を凝視する(つまり血が付いているってことね)」という表現も安っぽいし。それと、「やたらとBGMがうるさいな」と感じてしまうんだよね。
まず新兵衛が刺客を倒したタイミングでBGMが流れて来るが、この時点では全く問題ない。
ただ、篠が新兵衛に頼み事をするシーンで再びBGMが流れた時、「なんか邪魔だなあ」と感じる。そこはBGMを使わなくてもいいかなと。
ちなみに、そこは同じ旋律を使っている。どうやら本作品のテーマ曲のようで、その後も何度も流されている。ただ、そこで同じ旋律が流れることで、余計に「うるさいな」と感じてしまうんだよね。粗筋でも触れた藤吾と十蔵の会話は、観客に対する説明の連続だ。そこに限らず、説明「だけ」を目的とする台詞が次から次へと出て来る。道場を訪れた新兵衛と十五郎の会話シーンなんかもそうだよね。
台詞による説明を全面的に否定するつもりは無いが、「説明のためだけに用意された台詞や会話劇」ってのがモロに分かり過ぎるので、ものすごく不細工になっている。
そこまで台詞に頼るぐらいなら、もっとナレーションを使えばいいんじゃないのか。冒頭からナレーションで説明していたのに、なぜか以降は少ないんだよね。
どちらもスマートな方法とは言えないけど、まだナレーションの方が遥かにマシだわ。新兵衛が暴れ馬に飛び乗って手懐けるシーンがあるが、「これって全く意味が無いよね」と言いたくなる。
スタントマンを使わず岡田准一が自ら担当しているので、彼の運動能力の高さをアピールしたかったんだろう。
ただ、藤吾が幼女を助けて路肩に避難した時点で、ほぼ終了なのよね。その後も馬が幼女を襲いそうな気配なんて、全く無いし。
なので、わざわざ飛び乗って手懐ける必要なんて無いのよ。馬を落ち着かせるにしても、そんなアクロバットな動きは不要なのよ。篠が采女ではなく新兵衛を選んだ理由を藤吾が尋ねると、三右衛門は思い出話を詳しく語る。
ここも説明のための台詞なのだが、十五郎が語った内容と被っている部分もある。
新たな情報もあるから「二度手間」とは言い切れないが、あまりスマートな処理ではない。
ここまでの批評と粗筋を照らし合わせれば何となく気付くかもしれないが、実は作品の前半部分って、かなりの時間を説明が占めているのよね。話の進みが、かなりノロいのだ。新兵衛は冒頭シーンで刺客を撃退するが、怪我を負わせるだけで殺していない。でも「敵を殺さない」というトコに深い理由があるのか、自分なりの信念や美学があるのかと思いきや、そういうことは何も教えてくれない。
やたらと説明の台詞が多いくせに、そこは謎のままだ。そして理由が明かされないせいで、「なぜ殺さないのか」と引っ掛かることになる。
それはひとまず置いておくとして、新兵衛が惣兵衛と別れた直後に刺客と戦う時には、刀さえ使わない。刀を持っているにも関わらずだ。
そこは「岡田准一の格闘アクションを見せたい」という狙いなんだろうけど、「刀を使わない理由が無いだろ。使えよ」と言いたくなるわ。岡田准一が剣客を演じる主演映画なので、彼のアクションをアピールしたいってのは分かる。
だけど、実は作品の肝になっているのって、チャンバラじゃなくて恋愛劇なんだよね。
新兵衛は篠が采女に惚れていたのに自分と結婚したと思い込んでいて、それでも彼女の願いを叶えるために采女の力になろうと考えている。
そんな彼の「切ない無償の愛」や、采女の篠に対する一途な思い、篠の本当の気持ち、そういうモノを描く作品なんだよね。そして恋愛劇ってのは、木村大作監督が苦手とする分野なのだ。
本人は自覚していない可能性が高いけど、『春を背負って』でもハッキリと露呈していた。
「じゃあ彼の得意分野はどこなんだよ」と問われたら、「自然の風景をリアルに映し出す仕事」と即答する。それは撮影監督としての木村大作の特徴だが、監督であっても全く変わらない。
ようするに、あくまでも木村大作はカメラマンであって、映画監督としての手腕に期待しちゃダメなのだ。映画開始から42分ぐらい経過した辺りで、新兵衛が死ぬ間際の篠から「采女を助けてほしい」と頼まれたことが明らかになる。
でも、そこまで引っ張る必要なんか無いでしょ。そして明らかにするタイミングも間違えているとしか思えない。そこで「実は」と種明かしされても、心に響くモノは何も無い。
ただし、そこはタイミングだけの問題じゃなくて、それ以外のトコでもドラマ演出が上手くない。
なので、たぶん早めに明かされたとしても、タイミングを変えたとしても、あまり効果は無かっただろう。1時間ほど経過した辺りで正月が訪れ、久しぶりにナレーションが入る。
でもナレーターの存在なんて完全に忘れていたので、違和感しか無いわ。
そこまでの時間帯でも、ナレーションで説明しても良さそうなタイミングなら幾らでもあったわけで。なのに、そこだけ入れる理由は何なのか。
どういう基準で判断しているのか、サッパリ分からんよ。どうせ忘れた頃にしか使わないのなら、完全に無くしちゃった方が良かっただろうに。玄蕃は新兵衛から起請文を采女に渡したと聞かされ、愕然とする。十蔵たちが新兵衛を取り囲んで斬ろうとすると、「既に底が割れた」と漏らす。
すっかり観念した様子を見せているので、もう「一件落着」って感じなのよね。
新兵衛が篠から託されたミッションは「采女を助ける」「散り椿を見る」という2つだが、後者は季節が過ぎれば遂行できる。
そして前者については、起請文を届け、玄蕃が観念した姿を見せた時点で、もう完了しているような印象なのだ。もちろん、追い込まれた玄蕃が強硬手段に出ることも考えられるが、それについて匂わせるような描写は無い。そして新兵衛も、それを心配している様子が無い。そのままシーンが切り替わり、正月が穏やかに過ぎている。
春になって政家が藩に来た時には林の中から鉄砲を構えている連中が写るので「玄蕃が刺客に政家を狙わせたのか」と思いきや、何もしないのよね。だったら、それは何なのかと。
その後で巻狩に出掛けた政家が狙われるシーンがあるので「そのための準備」ってことかもしれないけど、ただの肩透かしにしか思えんよ。
巻狩の時に狙撃するなら、そこで初めて「林の中に鉄砲隊」ってのを見せればいいんじゃないかと。巻狩に出掛けた政家の一団は発砲を受けるが、他の面々は誰も負傷しない中で三右衛門だけが銃弾を浴びる。
そもそも敵の狙いは政家だけのはずだから、「大勢が犠牲になる」という状況にならないのは分かる。でも、三右衛門だけが死ぬのも「なんだかなあ」と言いたくなる。
それが「狙撃手に気付いて政家の盾になった」ってことなら分かるのよ。でも、そうじゃなくて、気付かない中で撃たれているからね。つまり、単に狙撃手の腕が悪かったってだけなのよ。
そこは「三右衛門が政家を守って命を落とす」という形で良かったんじゃないのか。そういう場面として演出しない意味が分からん。政家が襲撃された責任を問われて采女が蟄居を命じられると、新兵衛は会いに行く。そして篠から「助けになってあげて」と頼まれたことを明かし、「お前の思いは篠を苦しませた。許せん」と刀を抜く。
でも、ここで新兵衛が采女と戦わなきゃいけない理由がサッパリ理解できない。
百歩譲って刀を向けるにしても、そのタイミングじゃないでしょ。「篠を苦しませた」と思っていたのなら、帰郷して采女と会った時に行動しろよ。その時は何もせず、なぜ蟄居してから刀を向けるのか。支離滅裂な行動にしか思えんぞ。
采女の言葉を借りるなら、大馬鹿者でしかないのよ。作劇としても、全く盛り上がらないし。
その後には玄蕃の一味との最終決戦があるけど、「急に雷が鳴って大雨が降り出す」という、もはやギャグにしかならないようなクラシカルな演出に苦笑させられるし。(観賞日:2021年2月6日)