『珍遊記』:2016、日本

漫成二年、食の国。じじいとばばあは僧侶の玄奘に、息子である山田太郎の悪行を相談する。2人は玄奘に、太郎が本当の息子ではないことを打ち明けた。16年前、ばばあは急に子供が欲しくなり、欲情したじじいと野外セックスを始めようとする。その時、近くに妻が稲妻が落ち、そこには赤ん坊がいた。思いが天に通じたのだと感じた2人は、赤ん坊を育てることにした。しかし成長した太郎は凶暴化し、妙な力を使うようになった。さらに彼は盗んだ金で豪邸を建てたが、じじいとばばあにはボロ家しか与えなかった。
玄奘は「更生させましょう」と言い、太郎の妖力を法力で押さえると告げる。じじいとばばあは相手が鬼退治で有名な玄奘だと知り、期待できると喜ぶ。そこへ太郎が帰宅すると、玄奘は仏の力を高めるための時間稼ぎをじじいとばばあに指示した。準備を整えた玄奘は太郎の前に姿を現し、法力を使う。しかし全く相手にダメージを与えられない法力ばかりで、逆に太郎の放屁を浴びてしまう。玄奘は「超高速回転石(ローリングストーンズ)」で攻撃し、石を巨大化させて太郎を押し潰した。
太郎が石を崩壊させようとしたため、玄奘は「特殊妖気吸収石(スペシャルパンパース)」を使った。すると太郎は全裸の青年の姿に変化するが、凶暴な性格は治っていなかった。そこで玄奘は、呪文を唱えると締め付ける金の輪を太郎の頭に装着させた。玄奘は責任を持って太郎を預かり、天竺を連れて行くことにした。2人が町に到着すると、自警団を自称するたけし、きよし、やすしという悪ガキ3人組に遭遇する。3人は全裸の太郎が町に入ることを拒否したため、玄奘は服を探しに行く。
たけしは憤慨する太郎を挑発し、きよしは彼の父が伝説の武闘家である中村泰造だと告げる。しかし太郎は泰造を全く知らず、たけしたちを倒して服を奪い取った。太郎と玄奘が町に入ると、龍翔というイケメンの男が「懐から微笑みを」と呼び掛けていた。彼の容姿に惚れた大勢の女たちは、喜んで所持金を差し出していた。太郎と玄奘は通り掛かったアキバという男から、龍翔が微笑み教という宗教の人間であること数万を超える信者がいることを聞かされる。
アキバが龍翔は不思議な力で怪我や病気を治すのだと説明すると、太郎は信じないが、玄奘は相当な徳を積んだのだろうと話した。しかし微笑み教は悪徳団体で、寄付金と称して人々から金を騙し取っていた。町の寄付金が減っていることを知った龍翔は、側近である奈落、張明、雲海、恵蘭の前で不満を漏らす。もう切り捨てようと考える彼に、奈落は利用価値が残っていることを話す。龍翔は太郎に恨みを抱いて復讐心を燃やしており、側近たちに捜索させていた。
太郎と玄奘は「珍々亭」に立ち寄り、美味しいラーメンを満喫する。しかし味はいいのに店に客はおらず、2人は珍々の体臭が原因だと気付く。玄奘は法力を使い、彼の体臭を消した。それがきっかけで玄奘は町の人々の相談を受け、問題を解決していく。太郎は町人から金を盗んで酒場へ出掛け、自分が指名手配されていることを知る。太郎は店主のまり男から、大勢のならず者が懸賞金目当てで集まっていることを聞かされる。太郎がいちごミルクを注文すると、ゴロツキたちがバカにして笑う。
太郎は自分の素性を明かして「掛かってきやがれ」と得意げに言うが、姿が違うので信じてもらえない。大魔道師のモリシーゲは「ワシの目は誤魔化せんぞ」と言い、「太郎の本名はタケーシだ」と告げる。だが、太郎の服に「たろう」と書いてあるので、それを読んだだけだった。占い師は「奴は本物の山田太郎だ」と言うが、まだゴロツキたちは信じない。見た目が違うことを指摘されると、太郎は「妖力を吸い取られたの。マジで山田太郎なの」と訴える。ゴロツキたちが一斉に襲い掛かると、太郎は圧倒的なパワーで全滅させた。
龍翔は奈落から、玄奘が人々の心を掴んでいることを知らされる。奈落と側近たちは珍々亭へ乗り込み、玄奘が妖怪の類だと主張して始末しようと目論む。しかし龍翔は玄奘に一目惚れし、奈落たちを店から追い払った。龍翔は玄奘の心を掴むため、「お手伝いしたい」と言う。その夜、龍翔は玄奘との恋愛を妄想し、一人二役の芝居に入り込んだ。そこへ奈落が現れ、太郎が町にいること、外見が変化していることを報告した。
次の日、暇を持て余した太郎が珍々亭を出ると、こづれ紳士が声を掛けて来た。彼は手紙を渡せと言われたことを話し、龍翔の決闘状を渡した。太郎が指定された町外れの洞窟へ行くと、そこにいたのは龍翔ではなく酔っ払いオヤジの中村泰造だった。太郎は決闘状の差出人だと誤解し、泰造と戦い始めた。洞窟に到着した龍翔は、2人の戦いを見物する羽目になった。しばらく戦って泰造が去り、ようやく龍翔は太郎に声を掛けた。しかし太郎が全く覚えていなかったため、龍翔は付け鼻を外した。
龍翔は豚鼻を見せ、太朗への憎しみを口にした。五、六年前のことだ。龍翔は同級生の房子に勇気を出して告白し、「私も貴方のことが好き」と言われて喜んだ。その帰り道、彼は太郎と遭遇し、放屁攻撃を顔面に浴びて鼻がひん曲がった。房子に拒絶された彼は、太郎への復讐を誓ったのだ。話を聞いた太郎が笑い転げるのを見た龍翔は、法力で復讐を果たそうとする。しかし太郎は一撃で龍翔を失神させ、その場を去った。
龍翔は深手を負って側近たちの元へ戻り、玄奘に会いたいと告げる。出撃を求める側近たちを残し、龍翔は玄奘の元へ赴いて告白する。しかし玄奘は「ごめんなさい」と言い、「女を捨てて修行に専念し、太郎を更生させて天竺を連れて行く使命がある」と説明する。彼女が太郎と共に旅をしていることを聞かされた龍翔は、ショックを受けた。ますます太郎への憎しみを募らせた龍翔は、外人部隊のハリス&エライアス&ボブを呼び寄せた…。

監督は山口雄大、原作は漫☆画太郎『珍遊記〜太郎とゆかいな仲間たち〜』(集英社刊)、脚本は おおかわら&松原秀、製作は椎木隆太&村田嘉邦&遠藤茂行&木下直哉&間宮登良松&細野義朗、企画・総合プロデューサーは紙谷零、プロデューサーは小林宏至&紀伊宗之&小助川典子&津田智、制作プロデューサーは井上浩正&金林剛&田中尚美、撮影は福本淳、照明は市川徳充、録音は西條博介、美術は福田宣、装飾は野村哲也、特殊メイク・造形デザインは百武朋、アクション監督は園村健介、VFXスーパーバイザーは鹿角剛、編集は山口雄大、音楽は森野宣彦、オープニング曲(主題歌)『Take It Easy』はRIP SLYME、エンディング曲『Drop!』はRIP SLYME、バトルソング『アバラ・ボブ<アバラ・カプセル・マーケッボブ>』はマキシマム ザ ホルモン、バトルソング2『ジョニー鉄パイプIII』はマキシマム ザ ホルモン。
出演は松山ケンイチ、倉科カナ、溝端淳平、田山涼成、笹野高史、温水洋一、ピエール瀧、板尾創路、松尾諭、今野浩喜、藤本泉、おおかわら(鬼ヶ島)、山本真由美、金子彩奈、アイアム野田(鬼ヶ島)、篠田涼也、溝口怜冴、桑江咲菜、矢部太郎、山野海、ジジ・ぶぅ、仁科貴、菅登未男、玉野るな、西明彦、曽雌康晴、椿かおり、宇那、五頭岳大、レン杉山、野田紘未、佐々木仁、播田美保、島崎裕気、犬づかまさお、Choi Yun-ji、エリック・ファーマン、ロバート・ボールドウィン、リッキー他。
ナレーションはFROGMAN。


1990年から1992年まで『週刊少年ジャンプ』で連載されていた漫画『珍遊記〜太郎とゆかいな仲間たち〜』を基にした作品。
監督は『地獄甲子園』『魁!!クロマティ高校 THE★MOVIE』の山口雄大。
脚本はお笑いトリオ「鬼ヶ島」のおおかわらと放送作家の松原秀による共同。
太郎を松山ケンイチ、玄奘を倉科カナ、龍翔を溝端淳平、じじいを田山涼成、ばばあを笹野高史、泰造を温水洋一、変身前の太郎をピエール瀧 、こづれ紳士を板尾創路、珍々を松尾諭、アキバを今野浩喜、奈落を藤本泉、張明をおおかわら(鬼ヶ島)、雲海を山本真由美、恵蘭を金子彩奈が演じている。ナレーションをFROGMANが担当している。

冒頭から早速、お下劣なネタが用意されている。
じじい&ばばあと玄奘の会話では、「チンコ、ですか」「奴のチンコが一瞬にして数百の軍勢を薙ぎ倒し、死体の山を築いたのです」「なんて恐ろしいチンコ」「チンコだけじゃねえ。屁じゃよ。奴の屁を一浴びすれば、三日間は飯が喉を通らねえ。恐ろしいことは、それに耐えうるケツの穴の強さじゃな」「ケツの穴、ですか」「チンコと、ケツの穴」といった下ネタが飛び交う。
原作を知らない人でも、その時点で「そういうノリの映画です」ってことが分かるようになっている。
だから、そこで拒絶反応が出た人は、それ以上の観賞など全くの無意味だ。
絶対に楽しめないことは確定的だからね。

玄奘は自身の法力を疑うじじいとばばあに、ブラのホックを外す法力を披露する。
ここでは、ばばあだけじゃなくじじいもブラを付けていたことが判明するが、まるで笑えない。
それはテンポと映像的な処理の問題だ。饅頭の味を美味しくする法力も、邪魔なだけで全く笑えない。
ここを改善するには、例えばスカしたテイストにしてみるとか、間を取ることで笑いを誘発するといった方法が考えられるが、同じ調子で雑に描いている。

玄奘が太郎と対峙して話そうとしていると、後ろからじじいとばばあが口々に喋る。
ここで「うるさい、私にも喋らせろ」と玄奘が2人に言うのは、ボケに対するツッコミみたいなモンだけど、やはり全く笑えない。
そこは笑いの作り方としてベタベタだが、だから笑えないということではない。テンポが悪いから、ノリが生まれていないのだ。
それ以降も、登場人物の掛け合いにしろ、下ネタにしろ、とにかく全てが「まるで笑えない」という状態になっている。

ただし難しいのは、それを笑える状態に改善しようとした場合、原作から大幅に逸脱せざるを得ないってことだ。
もちろんテンポや間の取り方といった問題もあるのだが、それだけではない。根本的な部分から色々と変えないと、「普通に笑えるコメディー映画」にすることは不可能だ。
しかし、それをやっちゃうと、もはや『珍遊記』である意味が無い。
『珍遊記』である以上、まるで笑えないのは仕方が無い。
だって、そういう作品なんだから。

この作品は誰が見ても間違いなく、正真正銘のクソ映画だ。ただし、それは当然のことだ。
なぜなら、そもそも原作がクソ漫画だからだ。
つまり、これがクソ映画に仕上がることは、もはや企画が立ち上がった段階から決まっていたと言っても過言ではない。
しかも監督には、同じ原作者の『地獄甲子園』を撮った山口雄大が起用されている。
これは「彼に任せておけば、原作の世界観や内容を忠実に映像化してくれるだろう」という期待を込めての招聘だろう。

これは「原作を台無しにしてしまったクソ映画」ではなくて、「原作をリスペクトし、出来る限り忠実に映像化しようとしたクソ映画」である。
なので本作品に関しては、「クソ映画」ってのは批判的なコメントとは言えない。
「クソ漫画を実写化したらクソ映画になった」ってのは、ある意味では「見事な映画化」ってことになるからだ。
ぶっちゃけ、この映画で「クソだな」と感じる部分の大半は、原作漫画にもあるクソっぷりだ。

ストーリーが破綻しているのも、遅々として先へ進まないのも、原作と全く同じだ。
どんどん話が脱線して寄り道だらけになっていくのも、っていうか最初から本筋がフラフラした状態になっているのも、原作と全く同じだ。
「天竺を目指す」という明確な目的を提示して物語がスタートしたにも関わらず、そこから遥か遠くにある町だけで話は終わってしまうが、決して上映時間が足りなかったわけではない。
原作の方でも、天竺へ向かう目的なんて完全に忘れ去ったまま連載は終了した。

細かい部分に違いはあるが、全体としては漫画の内容を再現している。
むしろ龍翔という映画オリジナルのキャラクターを用意することで、漫画よりも「ストーリーテリングをしよう」とか「話にまとまりを持たせよう」という意識を感じる仕上がりになっている。でも本作品
の場合、それが良い改変なのかどうかと考えた時に、難しいトコロではある。
もちろん真っ当な映画なら正しい判断だが、これは真っ当ではない映画なのだ。

とにかく原作へのリスペクトは強く感じるし、原作の熱烈なファンが「原作を冒涜している」と激怒するようなことは無いはずだ。
ただし、「だから本作品は素晴らしいのだ」なんてことは、絶対に無い。
原作を忠実に映像化していようと、クソはクソなのだ。
「綺麗な花を咲かせようとしたのにクソが出来上がった」ってのと、「最初からクソを作ろうとしてクソが完成した」ってのは、そのプロセスや志こそ大きく異なるが、結果としては同じことだ。

こんなクソ映画には似つかわしくないようなキャストが、クソみたいな役を演じている。
松山ケンイチは全裸で登場する太郎を演じ、ぶっ壊れた芝居を披露する。
倉科カナはしょっぱなから「チンコ」と言わされ、それ以降も下ネタのオンパレードとなっている。
溝端淳平は豚鼻のカッコ悪い悪役で、田山涼成と笹野高史はすぐに青姦したがるジジババ役だ。
温水洋一は酔拳の使い手なので、それらの面々に比べるとイケてるキャラクターと言えなくも無いが、そもそもクソ映画だからね。

松山ケンイチや倉科カナ、溝端淳平や田山涼成、笹野高史、温水洋一といった面々は、仕事を選べないようなレベルの面々ではない。その 気になれば、こんな仕事は簡単に断れたはずだ。
しかし彼らはオファーを快諾し、クソみたいな役を楽しそうに演じている。
こんなクソ映画に出演しても、絶対に映画賞なんて貰えないし、役者としての評価も高まらない。俳優にとっては、何のメリットも無い。
真っ当に考えれば、こんな映画に出演するのは明らかに間違った判断だ。
だけど、こんなクソ映画に出ちゃうセンス、嫌いじゃないぜ。

(観賞日:2017年5月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会