『小さき勇者たち 〜ガメラ〜』:2006、日本

1973年、三重県志摩において、大怪獣ガメラは怪獣ギャオスの群れと戦った。人間たちが固唾を呑んで見守る中、ガメラは自らの体を爆破し 、ギャオスを道連れにした。人々は、「ガメラが人間を守るために自爆した」と口にした。そんな人々の中に、相沢孝介という少年がいた。 現在、大人になった彼は、11歳の息子・透と2人で暮らしている。1年前に妻・美由紀を交通事故で亡くして以来、孝介は経営する食堂を 休んでいた。透は孝介と共に母の墓参を終えて帰宅する途中、緋島で赤く点滅する光を目にした。
孝介が食堂を再開すると、常連客が次々に訪れた。隣で真珠店を経営する幼馴染みの西尾治も、嬉しそうに食事をする。食堂のテレビでは、 1973年に発足した巨大生物審議委員会の存在意義が失われ、解散が決まったニュースが報じられている。続いて、海難事故のニュースが 報じられる。沖縄周辺では、7月に入って5件も立て続けに海難事故が発生している。
透は親友の石田勝と彼の弟・克也の前では明るく振舞っているが、美由紀を失った寂しさから立ち直れず、幻影を見たりする。彼にとって 、母を失って初めての夏休みだ。また赤く点滅する光を目にした透は、緋島へ向かう。すると、赤く光る石の上には卵があった。透が卵を 手に取ると割れ目が生じ、カメの赤ん坊が誕生した。透は、そのカメを家に連れて帰る。
孝介が真珠店を訪れると、治が店で最後の1つとなった緋色真珠を手にしていた。緋色真珠は、ガメラとギャオスが戦った1973年だけ志摩 で採取された貴重な宝石だ。治は、最後の1つを加工して、14歳の娘・麻衣にお守りとして手渡すつもりだと語る。麻衣は心臓の病を 患っており、もうすぐ手術を受けることになっているのだ。
透はカメにトトと名付け、飼い始める。トトというのは、美由紀が透を呼ぶ時に使っていた愛称だ。孝介はペットを禁じているため、透は 内緒でトトの世話をする。いつの間にか眠り込んだ透が翌朝になって目を覚ますと、トトは一回り以上大きくなっていた。さらにトトは、 透の目の前で空中に浮かんだ。その様子を、向かいの部屋から麻衣も目撃して驚いた。
透はトトを海に戻そうとするが、立ち去ると付いて来る。トトが車にひかれそうになったため、透は救出して家に連れ帰る。彼は石田兄弟 を家に招き、トトが空に浮かぶ姿を見せた。同じ頃、海難事故で漂流していた第9海洋丸の船員は、何かによって海中に引きずり込まれた。 一方、東京の霞ヶ関では、巨大生物審議委員会参事・一ツ木義光の元に、名古屋理科大学応用生物学科教授・雨宮宗一郎のレポートが届く。 それは海難事故と巨大生物出現の可能性に関するレポートだったが、一ツ木は無視を決め込んだ。
麻衣は透にガメラの記事を見せ、トトがガメラではないかという不安を口にする。「絶対に無い」と言った透だが、翌朝になるとトトは 彼と同じほどの大きさに成長していた。透は麻衣と石田兄弟の協力を得て、トトを海辺の隠れ家に移す。麻衣が入院することを知った透は 、トトの卵の下にあった赤い石をお守りとして渡した。翌日、麻衣は名古屋中央総合病院に入院した。
大雨の日、トトが隠れ家から姿を消した。透は石田兄弟と共に探し回るが、見つからない。その時、避難警報が鳴り響いた。怪獣が志摩に 出現したのだ。透達は孝介と合流し、迫り来る怪獣から逃げようとする。そこへ8メートルの大きさに成長したトトが現われ、怪獣に戦い を挑む。一ツ木は雨宮への連絡を秘書に指示し、志摩へと向かう。
志摩大橋で怪獣と戦うトトを見た透は、駆け寄ろうとして孝介に制止される。トトが火炎球を吐き出すと、怪獣は橋から転落して水中へと 姿を消す。おとなしくなったトトを自衛隊が包囲し、名古屋の研究所に移送する。政府の指示により、透達は小学校の体育館に避難する。 透は孝介に「父さんもトトを昔見たガメラだと思うの?」と尋ね、逆にトトとの関係を説明するよう求められる。
政府は怪獣をジーダスと名付け、巨大生物審議委員会を再結成した。雨宮は一ツ木に、緋色真珠から抽出したガメラのエネルギー成分を 見せる。政府はジーダスが再び来襲すると確信しており、対抗手段はガメラしかないと考えていた。しかし8メートルではジーダスに 比べて小さいため、雨宮はエネルギー成分を注入して巨大化させようと考えたのだ。
透は孝介から「大きくなったトトは、お前の知っているトトじゃなくてガメラなんだ」と言われるが、納得できない。そこへ麻衣の母・ 晴美から電話があり、手術が成功したことが伝えられた。さらに晴美は、半ば眠っている麻衣が「トトに……赤いお守り……」と口にして いることを告げる。トトに赤い石が必要だと考えた透は、石田兄弟と共に名古屋中央総合病院へ行くことにした。透の書き置きを見た孝介 は、車で後を追う。
透達が病院を目指す中、名古屋にジーダスが出現する。ジーダスは研究所を破壊し、さらに暴れ回る。倒壊した研究所の中から、巨大化 したトトが立ち上がる。トトはジーダスの前に現れ、戦いが繰り広げられる。透と石田兄弟は病院へ行くが、麻衣は別の場所に移された後 だった。だが、麻衣の意思を感じた少女が赤い石を受け取り、トトの元へと走り出す。さらに少女から別の少年へ赤い石は手渡され、 次々にリレーされていく…。

監督は田崎竜太、脚本は龍居由佳里、製作は黒井和男、企画は佐藤直樹、プロデューサーは有重陽一&椋樹弘尚、撮影は鈴木一博、編集は 平澤政吾、録音は矢野正人、照明は上妻敏厚、美術は林田裕至、特撮演出は金子功、視覚効果は松本肇、怪獣造型は原口智生、 アクションコーディネーターは阿部光男、音楽は上野洋子、音楽プロデューサーは和田亨、主題歌『Eternal Love』はmink。
出演は富岡涼、夏帆、津田寛治、寺島進、奥貫薫、石川眞吾、成田翔吾、石丸謙二郎、田口トモロヲ、渡辺哲、正名僕蔵、小林恵、 南方英二(チャンバラトリオ)、諏訪太朗、江口のりこ、弓削智久、安部まみこ(中京テレビ)、今奈良孝行、佐々木俊宣、吉田瑞穂ら。


ガメラ40周年作品。1999年の“平成ガメラ”シリーズ第3作『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』以来、7年ぶりのガメラ復活である。
透を富岡涼、麻衣を夏帆、孝介を津田寛治、治を寺島進、晴美を奥貫薫、勝を石川眞吾、克也を成田翔吾、雨宮を石丸謙二郎、一ツ木を 田口トモロヲが演じている。
監督は、平成仮面ライダーシリーズやスーパー戦隊シリーズなどを手掛けてきた田崎竜太。

“平成ガメラ”シリーズ三部作は完全に「マニアな大人達の映画」と化していたが、今回はジュブナイル映画、ファミリー映画としての 方向性を打ち出している。
「そもそも昔のガメラが子供たちの味方だったことを考えれば、ジュブナイルとして企画されたことは原点回帰だ」と言いたいところだが 、実は初期のガメラシリーズだって、初めからガメラは「人間の味方、子供たちの仲間」だったわけじゃないのよね。
1作目は明らかに「人間の敵」だったし、明確に「人間の味方」として戦うようになったのって、4作目の『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』 からじゃないかな。
ただし、「だからジュブナイル作品、ファミリー映画として作ることは間違いだ」と主張したいわけではない。
だが、この映画にはジュブナイルとしての徹底が無い。
最初に孝介の回想で入るところからして、大人の視点から話を始めていることになる。
回想から開始しなければ、昔のガメラとリンクさせることが難しいという事情はあるだろう。
だけどね、それだったら、そもそも昔のガメラとリンクさせる必要なんて無いんだよ。

その後、現在のシーンに移ると、透がモノローグを語る。
つまり、そこからは「透の視点」で物語を進めようとする意識があるわけだ。
そうなると、ますます冒頭の孝介の回想が邪魔に思えてしまう。
その後も大人に気を配ったりしてるけど、中途半端に思えてしまう。最初から「透の物語」として始めて、そこを徹底すればいいじゃん。
ただし、何度か挿入される透のモノローグは邪魔だけどね。演技力に問題はあるだろうけど、モノローグに頼るのは得策とは思えない。

あと、これって大まかな筋書きは『E.T.』だよな。
いや、『E.T.』劣化版だからと言って、それが悪いとは言わない。
でもさ、『E.T.』だったら、対決する悪役怪獣は要らないでしょ。
つまりジーダスは要らないでしょ。
「本当は心優しき生物なのに、見た目の恐ろしさゆえに政府や軍に攻撃されてしまう怪獣を、友達になった子供たちが助ける」ということでいいでしょ。

ちょっと話は戻るけど、冒頭に1973年の様子を描写し、「ガメラが人間を守るために自爆した」と野次馬に言わせている。
でも、それって人間の勝手な思い込みかもしれないじゃん。
生物の本能として、このままじゃ殺されてしまうから身を守る術として自爆したのかもしれないじゃん。
あの短いシーンだけでは、「ガメラが人間を守るために自爆した」という証拠は無いぞ。

主な舞台は三重県志摩だが、主要人物は全て標準語を話している。
方言の芝居を付けること放棄した手抜きと解釈することも出来るが、どうせ芝居の稚拙な子供たちに方言まで要求したら大変なことになって いただろうから、それはそれで受け入れておこう。
ただし、名も無きエキストラの子供が方言を喋るシーンがあるので、逆に違和感を覚えてしまう。
中途半端に方言を入れるぐらいなら、地域性を完全に無視して標準語で統一しなさいよ。

2度目に緋島の光の点滅を見た時、透はそこへ向かうんだが、なぜ1度目に行かなかったのかと。2度目との違いは何も無いのに。
あと、トトが初めて空に浮くシーンは、もっと魅力的に、グラマラスに描写すべきじゃないのか。
ギャグの中で、何となくスルスルッと処理されている感があるぞ。
もっと「ファースト・インパクト」をアピールすべきだろう。

空に浮くトトの姿を見た後、透が「ヤバすぎる」と考えてトトを海に捨てようとする行動が理解できない。
そこは、むしろ喜んで自慢したがる方が自然じゃないかな。
「カメが空を飛ぶのはヤバい」と考えるのは、変に大人っぽい物分かりの良さが匂う。
で、そうかと思えば、車にひかれそうになったトトを助けた後は、簡単に石田兄弟にトトのことを話して自慢している。
どないやねん。
だったら、トトを捨てようとしたシーンは何だったんだよ。

「巨大なカメの怪獣」であるガメラに説得力を持たせるためか、この映画では「トトが大きく成長してガメラになる」という筋書きを用意 している。
その一方、ジーダスはぞんざいな扱いとなっている。
どこから出現したのか、どういう原因で誕生したのか、目的は何なのかなど、ジーダスに関する情報は全く与えてくれない。
「良く分からないけど人間の敵」という大雑把な扱いだ。
それどころか、登場までの前兆・助走も充分とは言えず、『E.T.』の筋書きに、いきなり現われた場違いな邪魔者にさえ思える。

透は避難所で孝介に対して「父さんもトトを昔見たガメラだと思うの?」と尋ね、「もう大きくなったトトはガメラだ」という言葉を 返される。
でも、そこでトトと昔のガメラを同一に扱うのは、無理があるぞ。
だって、トトが卵から誕生し、短期間で巨大化する様子を見せてきたじゃん。
でも、昔のガメラは、そうじゃないわけで。
だから、まるで別の存在なのよ。
そう、「ガメラ」と銘打った映画でありながら、登場するのは今まで登場したガメラとは全く別の存在なのだ。
そりゃどうなのよ。それは、ガメラという観客動因の期待できる素材をエサにして、都合良く利用しただけの詐欺まがいの行為にさえ 感じられる。
まあ結果的には予算20億円を掛けて興行収入が4億にも届かないと言われているぐらい見事にコケたわけだから、ガメラの訴求力も作品のお粗末さには 敵わなかったということになるんだが。

っていうか、子供向けに作るのなら、ガメラじゃなくていいんじゃないの。
もはやガメラって子供に対する訴求力は無いんじゃないの。今の子供たちはガメラなんて知らないでしょ。
ガメラというキャラを使う以上、それは必然的に「かつての子供たち」、すなわち大人向けの映画になっちゃってんのよ。
ガメラというキャラは、「子供を連れて来る保護者に向けての訴求力」はあるかもしれんけど、肝心の子供たちが「空飛ぶデカいカメ」を見て、どれだけ食い付いてくれるかなあ。

劇中では「人間のためにトトが戦ってくれるのだから、その間に避難すべきだ」という孝介の主張と、「トトが苦しんでいるのだから、 自分たちが助けてあげるべきだ」という透の主張が対立する。
もちろんジュブナイル企画だから透の主張を選択して物語は進行するのだが、怪獣が戦っているところへ無防備に突っ込んでいく姿を見ると、諸手を挙げて賛同する気にはなれんな。
透は「トトは子供なのに(というのも勝手な思い込みで、実は数日で大人になっているのかもしれないが)1人で戦っている」と言い、 「だから俺も逃げない」と孝介に主張する。
だが、逃げずに留まっていたからといって、何が出来るわけでもない(その時点では赤い石も持っていない)。
力も策も無い者が勇気を訴えても、単なる無謀な愚か者に過ぎない。

麻衣の「トトに赤いお守り」というメッセージを聞いた透は、トトを助けるためには赤い石が必要なのだと確信する。
「トトに」という麻衣の言葉を聞いた見知らぬ少女は、石を受け取ってトトの元へ向かう。
その後も、「トトに」という言葉や、あるいは何も言わなくても、子供たちはトトに赤い石を届けることを理解し、リレーする。
映画を見ているだけではサッパリ分からないのだが、どうやら後半に入ると、子供たちはニュータイプとして覚醒したようだ。

そもそも、病気でフラフラの麻衣や、見知らぬ少年少女たちは、命懸けで助けようとするほどトトと親密な関係になっていなかったはずだが、 子供は動物愛護の精神に満ち溢れているということなのだろうか。
せめて見知らぬ子供たちじゃなくて、前半から透の同級生として登場させて、そいつらにバトンリレーや人間の盾をさせた方が良かったんじゃないかと思ったりするが。
というか、赤いお守りのバトンリレーを始めるというのは、子供たちを怪獣が戦ってい危険な最前線へ向かわせるということであり、 それは応援していいものかどうか微妙だな。
「ガメラを助けるために子供たちが行動する」ということなら、他に描く方法は色々とあっただろう。
例えば、敵を倒すアイテムや兵器がどこかにあって、それを動かすために行動するとか。

この映画が抱える問題は、ガメラ映画であることが最大の障害になっているということだろう。
ガメラに固執せずにオリジナルの怪獣なり未知の生物なりを主人公にした映画であれば、もう少し何とかなったかもしれない。
角川としては、『戦国自衛隊1549』や『妖怪大戦争』がヒットしたので、勢いに乗ってガメラのリメイク企画に突入したのかもしれない。
ただ、その2作品も興行収入はともかく、内容はクソだったしなあ。

 

*ポンコツ映画愛護協会