『CHECKERS in TAN TAN たぬき』:1985、日本

ある夜、カメラマンの冬木洋介は恋人でラジオDJの岸田由美を助手席に乗せ、車を走らせていた。東京で働く冬木は同じような仕事に飽きてしまい、何か掴めるかもしれないと思って田舎へ来ていた。山道を走っていた冬木はドライブインを見つけ、車を停めた。店内に入るとステージでは7人組バンドが海外のオールディーズ・ヒットを演奏し、若者たちが踊っていた。イカした店だと感じた冬木だが、しばらくすると疑問を抱く。車は一台も停まっていなかったので、どうやって若者たちが店に来たのか謎だったのだ。
由美に「楽しみましょうよ」と言われた冬木が乾杯した直後、店内に警報ブザーが鳴り響いた。すると客もバンドの面々も、慌てて外へ逃げ出した。猛犬を連れた外国人集団が捜索する中、月の光に照らされた逃亡者たちはタヌキの姿に変身した。その多くが捕まって檻に入れられ、ヘリコプターで移送された。バンドのメンバーであるフミヤ、トオル、モク、ユーチャン、マサハル、クロベエ、ナオユキは逃げ延びて合流し、東京へ行ってバンドをやろうと決める。貨物列車に乗り込んだ彼らは、タヌキだとバレたら終わりなので人間として暮らそうと誓い合った。彼らの他にも、ポンという妹分のタヌキが逃げ延びていた。冬木は彼女を見つけると、タヌキだと知らないまま写真を撮って声を掛けた。
上京したフミヤたちは人気グループ「チェッカーズ」となり、歌番組に出演するなど多忙な日々を過ごす。テレビ局を出れば大勢のファンが待ち受けており、彼らもマネージャーの芝山はじめも逃げ出した。歌番組のプロデューサーを務める矢尾勘平は、チェッカーズの存在を快く思っていなかった。かつてオカルト番組で名を馳せた彼はヤラセだと批判されるようになり、歌番組の担当へ異動させられた。そのため、彼はチェッカーズの演奏を収録することを「落ちぶれた」と感じていた。
ファンを撒いたチェッカーズは、生活拠点であるアパートに戻った。同じ頃、ハワイの豪邸では1匹のタヌキが檻に入れられ、研究対象となっていた。外国人の男たちは動物が持つ超能力について研究を続けていたが、これまでは成功しなかった。しかし日本でタヌキを見つけ、可能性を感じていたのだ。「人類の平和な未来のために」と組織の部長は訴えるが、タヌキは英語が分からないので反応しなかった。通訳担当の男は、タヌキに英語を教えるよう指示された。
冬木に連れられて上京したポンは、彼のマンションで暮らしていた。ポンは「今度の日曜日、休み貰ってもいいですか」と言い、冬木は「もちろん」と快諾した。冬木はポンが誰かを捜していることは知っていたが、詳細は聞かされていなかった。チェッカーズはアパートの屋上へ行き、月光浴を楽しんだ。都会では月の光を浴びる機会が少ないので、彼らは定期的に月光浴しているのだ。組織の技師であるスティーブンは部長を呼び、一瞬だけ極東で大きな反応があったことを報告した。
チェッカーズは新作映画『CHECKERS IN 七つの子』の製作発表に出席し、集まった記者の取材を受ける。デビュー前の経歴が謎に包まれていることに関して質問されると、フミヤは「今日は全部話します」と告げた。しかしチェッカーズが話した内容は、事実と大きく異なっていた。食堂で食事をしていた彼らは、女性演歌歌手と一緒に現れた芝山を見て声を掛けた。芝山をマネージャーに起用したチェッカーズは、客が1組の老夫婦しかいない場末のキャバレーで活動を開始したのだった。
映画の撮影に入ったチェッカーズは待ち受けていたファンに見つかり、慌てて逃げ出した。彼らは超能力を使って時代劇の役者たちと衣装を取り替え、ファンを騙した。時代劇役者たちが取材を受けるテレビ番組を見たフミヤは、今度は超能力を出来る限り使わないようにしようと仲間たちに告げる。しかしナオユキは歌番組のスタジオに入った時、不用意にサックスを超能力で手元まで移動させる。その様子を目撃した矢尾は慌ててスタジオへ行き、「超能力あるね?」と問い掛ける。ナオユキは「何も無いです」と告げて立ち去るが、矢尾は床に落ちていた動物の毛を拾い上げた。
冬木はポンを車の助手席に乗せ、来週にハワイの仕事が決まったことを告げる。由美の担当する番組が始まるのでカーラジオを付けた彼は、チェッカーズがゲストだとポンに告げる。しかしポンはテレビを見ないので、チェッカーズを知らなかった。由美が番組を進行する中、フミヤは質問に答えず泣き出してしまう。するとラジオを聞いていたポンも、やはり涙を流していた。組織の連中は、タヌキが東京にいることを探知した。
矢尾は研究所に拾った毛を鑑定してもらい、それがタヌキの物だと知った。彼は記者を集めて「チェッカーズの正体はタヌキだ」と発表するが、まるで相手にされなかった。スティーブンは分析を続け、タヌキは檻に入っていると超能力が使えないことを突き止めた。矢尾はチェッカーズの映像を確認し、ナオユキに尻尾が生える瞬間を見つけた。フミヤは久々の休日で仲間が外出する中、1人だけアパートで眠っていた。目を覚ました彼が屋上へ行くと檻が設置されており、フミヤは捕まってヘリコプターで連れ去られた。
フミヤの失踪を知った仲間と芝山は、コンサートが2週間後に迫っていることもあって焦りの色を隠せなかった。一方、ポンは冬木と共にハワイへ行き、水着モデルの仕事をしていた。しかしフミヤの「助けて」という声が聞こえたので捜しに行き、組織に捕まってしまった。フミヤとポンは別々の檻に入れられ、違う部屋で閉じ込められた。フミヤとポンはテレパシーで会話し、超能力を使ってチェッカーズに電話を掛けた。トオルたちはフミヤとポンを救出するため、ハワイへ乗り込んだ…。

脚本・監督は川島透、製作指揮は鹿内春雄、製作は日枝久、プロデューサーは岡田裕&角谷優、クリエイティブ ディレクションは秋山道男、製作補は中川好久&酒井彰、撮影は前田米造、照明は矢部一男、録音は小野寺修、美術は中澤克巳、編集は冨田功、音楽監督は芹澤廣明。
主題歌『あの娘とスキャンダル』作詞:売野雅勇、作曲・編曲:芹澤廣明。
出演はチェッカーズ(藤井郁弥(現・藤井フミヤ)、武内享、高杢禎彦、大土井裕二、鶴久政治、徳永善也、藤井尚之)、ジョニー大倉、宮崎美子、遠藤由美子(森下由実子)、尾藤イサオ、有島一郎、財津一郎、柴田恭兵、浦辺粂子、大泉滉、楠トシエ、仲谷昇、鈴木やすし(現・鈴木ヤスシ)、戸川純、伊藤克信、小松政夫、ジョン・バン・デレーレン、ダニー・ゴールドマン、ハニー・サマーズ、笹野高史、ティオ・ユルス、沼田爆、桂米助(現・ヨネスケ)、古今亭朝次、千うらら、伊藤公子、木田三千雄、綾田俊樹、西本毅、中沢青六、山根銀二、井ノ上隆志、橋本多佳夫、山崎直樹、高山広士、瀬木一将、戒谷広、岸博之ら。


チェッカーズが初主演を務めた映画。大林宣彦監督の『さびしんぼう』と同時上映された。
脚本&監督は『チ・ン・ピ・ラ』の川島透。
冬木をジョニー大倉、由美を宮崎美子、ポンを遠藤由美子(森下由実子)、芝山を尾藤イサオ、老師タヌキを有島一郎、矢尾を財津一郎が演じている。
他に、ガソリンスタンドの係員役で柴田恭兵、テレビ局の老婦人役で浦辺粂子、キャバレーの老夫婦役で大泉滉&楠トシエ、テレビ局の局長役で仲谷昇、芸能記者役で鈴木やすし(現・鈴木ヤスシ)&戸川純&桂米助(現・ヨネスケ)、歌番組のディレクター役で伊藤克信、テレビ局の警備員役で小松政夫、組織の通訳担当者役で笹野高史が出演している。

小ネタとして遠藤由美子に触れておくと、元々は1982年に女性3人組グループ「ソフトクリーム」としてデビューしている。
翌年の7月にはフジテレビの人気番組『なるほど!ザ・ワールド』のエンディングテーマ曲を担当し、「ユミ」という名義でソロ歌手としてデビューする。
その歌の題名は、『もしもタヌキが世界にいたら』だった。
つくづくタヌキに縁がある人なのね。
あるいは、この映画もフジテレビ制作なので、『もしもタヌキが世界にいたら』から連想してのキャスティングだったのかもね。

デビュー間もない頃のチェッカーズは本人たちの意思とは関係なく、アイドルグループとして売り出されていた。だから、この作品も完全に「アイドル映画」として作られている。
チェッカーズが本人役で登場し、劇中では歌と演奏のシーンが何度も用意されている。つまり、徹底して「チェッカーズのファンに向けた内容」になっているわけだ。裏を返せば、ファンじゃない人は完全に無視していることになる。
それでも商売として充分に成立するぐらい、当時のチェッカーズは大人気で、熱狂的なファンが大勢いたのだ。
まあ『さびしんぼう』が目当てで映画館に足を運んだ人からすると、なかなかキツい作品だっただろうとは思うけどね。

チェッカーズは1983年に福岡から上京し、9月21日に『ギザギザハートの子守唄』でレコードデビューを果たした。
しかし、このシングルで一気に人気が出たわけではない。1984年1月21日にリリースした2枚目のシングル『涙のリクエスト』がヒットして、ここから快進撃が始まった。
同年5月1日に3枚目のシングル『哀しくてジェラシー』を発売すると、ここまでの3曲全てがTV番組『ザ・ベストテン』の10位以内にランクインするという快挙を成し遂げた。同年8月23日リリースの『星屑のステージ』、11月21日リリースの『ジュリアに傷心(ハートブレイク)』もヒットし、年末にはNHKの『紅白歌合戦』にも出場した。
波に乗りまくっているチェッカーズに目を付けたフジテレビジョンは、彼らを使った映画の制作を決定した。そして1985年4月27日、東宝の配給によって、この作品が公開された。
公開に先んじて3月21日にリリースされた主題歌『あの娘とスキャンダル』もヒットし、この年は『ジュリアに傷心』がオリコン年間ランキング1位、ブロマイドの売り上げも1位となった。
まさに、この年はチェッカーズの絶頂期だったと言ってもいいだろう。

そんな人気絶頂期のチェッカーズなのだから、ぶっちゃけ、映画の内容はどうでもいいのだ。
そこにチェッカーズがいれば、それだけでファンは大喜びしてくれる。歌と演奏のシーンがあれば、それだけでキャーキャーと騒いで熱狂してくれる。
当時のチェッカーズってのは、そういう存在だったのだ。
「そこと比べるなよ」とお叱りの声を受けるかもしれないけど、言ってみりゃ本作品は『ビートルズがやって来る/ヤァ!ヤァ!ヤァ!』みたいなモンだったのよ。

極端に言わなくてもチェッカーズのプロモーション・フィルムであり、実質的には本人役を演じている。
いっそのこと、「チェッカーズが上京してデビューし、人気アイドルになっていく」という成功物語にしちゃってもいいんだろうが、それだと工夫が無いし、つまらないと思ったのかもしれない。
そこで本作品は、「チェッカーズの正体が超能力を持つタヌキだった」という設定を用意している。
トンデモ設定というか、バカバカしさ満開の設定だが、チェッカーズのファンなら何も気にせず受け入れられたはずだ。

「なぜタヌキなのか」と疑問を抱く人がいるかもしれないが、それは私にもサッパリ分からない。
ただ、かつて邦画の世界にはオペレッタ喜劇「狸御殿」シリーズというのがあって、それを意識していたようだ。
「シリーズ」と書いたが、実は複数の映画会社で製作されており、全てが正式な続編というわけではない。ただ、複数の映画が競って製作するぐらい、人気があったということだ。
ちなみに楠トシエは、1959年の『初春狸御殿』や1961年の『花くらべ狸道中』に出演していた。

そんな「狸御殿」シリーズを意識していたことは分かっても、「なぜソコを意識したのか?」ってのは理解不能。
「チェッカーズが歌う映画」→「日本で歌謡映画と言えば狸御殿」という、単純な発想だったのかね。
随分と前に終了していた「狸御殿」シリーズを持ち出すセンスは、良く言えば「渋い」のかもしれないし、悪く言えば「ズレている」のかもしれない。
ただ、そこのアイデアがどうであろうと、とどのつまりは「チェッカーズが出ていれば他はどうでもいい」映画なのである。

アイドル的な人気を博した男性バンドの主演映画と言えば、前述したザ・ビートルズの『ビートルズがやって来る/ヤァ!ヤァ!ヤァ!』がある。
チェッカーズがグルーピーに追われて逃げ出すシーンはあるし、どうやら意識していた部分はありそうだ。
ただ、そうだとしても、似ても似つかない仕上がりだけどね。
決して『ビートルズがやって来る/ヤァ!ヤァ!ヤァ!』が傑作だとは思わないが、まだ「粋」の雰囲気はあった。こっちの方は、ものすごくカッコ悪いのよね。

まだチェッカーズはデビューから2年も経っていないし、演技経験なんて全く無いので、芝居が稚拙なのは当然っちゃあ当然だろう。
ほぼ本人役を用意することで「役を演じる」という必要性が無くなり、少しは負担が軽減されているが、でも芝居が下手なのはハッキリと露呈されている。だから、彼らの芝居で映画を引っ張っていくのは不可能だ。
だけど製作サイドも、そもそもチェッカーズに「役者」として映画を牽引させようなんてことは、さらさら考えちゃいなかっただろう。
重視すべきは歌唱シーンであり、それ以外の部分は極端に言ってしまえばオマケみたいなモンなのだ。

ストーリーを展開させる上で、色々と欠損している部分が多すぎる。その一方、余計な道草を食うだけで、ダラダラと時間を無駄遣いしている箇所も多い。
映像が歌唱シーンの背景と化している時間帯は少なくないし、それを除外しても話の中身は薄っぺらい。中身の薄さを補うためなのか、ヌルいコントも用意されているが、ただ間延びしている印象を強めるだけ。
描かれる物語は幼稚だし、それなりに感動させようとしている部分はヌルいし、特殊効果は安っぽい。
序盤からチェッカーズを張り込んでいた蛇革の靴の男は最後まで正体&目的が不明のままで終わるなど、粗さも目立つ。

他の商業映画と同じ感覚で捉えたら、称賛できるポイントなど何も見当たらない。何の迷いも無く、問答無用の駄作と断言出来てしまう仕上がりだ。
ただ、これは「チェッカーズのファンだけに向けられたコミューン映画」なので、ファンじゃない人間の意見や感想など何の意味も持たないのだ。
だから、ここで私がポンコツ映画扱いしたところで、何の意味も無い。単なる「本質を何も分かっちゃいない素人の愚かな批評」に過ぎないのである。
まあ私に関して言えば、それは他の映画も同じなんだけどね。所詮は愚者の遠吠えに過ぎないので、気にしないように。

(観賞日:2017年8月12日)

 

*ポンコツ映画愛護協会