『茶々 天涯の貴妃(おんな)』:2007、日本

1615年、大坂。炎に包まれる大坂城を見て、小督は驚愕した。はつは小督に、「あのように城を包囲されてしまった姉様の御心を思うと、やはり今、敵の城に一人で行くのは無謀です」と意見する。しかし小督は「夜が明ければ総掛かりの攻め。それまでに、何としても千を救わねばならないのです」と力強く言う。大蔵卿局は茶々に、「いかに長年苦難を共にされた妹とて、今や豊臣家を滅ぼそうとする徳川家の御台所。そのような者とお会いなさるとは解せません」と述べた。
1573年、近江国小谷。小谷城の城主である浅井長政は、織田信長に攻め滅ぼされた。長政の妻・お市は、娘の茶々、はつ、小督と共に兄である信長の元へ連行された。信長はお市と三姉妹に、長政の骸骨を見せ付けた。信長から「織田家に戻りたければ禊をせよ」と要求されたお市は、激しく反発して拒絶する。信長がお市を斬ろうとすると、茶々が駆け寄って酒を飲み干した。「ワシが憎いか」と問われた彼女は、「ここにいる全員が憎い。戦など無くなってしまえば良いのじゃ」と泣きながら睨むと、信長は高笑いを浮かべた。
信長が本能寺の変で殺された後、後継者争いをしたのは、お市と再婚した柴田勝家と、羽柴秀吉であった。勝家が争いに敗れ、茶々たちは二度目の落城を経験することになった。お市は勝家の切腹を見届けた後、三姉妹を呼び寄せた。彼女は勝家の後を追うことを告げ、死ぬ覚悟を口にする茶々に「貴方たちは城を出るのです。貴方たちを死なせたら、私には何も残らない。貴方たちだけが、私の誇りなのです。女は負ける戦をしてはならぬもの。何としても生きねば」と告げた。
三姉妹は秀吉の囚われ人として、安土城の一角に置かれた。そこでは、きくという娘が彼女たちの身の回りの世話を担当した。10歳の小督は尾張の小大名・佐治与九郎の元へ嫁ぐことになり、近江を離れた。その1年後、はつが京極高次の元へ嫁いだ。やがて茶々の元には、秀吉の使者として大蔵卿局が訪ねて来た。その目的は、秀吉の側室となって世継ぎを産んでもらいたいということだった。激しく拒否した茶々に、大蔵卿局は「女としてはそれ以上は望めぬ高い位置に登りとうはございませんか」と持ち掛けた。
「お側に上がって子を産めるということは、天下様を殺すことも出来るということですね」と茶々が問い掛けると、大蔵卿局は微笑して「女子は命を育むものでございましょう」と述べた。嫁ぐことを承諾した茶々は、京の聚楽第へ移った。秀吉は満面の笑みを浮かべ、彼女を迎え入れた。彼は建築中の大坂城の模型を茶々に見せ、「永遠に戦の無い世を作ってみせる」と天下統一への強い意志を示した。
秀吉は「そのためには天下人にふさわしい世継ぎが欲しい」と告げ、茶々と産まれて来る子供のために大坂城を築かせたことを語る。その夜、何の警戒心も抱かずに眠っている秀吉を殺そうと短刀を構えた茶々だが、振り下ろすことは出来なかった。大阪城に移った彼女は、秀吉の正室である北政所と会う。仇である秀吉を殺さなかった理由を問われた彼女「生きていかねばなりませんから」と答え、「男子を授かりとう存じます」と述べた。
秀吉の側室である京極竜子、おまあの方の両名は茶々を嫌悪し、目の前で嫌味を口にした。きくは激怒するが、茶々は彼女をなだめて冷静に対応した。やがて息子の鶴松が産まれ、秀吉は天守閣から大阪の町を彼に眺めさせた。秀吉は最後の強敵である小田原の北条を倒し、名実共に天下人となった。秀吉は戦で大いに貢献した徳川家康に、関東の領地を与えることを告げた。つまり国替えだ。「なんぞ不満でもあるのか」と問われた家康は、怒りを堪えて「有り難き幸せに存じます」と告げた。家康は重臣・本多正信と2人きりになると自らの腕を突き刺し、「この痛み、生涯忘れぬ」と口にした。
秀吉の元を訪れた茶々は、おまあと竜子を追い払って2人の時間を過ごす。鶴松が急病で亡くなったという知らせが届き、茶々は涙した。「豊臣家の世継ぎをそちが殺した」と秀吉に責められた彼女は、「鶴松が貴方だけの子だと?」と怒りを示す。「そうじゃ。ワシに悪いことをしたと思わんのか」と非難された茶々は、「思いません。私が悪いことをしたと思うのは、我が子を母の手に抱かれることもなく一人で死なせたこと」と述べた。
茶々は「決してお前を許さんぞ」と声を荒らげる秀吉を振り切り、淀城へ舞い戻った。ずっと籠もっている彼女を心配した小督が、久々に訪ねて来た。何か出来ることは無いか問い掛ける彼女に、「子を失うのが、こんなにも辛いとは。失って初めて、母になれた気がします」と茶々は言う。子供のことを尋ねた彼女は、「すぐに尾張へ帰りなさい。親は子の元を離れてはならぬものです」と小督に語った。
茶々への怒りが収まらない秀吉は、北政所から「世継ぎがいなければ豊臣の天下は一代で終わる。貴方の望みを叶えられるのは淀殿だけなのですよ」と諭された。彼女は「本当にお腹立ちなら、早く殺してしまいなさい」と言い、その場を去った。小督は秀吉の元へ行き、茶々を許すよう求めた。「ワシが死ねと言えば死ぬのか」と秀吉が問うと、彼女は「御意のままに」と告げた。「ワシの子を産めと申さば、何とする?」と秀吉が言うと、「御意のままに」と答えた。
秀吉は茶々の元を訪れ、詫びを入れた。そして彼は「ワシが信頼できるのは、そちだけじゃ。もう一度、2人の子を産んでくれ」と告げた。やがて茶々は再び懐妊し、秀頼を出産した。秀吉は「ワシも寿命が見えてきた」と茶々に言い、小督を佐治から取り上げて家康の息子・秀忠に嫁がせることを話す。それを小督に伝えるよう指示された茶々は驚き、「出来ませぬ。今さら幸せを引き裂くなど」と抗議した。すると秀吉は、「豊臣と徳川の絆が深まる。豊臣の存亡に関わることだ」と説いた。
茶々は小督と面会し、冷徹な態度で秀吉の命令を伝えた。同席したはつは反対するが、茶々は「もう手遅れです」と言い、使者から「秀吉が小督を召し上げる」と告げられた与九郎が恐れをなして出帆したことを語った。子供を人質に取られた小督は、従うしか道が無かった。1598年、秀頼6歳の春。盛大な祝宴が開かれ、家康も出席した。そんな中、錯乱した秀吉が刀を振り回して暴れる騒ぎを起こした。
疲れて倒れ込んだ秀吉は、秀頼への忠誠を誓わせた重臣たちの書状を茶々に託して「ワシが信じられるのは、そちだけじゃ。ワシの秀頼と、ワシの城を守ってくれ」と話す。この年、秀吉は死去した。その死を待っていたかのように、家康と豊臣恩顧の西国の大名たちとの間で戦が起きた。1600年、関ヶ原の戦いで勝利した家康が、日本の新しい支配者となった。茶々は家康に、秀頼と秀忠の娘である千姫の結婚という、秀吉の生前に交わされた約束を果たすよう求めた。
まだ5歳の千姫を一人で大阪へ行かせることに、小督は「人質にされる」と反対する。しかし家康は、「徳川と豊臣の力の差は歴然。戦など起こせようはずもない。淀殿も、そのことは良く分かっておられる。千のことを、良く可愛がってくれよう」と告げる。小督は「必ず千を守る」という約束を家康から取り付け、その縁談を承諾した。しかし家康は、約束を守るつもりなど全く無かった。それから10年、戦の無い時代が続いた。しかし1615年、秀頼は真田幸村から、家康が動いたことを知らされる…。

監督は橋本一、原作は井上靖『淀どの日記』(角川文庫)、脚本は高田宏治、企画は坂上順&長坂勉&石井徹、プロデューサーは厨子稔雄&妹尾啓太&小柳憲子&栗生一馬、撮影は栢野直樹、照明は杉本崇、美術は吉田孝、録音は松陰信彦、編集は米田武朗、擬斗は清家三彦(東映剣会)、音楽は海田庄吾、コーラスは鈴木重子、音楽プロデューサーは津島玄一。
主題歌:光/Sowelu 作詞: Sowelu、作曲:Miki Watanabe、編曲:Aki Hishikawa。
出演は和央ようか、寺島しのぶ、富田靖子、松方弘樹、渡部篤郎、高島礼子、余貴美子、原田美枝子、中村獅童、松重豊、谷村美月、吉野公佳、メイサツキ、高橋長英、中丸新将、中林大樹、平岳大、近藤公園、黄川田将也、春田純一、唐渡亮、菅野莉央、清水萌々子、山田夏海、魏涼子、大家由祐子、沢木ゆきみ、黒木真耶、石坂みき、紅湖、佐々木麻緒、尾崎千瑛、松島海斗、一井直樹、松場優樹、沢木ルカ、星野美恵子、朱花、山本容子、真島公平、俊藤光利、谷口高史、土平ドンペイ、福本清三、藤沢徹衛、細川純一、松永鉄九郎、辻本一樹、高木英一、北沢光雄、福島悠介ら。


浅井茶々(淀殿)の生涯を描いた井上靖の小説『淀どの日記』を基にした作品。
脚本は『新・仁義なき戦い。』『極道の妻(おんな)たち 地獄の道づれ』の高田宏治、監督は『新仁義なき戦い/謀殺』『極道の妻(おんな)たち 情炎』の橋本一。
茶々を演じた和央ようかは、これが映画初出演。
小督を寺島しのぶ、はつを富田靖子、信長を松方弘樹、秀吉を渡部篤郎、大蔵卿局を高島礼子、北政所を余貴美子、お市を原田美枝子、家康を中村獅童、正信を松重豊、千姫を谷村美月、おまあを吉野公佳、きくをメイサツキ、前田玄以を高橋長英、長曽我部盛親を中丸新将、秀頼を中林大樹、後藤基次を平岳大、大野治長を近藤公園が演じている。

宝塚歌劇団宙組の男役トップスターだった和央ようかが初めて女性の役を演じているのだが、これが見事なぐらいミスキャスト。まだ退団直後ということもあってか、ヅカの芝居が全く抜けていない。発声からして、男役のまんまになっている。
だから、ヒロインの女性らしさも全く表現できていないし、艶っぽさも皆無だし、表情が硬い。硬いっていうか、怒っているシーン以外は、表情の変化が乏しい(っていうか怒っていないのに怒っているように見えてしまうシーンあったりする)。
そのため、その時に何を考えているのか、サッパリ伝わらない。
唯一、寝ている秀吉を殺そうとするシーンだけは、その表情に迫力があったが、そこだけ急にホラー映画になるという珍現象が起きていた。
渡部篤郎や中村獅童が年月の経過に合わせて老けメイクを施しているのに、和央ようかは最後まで同じメイクで通しているってのも、どういう狙いがあるのかサッパリ分からん。

もっと問題なのは、演技力の問題以前に(それも相当に大きな問題ではあるのだが)、ヒロインとしてのオーラが微塵も感じられないということだ。
寺島しのぶや高島礼子どころか、終盤に少ししか出番の無い谷村美月にも存在感で負けているんだから、厳しいものがある。
男役トップスターであっても、宝塚歌劇を抜けて女性の役を演じた場合、舞台での輝きをそのまま放つことが出来るとは限らないってことだろう。
それは彼女に限らず、宝塚の男役だった人が映像の世界に転身した時、必ずぶつかる壁ではないだろうか。

ミスキャストと言えば、寺島しのぶも大概だ。和央ようか、富田靖子、寺島しのぶの三姉妹というキャスティングを決定した責任者は、かなり罪が重い。
実年齢で考えれば、確かにその順番通りになる。しかし、どう頑張っても寺島しのぶが三女ではなく、むしろ最も老けて見えるぞ。
さらに、茶々が成長した小督に向かって「美しい大人になられましたのう」と言うセリフが用意されているのに驚いた。「何かの冗談でしょ」と言いたくなった。
脚本の段階でそういう台詞があったとしても、寺島しのぶに決まった時点でカットしろよ。

綿密に歴史考証を行った重厚な時代劇にするのか、ケレン味たっぷりで荒唐無稽な時代劇にするのか、その辺りが中途半端でボンヤリしているという印象を受ける。
徳川家康や真田幸村を演じる役者が史実からすると若すぎるとか、茶々が甲冑を付けて敵陣へ乗り込んでいくとか、その辺りは荒唐無稽の路線を狙っているような匂いが感じられる。
しかし全体としては、東映が得意とする実録ヤクザ映画の風味が強い。
まあ実録ヤクザ映画も荒唐無稽の要素は含まれているが、それはまた毛色が異なる。

あと、荒唐無稽を狙っているとすれば、ものすごく中途半端だ。
わざわざ茶々が甲冑を付けて家康の本陣へ乗り込むシーンを用意しながら、その後で戦わせることは無いし、何がやりたいんだか。
いっそのこと、茶々が西軍のリーダーとして侍をバッタバッタと斬り倒すようなシーンを用意し、そこに全体のテイストを合わせるぐらいデタラメで嘘つきまくりな内容にするのも1つの手だったんじゃないか。
それはそれで、「空想時代劇」として有りだったと思うけどね。

シナリオの方も、執筆に使える時間が短かったのか、それとは別の原因なのかは知らないが、かなり冴えない仕上がりだ。
「ある人物の生涯を描く」という作品で陥りがちなのは「消化しなきゃいけない内容が多すぎて、それを全て上映時間の枠内に収めるために、表面的に出来事をなぞるだけで1つ1つの出来事がペラペラになってしまう」という失敗だが、この映画もそれに該当する。
人生グラフを消化することで精一杯になってしまっている。
大河ドラマでやるような題材を2時間強しか無い1本の映画でやろうとしているもんだから、無理が生じてしまうのも当然と言えるが、「だから仕方が無いよね」と大目に見てくれる観客などいない。

そこの問題を解決するには幾つかの方法があって、例えば「回想劇にして、主人公が印象に残る出来事だけをピックアップして並べる」という構成にするというのも1つの手だ。
また、生涯を描くのではなく、思い切って「ある期間だけに限定してしまう」というのも方法としては考えられる。
いずれにせよ必要なのは、「描くべき出来事を絞り込む」という作業だ。
全てを描いていたら時間が足りなくなってしまうし、全てを消化するには短く処理するしかないってのは当然のことなのだから、取捨選択が必要なのだ。それが嫌なら、3部作や5部作の企画にするか、映画ではなくTVシリーズでやるしか無い。

この映画、大阪夏の陣から始まっており、一応は回想形式になっている。
しかし実際のところ、回想に入ってからは、はつのナレーションで「こんなことがありまして」と次々に出来事を並べて行く構成だ。
なので、せっかく回想形式にしても、「それによって重要な出来事だけをピックアップし、余計な箇所を排除できる」というメリットを活かしていない。
ナレーションで「こんなことがありまして」と説明してしまう省略を重ねていくのは、「表面的に出来事をなぞるだけ」ってのと同じことだ。

この作品では、三姉妹の幼少時代から、大阪夏の陣までを描いている。茶々の役割が乏しい関ヶ原の戦いや大阪冬の陣などはバッサリと省略されているが、それでも「そりゃ欲張り過ぎだな」と感じる。
もっとエピソードを減らし、描く期間も縮めて、「秀吉に恨みを抱いていた茶々が世継ぎを産むことに生き甲斐を見出し、秀吉を愛して云々」と気持ちが変化していく経緯を描くために費やす時間を増やした方が良かったんじゃないか。
この映画、茶々の心情変化が全く描けていないのだ。
その原因は2つあって、1つは和央ようかの演技力不足、もう1つは脚本と演出の粗さである。

この映画がおっそろしいのは、その省略の手口があまりにも雑で、人間ドラマを盛り上げるとか、ヒロインの心情変化を繊細に描き出すとか、そういう問題に対する配慮が皆無で、むしろ邪魔をしているってことだ。
例えば冒頭、小谷城が落ちた直後の様子が写る。浅井長政は登場しないので、「父を殺した信長が憎い」と茶々に言われてもピンと来ない。
で、そこで茶々の態度に「女帝になるぞ」と笑った信長だが、そこからどうなるのかと思ったら、はつのナレーションで「本能寺の変で明智光秀に殺された」と軽く説明してしまう。
シーンが切り替わると、今度は「信長の死後に、お市と再婚した柴田勝家が羽柴秀吉が後継者争いをして、戦いに敗れた」という説明が入る。合戦のシーンは全く描かれない。
お市は勝家の切腹後、自分も死ぬことを選ぶ。長政の時は自害しなかったのに、なぜ今回は旦那の後を追うことに決めたのか、その理由は全く分からない。
お市が娘たちの前で遺言を言い残して死ぬシーンは、どうやら盛り上げようとしているようだが、まるで悲劇性を感じない。

「三姉妹は秀吉の囚われ人として、安土城の一角に置かれた」というナレーションの説明があり、きくが世話役として来たことも同じくナレーションで説明される。続いて小督の嫁入り話が来たことがナレーションで語られ、小督が嫁に行く決意を口にする。
そこでは彼女が涙を流して茶々に抱き付いたり、はつが「3人でずっと一緒にいたいと」とこれまた泣いて抱き付いたりする。
そこも悲劇のシーンとして盛り上げようとしているようだが、描写が淡白なこともあって、淡々と過ぎて行く。
はつが京極高次の元へ嫁いだことなんて、「嫁いだ」と説明されるだけで、それを決意するシーンも別れのシーンも省略されている。

その後、はつのナレーションは、「秀吉が小田原の北条を倒した」という箇所まで、しばらく消える。
それが消えたからと言って、そこからはドラマが充実するというわけでもない。単に説明が無くなって、状況や時間経過が分かりにくくなるだけだ。
秀吉の側室になることを決めた茶々は、いつの間にか世継ぎを産むことに生き甲斐を見出し、いつの間にか鶴松は幼児に成長している。
茶々が妊娠するシーンは省略されているので、秀吉が懐妊を喜ぶとか、その様子に対して茶々が何かを感じるとか、そういうドラマも無い。

鶴松の死が知らされた時も、「急な病」というセリフ以上に「急な展開だな」と感じるだけで、ドラマとしての盛り上がりを感じない。
そこまでに、茶々が鶴松を可愛がっている様子とか、母親としての情愛を示す様子とか、そんなのが全く描かれていないので、ただ段取りとして出来事を消化しているだけになっているのだ。
茶々が秀吉から責められて激しく反発するシーンを描いても、息子の幻影を見て嘆き悲しむシーンを描いても、そこに魂が入っていない。
キャラクターの心が乗っていない。

ナレーションとセリフで説明される内容以外の事柄は、ほとんど伝わって来ない。
ようするに、そこで登場人物が何を考えているのか、どういう感情なのかってのが、映像からは全く伝わって来ないということだ。
それは演技力に難のある和央ようか以外の面々も同様なので、脚本や演出に大きな欠陥があるということだ。
登場人物が「ここは観客の感情を揺り動かすためのシーンですよ」という芝居をしても、BGMが「ここは高揚感のあるシーンですよ」とばかりに鳴り響いたりしても、全く心が動かない。それどころか、「スーン」というオノマトペが聞こえて来るかのように、心の中は静かである。

噂によると、どうやら最初に東映が製作予定だった企画がポシャッてしまい、その代わりに用意された作品らしい。
そのせいで準備期間が短くなった上、オファーを出した役者に断られてなかなか配役が決まらなかったという事情があるらしい。
しかし、そんなのは何の言い訳にもならない。観客が「だったら仕方が無い」と大目に見てくれるわけもない。
「代替案として用意された映画が、なぜ色々と大変なことも多い時代劇なのか」という疑問もあるが、そこは「最初に予定されていた映画が時代劇だったから」という事情があるらしい。

しかし、時代劇を作るにしても、『淀どの日記』を映画化するこたあ無いだろうに。
「淀殿の生涯を描く」という話に、それほど引きの強さがあるとも思えないし。
山田風太郎作品にしてみるとか、チャンチャンバラバラが売りになる題材にしてみるとか、他に幾らでも策はありそうな気がするぞ。
東映と言えば、かつては多くの時代劇映画を製作していたんだから、その中のいずれかをリメイクするということでも良さそうだし。

(観賞日:2014年8月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会