『自虐の詩』:2007、日本

気仙沼。豪雨の中、中学生の森田幸江はジャージ姿で朝刊を配達する。その日の朝刊には、気仙沼で発生した銀行強盗事件について大きく 報じられている。配達を終えて新聞販売店へ戻ると、店主が朝刊と通天閣饅頭、気仙沼牛乳を持たせてくれた。新聞を開いた彼女は、強盗 が父親の家康だと知った。慌てて帰宅すると、野次馬が群がる中、父が警官に連行されていくところだった。幸江が登校すると、生徒たち は蜘蛛の子を散らすように逃げた。そんな中、熊本さんだけは違っていた。「幸せになってみてえ」と漏らす幸江に、熊本さんは「この町 ば出よう。そんで一生戻ってきたらダメだから。そうすれば貧乏臭い顔も変えられる」と語った。
大人になった幸江は、大阪・飛田の小さなアパート「パンション飛田」で内縁の夫であるイサオと慎ましく暮らしていた。警察からの連絡 を受けた幸江は、なにわ中央警察署へ走った。彼女はイサオが死んだと思い込んで泣くが、酔っぱらって寝ていただけだった。彼女は 難波警部から、イサオがヤクザを殴ってカツアゲし、その金で豪遊したこと聞かされる。呑気に寝ているイサオを、幸江は自転車に乗せて 運ぼうとする。しかし自転車が倒れて船場巡査の足を骨折させてしまい、難波にパトカーで送ってもらった。
目を覚ましたイサオに、幸江は質素な食事を出した。キュウリに掛けようとした醤油差しの蓋が外れて醤油がこぼれた途端、イサオは ちゃぶ台をひっくり返した。幸江は近所の中華料理店「あさひ屋」で働いていた。元ヤクザのイサオは全く働かず、弟分を連れてパチンコ に出掛けた。彼は弟分の当たりまで自分の物にした。幸江はイサオがパチンコに行ったと聞いても、全く怒らない。それどころか、「今度 、連れてってよ」と微笑んだ。しかしイサオは些細なことで、ちゃぶ台をひっくり返した。
隣の住人である小春は、健気に尽くす幸江に同情していた。イサオが給料袋ごと盗んで出掛けた時には、幸江に頼まれて金を貸した。小春 がイサオのことを非難すると、幸江は明るく「今日の競馬の結果次第では1億円に返してもらえる」と言う。「ああ見えて、いいところ あるんだから」と幸江は口にした。かつてアバズレだった頃、暴走族6人に絡まれた彼女をイサオは助けてくれたのだ。
あさひ屋のマスターは幸江に惚れており、結婚したいと考えている。彼はポン引きに「幸江ちゃんならすぐ用意できますよ」と言われ、 風俗店に駆け込んだ。出て来たのは似ても似つかぬ中年女だったが、マスターは彼女に性欲を解消してもらった。 あさひ屋に来たヤクザ2人組が中華そばにゴキブリを入れ、イチャモンを付けてマスターに10万円を要求した。そこへイサオが現れ、幸江 に「金くれ」と要求する。チンピラが絡んできたので、イサオは頭突きでKOした。主人はイサオに睨まれ、金を渡した。
弟分たちと一緒に喫茶店で時間を潰していたイサオは、寒い中で必死に働いている幸江の姿を目撃した。幸江の出前が遅れたため、喫茶店 の店主は「金は払わん」と冷たく告げた。するとイサオは彼に頭突きを食らわせた。その夜、アパートに戻って幸江は、「ありがとね」と 言う。イサオは彼女に「仕事行く、明日」と呟いた。幸江は嬉しくて涙ぐみ、「ありがと」と口にした。
翌朝、幸江は弁当を作り、出掛けるイサオを見送った。交通整理のバイトを始めたイサオだが、両方の車を止めて大渋滞を引き起こし、 先輩に激怒された。東京で同じ組にいたヤクザ2人が車で通り掛かり、イサオをからかってきた。イサオは2人を殴って半殺しの目に 遭わせ、また幸江は警察署に呼び出された。相手がヤクザということもあって、すぐにイサオは解放された。彼は何も言わず、幸江の財布 から金を奪って立ち去った。
翌朝、イサオは地元を縄張りにしているヤクザの組長に呼び出される。イサオが半殺しにした連中は、彼の兄貴分の子分たちだった。組長 は「ワシの世話になれへんか。お前はこの世界で生きる男や」とイサオを誘った。あそひ屋のマスターは、イサオが事務所から出て来る姿 を目撃する。彼は店に戻り、幸江に指輪を見せて結婚を申し込む。キスされそうになった幸江は、慌てて逃げ出した。
マスターは酔っ払って風俗店へ行き、幸江を指名しようとするが、先客がいい。それは出所したばかりの家康だった。マスターは家康を店 に連れ戻った。そのまま家康が居座る中、幸江がやって来た。幸江は父の姿に驚き、逃げ出そうとした。店に連れ戻された彼女は、「ウチ には来ねえで」と頼む。配達に出た彼女は、吐き気に見舞われた。病院で診察してもらうと、妊娠していることが分かった。
夜、パチンコで珍しくバカ当たりしたイサオは、弟分たちを引き連れて店に現れ、「メニューを全て持って来い」と要求した。そこへ家康 が現れ、イサオと初対面する。一触即発の雰囲気になる中、幸江は割って入り、妊娠したことを告げる。イサオは呆然とした顔になり、 「嬉しくないの」と尋ねる幸江から目を逸らした。イサオは無言のまま、店を去った。千春は幸江に「女には母親にならないっていう決断 をせんなならん時もある。子供は親を選ばれへん。子供に大変な思いをさせるのは犯罪やで」と語った。
イサオは組長から再び声を掛けられ、組に来るよう誘われる。若くして死んだイサオの父親もヤクザだった。組長は「お前の体には一流の ヤクザの血が流れてるんや。カタギの世界では、お前の才能は生かされへん。腹を括れ」と説いた。イサオがアパートに戻ると、幸江は 静かな口調で「なんで何も言ってくれないの?アンタの子供よ」と言う。「何も言ってくれないなら、別れる」と彼女が告げると、イサオ は「出て行く」と言って部屋から去った。
幸江は出前の途中、自転車の子供たちを避けようとして歩道橋から転落した。千春はイサオのいる雀荘へ走り、幸江が意識不明の重体に なっていることを知らせた。イサオは病院へ向かった。一方、昏睡状態の幸江は、過去の日々を思い出していた。中学時代、教材費を 払えなかった彼女と熊本は、罰としてトイレ掃除を教師に指示される。家が貧しい2人は、男子のイジメの対象になった。しかし熊本さん はたくましく、学校で飼っている鶏を平然と盗んで帰った。
幸江はキレイで頭が良くてお金持ちの藤沢さんに憧れを抱いていた。熊本さんは「そんだったら、藤沢のトコさ行けば?」とクールに言う 。幸江が家で内職をしていると、酔っ払った家康がキャバレーのホステス・美和子を連れ帰り、「この人と再婚するぞ」と宣言した。 そんなある日、幸江は藤沢さんと仲間たちから「私たちと一緒に食べない?」と誘われ、その輪に加わった。藤沢たちからおかずを分けて もらって食べていると、熊本が亀を捕まえて現れる。幸江は彼女を無視し、弁当を食べ続けた。
美和子は籍を入れるだけでは納得せず、ダイヤのエンゲージ・リングや豪華な結婚式、ハワイへの新婚旅行、幸江を捨ててマンションで 2人暮らしすることを要求した。その再婚資金を得るために、家康は銀行に押し入った。彼が逮捕されて、藤沢さんたちは幸江を敬遠する ようになった。新聞販売店の店主は幸江に、「半年間は来なくてもいいから」と告げた。そんな中、熊本さんだけは幸江に歩み寄った。 熊本さんは自分を裏切った幸江を何度もビンタし、やり返すよう要求した。思い切り殴り合って和解した後、幸江と熊本さんは「近くさ いても、遠くさいても、アンタのこと忘れねえ。ずっと友達でいっから」と約束した…。

監督は堤幸彦、原作は業田良家(竹書房刊)、脚本は関えり香&里中静流、製作総指揮は迫本淳一、企画は細野義朗、エグゼクティブ・ プロデューサーは北川淳一、プロデューサーは植田博樹&石田雄治&中沢晋、製作は松本輝起&遠谷信幸&高橋一平&久松猛朗&島本雄二 &渡邊純一&平林彰&長坂信人&山崎浩一&喜多埜裕明&大下勝朗、アソシエイト・プロデューサーは今川朋美、撮影は唐沢悟、 編集は伊藤伸行、録音は鴇田満男、照明は木村匡博、美術は相馬直樹、VFXスーパーバイザーは野崎宏二、アクションコーディネーター は諸鍛冶裕太、音楽は澤野弘之、主題歌『海原の月』は安藤裕子。
出演は中谷美紀、阿部寛、西田敏行、名取裕子、竜雷太、遠藤憲一、カルーセル麻紀、ミスターちん、金児憲史、蛭子能収、島田洋八、 松尾スズキ、岡珠希、丸岡知恵、Mr.オクレ、佐田真由美、アジャ・コング、斉木しげる、業田良家、たいぞう、ダンテ・カーヴァー他。


業田良家による同名の4コマ漫画を基にした作品。
監督は『トリック 劇場版』『明日の記憶』の堤幸彦。
幸江を中谷美紀、イサオを阿部寛、家康を西田敏行、美和子を名取裕子、組長を竜雷太、あさひ屋マスターを遠藤憲一、小春をカルーセル 麻紀、難波をミスターちん、船場を金児憲史、新聞販売店主を蛭子能収、ポン引きを島田洋八、中学時代の幸江を岡珠希、中学時代の熊本 さんを丸岡知恵、大人になった熊本さんをアジャ・コングが演じている。

まず、導入部で失敗している。
そこは「不幸続きの中、店主の優しさに触れて小さな幸せを感じた途端、父の強盗があって、さらなる不幸に突き落とされる」という展開 になるべきなのに、そこまでに幸江に降り掛かっていた不幸の連続が描かれない。
雷鳴に驚いて倒れ込むとか、神社の鈴緒が落ちるとか、そんなのでは全く足りていない。
幸江が「幸せになってみたい」と漏らしても、まだ家康の逮捕ぐらいしか不幸が見えない。

っていうか、なんでそこから始めたのか、理解に苦しむ。 幸江と熊本さんの関係や、幸江が生徒たちにシカトされるのも、チラッと示すだけで不充分だし、そんな半端な扱いにするよりも、まずは 現在のシーンから始めて、回想として中学校時代の様子を挟めば良かったんじゃないのか。
そうすれば断片だけを描いても、納得できたような気がする。
っていうか、「現在」って書いたけど、この映画の時代設定はどうなってるんだろう。
大阪の様子が映し出されても、まるで現代には見えないんだけど。

東京ではなく大阪に舞台が移るのも納得しかねる。
貧乏臭さや不幸な生活、あるいは人情劇を表現するために、東京ではそぐわないという判断だったのか。
しかし、そのために大阪を利用するのは賛同できない。
だって、幸江は幸せになるために東京へ出たはずでしょ。
で、「にも関わらず、未だに幸せを掴めないまま過ごしている」ということなら、そのまま東京に留まるべきじゃないかなあ。

イサオがちゃぶ台をひっくり返す様子をスローで描いているが、ギャグになっていないし、何の効果を狙っている演出なのか分からない。
それと、「何かあるとちゃぶ台をひっくり返す」というを見せるために、そのシーンばかりを幾つも続けて描くんだけど、それって話の 流れを壊しているんだよな。
そこは「イサオがちゃぶ台をひっくり返す」というネタを見せるよりも、夫婦が生活している様子を描くべきでしょうに。
ちゃぶ台返しのネタなんて、クソ面白くもないし。

前半はコントの串刺し式という構成になっているんだけど、とにかく流れが見えないんだよな。1つコントが終わる度に、ブチブチと 切れているような印象なのだ。
それに、1つ1つのコントの質も低い。ドタバタ劇とか小気味良いテンポという方向性ではなく、淡々としたタッチで、ユルいノリで、 スカしたようなオチの付け方をしているようだけど、雰囲気も間の取り方も中途半端だ。
あさひ屋のマスターが風俗店で幸江という女を指名したら似ても似つかぬオバサンだったとか、そんなコントは要らないでしょ。幸江が 出て来ないところでコントをやるべきではない。常に幸江が不幸な目に遭うという話に集中すべきだ。
あと、イサオが顔なじみのヤクザをボコボコにするエピソードのように、笑いを一切取りに行こうとしていないようなエピソードもあって 、それも中途半端に感じる。「そこは何かオチを付けなくてもいいのか」と言いたくなってしまう。

私は原作を読んでいないが、最初は複数のシリーズがあり、それが人気のあった幸江とイサオのシリーズだけに なり、そのシリーズも最初はギャグだったのが途中から幸江の回想が増えて行き、やがて泣けるストーリー4コマへと変貌していった らしい。
そうであるならば、その路線変更までの部分は、大幅に改変する必要があるはずだ。映画としては、話の途中で路線変更するわけには いかないからだ。
それは単に「統一感の無い作品、まとまりの無い作品」ということになってしまう。
しかし、結果としては、そうなってしまっている。

後半に入ってから過去の回想に入るのだが、それって原作の流れを踏襲しているんだろうなあ。
でも、そんなトコを踏襲する必要は無い。
だって、原作は最初からそういう構成にしようと計算していたわけじゃないんだから。結果的に、そうなっただけ。
原作を読んでいない人間の意見だけど、逆算していくと、たぶん原作にしても、前半部分の構成は「改変した方がいい」ということになる はず。
だって、そもそもの構想だと、幸江とイサオばかりになる予定も、幸江の過去へと繋がる予定も無かったはずなんだからさ。

幸江が意識不明になった後、中学時代の回想シーンが描かれ、家康が捕まった時のことも描かれる。
そこには冒頭で描かれたシーンも含まれているのだが、それって「一度は裏切った熊本さんが、それを水に流して戻って来てくれる」と いうシーンだったのよね。
だけど冒頭の描写だと、それが分からない。そんなの、冒頭に見せておく必要性がどこにあるのか。
っていうか、家康が強盗をした理由も、そこで初めて分かるけど、そこも強盗だけを見せておくメリットが見えない。
あと、幸江が新聞配達をクビになったことも、父から「お前は昔、お母さんに捨てられたんだ」と言われたことも、そこで初めて描かれる んだよな。

それと正直、イサオとの生活よりも、その回想シーンの方が重要な要素に感じられるんだよな。
だけど、そこに割いている時間の方が少ない。
笑えないし感動も薄いということではどっちも似たり寄ったりだけど、まだ熊本さんというキャラがいる分、回想シーンの方が魅力は ある。
それに、そこでは幸江と熊本さんの友情と約束が描かれるのだが、そうなると、その2人の関係をメインに据えて物語を描いてくれた方が いいと思うんだよね。

前半で幸江とイサオの関係を軸に描いていたのに、後半に来て急に熊本さんとの関係を長く描かれると、前半と後半で話がバラバラに なっていると感じるのよ。
イサオとの関係はサブに回した方がいいんじゃないのか、現在のシーンで幸江が熊本さんのことを思い出したり捜そうとしたりする内容に した方がいいんじゃないか(その中で昔の回想シーンを挿入する構成にして)と思ってしまう。
極端な話、イサオって要らない奴になってんじゃないのかと。
熊本さんとの友情を思い出した後、「イサオが幸江の元に戻って来た」というのを描かれても、それって繋がってないでしょ。
イサオは熊本さんと何の関係も無いんだから。

その後、幸江がシャブ中の売春婦になっている時代の回想シーンが入るが、そこまでの経緯は描かれておらず、「何があったんだよ」と 引っ掛かってしまう。
イサオにしても、優しくて頼りになる男だったのに、なんで幸江に働かせるダメ男に成り下がったのかサッパリ分からない。
売春婦時代は幸江が暴力的で、イサオは全く怒らず一途な異常を注いでいたのに、なぜ2人の関係が逆転したのか。
どういう経緯があったのかが全く描かれないので、スッキリしない。

そこを喜劇的に処理してあけば、そんなの描かなくても納得できた可能性はあるんだけど、もう完全に笑いを取りに行く姿勢は消えていて 、お涙頂戴路線を走ってるんだよな。
まあ実際には全く涙腺を刺激されないわけだが。
最終的にイサオが戻って来るのも、すげえ安易な着地だし。
たぶん、見終わった時には、観客がイサオを「愛すべきダメ男」として見られるようにならなきゃダメな映画だと思うんだよね。
だけど、最後まで単なる不愉快なクソ野郎にしか見えないのよ。
そこには苦悩や葛藤が見えないし。

(観賞日:2011年3月30日)

 

*ポンコツ映画愛護協会