『零戦燃ゆ』:1984、日本
台湾の高雄基地。航空兵の浜田正一や海軍大尉の宮野善治郎、中尉の森崎武らが搭乗する零戦の大編隊は、出撃の準備を整えた。整備兵の水島国夫は、親友である浜田のためにバナナを用意した。浜田たちは多くの人々に見送られ、基地を飛び立った。昭和十六年十二月八日、太平洋戦争開戦第一日。この日、空の戦いの新しい歴史が始まった。そして零戦がその名を世界に轟かせたのは、フィリピンのアメリカ空軍基地に対する長距離奇襲攻撃からだった。
マニラのアメリカ極東陸軍司令部。航空司令官のルイス・ブレリートンと陸軍参謀長のリチャード・サザーランドは、艦上からでなく台湾から日本の戦闘機部隊が来たことを陸軍総司令官のダグラス・マッカーサーに報告した。マッカーサーは「台湾からは500マイルもある。往復できるような戦闘機は存在しない」と信じなかったが、実際にクラークフィールド空軍基地は爆撃を受けた。作戦を成功させた浜田は機内で安堵の笑顔を浮かべ、バナナを食べた。
浜田と水島は数々の国産戦闘機を見て大空に憧れ、海軍飛行兵に志願した。昭和十四年。浜田は怯える水島を誘い、深夜に脱走を試みた。しかし海軍大尉の下川万兵衛に見つかり、「帰る道が分からなくなったのか。付いて来い」と言われて仕方なく基地へ戻った。下川は彼らに、正式採用が発表される前の零戦を見せた。初めて目にする零戦に、浜田と水島は心を奪われた。下川は彼らが脱走を目論んでいたことを分かっており、「四等水兵の月給は五円六十銭。この零戦は一機五万五千円する。しかし一年か二年も辛抱すれば、国が新品を一機ずつくれる」と語った。「この新兵器に乗って大空の王者になれる」と言われた浜田と水島の気持ちは、大きく変化した。
浜田は念願通り、操縦練習生の道に進んだ。水島は適正不合格で、整備員の道を選んだ。昭和十六年四月、浜田は横須賀航空隊に配属され、テスト飛行のために実験部を訪れていた下川の元へ挨拶に赴いた。下川はテスト飛行が終われば転任することが決まっており、部下の小福田租に付いて行くよう浜田に告げた。下川はテスト飛行で無理をしたため、零戦の尾翼が壊れて墜落死した。航空技術廠の風洞実験室で、三菱名古屋工場設計主務の堀越二郎と副主務の曽根嘉年は事故の原因を究明した。
開戦と同時に、日本軍は破竹の進撃を見せた。北はアリューシンから南はソロモン海、西はビルマから東は中部太平洋諸島に渡る広大な地域を席巻した。しかしアメリカのB-17を相手にした時、零戦は苦戦を強いられた。浜田は何発の銃弾を浴びせても全く効かないため、体当たりで何とか一機を沈めた。浜田と水島はB-17の残骸を回収して調べ、操縦席の防御板が零戦の20ミリ弾を簡単に跳ね返す頑丈さだと知った。それに比べると零戦の防御板は紙のように薄く、搭乗者の命は消耗品扱いされていた。
昭和十七年六月五日のミッドウェー海戦では、防御板の差が決定的な敗因に繋がった。日本軍は歴戦の搭乗者の大半を失い、再起不能と言われるほど弱体化した。小福田は搭乗者の人命を重視する対策が必要だと訴えるが、空技廠担当官や航艦参謀の賛同は得られなかった。軍令部参謀は「攻撃は最大の防御」と言い、零戦の防御板を改良する考えを完全に否定した。水島は高等科整備技術練習生の教育で名古屋を訪れ、自転車のチェーンが外れて困っている吉川静子を助けた。彼は三菱重工業名古屋航空機製作所で曽根と会い、部品の規格統一を要請した。曽根は水島に、零戦設計を手伝った東条輝雄を紹介した。
水島は曽根に誘われて飲み屋へ行き、そこで働く静子と再会した。静子は零戦工場で職工長をしていた父を亡くし、零戦が飛ぶ姿を近くで見たいと願っていた。水島は彼女の夢を叶えるため、浜田に頼んで零戦のテスト飛行を見せてもらった。静子は水島から浜田を紹介され、礼を述べた。米軍はアリューシン列島のアクタン島で不時着に失敗した零戦を回収し、能力を分析した。米軍は強い馬力の戦闘機と新しい戦略によって、零戦に勝る力を持ち始めた。
昭和十七年八月七日。米軍はガタルカナル島に上陸し、「零戦の墓場」と呼ばれたソロモン海の長く苦しい消耗戦が始まった。そんな中、浜田は不死身のように勝ち続けてエースにのし上がった。小福田は内地の実験部へ戻ることになり、宮野に後を任せた。ガタルカナルは米軍に占領され、敗色が濃くなった南太平洋の戦局を支えるのはラバウルの海軍航空隊だけとなった。昭和十八年四月、連合艦隊司令長官の山本五十六は劣勢挽回のため、陣頭指揮で反撃の大航空作戦を展開することになった。彼は連合艦隊参謀長の宇垣纏を伴ってラバウルに入り、浜田や宮野たちに会った。
山本が視察の計画を立てると、第三艦隊司令長官の小沢治三郎は危険だと感じて再考を進言した。しかし山本は考えを変えず、わずか六機の護衛だけで行くことを決めた。宮野は部下の森崎武に護衛隊の指揮を任せ、浜田も参加した。山本の動きは米軍に筒抜けとなっており、待ち伏せ攻撃を受けて死亡した。浜田は山本の詫びとして、一機でも多くの敵を撃墜すると心に誓う。宮野は部下たちに、「海軍には海軍の伝統がある。生きてる限り、内地の土は踏めないという覚悟だけは決めておけ」と語った。
宮野と護衛隊の六名は連日の出撃を命じられたが、それは死に場所を得るようにと配慮された海軍の伝統だった。敵機動部隊と輸送船団を攻撃する作戦の際、宮野と森崎は命を落とした。水島は浜田を心配し、「エンジンのオイル漏れが酷いので、原因を突き止めるまでは飛行中止だ」と話す。浜田は自分の機体を調べ、オイル漏れが嘘だと気付いた。腹を立てた彼に詰め寄られた水島は、「お前は海軍戦闘機隊の宝なんだ。使い捨ての将棋の駒みたいに、ボロボロになって殺されていいのかよ」と訴えた。
浜田が「お前ら整備員が口出しすることじゃねえ」と声を荒らげると、水島は「整備だって死ぬ気で戦ってるんだ。大きな口叩くな」と反発する。浜田は彼を何度も殴り付けて、「アメ公を叩き落とす。それが俺の仕事だ。邪魔しやがる奴は、みんなブチ殺してやる」と言い放つ。浜田の出撃中に飛行場が爆撃を受け、水島は怪我を負った。内地の病院を退院した彼は、横須賀でテストパイロットに復帰していた小福田の下で働くことになった。静子と再会した水島は、小福田の気遣いで二人だけの時間を貰った。水島と静子は互いに恋心を抱いていたが、その思いを伝えずに別れた…。監督は舛田利雄、原作は柳田邦男(文藝春秋刊)、脚本は笠原和夫、製作は田中友幸、特技監督は川北紘一、協力製作は田久保正之&高井英幸、撮影は西垣六郎、美術は育野重一、録音は宮内一男、照明は粟木原毅、編集は黒岩義民、音楽は伊部晴美、主題歌『黎明(れいめい)』挿入歌『北斗七星』唄は石原裕次郎。
出演は加山雄三、堤大二郎、早見優、橋爪淳、丹波哲郎、南田洋子、北大路欣也、あおい輝彦、目黒祐樹、おりも政夫、宅麻伸、大門正明、加藤武、神山繁、青木義朗、森次晃嗣、御木本伸介、中山昭二、五代俊介、福田浩、ウィリアム ロス、ジャック デービス、ステファン プロクター、チャーリー フォンタナ、レオ メンゲッティ、真木洋子、佐藤允、竹内康明、島田裕二、山本太郎、長沢武司、永沢秀樹、大田久司、尾中裕之、土井武史、堀井正人、井上浩、佐藤一也、奈須真司、村山洋、横尾正、横尾成年、河野久永、小畑英治、新納敏正、瑞樹一祐、矢野博之、安田功、吉村啓文、東雅敏、和田佳久、岩永新悟、大石誠、加藤正哉、黒田淳一、塩谷光利、古澤悟、松尾理一郎、松崎渡、三浦真次ら。
『大日本帝国』『日本海大海戦 海ゆかば』の舛田利雄が監督を務めた作品。
脚本も同じく『大日本帝国』『日本海大海戦 海ゆかば』の笠原和夫。
下川を加山雄三、浜田を堤大二郎、静子を早見優、水島を橋爪淳、山本を丹波哲郎、正一の母のイネを南田洋子、小福田をあおい輝彦、宮野を目黒祐樹、森崎をおりも政夫、曽根を大門正明、宇垣を加藤武、軍令部参謀を神山繁、小沢を青木義朗が演じている。
堀越役の北大路欣也は特別出演で、東条役の宅麻伸は友情出演。映画が始まると、いきなり何の前置きも説明も無く出撃シーンが描かれる。
準備などを丁寧に描いて出撃までに7分ぐらい使っているが、高揚感は全く無い。
そこから戦闘シーンに入り、それか終わるのが映画開始から15分辺り。
戦闘シーンにたっぷりと時間を割いているのは、ミニチュアによる特撮を見せたいってことなんだろう。
そしてクラークフィールド空軍基地の爆撃シーンが終わると、「それまで俺たちが見ていた国産の戦闘機」として、白黒写真で数種類の艦上戦闘機が紹介される。下川はテスト飛行の際、尾翼に振動が生じたことを報告する。さらに振動が続き、上官は無理せずに中止するよう指示する。しかし下川は命令に従わず飛行を続け、そのせいで尾翼が壊れる。
なので、「愚かしい無駄死に」にしか見えない。
テスト飛行は問題点を炙り出すのが目的であり、それは尾翼に振動が生じた時点で達成できている。だからこそ上官も無理せず中止するよう命じているわけで、それでも続行するのは何の意味も無い行為だ。
下川は苦しそうな様子を見せており、マトモに操縦できる状態じゃなくなっているんだし。粗筋では下川が墜落死すると書いたが、実際には機体がバランスを失って制御不能になる様子を描いただけで、墜落や爆発などの描写は無いまま次のシーンに切り替わる。
しかも次のシーンは下川の死を悼む様子が描かれるわけではなく、実験室の様子が水島のナレーションベースで映し出される。
その後で浜田が堀越と曽根に怒りをぶつける様子は描かれるが、これ以降、堀越の存在は完全に忘れ去られる。
下川は浜田と水島に大きな影響を与えた重要人物のはずなのに、その死は雑に片付けられている。「状況説明のためのナレーションパート」「次の展開に進むためのドラマパート」「ミニチュア特撮を見せるための空中戦パート」という3つのパートを繰り返す構成になっている。
チェンジ・オブ・ペースに乏しく、多くの時間が単調なトーンで占められている。
「連勝による浮かれモードから、ターニング・ポイントが訪れて敗色濃厚へまっしぐら」という戦況の変化は、ドラマとしては、ほとんど伝わって来ない。
その大半は、事務処理としてのナレーションに頼っている。山本の死亡など重大なトピックスも色々とあるのだが、それが充分な盛り上がりに繋がることは無い。
ナレーションベースによる物語の進行が、何もかもを「淡々の色」に染め上げていく。
空中戦のシーンが大きなセールスポイントになっているのは良く分かるが、そんなに多くのバリエーションがあるわけではないので、何度も用意されても「ずっと満足」とは行かず、だんだん飽きて来る。
そんなに中身が描かれていない連中が死んでも、それで心が揺さぶられることは皆無だし。オイル漏れの嘘に浜田が激怒し、水島と喧嘩になるシーンがある。
ここから仲直りのドラマがあるのかと思いきや、シーンが切り替わると出撃する浜田と見送る水島が何事も無かったかのように笑顔で握手を交わしている。
整備員を馬鹿にした浜田だが、それを謝罪することも無い。
水島が浜田の覚悟に触れて、「心配だけど応援する」という気持ちに変化する様子が描かれるわけけでもない。
和解のドラマが皆無のままで片付けるのなら、激しい口論は何だったのかと。柳田邦男による同名の書籍が原作だが、内容は全くの別物になっている。
原作は開発担当者やパイロットなど複数の視点から零戦の生涯を描いたノンフィクションであり、零戦の開発から太平洋戦争の終戦までを追う内容となっている。
映画が公開された1984年の時点では、マリアナ沖海戦までを描く「熱闘篇」が連載中だった。
この映画は、原作のタイトルだけを借りたオリジナル脚本と言ってもいいだろう。
開発者の堀越二郎たちも登場するけど、「申し訳程度に顔を出しました」という程度の扱いに終わっているしね。ビリングトップは下川役の加山雄三だが、序盤のわずかな出番だけで退場する。実際の主役は、堤大二郎とナレーションも担当する橋爪淳の両名だ。
映画版はザックリ言うと、そんな2人が演じる「零戦乗りと整備員の、友情と恋の物語」である。
その時点で方向性として大いに疑問を覚えるが、そこは百歩譲って受けいれるにしても、「恋」の部分は絶対に要らないわ。「零戦を巡る物語」から、大きく逸脱しているし。
しかも、無理してネジ込んだ恋愛劇は、呆れるぐらいに薄っぺらいし、全体の流れから完全に浮いているし。整備員を主人公に据えるのは、それまでに製作された他の戦争映画と比較しても、なかなか面白い着眼点だと思う。
しかし実際には語り手として都合が良かったからメインキャラ1人に据えているだけであり、「整備員としての苦悩」とか「整備員としての戦争」を掘り下げるアプローチは全く無い。
結局、描きたいのは「若き零戦乗りが戦争ジャンキー化していく悲劇の物語」である。そして、それを通じて反戦のメッセージを訴えたいわけだ。
日本製の戦争映画に反戦メッセージが付随するのは仕様と言ってもいいが、だからダメだとは思わない。
でも、この映画が訴えかける反戦メッセージは、右から左へ通り過ぎて行くだけだ。前述のように堀越二郎も登場しているのだが、彼を主人公に据えて「零戦の開発者という裏方の立場から見た太平洋戦争」を描けば、既存の戦争映画とは全く異なる作品に仕上がっただろう。
ただ、それだと見せ場としての戦闘シーンを何度も盛り込むことは難しくなる可能性が高い。
なので、特撮シーンでの派手なドンパチを望む東宝上層部が絶対にゴーサインを出さなかっただろうね。
当時の東宝にとっては、特撮ってのが一番の売りと言ってもいい大きな武器だったしね。水島は大怪我を負って入院した浜田の見舞いに訪れ、再び零戦に乗ることを決めた彼を心配する。ここで「浜田の決心を変えさせるには、一つの方法しか思い付かなかった」というモノローグが入ると、石原裕次郎による挿入歌『北斗七星-乙女の神話-』が流れる。そして浜田と静子と水島が自転車を漕ぎながら楽しそうにする様子が、歌の背景として映し出される。
この演出、見事なぐらい恥ずかしい。
あと、水島が浜田の気持ちを変えさせるために静子と結婚させようとするのは、彼女への酷い裏切り行為にしか見えんぞ。そこに苦悩や逡巡でもあれば、ともかく、そういうのは全く無いし。
あと、静子が浜田と結婚する気になるのも、そこへ至る心の変化が全く描かれていないので、薄っぺらいなと。そのせいで、その後の悲劇の展開も全く心に響かないぞ。(観賞日:2024年8月9日)