『ゼロの焦点』:2009、日本
昭和32年8月、板根禎子は東洋第一広告に勤務する鵜原憲一とお見合いをした。彼は金沢出張所に赴任して2年目で、月に10日ほど東京の 本社に戻っているらしい。禎子は寡黙な憲一に好意を抱き、やがて2人は結婚を決めた。結婚式から1週間後の12月1日、憲一の後輩で ある本多良雄が金沢に赴任することとなった。憲一は引き継ぎのため、金沢へ向かう。禎子が駅まで見送りに行くと、憲一はキャラメルを 一粒差し出し、「1週間で戻る」と告げた。
1週間が過ぎたが、憲一は戻って来なかった。電報も届かない。先に送られてきた彼の荷物を片付けていた禎子は、2つの建物が写った 写真を発見した。12月11日になっても、まだ憲一は戻らない。しかし本社の課長によれば、彼は7日に出張所を発っているらしい。不安に なった禎子は、憲一の兄・宗太郎に相談した。すると宗太郎は「あいつは昔から、そういうことがある」と笑い飛ばした。
禎子は憲一を捜すため、金沢へ行くことに決めた。金沢駅に降り立つと、本田と金沢出張所の青木所長が出迎えた。本田は、海岸で死体が 上がったことを告げた。30代半ばの男性で、憲一と同じ茶色の背広を着ているという。禎子は本田たちに連れられて死体の確認に向かうが 、憲一ではなかった。禎子は本田から、憲一が1年半前に下宿を引き払っていることを知らされた。どこに憲一が住んでいたのかは、会社 の人間も知らないのだという。
本田は禎子に、憲一の得意先だった室田耐火煉瓦会社の社長・室田儀作から話を聞いてはどうかと持ち掛けた。憲一は公私共に懇意にして いたらしい。本田が禎子を会社へ案内すると、向かいの建物には市民活動家・上条保子の選挙事務所が入っていた。市長の急死を受けて、 選挙が行われることになったのだ。本田によると、室田の再婚した妻・佐知子も陰から保子をサポートしているらしい。
会社に入った禎子たちは、手の荒れた受付嬢の拙い説明を受け、工場の事務所へ行くよう促された。禎子は、その受付嬢が外国人と英語で 話している様子が気になった。禎子は会社へ戻る本田と別れ、工場へ向かった。中に入ると、室田は失敗を犯した社員に冷徹な態度で解雇 を通告していた。禎子が事務所に移動して憲一のことを尋ねると、室田は「男が失踪するのは、一般論では女だ。だが、アンタなら戻って くる」と言って笑った。
事務所に佐知子が現れ、禎子に「今日は事務所に行かないといけないので、明日なら話を聞きます」と告げて立ち去った。室田は禎子に、 「鵜原の私生活は家内の方が詳しいはずだ。お気に入りだったからな」と含んだように言う。夜になって旅館に戻った禎子は、京都に出張 しているはずの宗太郎がタクシーに乗り込む姿を目撃した。翌日、禎子は佐知子に会うため、保子の選挙事務所を訪れた。新聞の中傷記事 に動揺している保子たちに、佐知子は「必ず勝ってみせる」と熱く訴えた。
佐知子は禎子を車に乗せ、邸宅へ向かった。屋敷を見た禎子は、憲一の写真に写っていた建物だと気付いた。佐知子は、12月6日に屋敷で 室田と憲一の3人で夕食を取ったことを話す。憲一は珍しく酔っ払い、『オンリー・ユー』を歌ったという。禎子たちが話していると、 駆け出しの画家である佐知子の弟・鳴海亨がやって来た。その夜、禎子が旅館に戻ると、母の絹江から電話が掛かってきた。禎子は絹江 からの情報で、憲一が東洋第一広告に入社する前に立川署で巡査をしていたことを知った。
翌朝、宗太郎が禎子の旅館に現れ、「たった今、金沢に着きましてね」と言う。禎子と別れた後、宗太郎は鶴来の旅館「加能屋」へ赴き、 仲居に「人と待ち合わせている」と告げた。しばらくして、宗太郎は部屋から苦悶の表情で飛び出し、倒れて絶命した。真っ赤なコートで 頭にネッカチーフを巻き、サングラスをした女が、部屋から立ち去った。宗太郎は致死量の青酸カリを飲まされていた。
金沢署の警部は禎子に、宗太郎が3日前から休暇願を出していることを告げた。彼が殺された時に逃亡した女性は、仲居の証言によれば、 パンパンみたいだったという。宗太郎の葬儀に参列するため、禎子は東京へ戻ることにした。列車に乗り込もうとした時、彼女は手の 荒れた受付嬢のことを思い出した。そして見送りに来ていた本田に、「彼女の英語はパンパンしか使わないようなスラングでした」と言う 。本田は「受付嬢のことを調べてみます」と約束した。
葬儀を終えた禎子に、本田から電話が入った。本田は、受付嬢が田沼久子という名前であること、宗太郎が殺された日から3日連続で会社 を休んでいることを告げた。久子の夫は、断崖から身を投げて自害していた。そこで、その夫の知り合いだったという室田が久子の面倒を 見るために雇い入れたらしい。ところが、室田と久子の夫の関係を、社内の人間は誰一人として知らなかった。そのため、久子が室田の 愛人ではないかという噂もあった。
本田は久子が住んでいる海辺のボロ家を訪れるが、真っ赤なコートの女に刺し殺された。警察は犯人が久子だと断定し、彼女を指名手配 した。禎子は金沢署の警部から、久子と夫の曽根益三郎が内縁関係であること、益三郎の遺体が12月8日に上がっていることを知らされた 。久子の家を訪れた禎子は、憲一の写真に写っていた建物だと気付いた。中に入ると、キャラメルの箱が転がっていた。禎子は、益三郎と 憲一が同一人物だと察知した。
禎子は金沢署に戻り、久子が自分を捨てようとした憲一を崖から突き落としたという推理を述べた。すると警部は、憲一が益三郎の名義で 久子に残した遺書を見せた。筆跡も憲一の物と合致していた。納得できない禎子は立川署を訪れ、かつて憲一と同僚だった葉山警部補と 面会した。葉山によれば、憲一は昭和23年に勤務していた頃は風紀係で、パンパンの取り締まりをしていた。しかし権力を持つMPの 出先機関のような扱いで、憲一は仕事に悩んでいたという。
禎子が久子について尋ねると、葉山は一昨日に室田が来て彼女のことを質問していったという。室田は、思い詰めた表情をしていたらしい 。禎子は葉山に教えられ、かつてパンパンが下宿していた大隈ハウスを訪れた。葉山は室田にも、その場所のことを教えたという。禎子は 大隈ハウスの大家から、かつて久子が偽名でパンパンをしていたことを知らされた。当時のパンパンたちの集合写真を見せられた禎子は、 その中に佐知子の姿を発見した…。監督は犬童一心、原作は松本清張 新潮文庫/光文社カッパ・ノベルス/文藝春秋松本清張全集第3巻、脚本は犬童一心&中園健司、 製作総指揮は島本雄二&島谷能成、製作統括は平城隆司&木下直哉&町田智子&宮路敬久&喜多埜裕明&石井博之&水野文英&吉田鏡& 久保田修&大宮敏靖&井上義久&高田達朗&荻谷忠男&古田栄昭&戸崎和良&北村一明、製作は本間英行、企画は雨宮有三郎、 エグゼクティブプロデューサーは服部洋&白石統一郎&市川南&梅澤道彦、企画プロデューサーは大浦俊将、製作プロデューサーは 川田尚広、プロダクション統括は金澤清美、撮影は蔦井孝洋、編集は上野聡一、録音は志満順一、照明は疋田ヨシタケ、美術は瀬下幸治、 音楽は上野耕路、音楽プロデューサーは岩瀬政雄。
主題歌「愛だけを残せ」中島みゆき 作詞・作曲:中島みゆき、編曲:瀬尾一三。
出演は広末涼子、中谷美紀、木村多江、鹿賀丈史、西島秀俊、杉本哲太、崎本大海、野間口徹、黒田福美、本田博太郎、モロ師岡、 市毛良枝、左時枝、小木茂光、長野里美、小泉博、本田大輔、江藤漢斉、畠山明子、佐藤貢三、大月秀幸、潟山セイキ、日和佐裕子、 蔭山弓枝、マーク・チネリー、ケン・モリヤマ、 羽野敦子、小野敦子、松田章、黄田明子、大橋寛展、藤井亜紀、田中充貴、有村圭助、浜幸一郎、中田敦夫、崔哲治、徳永淳、吉川勝雄、 坂本充広、石川泰子、上山奈緒美、中沢淳子、鈴木ひろみ、小出ミカ、小柳ふよう、みやなおこ、スティーブン・ヒューズ、藁科みき、 入口夕布、真喜志りゑ、中居由紀子、今野紀子、鬼界浩巳、吉田能里子、中村陽一ら。
松本清張の同名小説を基にした作品。
1961年に松竹が野村芳太郎監督で映画化しており、これが2度目の映画化。
禎子を広末涼子、佐知子を中谷美紀、久子を木村多江、室田を鹿賀丈史、憲一を西島秀俊、宗太郎を杉本哲太、亨を崎本大海、本多を 野間口徹、保子を黒田福美、青木を本田博太郎、金沢署の警部をモロ師岡、絹江を市毛良枝、大隈ハウスの大家を左時枝が演じている。
監督は『ジョゼと虎と魚たち』『グーグーだって猫である』の犬童一心。寄りのカットが、かなり多いのは気になった。
見合いをしているビルの遠景は無いし、上野駅も建物の全体を捉えたショットが無い。
金沢に移動すると町の景色が写るカットもあるが、東京では建物や町の全体が見えるようなロングのショットは皆無だ。
そのせいもあってか、どことなくTVサイズの作品だと感じてしまう。
犬童監督は映画畑の人なので、「TVドラマの出身だからTVサイズで撮影してしまう」ということは無いはずなんだけど。松本清張の作品を映像化する場合、時代背景や社会性の描写が重要になってくる。その時代の雰囲気や景色を再現できるか、それを上手く 観客に伝えられるかということには、注意を払わねばならない。
だが、この映画では、そのミッションをキッチリと遂行できているとは思えない。
まず冒頭の見合いシーンからして、昭和32年に見えない。
「昭和32年を意識して作った場所」にしか見えない。
せめて、先に昭和32年の町の風景や世相・風俗を描いておいて、それから見合いに突入した方が良かったかもしれない。ただし、「今の時代に、この原作を映像化するのは難しいのかもしれない」とも感じた。
例えば、見合いのシーンでは憲一が戦争に行っていることが語られるが、リアルなものとして伝わって来ない。
時代として、「戦後」があまりにも遠くなっているのだ。
もはやセリフで語るだけでは、それをリアルな感覚で捉えることが難しくなってしまったのだろう。
果たして現代を生きる若い世代の人々に、パンパン(米兵向けの娼婦)の悲哀、パンパンだった過去に翻弄される悲劇性が伝わるのだろう か。
そういうことを考えると、思い切って時代を現代に置き換えるのも1つの手だったかもしれない。
その場合は、大幅な改変が必要になるけれど。この映画、主役は完全に中谷美紀だ。
ビリングトップは広末涼子だけど、「中谷美紀が主役を食っている」というわけじゃない。
まあ演技の部分でも完全に中谷美紀が広末涼子を上回っているんだが(広末涼子の大根ぶりが際立ってしまい、ちょっと可哀想に感じた ぐらいだ)、それ以前の問題だ。
キャラ造形として、佐知子のキャラに深みを持たせるように話が作られている。
禎子は狂言回しという位置付けなのかもしれないが、かなりキャラが薄っぺらい。
夫を捜しているのだが、調べ回って証拠やヒントを集め、犯人や事件の真相に少しずつ迫っていくような流れは無い。広末涼子の声質は、このシリアスな映画の雰囲気に全く合っていない。
それなのに、彼女はナレーションまで担当してしまう。これは、かなり邪魔。
っていうか、声質に関わらず、ナレーションによる進行は邪魔だ。「憲一さんの昔のことを聞くと、私の知らないことばかりで、そのこと が一層不安にさせた」とか、言わなくても伝わるような心情を、いちいち言葉で説明するんだよな。それは無粋だよ。
あと、「夫のことを何も知らない恐怖と不安が湧き上がってきた」というモノローグのシーンで雷を鳴らすのは、わざと古めかしい演出を 狙っているのか。
それは古さを出すポイントが間違ってると思うぞ。本田が禎子を室田耐火煉瓦会社へ案内する途中、室田が九州から出て来た癖のある人物だとか、若い佐知子とは再婚だとか、市長の急死を 受けて市民活動家の保子が立候補したとか、佐知子が彼女を応援しているとか、ベラベラと説明するのは、ものすごく不自然。
その後、禎子が久子を気にしているのも不自然。
そりゃあ木村多江が演じている時点でチョイ役じゃないことは分かるけど、「後で物語に深く関与してくる重要なキャラですよ」という ことを、まだ何もしていない内から露骨にアピールするのは、どうなのかと。葬儀のため東京に戻ろうとした禎子は、なぜか急に「久子の英語はパンパンしか使わないようなスラングだ」と気付く。
「そう言えば冒頭の見合いシーンで、彼女が英語を得意にしていることが語られていたなあ」と思い出したけど、それでも不自然さは 否めない。
だってさ、禎子は箱入り娘だったんでしょ。ちょっと久子の英語を聞いただけで、なぜパンパンのスラングだと分かるのかと。
パンパンのスラングまで学んでいたのかと。後半、佐知子が久子と一緒にパンパンをやっていた頃を回想するシーンがあるが、そこの描写はおかしい。
MPに追われて小学校の教室に逃げ込んだ2人が会話を交わしているのだが、それを廊下で密かに聞いている憲一の姿をカメラが捉える のだ。
だけど、佐知子は彼が扉を開けて「裏から逃げろ」と告げるまで、そこにいたことを知らなかったはず。
その描写は、回想としては整合性が取れていない。整合性が取れていないと言えば、後半の禎子のモノローグも同様だ。
彼女は「憲一さんは佐知子と久子、それぞれに会っていることを内緒にしていた。2人が連絡を取り合うことを恐れたのだ」と語り、憲一 が佐知子に久子の就職斡旋を頼んだことや、佐知子が偽造自殺を提案したことなどをモノローグで説明するが、なぜ全てお見通し なのかと。
それは、急に頭の回転が良くなった彼女の勝手な推測に過ぎないはずなのだが、全て「事実」として語られる。
しかも実際、事実なのだ。終盤のシーン、『オンリー・ユー』の使い方の下手さには呆れた。
前半で『オンリー・ユー』が流れているシーンがあるし、佐知子が「酔っぱらった憲一が『オンリー・ユー』を歌っていた」と語っている ので、効果的に使っているつもりなんだろう。
だけど、「佐知子が車で立ち去り、怒った禎子が追い掛けようとするのを亨が制止する」いうところで、なんで『オンリー・ユー』なん だよ。タイミングがおかしいだろ。
何を表現しようとして歌を挿入しているのか、サッパリ分からない。
あと、この映画を見ただけでは、『ゼロの焦点』というタイトルの意味が全く理解できないと思うぞ。(観賞日:2011年3月8日)
第6回(2009年度)蛇いちご賞
・主演女優賞:広末涼子