『善人の条件』:1989、日本

関東北部の日暮市。市長の清川が、愛人・園田キクエの家で腹上死した。清川の妻・いさ子は、後継者として娘・房子の夫で大学助教授の牧原芳彦に白羽の矢を立てた。次期市長選で彼が戦うライバルは、反市長派で金権候補の柳田県議だ。
芳彦は名前を牧原から清川に変えて、立候補することになった。彼は選挙参謀の蟻田恒男、市会議長の網島五郎、選挙ブローカーの藤村良策、スポンサーである桃山建設常務・進藤保、前市長の後援会長・岸本信吾らに会う。芳彦は公職選挙法に基づいたクリーンな選挙を行うと告げるが、それは蟻田らの考えとは食い違っていた。
選挙戦が始まると、芳彦の関知せぬところで、今まで通りの腐敗した運動が行われる。有権者に対して金がばらまかれ、事務所では酒が振る舞われる。それでも芳彦は、東京から応援に来た娘の悦子や教え子の吉野貢にクリーンな選挙を宣言する。
選挙戦が続く中、房子が前市長の秘書・服部通夫と不倫していたとの怪文書が届いた。しかし、それは事実だった。柳田派は、2人の密会現場を撮影したビデオテープまで入手していた。芳彦は逆上するが、房子は選挙が終われば離婚すると開き直る。
房子の不倫問題が明るみに出たことで、芳彦の票読みは危ういことになっていた。当選に異様な執着を見せるようになった芳彦は、クリーンな選挙を忘れて蟻田の戦略に乗り、自ら率先して買収工作に乗り出した。そんな中、悦子が自殺未遂事件を起こす…。

監督&原作&脚本はジェームス三木、製作は杉崎重美、プロデューサーは深澤宏、撮影は坂本典隆、編集は鶴田益一、録音は原田真一、照明は八亀実、美術は横山豊、音楽監督は羽田健太郎、テーマ作曲は山下六合雄。
出演は津川雅彦、小川真由美、丹波哲郎、すまけい、小林稔侍、橋爪功、山岡久乃、野際陽子、柳生博、松村達雄、泉ピン子、黒柳徹子、桜田淳子、浪越徳治郎、山下規介、井上順、イッセー尾形、森三平太、汀夏子、守谷佳央理、野村昭子、小竹伊津子、鷲尾真知子、松金よね子、浅利香津代ら。


脚本家のジェームス三木が、初めて監督を務めた作品。
芳彦を津川雅彦、房子を小川真由美、蟻田を丹波哲郎、網島をすまけい、服部を小林稔侍、藤村を橋爪功、いさ子を山岡久乃、キクエを野際陽子、進藤を柳生博、岸本を松村達雄が演じている。

主人公は理想を抱いており、真面目で正直な男だ。彼は強い信念を持って選挙に挑むが、すっかり腐敗した現実に打ちのめされ、最後には完全に崩壊してしまう。「正直者はバカを見る」という現実が、この映画ではハッキリと描き出されている。
ところで、醜いモノを醜いままで、そのまま醜いモノとして加工せずに差し出した場合、通常の感覚を持った人々ならば、たぶん目を背けたくなることだろう。そこで「目を背けずに直視すべきだ」と言うのは簡単だが、それは自分本意の甘すぎる主張だ。

何か社会的に大きな事件があって、そこに秘められた真実を暴き出すというのなら、醜いモノをストレートに差し出しても、それを見てもらえる可能性は高くなるだろう。だが、ここで描かれるのは、どこにでもありふれた選挙の風景だ。ここにあるのは多くの国民が既に知っている事実であって、秘められた真実が暴かれるというわけではない。
シニカルな視点からブラック・コメディーとして描けば、これも見てもらえる可能性は高くなっただろう。笑いに包むことで、醜いモノを見やすくなるからだ。しかし、この映画に笑いは無い。コミカルにしようという匂いも無いことは無いが、結果的にはコメディーではない。少なくとも、肝心の“選挙の腐敗”という部分は、笑いには包まれていない。

醜いモノを打ち破る物語にするのであれば、それは受け入れてもらえるかもしれない。突破する方法が滑稽だったり非現実的だったりしても、映画なのだから、それもいい。しかし、この映画では結局、腐敗に負けるという救われない現実で終わる。
最後は「腐敗選挙は有権者が悪い」、つまり映画を見ている観客が悪いのだと捨て台詞を吐いて終わる。そんなことは、いちいち言葉にして言うことじゃなくて、映画の中で示すべきことだ。わざわざ観客を不愉快な気持ちにして、何がしたいんだか分からない。

優れた演出さえあれば、醜いモノを真正直に描いても、見てもらえる形は作れたかもしれない。しかし、台詞によって選挙の腐敗を説明することに気を取られたのか、ひたすら退屈極まりない話し合いばかりが延々と続く。動きは重要視されていない。
選挙戦というのは、ある意味ではドラマティックなモノだが、この映画では盛り上がりや話の起伏を出来る限り抑えて、同じ調子で淡々と進めようとしている。クドクドとした会話シーンばかりがダラダラと続き、どんどん沈滞感が増して行くばかり。

ジェームス三木は、真剣な気持ちで選挙戦の腐敗問題を描こうとしたのだろう。
彼は理想を抱き、熱いメッセージを訴えようとしたのだろう。
たぶん、彼は真面目で正直な人なのだ。
だが、正直者はバカを見るのが、この世の摂理というものなのだ。

 

*ポンコツ映画愛護協会