『ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲』:2010、日本

2010年、ゼブラーマンは襲ってきた地球外寄生生物と一人で戦い、人類と地球を救った。小学校の教師だった市川新市は、一夜にして ヒーローとなった。それから1ヶ月。新市が暮らす質素な住宅の外に、大勢の人々やマスコミが押し掛けていた。新市は普通に暮らして いたが、周囲の騒ぎに疲れた家族は出て行った。新市は一日中、警察やマスコミに監視される生活を余儀なくされていた。
気が付くと、新市はどこかに拘束されていた。近くには科学者らしき男と助手がいた。「もう変身できないんだ」と新市が言うと、助手は 捕まえた少女の脚部を突き刺した。すると少女の目は、エイリアンに寄生されていることを示す緑色に変わった。科学者らしき男が「まだ 終わってないんだよ」と言い、新市を拘束している機械を作動させた。意識を失った新市は、2025年に目を覚ました。
新市は髪の毛が真っ白になっており、路上で倒れていた。午前5時、覆面の武装集団が現れ、新市は慌てて逃げ出した。彼は追い詰められ 、乱射を浴びて倒れた。武装集団は止めを刺そうとするが、5分が経過すると立ち去った。直後、市場純市という男が現れ、新市を横浜の 八千代市にあるコミューン「白馬の家」に運び込んだ。すると新市は担架から元気に起き上がる。白馬の家のリーダー的存在・浅野晋平は 新市を見て驚いた。浅野が小学校の頃の担任教師が新市だったのだ。
浅野は新市の弾丸を摘出しながら、事情を説明した。一昨年の都知事選で相原公蔵が当選し、東京はゼブラシティと改名された。相原は 強引な都市計画を進め、ゼブラシティは実験的な政治改革を進めるモデル都市となった。その中の1つがゼブラタイムだ。朝と夕方の5時 から5分ずつ、警察は民間人を撃っていいという条例を制定した。権力を持った人間は、あらゆる犯罪行為が許されている。ゼブラタイム の導入後、犯罪の発生件数は半分以下に減少した。ゼブラシティは世界で最も治安のいい都市と呼ばれている。
相原の演説を襲撃しようとした男は、ミニスカゼブラポリスに蹴散らされた。相原の娘ユイは、スーパーアイドルのゼブラクイーンとして 活動しており、ゼブラシティの広告塔になっている。浅野は医師免許を持たず、治療行為を行っていた。ゼブラタイムの被害者を、市場が 救出して白馬の家に運び込んでいるのだ。だが、浅野が頼んだわけではない。市場は被害者のリハビリを担当していた。新市は記憶を 失っており、浅野のことも覚えていなかった。
ユイはアイドルの美咲美香がダウンロードランキングで1位になったことに苛立ちを示す。これまではユイの曲が40週連続で1位だった。 「こいつ、目障り」と敵意を剥き出しにした彼女は、側近の新実に「消して」と命じる。新実はゼブラタイムを利用し、従兄弟の警官に 殺害させようと考える。だが、ユイは「ダメだよ、そんなんじゃ」と口にする。ユイは清掃員に化けて美香に近付き、笑いながら撲殺した 。彼女はカメラの前で美香の死を悼む芝居をして、歌唱パフォーマンスを行った。
新市は、ユイが歌ったり踊ったりするほど、自分が弱っていくように感じた。市場は新市に、自分が主演していたTVドラマのDVDを 見せる。彼はアクション俳優として活動し、TVドラマ『ゼブラーマン』で主役を演じていた。DVDを見ていた新市の脳裏を、拘束 された時の記憶が瞬間的によぎった。ユイは衣装デザイナーの用意した衣装に対し、「白が多すぎる」と文句を付けた。
ユイは新実に、15年前の出来事を語る。ゼブラーマンがエイリアンの地球征服を阻止した後、現場の後処理で回収作業を指導したのが 防衛庁にいた相原だった。その時、彼は緑色のエイリアンに寄生された女の子を見つけたが、逃げられてしまった。ユイは新実に「それを 見つけ出すのが貴方の仕事」と言い、エイリアンを繁殖させようとしていることを語る。そこへ相原が現れ、「お前たちは手を出すな。 あれは私とミニスカたちで捕まえ、抹殺する」と告げた。
『ゼブラーマン』の最終回を見ていた新市は、ゼブラーマンがエイリアンを吸収して死ぬシーンが訪れると、激しく暴れ出した。浅野は 市場と共に取り押さえ、注射で眠らせた。浅野は市場に、新市が本物のゼブラーマンであることを教えた。市場はゼブラタイムの被害者に 訓練を積ませて自警団を作り、ゼブラシティを対決しようと考えていた。だが、浅野は暴力に反対し、意見は対立していた。
白馬の家には、すみれという少女がいた。市場は新市に、「ゼブラタイムの被害者で、喋れない。自分で育てた鉢植えを壊すのが彼女の 日課だ」と語る。だが、新市が花に水をやろうとすると、すみれは「どうせ咲かないから」と話し掛ける。「喋りたくないから黙っていた だけ。それに、すみれじゃないよ」と彼女は言う。しかし新市が名前を尋ねると、「言いたくない」と返答を拒んだ。新市は、どこかで 彼女に会ったような気がした。
新市がすみれの頭を撫でると、体に電流が走った。すみれは自分の手に触るよう促した。新市が彼女と手を握ると、再び電流が走った。 すると、車の中にいたユイも新市と同じように苦悶した。新市の頭部は、白いゼブラーマンの姿に変身した。すみれが手を離すと、彼は元 の姿に戻った。「君は?」と新市が訊くと、すみれは「分からないけど、普通じゃないのは確か。こう見えて私、25歳だし。私の能力を 悪いことに利用しようとしている連中に閉じ込められていて、成長が止まってしまった」と語った。
ユイは、白馬の家にエイリアンがいることを察知した。だが、そこは横浜なので、ゼブラタイムは適応外だった。新市は浅野と市場に、 「相原ユイは俺自身だ。白黒付けたい」と告げる。彼はすみれを抱き締め、白いゼブラーマンに変身した。ユイは相原に暴行し、車外に 出して置き去りにした。そこにゼブラポリスの集団が来て、相原を抹殺した。ユイは政府を牛耳り、横浜市八千代区をゼブラシティに 吸収合併することを発表した。
明朝5時からゼブラタイムが発動されるため、浅野は白馬の家の面々を避難させようとする。市場は自警団を集合させ、戦うことにする。 ユイが記者たちと話しているところへ、新市が現れた。ユイが襲い掛かると、新市は「貴様は俺だ」と言う。ユイは「お前が俺なんだよ」 と敵意を示した。新市は反撃を受け、その場から逃走する。新実はゼブラポリスを率いて白馬の家に乗り込んだ。市場はゼブラーマンの コスチュームを着込んで立ち向かうが、あっさりと叩きのめされた。
すみれは建物の屋上に立ち、「ゼブラーマン!」と助けを求めて叫ぶ。新市は体まで白いゼブラーマンに変身し、空を飛んで白馬の家へ 向かう。一方、ユイの体にもゼブラ柄が現れていた。彼女はバイクで白馬の村へ向かう。新実とポリスはすみれを拘束し、浅野に「この ガキはエイリアンに寄生されている。邪魔をすれば斬って捨てる」と言う。新実が浅野を殺そうとしたところへ、白ゼブラが現れた。 白ゼブラが新実を圧倒しているとユイが現れ、「白黒付けに来てやったよ」と不敵に笑った。
ユイは「思い出させてあげるよ」と言い、洗濯機に白いパンツと黒い靴下を入れて回転させた。それを見つめた新市は、失われていた記憶 を取り戻した。2010年、変身できなくなった彼は、相原に拘束された。相原は「心に迷いがあるからゼブラーマンに変身できない。犠牲に なって死んだ人の多さに罪悪感を感じている。自分の凶暴さに怯えている。善人でもあり、悪人でもある。白でもあり、黒でもある。それ がゼブラーマンなんです。白黒付けてあげましょう」と語った。
新市は超高速遠心分離機に掛けられ、善と悪に分離された。分離された悪の部分から生み出されたのがユイだった。ユイはすみれから 吐き出された小さなエイリアンを飲み込み、ゼブラクイーンに変身した。ゼブラシティやゼブラタイムを作り出したのも相原ではなく、 ユイだった。彼女は世界中にゼブラタイムを導入し、弱い人間や邪魔な人間を一掃しようと企んでいた。仲間や家族を当てにしないと 生きていけない「社会的弱者」を一掃することで、彼女の考える世界平和を手に入れようと考えていた。
ユイはすみれを捕まえてエイリアンを増殖させ、地球をパニックに陥れる計略を立てていた。それからエイリアンを倒し、世界中の人々 から英雄扱いされようというのだ。すみれが「私さえいなければ」と言って建物から飛び降りたため、慌てて新市は助けようとする。だが 、彼は気を失い、すみれはゼブラクイーンに拉致される。ユイはすみれを遠心分離器に掛け、巨大エイリアンを出現させた…。

監督は三池崇史、脚本は宮藤官九郎、企画プロデュースは平野隆、プロデューサーは岡田真&岡田有正&服部紹男、製作委員会統括は 氏家夏彦&福地公美、制作統括は黒澤満、アソシエイトプロデューサーは大原真人&石黒研三、撮影は田中一成、編集は山下健治、録音は湯脇房雄、照明は 佐藤浩太、美術は坂本朗、セットデザイナーは橋本創、CGIプロデューサーは坂美佐子、CGIディレクターは太田垣香織、 スタントコーディネーターは辻井啓伺、音楽は池頼広、音楽プロデューサーは上野麗&津島玄一。
主題歌『NAMIDA〜ココロアバイテ〜』作詞:田中秀典&emmy、作曲:小形誠&井尻希樹、編曲:飛内将大、歌:ゼブラクイーン。
挿入歌『ゼブラクイーンのテーマ』作詞:宮藤官九郎、作曲:飛内将大、編曲:飛内将大、歌:ゼブラクイーン。
出演は哀川翔、仲里依紗、阿部力、田中直樹(ココリコ)、ガダルカナル・タカ、井上正大、永野芽郁、生瀬勝久、スザンヌ、中野英雄、 六平直政、木下ほうか、マメ山田、水樹奈々、波岡一喜、レスリー・キー、前田健、稲生美紀、大橋沙代子、清水ゆう子、 内田流果、伊藤修子、山中猛、田辺愛美、五頭岳夫、廣川三憲、浮田芳夫、浦野祥鷹、高峰関二郎、本山彦次郎、斎藤あんり、安部賢一、 寺部智英、向雲太郎、六八茂、工藤博、二宮未音、黒田大輔、児玉千春、長谷妙子、藤井京子、坂本雅子、澤田よしみ、星美智子、 河野景子、福田陽一、宇野祥平、村上寿、石川ユリコら。


2004年に公開された『ゼブラーマン』の続編。
当初は『ゼブラーマン2 ゼブラシティの逆襲』というタイトルだったが、公開の2ヶ月前になって現在のタイトルに変更された。急な 変更だったため、画面上のタイトルは『ZEBRAMAN 2 ゼブラシティの逆襲』となっている。
前作からの出演者は、新市役の哀川翔のみ。
ユイを仲里依紗、新実を阿部力、市場を田中直樹(ココリコ)、相原をガダルカナル・タカ、浅野を井上正大、すみれを永野芽郁、冒頭の TVレポーターを生瀬勝久、美香をスザンヌが演じている。

前作は「冴えない中年男がヒーローに変身する」という作りだったが、今回は近未来が舞台で、世界観からして非現実的にしてある。
これが失敗。
『バットマン』的なノリを狙ったのかもしれんけど、ディティールが粗いのよ。
ゼブラタイムも、中盤以降は全く意味の無い設定になってしまうし。
そんなものを排除して、普通に「ゼブラポリスが人々を襲撃する」ということにしておいても、特に問題は無いのよね。
何しろ、「ゼブラタイムによって平和が保たれている」という設定すら、やはり意味の無いものになっているし。

新市の家にマスコミと野次馬が押し掛けている様子から始まり、場面が切り替わると新市が拘束されていて、相原が装置を動かすと2025年 に飛ぶ。
この導入部で、もう失敗だ。そこで観客を掴むことが出来ていない。
何が何やらワケが分からないんだよ。
余計なことをせず、2025年から始めれば良かったのに。
あと、2025年だということを、スーパーインポーズで説明しているのもダメでしょ。
っていうか、たった15年しか経過していないのに、そこまで劇的に世界が変化しているという設定は、かなり無理があるけど。

変形した塔から光が宇宙に発射され、それがゼブラシティ市役所の人工衛星に吸収され、そこから今度はゼブラシティに光が発射され、 覆面の武装集団がやって来る。
そういう様子を、いきなり見せたのも失敗でしょ。
まずは「そこはどういう街なのか、通常の状態ではどのような感じなのか」を示してから、非日常的な状況に移行すべきでしょうに。
あと、そこの描写が、まるで新市の見ている幻覚のような映像演出になっているのも失敗。
覆面集団の襲撃をゼブラクイーンのライブとカットバックで見せているんだけど、何が何だか良く分からないんだよ、ゴチャゴチャ していて。

新市が乱射されて吹っ飛ぶとゼブラクイーンも吹っ飛ぶけど、それもワケが分からない。
意識が散漫になったままで、どんどん話が進行していくのだ。
何がダメかっていうと、整理整頓がまるで出来ておらず、説明が無さすぎるってことだ。
まずは、そこがどこなのか新市に分からせるべきだ。そのためには案内役が欲しい。そして歌唱シーンでタイトルを入れるか、もしくは 歌唱を後回しにしてゼブラタイムを先に処理する。もちろん、どういう物なのかという説明は入れる。
新市とユイがシンクロするというのは、状況説明が一通り終わってから持って来るべき事柄だよ。

浅野がゼブラタイムの説明をするシーンでは、ドSの医師や女子プロマニアの国会議員のケースを見せて、ギャグにしている。そういう ユルいノリが、それ以降も多く散りばめられている。
だけど、この映画の世界観だと、そういうユルいノリって完全に外してるんだよね。
クドカンらしさではあるかもしれないけど、邪魔でしかない。
シリアスな部分とユルい部分が全く融合していない。

ユイは美香に怒りを示し、清掃員に化けて撲殺するが、そういう個人的な殺意とか、どうでもいいでしょ。
スケールをデカくしておいて、そこで一気に小ぢんまりした話になっている。
あと、美香の周囲に誰もいないとか、ユイが自ら化けて襲うってのもメチャクチャだし。
それと、悪党メイクで悪党らしい歌を歌っておきながら、ユイがカメラの前で「美香の死を悼んで彼女に捧げる歌を歌う」という芝居を するのは、キャラや世界観の設定がどうなっているのかと思ってしまう。

市場がテレビ版ゼブラーマンを演じていたという設定は、全く活かされていない。
っていうか、こういうキャラを持ち込むのであれば、そこを軸にして話を作るべきでしょ。
近未来の世界観で、「白と黒に分離したゼブラーマン」という設定を軸に据えるのなら、テレビ版のゼブラーマンが「本物のゼブラーマン と呼ばれたかったぜ」と言ってコスプレで戦うとか、そういうのって邪魔でしょ。
盛り込みすぎて、話が散らばってるでしょ。

キャラ設定も世界観の構築もストーリー展開も、何から何までメチャクチャで、ビシッとした筋が通っていない。
無駄に話がゴチャゴチャしていて分かりにくいし。
それは話が難解なわけじゃなくて、単に整理できていないだけ。
それと、白と黒にこだわりたいのは分かるけど、その描写に無理がありすぎる。
なぜ白の部分だけが残ったら抜け殻状態になるのか。なぜ残りカスになってしまうのか。なぜ悪の部分が抽出されたら女の姿に なるのか。
それは荒唐無稽として受け入れられるものではなく、デタラメなだけだ。

新市は「相原ユイは俺自身だ。白黒付けたい」と浅野たちに言い、すみれを抱き締めて白いゼブラーマンに変身する。
だが、なぜ彼が意欲を取り戻したのか、イマイチ良く分からない。
それを「記憶を取り戻したから」というだけで納得させようとしているんだけど、それじゃダメなんだよ。
「ゼブラーマンだからユイと会うのは当然」で納得は出来ないぞ。
しかも、それって戦うモードなんだよね。ゼブラーマンとしての記憶を取り戻すことと、戦う意欲を取り戻すことを、イコールにしてある ことに無理を感じる。

ユイは世界中にゼブラタイムを導入し、仲間や家族を当てにしないと生きていけない「社会的弱者」を一掃することで、彼女の考える 世界平和を手に入れようと考えている。
だったら、相原の言っていた「善と悪を分離する」という話と辻褄が合わなくなる。
その言葉からすると、ユイは悪意に基づいて行動しなければならないはず。しかし実際には、新市とは違う形で、世界平和に対する信念を 持っている。
それは設定として変だろ。
「世界平和を主張する奴も、やり口にしては悪になる」ということを言いたいのかもしれないが、そういうことはキッチリと描き切れて ないし。

っていうか、そもそもゼブラーマンが善悪に分離されている時点で変なんだけどね。
ゼブラーマンっていうのは正義のヒーローなんだから、善悪に分離されることは有り得ない。分離されるとすれば、それはゼブラーマン じゃなくて新市であるべきだ。
ゼブラクイーンを登場させたいのなら、ゼブラーマンの仲間として出せばいいじゃないか。
なぜ白黒に分離したという設定にしたのか。それが全くプラスに作用していない。
そのせいで新市は、前半の時間帯は気力も魅力もゼロの陰気な男になっているし(まあ前作でも決して魅力的なキャラではなかったが)、 ゼブラクイーンも中身の設定がボンヤリしているし。

あと、新市が悪玉の黒ゼブラと戦う筋書きにするのなら、最後までそれで行くべきでしょ。
つまり、ボスキャラはゼブラクイーンであるべきだ。
ところが、実際には、白ゼブラと黒ゼブラが本格的に戦うシーンは用意されておらず、巨大エイリアンがラスボスになっている。
そして、白ゼブラと黒ゼブラが協力してエイリアンを倒すのだ。
アホかと。
なんで白ゼブラが黒ゼブラを倒し、「自分で自分の始末を付ける」という着地にしないのか。

それと、黒ゼブラが新実の死で涙して、まるで「人間の心に目覚める」というような描写になっているが、それもメチャクチャだ。
黒の部分だけが抽出されたのだから、そういう描写はやっちゃダメでしょ。
っていうか、もう根本的な部分から否定しちゃうけど、「白黒が分離する」というアイデアの段階で失敗でしょ。
真っ白いゼブラーマンのコスチュームは、ちっともカッコ良くないし。

前作で「白黒つけるぜ」という決め台詞を使っておきながら、今回のゼブラーマンに「完全な白も完全な黒も無い」とか「白黒付けること で人は幸せになれるんですか」とか、白黒付けることを否定するようなことを言わせるのもヒドい。
自分たちで作ったヒーロー像を、自分たちでボコボコに破壊するなよ。
まあデタラメに破壊するってのは、三池監督やクドカンらしいとも言えるんだけどさ。

ラスト、エイリアンを食べて「丸く収めたぜ」と言うゼブラーマンの体がパンパンに膨らんでいるのは、ものすごくカッコ悪い。 なんでカッコ良く決めさせないのか。
笑いに走っている部分は、気持ちを萎えさせてばかりだ。
もっと素直に熱くさせてくれよ。ヒーローの活躍に燃えさせてくれよ。
それを否定しておきながら、しかもパロディーにもなっていない。
だったら、ヒーロー映画なんて作らないでほしい。
っていうか、クドカンにはヒーロー映画に限らず、ジャンル映画には関わらないでもらいたい。

(観賞日:2011年4月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会