『残穢【ざんえ】―住んではいけない部屋―』:2016、日本

Mが小学生だった頃、九州の親類の家に泊まったことがある。その家には河童のミイラがあると言われていた。夜中に目が覚めてトイレへ行こうとしたMは、大きな風音を耳にした。その音が聞こえて来たのは、母から絶対に入るなと釘を刺されていた部屋だった。Mが襖を開けて中を覗くと、薄暗い部屋の奥で不気味な怪物が動いた。畳みを這う怪物の焼けただれた腕が伸びて来たので、Mは慌てて逃げ出した。そんな内容の短編小説を、小松由美子は担当編集者の田村に読んでもらった。小説家の由美子は半年ほど前から怪談雑誌に連載を持ち、読者が送って来た奇妙な体験談を基にした短編を発表していた。

[202号室]
全ての始まりは、久保という女性から手紙が届いた2012年5月のことだった。久保は都内の大学で建築デザインを学び、ミステリー研究会の会長も務めていた。当時、彼女は学生寮を出て郊外に引っ越したばかりだった。彼女の引っ越し先は、築10年の5階建てマンションの202号室だった。転居して早々に、久保は何かがいる気配を感じた。和室の物音を耳にした彼女は、やつれた女性が掃き掃除をしている姿をイメージした。試しに和室を撮影すると、写真にはオーブが写っていた。
由美子は久保から送られて来た手紙と写真を見るが、心霊現象を全く信じていなかった。ホラーやミステリー系の作家である夫の直人は、彼女にも増して心霊現象に否定的だった。秋になり、続報が届いた。久保は和室に体を向けていれば、音がしないことに気付いた。しかし目に入ると気になるので、彼女は襖を閉めた。すると物音がしたので、彼女は襖を開けた。すると、着物の音が引きずられて消えた。彼女とメールをやり取りした由美子は、「着物の女性が首を吊って自殺した」という出来事をイメージしていることを推理した。
気になって過去の手紙を調べた由美子は、別の読者から同じような体験に関する報告を受けていたことを思い出した。それは久保と同じ岡谷マンションの405号室に住んでいた屋嶋という女性の手紙で、2010年6月に届いていた。屋嶋は何かが床を履くような音を聞き、幼い娘の美都は天井を指差して「ブランコ」と口にした。美都はぬいぐるみの首を紐で吊るし、それを揺らして「ブランコ」と告げた。由美子は久保に調べてもらい、既に405号室に別の家族が入居していることを知った。

[岡谷マンション]
久保は303号室の辺見やマンションの向かいに住む益子に尋ね、今まで自殺者がいた可能性を否定される。ただし辺見は405号室と202号室には長く住人が居付いたことが無いとも述べた。久保は不動産屋と会い、自殺者どころか死亡事故は一件も起きていないと名言された。201号室に引っ越してきた飯田章一は、相場より家賃が安いので何か曰く付きなのかと久保に訊く。不動産屋から何も無いと言われたことを久保が教えると飯田は安堵し、妻の栄子と息子の一弥を紹介した。

[前住者]
半年後、久保の前に202号室の住人だった男性の消息が判明したという連絡が由美子に届いた。辺見の夫である康一が、取引先の電器店で前住者の梶川が働いていたことを久保に教えてくれたのだ。しかし店へ赴いた久保は、梶川が1年前に自殺したことを聞かされる。梶川は岡谷マンションに引っ越した頃から人が変わったようになり、4ヶ月ほどで転居していた。引っ越し先のアパートを訪ねた久保は、大家の伊藤に話を聞く。梶川はアパートに赤ん坊がいるかを気にしており、いないと聞いて安堵していたらしい。
梶川の遺体が発見された前夜の2012年5月19日、伊藤は奇妙な体験をしていた。梶川が窓の外に現れたが、伊藤がカーテンを開けると誰もいなかった。ドアの前に梶川が現れるが、明日にするよう促すと今度は部屋の中に出現した。しかし、いずれも彼女は夢で見た内容だろうと思っていた。翌朝になって伊藤が梶川の部屋を訪れると、彼は首を吊って自殺していた。その部屋には現在、山本という男性が事故物件だと分かった上で住んでいた。
久保は自殺した梶川の霊が岡谷マンションに戻ったのではないかと推察するが、由美子は否定する。久保が怪奇現象を体験したのは、梶川が自殺するより前だからだ。しかも梶川は自殺した時に、床のフロアタイルに足が付いている状態だった。久保が帰宅すると、栄子が近所で何か事件は起きていないかと尋ねてきた。公衆電話から何度も悪戯電話があり、様々な質問を受けて困っているのだと彼女は話す。久保から電話を受けた由美子は、マンションが建つ前に自殺があったのではないかと告げた。

[マンション以前]
由美子は久保と会い、益子家を訪れて話を聞く。久保は昔の地図を見せて、当時の住人について質問する。岡谷マンションが建つ場所は、2001年は駐車場で、1991年は小井戸という地元民の家が残る他は空き地の状態だった。小井戸はゴミ屋敷の独居老人で、遺体で発見されていた。由美子と久保は当時の町内会長である秋山を訪ね、話を聞く。小井戸は隙間が嫌いだと言い、ゴミで埋めていた。1992年7月に秋山が訪ねると、小井戸は死んでいた。死後2週間が経過しており、死因は病死だった。
由美子と久保は、岡谷マンションの敷地に住んでいた根本家、藤原家、松坂家についても秋山から話を聞いた。根本家の老女は床下に猫がいると言い、藤原家の土地には人が長く居付いていなかった。久保が帰宅すると、飯田家は引っ越していた。由美子と久保は地元で古くから写真館を田之倉を訪ね、昔の話を聞く。岡谷マンションが建っている場所は、かつては根本家と高野家の土地だった。しかし高野家で事件が起きたことで、その状態が変化したのだった。

[高野家]
高野家では娘の披露宴が行われ、両親は嫁ぎ先に送り届けて帰宅した。奥の部屋に入った母親のトシヱは、首を吊って自殺した。由美子と久保は、高野家と親しかった日下部姉妹を訪ねて話を聞く。トシヱは務めに出ていた娘が戻って来てから、様子がおかしくなった。赤ん坊の声が聞こえると言い出し、日下部姉妹の姉が「何も聞こえない」と告げると「貴方も仲間なの?」と恐ろしい形相で睨み付けた。姉妹は由美子と久保に、トシヱの娘に堕胎の噂があり、それを気に病んでいたのではないかと話す。トシヱは周囲の人々に、「家の床から赤ん坊が湧いて出て来て泣く」と話していたらしい。
由美子は久保の家を訪れ、和室を見せてもらう。久保は「部屋を閉ざすと物を投げ込むようになり、気味が悪くて取りに入らない」と話し、それが続いて小井戸邸がゴミ屋敷になったのではないかと述べた。久保は踏ん切りが付いたと言い、引っ越しを決めた。由美子は喫茶店で田村と会い、短編小説を読んでもらう。由美子は「床から赤ん坊が湧いて出た」という表現が引っ掛かり、「1人ではない気がする」と言う。すると打ち合わせで店に来ていた作家の平岡芳明が、「同時に複数出て来たのでは」という推理を口にした。
平岡が「似たような話を聞いたことがある」と言うと、担当編集者の河田が「あれじゃないですか」と廃屋に入った若者たちの体験談だと指摘する。その廃屋は、かつて赤ん坊を殺して床下に埋めた犯人が住んでいた場所だった。平岡は由美子に、千葉にある廃屋が既に取り壊されていることを教えた。由美子は久保に電話を掛け、新たに分かった情報を教えた。久保は小さな設計事務所に就職し、由美子は夫と共に新居へ引っ越した。由美子の元には、廃屋について調べた平岡のファイルが届いた。廃屋の住人だった中村美佐緒は1952年に嬰児殺しで逮捕され、以前に住んでいた長屋でも7人の赤ん坊を殺害していたことを自供した。その後、長屋は更地になり、新たに建てられたのが根本家と高野家だった。

[高野家以前]
由美子は久保に電話して新たな情報を教え、高野夫人は「穢れ」に触れてしまったのだろうと話す。2人は長屋が建つ前についても調べることを決め、ミステリー研究会の後輩たちが協力した。その結果、長屋が建つ前には吉兼家があったことが判明した。

[吉兼家]
平岡は由美子に、吉兼家で精神病患者が私宅監置されていたことを教える。明治38年、吉兼友三郎は15歳で発病し、座敷牢に入れられた彼は排便口から抜け出し、床下を徘徊することが多かった。それを知った由美子は、美佐緒が床下から聞こえる声に命じられて殺人を実行したと供述していたことを思い出した。由美子が自宅で平岡と話していると、誰も通っていないのにセンサーが反応して電気が付いた。直人が調べに行くが、特に異常は見つからなかった。
由美子と久保は吉兼家の菩提寺を訪れ、住職の國谷に話を聞く。國谷は過去帳に友三郎の名前が無いこと、最後に記録されているのは三善という友三郎の継母であることを説明する。三善は2度の流産の後、24歳で他界している。三善の一周忌の時には、顔が歪む婦人図が供養されていた。三善の出身地が福岡だと聞いた由美子は、平岡から三澤徹夫という心霊マニアの会社員を紹介してもらう。福岡県出身の三澤は、三善の実家である奥山家が炭鉱を経営していたこと、事故で死んだ労働者の呪いで婦人図の顔が歪むようになったと言われていることを由美子に語った…。

監督は中村義洋、原作は小野不由美『残穢』(新潮社刊)、脚本は鈴木謙一、製作総指揮は藤岡修、製作は松井智、高橋敏弘&阿南雅浩&宮本直人&武田邦裕、企画・プロデュースは永田芳弘、プロデューサーは池田史嗣、ラインプロデューサーは湊谷恭史、協力プロデューサーは古賀俊輔、アソシエイトプロデューサーは姫田伸也&落合香里、撮影は沖村志宏、照明は岡田佳樹、録音は西山徹、美術は丸尾知行、編集は森下博昭、VFXプロデューサーは赤羽智史、音楽は安川午朗、
出演は竹内結子、橋本愛、坂口健太郎、滝藤賢一、佐々木蔵之介、山下容莉枝、上田耕一、不破万作、吉澤健、松林慎司、橋本一郎、篠原ゆき子、松浦理仁、松岡依都美、須田邦裕、大谷陽咲、稲川実代子、森山米次、渋谷謙人、成田凌、川面千晶、芦川誠、水木薫、中林大樹、今井暖大、咲音、十貫寺梅軒、滝本ゆに、小貫加恵、中込佐知子、塚田美津代、周本絵梨香、山田純之介、藤田瞳子、菅野久夫、宮下今日子、金井良信、平野貴大、長野克弘、杉山ひこひこ、リー中川、高澤父母道、大島奈穂美、長谷川とき子、鈴木士ら。


小野不由美のホラー小説『残穢』を基にした作品。
監督は『白ゆき姫殺人事件』『予告犯』の中村義洋。
脚本は『ボックス!』『グッモーエビアン!』の鈴木謙一。
由美子を竹内結子、久保を橋本愛、三澤を坂口健太郎、直人を滝藤賢一、平岡を佐々木蔵之介、田村を山下容莉枝、國谷を上田耕一、田之倉を不破万作、奥山家当主を吉澤健、河田を松林慎司、章一を橋本一郎、栄子を篠原ゆき子、一弥を松浦理仁、辺見を松岡依都美、辺見の夫を須田邦裕、辺見の娘を大谷陽咲が演じている。

冒頭、由美子のナレーションによる進行で、Mという少年が体験した出来事が描かれる。薄暗い部屋にいた不気味な影の腕が伸びて来て、Mが逃げ出すと、そこで「実は由美子が書いた短編小説の内容でした」ってことが明らかにされる。
なので、見事な肩透かしになっている。
オープニングで観客を怖がらせて気持ちを掴もうとしたのかしれないが、完全に逆効果。いきなり夢オチ的な仕掛けによって、気持ちが萎えてしまう。
Mの体験談は後の展開に繋がって来る伏線なので、全くの無意味というわけではない。ただ、どうせ他の出来事に関しては「こんなことがあって」という時に初めて描かれるので、そこだけ先に出しておいても大きな効果は発揮されていない。

私は未読だが、原作小説には実在する小説家の平山夢明や福澤徹三が登場し、モキュメンタリー的な趣向になっているらしい。映画版では本人役として登場する著名人はおらず、完全にフィクションとしての話になっている。
私はモキュメンタリー・ホラーに否定的な人間だが、映画の仕掛けとしては「著名人が本人役で登場する」ってのを使った方が良かったんじゃないか。平山夢明や福澤徹三じゃなくて、他の人物でもいいから、ホラーに合いそうな誰かを出した方が良かったんじゃないか。
そういう趣向でも無かったら、恐怖が全く足りていないホラー映画でしかないのよね、これって。
私はモキュメンタリーに頼りまくったホラーに何の怖さも感じないけど、それを怖がってくれる観客もいるだろうから、そういう趣向を凝らした方が可能性はあったんじゃないかと。

そもそも、「著名人が本人として登場する」という仕掛けを排除しているくせに、明らかにモキュメンタリーじゃないと成立しないような演出が施されているのよね。
由美子の淡々としたナレーションで内容が詳しく説明されるとか、由美子が「私」として描かれているとか、場面が転換するごとに正確な年月日が表示されるとか、「辺見さんの夫 辺見康一」「アパートの大家 伊藤さん」といった人物紹介の文字が入るとか、全てがモキュメンタリー的な演出なのよ。
ただ、何しろ冒頭で竹内結子が「ホラーの小説家」として登場しているし、その時点で「完全なるフィクション」ってことをハッキリと提示しているようなモノなのよね。
なのでモキュメンタリー的な仕掛けは、単に恐怖を薄めるモノでしかないのよ。

喫茶店で田村に短編小説を読んでもらった由美子が「床から赤ん坊は1人ではない気がする」と話していると、平岡芳明が急に絡んで来る。ここは原作なら平山夢明が登場するシーンだが、彼をモデルにした架空のキャラクターに変更しているわけだ。
でも、そこって「実在の怪談作家」だからこそ、効果が得られる仕掛けであって。佐々木蔵之介が演じる架空のキャラに変更しちゃうと、ただ違和感のあるキャラが不自然に絡んで来ただけになるのよね。
架空のキャラにするぐらいなら、出さなくてもいいよ。
「どこかで似た話が」と思い出すのは、由美子が自分で調べて突き止める形でもいいし、田村が教えてくれる形でもいいし。

調査を進める面々も、取材に協力する関係者も、そんなに怖い目に遭うようなことは無い。
もちろん殺されたりするようなことも無いので、みんなが淡々と行動したり話したりする。
どんどん時代を遡って新たな情報が明らかになっても、それによって恐怖が高まるようなことは皆無だ。「新たな情報が判明した」という、表面的な事実が重なるだけに過ぎない。
全て事実なら薄気味悪さも感じるだろうが、完全にフィクションだと分かっているので、その手法で観客を怖がらせるのは困難だろう。

この映画はルポのように、ナレーション・ベースで「こんなことがありました」という事象を追って行くだけの構成になっている。由美子が状況を説明し、久保と一緒に関係者と会って話を聞く。関係者が「過去にこんなことがありまして」と語り、それに合わせて回想シーンが挿入される。その回想シーンは、ドラマ性の薄い再現ドラマのようになっている。
これがドキュメンタリーだったら、そんな構成でも不安や恐怖を感じさせることが出来るだろう。でもフィクションと分かっていたら、それじゃ無理なのよ。ちゃんと恐怖を醸し出すための演出が必要になるのよ。
でも中村監督って『ほんとにあった! 呪いのビデオ』シリーズを手掛けて来た人なので、それと同じような仕掛けを持ち込んだんだろう。
そして策に溺れてしまったってことなんだろうなあ。

終盤、「実は河童のミイラの話が、奥山家で起きた出来事だった」ってことが判明する。
でも、それが明らかになっても全くゾクッとすることは無いし、「伏線が綺麗に回収された」という気持ち良さも無い。そこまでの展開が「全ての出来事は繋がっている」という形だったし、だから「なるほどね。まあ、そうでしょうね」ってな印象しか受けないんだよね。
っていうか、そもそも河童のミイラの話なんか完全に忘れていたので、奥山家との繋がりが明らかにされて「それで思い出しました」というだけだ。
本編の残りが10分ぐらいになってから、ようやく由美子や関係者が怖い目に遭っているけど、あまりにも遅すぎるし。

(観賞日:2021年2月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会