『30 -thirty-』:1997、日本

29歳の橋本猛は不眠症に悩まされている。彼は東辰通信機の営業マンとして、券売機を売り歩く日々を送っている。恋人の早苗は不眠症を 心配して医者を紹介しようとするが、橋本は「これでいいんだ」と断る。橋本はポルノ映画館に通い、館主に券売機の売り込みをする。 30歳の誕生日を明日に控えた橋本は、同僚の佐伯に「また一からやり直せるな」と言われた。
翌日、橋本はポルノ映画館との契約を取り、会社に戻った。そこで彼は上司の野口から、佐伯が昨日の晩に自殺したことを聞かされる。 会社ビルの屋上から飛び降りたのだという。その夜、30歳を迎えた橋本は早苗とレストランへ行く。だが、レストランのスタッフが用意 した誕生日ケーキを見て、橋本は「甘いもの嫌いなんだ」と声を荒げた。
早苗がトイレに行っている間に、橋本はレストランを出た。夜の町で佇んでいた橋本は、1人でボール遊びをしている冴という女と出会う。 橋本は「セックスしよう」と持ち掛けて冴のアパートを訪れ、同居している彼女の兄・朔と出会う。翌日、橋本は会社ビル屋上から、 ゴルフ店の営業特訓の様子を眺めた。橋本はビルから飛び降りようとするが、出来なかった。彼は冴を見つけ、声を掛けた。橋本は再び冴 のアパートへ行き、彼女と朔が鍋をつつく様子を部屋の片隅に座って眺めた。
橋本は冴と朔の2人と一緒に、キノコの里へキノコ狩りに出掛けたり海へ出掛けたりする。そんな中、橋本は野口から、「年が明けたら 2年間の博多支社行きだ」と告げられる。同期では唯一の栄転だったが、橋本は「頑張り方、変えようと思って」と告げて断った。冴は 朔を亡くし、橋本に「今まで道なりに歩いてきたから、これからも道なりに歩いていく」と告げて姿を消した…。

監督&原作は坂上忍、脚本は我妻正義、製作は小川義章&武藤憲孝&鈴木ワタル、プロデューサーは荒井善清&大川渡&山本文夫、 アソシエイト・プロデューサーは石橋隆文、撮影は水野泰樹、編集は冨宅理一、録音は沼田和夫、照明は山下博、美術は藤原慎二、 音楽プロデューサーは中崎英也、主題歌「TRUE LOVE」はHAKUEI。
出演はHAKUEI、小島聖、阿部寛、佐藤浩市、宅麻伸、山口粧太、中嶋美智代、萩原流行、内田あかり、川野太郎、火野正平、ヒロミ、 山田邦子、松下一矢、佐々木麻衣、天本英世、楠田薫、小林トシ江、山崎廣明、上地桃香、藤タカシ、上原良文、本多仁、丸山美和、河部修平、小塚海史、伊藤絵美、住友優子(子役)、 鈴木遥太、桑原一隆、水谷静雄、関口和久、黒沢拓馬、北島善清、浅場鉄平、千葉勇介、梅沢徹、今野孝正、飯沼省悟、関聡子、 鈴木歩佳、鈴木美佐子、北島照子、志村美由紀、遠藤紀子、森みか、永崎信行、金子貴洋、池澤夏之介、村田暁彦、小渡正子、原淳二ら。


俳優の坂上忍が、自ら書いた小説『男が優しく眠る時』を基に、初めて監督を務めた作品。
橋本を演じるのは、ヴィジュアル系バンド「ペニシリン」のヴォーカリストであるHAKUEI。
俳優デビューにして主演ということになる。
他に、冴を小島聖、朔を阿部寛、ポルノ映画館の館主を宅麻伸、佐伯を山口粧太、早苗を中嶋美智代、野口を萩原流行が演じている。

また、榊英雄が主役としては完全に役者不足を露呈しており(何しろ場面ごとに顔が違うので、顔の印象さえボンヤリしているほどだ)、 ハイテンションの杉本=モヒカン=哲太が1人で引っ張らざるを得なくなっているのだが、それは苦しい。
それに、途中で退場してしまうわけだし。
榊英雄が、芝居が上手くなくても色の濃い役者ならもう少し何とかなったと思うが、薄い。
「この映画だから」とか、「このキャラだから」ということではなく、主役を張るタイプの役者ではないと思う。

HAKUEIを主役に据えたのは明らかなミスキャスト。
とても券売機メーカーの営業マンには見えない。せいぜいホスト上がりの男だ。
だが、もちろん「1年前までホストをしていた」という設定があるわけでもない。
ただでさえ「ヴィジュアル系バンドの人」というイメージでハンデがあるのだから、せめて髪を切ったらどうなのか。野口に「そのクラゲ みたいな髪の毛はどうにかならないのか」というセリフを言わせるよりも、髪を切った方がまだマシだろう。
どう考えても、HAKUEIを主役に抜擢した理由が分からない。「HAKUEIに似合う役」ということでの起用には思えないし。
そこは普通に、冴えないサラリーマンに見える役者を起用した方がいい。
っていうか、坂上忍は自分をイメージしているはずなんだから、本人が主演すれば良かっただろうに。まあ、彼も営業マンとしては厳しい けど、まだHAKUEIよりはマシだろう。
大体、監督が初体験で不慣れなのに、主演に芝居の達者じゃない人間を起用するなんて、そりゃあキツいぞ。

橋本が見ている夢のシーンで映画は始まる。どうやら、その冒頭部分で橋本が不眠症だということを表現しているつもりらしい。
しかし、早苗が医者を紹介すると言うシーンまで、橋本の不眠症は分かりにくい。
そもそも、橋本がうなされて目を覚ますというのが解せない。うなされるような夢には見えないぞ。ただワケが分からないだけで。 っていうか、夢を見るってことは、眠ってるってことじゃん。
不眠症を表現したいのに、眠っているところから話を始めてどうすんのさ。

アヴァン・タイトルで、信号待ちの交差点のシーンがある。そこでは、携帯電話で話すサラリーマンの佐藤浩市が映し出される。
後に繋がるのか、橋本と絡んでくるのかと思いきや、何も無い。後で再び登場するが、同じように携帯で話していたら切られることを繰り返すだけだ。
ゲスト出演という扱いなのだろうが、無理矢理な形で目立ちすぎ。
あと、道を歩く橋本の後ろを交差するように冴と朔が通り過ぎるところでタイトルロールに入るのも、外しているなあと感じる。
ゲスト出演者のギクシャク感極まりないアピールは、佐藤浩市だけではない。
レストランのスタッフ役のヒロミ、ゴルフ店の店長役の川野太郎、キノコの里の案内人役の火野正平など、ゲスト俳優は無理のあるアップ で存在をアピールする。
たぶん「自由に生きる人」と「縛られて生きる人」の象徴みたいな形で登場させているつもりなんだろうけど、何しろ橋本と全く絡まない し、橋本に影響を与えているとも感じないし、アピールのウザさが目立つばかり。

佐伯が野口に叱責されるシーンや、冴が目を開けたままベンチで眠っているシーンが、序盤で登場する。
そのシーンに、橋本はいない。
だが、そこは橋本に目撃させるべきだろう。
この映画、橋本のいないところで脇の面々が何かをしているという場面がやたら多いのだが、そうすることのメリットや意味合いがまるで 見えてこない。
どう考えても、橋本を同席させる方が得策だと思うのだが。

なぜ佐伯が自殺したのかは、良く分からない。橋本が、「なぜ死んだのか」と探ったり悩んだりする様子も見られない。また、橋本が何に 対して苛立っているのかも良く分からない。
しかし、どうやら監督は、それを観客に伝えることが出来ていると思っている節がある。
だが実際には、例えば橋本が仕事でストレスを溜め込んでいるとか人生に閉塞感を感じているといった表現からして出来ていないし、 それを表現するだけの芝居も無い。
橋本が出会ったばかりの冴に積極的に話し掛け、「セックスしたいんだ」と誘うのもワケが分からないだけ。
冴&朔も興味をそそるキャラではなく、ただワケが分からないだけに留まっている。
だから、なぜ橋本が2人と行動するようになるのかも分からない。2人が強引に巻き込むわけじゃなくて橋本が近付くのだが、ただの キチガイ兄妹にしか見えないもんな。橋本にとって、その兄妹が特別な存在だという説得力が全く無い。
冴に惹かれたと想定するにしても、早苗と比較して冴の方が魅力的だとも感じないぞ。

橋本は栄転を断る際に「頑張り方を変えようと思って」と言うが、ようするに勤労意欲が無くなってグータラしたいだけだ。
しかし、やる気は全く無いけど、職場を辞めて何か新しいことを始めようとするような覚悟は無い。
ただ毎日をダラダラと過ごしたいだけだ。
結局、好感度ゼロの単なるダメ人間になっちまうということだ。
しかし、もちろんダメ人間として描写されているわけでは無い。
とりあえず、坂上忍がサラリーマンを嫌っている、見下しているということは強く窺える。

監督も役者もキャラを掴み切れていないんじゃないかとさえ思える。
まあ、この映画自体、目的も目指す場所も分からぬまま、ずっと手探りで霧の中を歩いていくような感じだが。
純文学っぽい雰囲気だけで進めていこうとするが、完全に監督の自己満足に終わっている。言ってることと内容が矛盾してたりもするし。
冴は「今まで道なりに歩いてきたから」って言うけど、どう見ても道なりになんか歩いてないぞ。道を外れまくって好き放題にウロウロしているぞ。
終盤、橋本が10分以上に渡り、ひたすら走り続けるという展開など、自己満足の極みだ。途中で水のペットボトルを橋本がひったくるのも、 奪われたカップルが無言のまましばらく併走するのも意味不明。
最後も、トンネルを抜けたら丘の上のバス停留所のベンチに冴がいて、橋本は膝枕で眠っているところでエンドロールに入るのだが、 だから何やねんと。

 

*ポンコツ映画愛護協会