『ショムニ』:1998、日本

満帆商事経理課に勤務する塚原佐和子は、22歳の誕生日を翌日に控えていた。恋人の政夫とデートした彼女は、処女を捧げようと決意していた。しかし、そのことを切り出す前に、塚原は政夫から「君は主体性が無くて退屈だ」と別れを告げられてしまう。
翌日、出社した塚原は、経理課長から一日だけのヘルプとして庶務二課へ行くよう指示される。庶務二課、通称“ショムニ”は落ちこぼれOLの溜まり場として、全社員から敬遠されている部署だ。しかし命令には逆らえず、塚原は仕方なくショムニへ向かう。
ショムニには井上という課長がいたが、全く存在感が無い。実際にショムニを仕切っているのは、OLの坪井千夏だ。彼女の他、男を虜にするのが得意な宮下カナ、作家を夢見る丸橋由美子、東京出身なのに関西弁の徳永佳代子がショムニのメンバーだ。
塚原は手早く仕事をこなすショムニの面々を見て、噂とは違って会社の宝だと考える。しかし午後になると、ショムニの面々は途端に不真面目になってしまうのだった。やがて就業時間は終了し、ショムニの面々は残業を拒否して帰って行った。
渋谷の街に繰り出した塚原は、若い絵描きにキスをされる。突然の出来事に動揺した塚原は、相談するために千夏のマンションへ赴いた。千夏は塚原を連れて、知り合いの穴崎が運転する幼稚園バスに乗って絵描きのいた場所へ行くが、彼の姿は無かった。千夏は塚原をバスに乗せ、夜の街を移動してショムニのメンバー達と会う…。

監督は渡邊孝好、原作は安田弘之、脚本は一色伸幸、製作は野村芳樹、プロデューサーは深澤宏&榎望&椿宜和&渡井敏久、撮影監督は渡部眞、編集は冨田功、録音は野中英敏、照明は高坂俊秀、美術は部谷京子、音楽はファンキー末吉、音楽プロデューサーは小野寺重之、主題歌は夜総会バンド『TENJIKUへ行こう』。
出演は遠藤久美子、高島礼子、松重豊、袴田吉彦、河合美智子、小林麻子、濱田マリ、小松政夫、佐藤允、上田耕一、渡辺いっけい、ザ・キングストーンズ、マイケル富岡、阿部サダヲ、田窪一世、黒沼弘巳、木下ほうか、知絵、石川素子、菅野美寿紀、優恵、飯島みゆき、桜金造、夜総会バンド、小須田康人、日野陽仁、徳井優、鈴木一功、矢木沢まり、橘雪子、吉満涼太、原田篤、辰巳裕二、辰巳浩三、蒲生純一、倉持裕之、花井京乃助、山中聡、田中要次ら。


安田弘之の人気漫画を基にした作品。
同じ漫画を原作にしたTVドラマが、江角マキコの坪井千夏、京野ことみの塚原佐和子という配役で製作された。だが、あのTV版とは何の関係も無い。完全に別物として、オリジナル・キャストで作られている。
塚原を遠藤久美子、千夏を高島礼子、穴崎を松重豊、絵描きを袴田吉彦、宮下を河合美智子、丸橋を小林麻子、徳永を濱田マリ、井上課長を小松政夫、津田社長を佐藤允、総務部長を上田耕一、経理課長を渡辺いっけいが演じている。

シリーズ化されるほど高い人気を得たTV版の放送から大して時間が経っていない時期に、それとは全く別キャストで映画を作るという企画の段階で、既に勝算が限りなくゼロに近い。
企画立案者や製作責任者は、何かの理由でヤケになっていたのだろうか。
しかし企画として最悪でも、勝てる見込みが完全にゼロというわけではない。優れた脚本や見事な演出、俳優の素晴らしい芝居があれば、わずかでも勝てる可能性はあった。
だが、脚本・演出・俳優が三拍子揃って討ち死に状態なので、どうしようもない。

キャスティングとしては、千夏役に高島礼子を配した時点で即スリーアウトだろう。
この人のタメ口喋りや偉そうな振る舞いが、勘違いしたヤクザの情婦か何かにしか見えない。演出も手伝って、千夏は下品でガラが悪く、男好きというキャラになっている。
本来なら千夏がフェラチオ回数券を配る姿は「怖い」と見えなければならないはずだが、そう見えない。高島礼子は私生活では男っぽくてサバサバしているらしいが、しかし少なくとも女優としては、このキャラには不必要な“艶”が見えてしまうのだ。

そして千夏を含め、ショムニの連中が全て単なるバカにしか見えない。
「風変わりだけど魅力的」ならいいのだが、「イカれポンチのクズ」になっている。
本来なら巻き込まれ型ヒロインのはずの塚原も、負けず劣らずのバカで、だから同情も共感も全く出来ない。

前述したように脚本・演出・俳優が全てヤバいなのだが、特にヤバいのは脚本だろう。
とにかくデタラメ極まりないのだが、バカバカしくて笑えるほどトンデモ度数が高いというわけではなくて、ひたすら「つまらない」という方向だけで数値を上げている。
会社の問題を扱わずに塚原の恋愛を軸にした上、恋の相手も会社の人間ではない。
そもそもショムニの話なのに、映画の大半がアフター・ファイブの夜の街で進行するという構成が凄い。
これで良くクランク・インのOKが出たものだ。
それが凄い。

シーンとシーンはマトモに繋がろうとせず、バラバラに散らばっている。
千夏が塚原の恋愛相談をしながら夜の街を徘徊し、ショムニの連中と会うという目的地の見えない展開が続く。ショムニの面々と触れ合って塚原が1つの答えを得るとか、そういう方向性があるわけではない。それぞれのシーンが、勝手に転がっていくだけだ。
丸橋は騙されてアダルトビデオに出演することになり、千夏は無責任に後押しする。結局、丸橋はアダルトビデオに出演している。塚原は絵描きに処女を捧げるが、相手は安いナンパ男だったことが分かる。
つまり、塚原はイカサマ野郎に処女と三万円を奪われたわけだ。
しかし、なぜか「塚原は一皮剥けてハッピー」という締めくくりになっている。

この映画、本来は盛り込まれるべきだった“痛快無比”が、何かの異常で誤って“支離滅裂”に変換されてしまったようだ。
香港映画のように、マトモに台本を作らず、その場その場で話を作ったとしても、ここまでデタラメにはならないだろう。
この脚本を書いた時、一色伸幸は何かしら精神的にヤバいことになっていたのだろうか。

 

*ポンコツ映画愛護協会