『ショコキ!』:2001、日本

都会の高層ビルに、2台のエレベーターが並んで設置されている。片方のエレベーターに、大勢の人々が乗ってきた。ある階で大半が降りて、残ったのは6名になった。もう一方のエレベーターには、お笑いグループ“ジョビジョバ”のメンバー6人が乗り込んだ。この2台のエレベーターが突然停止し、乗っていた面々は閉じ込められた。
片方のエレベーターに閉じ込められたのは、おとなしくて若いOLの山田由美、能天気なピザ配達員の鈴木タカシ、頭髪の薄い陰気な中年男の浜村久、テレビ番組のプロデューサー・神林とおる、じっと浜村を見ている物静かな中年男の関根純三、上りと下りを間違えて乗り込んだ平凡な主婦・佐藤静江の6名だ。お喋りを続ける鈴木に対し、神林は苛立ちを隠せない。
マギーは今回の出来事をヒントにして脚本を書き、自分が監督を務めて映画を作ろうと考えた。マギーの提案で、ジョビジョバの面々は脚本のアイデアを練り始めた。彼らはキレイなヒロインや平凡な主婦、くたびれたサラリーマンなど、登場人物について考える。爆弾を持った犯人と刑事が乗り込んでいるというアイデアには、マギーがリアリティーの欠如を理由に反対する。
神林は鈴木と静江からの質問に対し、自分がテレビ番組のプロデューサーだと明かした。彼は今回の出来事を番組に使おうと考え、乗り合わせた5名に演出への協力を求めた。浜村は自分が会社を首になったことを明かし、運が悪いから今回の事故が起きたのだと口にした。関根は浜村が鞄に爆弾を隠していると推理し、ずっと警戒していた…。

監督はマギー、脚本は児島雄一、製作は稲葉昭典&三浦正一&児玉英毅&日下部圭子&佐藤重喜&三木明博&新藤次郎、プロデューサーは溝上潔&阿野正、企画協力は上川伸廣、撮影は佐光朗、編集は普嶋信一、録音は岩倉雅之、照明は豊見山明長、美術は金田克美、音楽は大谷幸。
出演は純名里沙、河相我聞、モト冬樹、遠藤憲一、本田博太郎、大島蓉子、深水元基、マギー、長谷川朝晴、木下明水、坂田聡、六角慎司、石倉力、下川辰平、秋元康、川俣しのぶ、荒井麻里子、広田正光、金子之男、加勢和也、奏谷ひろみ、飯田ヒロシら。


お笑いグループ“ジョビジョバ”のリーダー(当時)だったマギーが、初めて監督を務めた作品。脚本の児島雄一は、彼の本名。
タイトルの「ショコキ」とは「昇降機」、すなわちエレベーターのこと。
由美を純名里沙、鈴木を河相我聞、浜村をモト冬樹、神林を遠藤憲一、関根を本田博太郎、静江を大島蓉子が演じている。ジョビジョバの面々も、本人役で出演している。

アヴァン・タイトルで、都会の光景とジョビジョバの姿、ビルの様子を細かいカットでコラージュしながら慌ただしいテンポで繋いでいく。サイレント映画のようにセリフを文字で画面表示しつつ、メインの6人を登場させていく。
で、エレベーターが停止した所でタイトルに入る。
このアヴァン・タイトルで、もう私はダメだった。
普通にセリフを喋らせて、普通にドラマとして進めた方がいいのに、と思った。
妙なコラージュで紡がない方が、ハプニングに向けた導入として流れを作れるだろうと思った。

エレベーターで停止事故が起きたら、乗り合わせた人間は非常用インターホンで外部に連絡を取ろうとするなり、それが通じないとしても強引にドアを開けようとするなり、とにかく焦って色々と行動するのが普通だろう。
ところが、この映画は、そこをスパッとカットしている。
タイトルが開けると、もう閉じ込められて約1時間が経過し、みんなマッタリと座り込んでいる。
鈴木が「全部やって、この状況」と言うが、それは不可思議だ。
百歩譲って、それまでに様々な行動を起こした結果として、外に出られずにいるのだとしよう。だとしても、都心にある昼間の高層ビル、それも冒頭で大勢の人々が乗っていたエレベーターなのである。
インターホンが通じないとしても、エレベーターが停止していれば外部の人間が気付くだろう。

っていうか、「全部やって、この状況」だとしても、その全部やっている様子を描かずに省略するメリットが見えない。
隣のエレベーターにいるマギーが「閉じ込められた直後のパニックや脱出劇なんてやめて、1時間後ぐらいの人間ドラマを映画にした方が面白い」という意味のセリフを語っているのだが、何故それを面白いと思ったのか、その感覚に付いて行けない。

ジョビジョバのメンバーが「爆弾を持っている犯人を映画に登場させよう」と言うと、マギーは「なんで爆弾なんか持っているんだ」と疑問を提示する。
だが、そこに疑問を持つ感覚があるのなら、なぜエレベーター停止事故が起きたのに外部の人間が気付いていないのか、という部分にも疑問を持って欲しかった。

ジョビジョバの面々が映画に登場させるキャラクターについて語り出すと、そのイメージ通りの人物が隣のエレベーターにいるというネタも、先にメイン6人を登場させてしまっているので、全く面白くない。
演じる俳優について毒のあるコメントを吐くわけでもないし、ジョビジョバのイメージと全く違う人物だったという捻りがあるわけでもないし。
ジョビジョバの面々は「どうやって人間ドラマを面白くするか」と話し合いを始めるが、その方法は思い付かなかったようだ。
「もう脱出しようなんて考えていない方が面白いよな」とマギーが言うのだが、この映画を見る限り、それは正解ではなかったようだ。
マギーが自分の考えの正しさを証明したければ、この映画のドラマを充実させる必要があった。

登場人物は、ただダラダラと喋っているだけ。偉そうにしていた奴とオドオドしていた奴が、何かのきっかけで立場が逆転するようなことも無い。
キャラクター設定についてはジョビジョバが説明し、それを補う形でメイン6人の回想が示されるという形。
何のために6人はいるのか。
彼らを動かして、彼らに語らせるべきだろう。

例えば、神林が他の5名に対してテレビのプロデューサーだと明かすシーンがある。だが、それよりずっと前に、観客は彼の職業をジョビジョバの説明によって知らされている。
また、その時点で神林たちは由美が女優オーディションを受けたことを知らないが、観客は既に知っている。だから神林と由美の関係を使った話も冴えない。
どうやら「浜村が爆弾を持っている」という所でミスディレクションを狙っているようだが、その匂わせ方がヘタなので、すぐに彼が爆弾を持っていないことが予想できる。それに、無駄に長く引っ張りすぎているしね。
で、神林は鞄の中から爆弾ではなくオカリナを取り出し、その場で演奏してくれ、と言われる展開になる。ここで得意に見えた神林の演奏がド下手だったら、笑いを作ろうという方向性も感じるが、普通に上手く演奏する。

キャラクターの意外な中身が物語進行の中で明かされるということも、全く無いとは言わないが(例えば関根がズラだとか)、それが効果的なのかと言われると、イエスとは答えられない。
関根が神林をクビにした社長だということが終盤に判明するが、それによるサプライズは何も無い。無駄に引っ張っても、何の効果も無い。
さっさと明かすべき要素と、引っ張るべき要素と、チョイスを間違えているんじゃないか。

緑の液体がドロドロと降ってくる幻覚シーンや、ジョビジョバの面々が考える映画のイメージ(『ターミネーター』もどきのシーンなど)映像などが、たまに挿入される。
しかし、それはシーンごとにバラバラで、まとまりを欠いているという印象を与えるだけ。
っていうか、人間ドラマを描きたかったんじゃないのか。
それなら、そんなモノを入れたらダメだろう。

序盤のセリフや終盤のセリフで、どうやらタイトル直後の段階で約1時間が経過しているらしい、そこから終盤までに約1時間が経過したらしいということは分かるが、途中で登場人物が時計を見たり時間を気にしたりするような素振りは見られない。
それにしても、2時間も閉じ込められているのに、尿意を催す奴は1人もいないのね。

終盤、エレベーターの内側の扉(外に出る扉ではない)が開くことが判明する。
つまり、「全部やった」と言っていたはずが、今まで気付いていなかったということだ。
その中では整備士の青年が眠っている。それまでに大声を上げたり騒いだりしていたのに、彼は全く気付かなかったらしい。
前半でマギーが「もっとリアリティーを考えろ」と言っているのだが、皮肉のつもりだったのだろうか。

で、整備士の青年が外に出してくれるのかと言うと、そうではない。
彼は「また寝ます」と言って、再び扉に入って眠ろうとする。
そして、閉じ込められている面々も、彼と同じように眠ろうとする。
なんだ、そりゃ。
どうやら「ノンビリした青年のペースに乗せられる」ということのようだ。
長く閉じ込められていても、心の余裕はたっぷりあるらしい。

やり方次第でサスペンスにもコメディーにもなるだろうが、とにかくトラブルってのは最初のエレベーター停止以外に何も起きない。
ようするに、場所を限定して繰り広げられる人間ドラマを描きたかったんだろう。
だったら、停止したエレベーターを舞台に選んだのは、脱出に向けた行動を予想させてしまう分、失敗だろう。

 

*ポンコツ映画愛護協会