『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』:2013、日本

すーちゃん、まいちゃん、さわ子さんの3人は、かつて一緒にバイトをしていた仲間だ。バイトを辞めた後も3人の交流は続き、一緒にピクニックへ行くこともある。すーちゃんが一番年下だが、全員が30歳を過ぎて未婚のままだ。まいちゃんは2人に、友人の結婚式で新郎が10歳も年下だったので驚いたと話す。さわ子さんは「同い年が理想」と言い、まいちゃんは「大学生まで有りかな」と口にする。公園にウサギが出て来たので、3人は笑顔になった。
すーちゃんはカフェの店員として働き、同僚の岩井美香やアルバイトの千葉恒輔、竹田ちかといった面々に指示を出す。ちかはオーナーの木庭葉子から爪を切るよう注意されただけで、不貞腐れて「辞めようかな」と漏らす。すーちゃんは「別に辞めてもいいんだよ」と心の中で思いつつ、「これも仕事だ」と割り切って優しく接する。さわ子さんはフリーのWebデザイナーとして在宅で仕事をしながら、母の信子と2人で寝たきり状態になっている祖母・静江の介護をしている。さわ子さんは飼い猫を見て、自由で羨ましいと感じる。
まいちゃんはOA機器会社営業部で働いており、後輩の前田千草たちに指示を出す。彼女が帰宅すると、不倫相手である大杉眞人が来ている。しかし大杉は「急に電話が来て。娘がおたふく風邪らしくて」と言い、すぐに立ち去った。すーちゃんは実家から荷物が届き、母に電話を掛けて礼を言う。すーちゃんが全く帰郷しないので、母は心配している。結婚については何も言わなくなった代わりに貯金のことを問われ、すーちゃんは辟易して電話を切った。
すーちゃんは「結婚したら納得されて楽だろうな」と思うが、その予定は無い。しかし気になっている相手はいる。カフェのマネージャーを務める中田誠一郎だ。彼は「とりあえず」が口癖で、店員たちは全員が気付いている。まいちゃんは上司から、取引先のクレーム処理に同行するよう指示される。いつも自分ばかりなので彼女が不満を漏らすと、上司は「若い奴なんか連れて行けるかよ」と言う。まいちゃんは取引先の専務から結婚に関する嫌味を言われ、いつものことなので冷静に対応する。そんな専務に対しても、嫌な仕事を押し付ける上司に対しても、まいちゃんは苛立ちを覚えている。
早番で仕事を終えたすーちゃんは帰宅途中、公園で子供ちに懐かれている中田と遭遇する。駅まで一緒に行くことになり、中田は「僕の口癖、直んないんですよね」と告げる。「自信が無いのかなあ」と彼か漏らすので、すーちゃんは「気にしない方がいいですよ。口癖が無くなったら、中田さんらしくないです」と話す。さわ子さんは母が用事で出掛けたため、すーちゃんたちと会う約束をキャンセルして祖母の面倒を見る。出前を取ると、届けに来たのが同級生の吉田だったので彼女は驚いた。吉田はさわ子さんに、実家の蕎麦屋を継ぐための修業期間であることを語った。
すーちゃんはまいちゃんの部屋へ行き、レモン鍋を調理する。彼女が中田と一緒に歩いたことを嬉しそうに語ると、まいちゃんは「それだけ?恋愛の感覚、鈍ってる?ちょっとだけ自分でアピールしてみたら?」と言う。すーちゃんが尻込みしていると、まいちゃんは「最近思ったんだけどね、聞き分けのいい女って薄っぺらいかも」と口にする。大杉が忘れて行った腕時計にすーちゃんが気付くと、まいちゃんは「本当に防水か確かめる」という名目で水に浸した。
すーちゃんは美香から「先のことになるけど」と前置きされた上で、結婚して仕事を辞めると打ち明けられる。結婚相手が中田だと聞き、すーちゃんは動揺を隠して祝福した。まいちゃんは大杉が家族サービスを理由に1ヶ月前からの約束をドタキャンしたため、電話を掛けて不満をぶつける。しかし「俺たち、今のままでいいよな?」と問われると、苛立ちを飲み込んで「分かってる」と口にする。さわ子さんの家には兄夫婦が子供を連れて遊びに来るが、祖母の顔も見ないで去った。さわ子さんは憤りを覚え、母に不満を漏らした。
まいちゃんは肌荒れが気になり、皮膚科のクリニックで診察を受ける。女医はまいちゃんに、「頑張り過ぎちゃってるのかな。1つぐらい頑張らなくてもいいんじゃない?」と助言する。まいちゃんが「1つって何ですか」と訊くと、女医は「それは貴方が決めないと」と言う。まいちゃんは大杉と別れようと決意し、彼の電話番号を携帯から消去した。すーちゃんの前で「スッキリした。元気になった」と強がるまいちゃんだが、耐え切れなくて泣き出した。すーちゃんは彼女の気持ちを感じ取り、貰い泣きした。
すーちゃんは葉子から、「お昼、一緒に外出してくれない?」と誘われる。すーちゃんが承諾すると、葉子は一人娘・みなみがフットサルをやっている場所へ連れて行く。葉子はすーちゃんに、娘と姉妹のような関係であること、シングルマザーであることを話した。みなみは葉子について、すーちゃんに「ママとしては不合格だよ。でも、女としては合格かな」と述べた。すーちゃんは葉子から、「店長やってみない?貴方、向いてる」と言われ、突然のことに戸惑った。
まいちゃんは結婚相談所に入会するが、登録用紙の「貴方が幸せを感じる時は?」という項目にペンが止まった。中田はすーちゃんが店に忘れた携帯電話を届けるため、彼女のアパートにやって来た。ちょうど新メニューの開発中だったすーちゃんは、彼を部屋に招き入れた。彼女が「結婚、おめでとうございます」と言うと、中田は「ちょっと戸惑ってる。こんなに早く話が進むとは思わなかった」と口にした。すーちゃんは中田から不意にキスされ、それを受け入れた。中田が「ごめん」と謝って立ち去ろうとすると、すーちゃんは「岩井さんって、奥さんにはピッタリだと思います」と告げた。
すーちゃんは葉子に、「店長として、頑張ってみたいです」と決意を述べた。吉田とデートを重ねていたさわ子さんは、「今度、家族に紹介したいんだよね」と言われて喜んだ。しかし「ウチの親が、孫の顔だけはどうしても見たいって。悪いんだけど、子供が産めるっていう証明書を貰って来てくれるかな」と軽い口調で言われ、さわ子さんは当惑する。「貴方は?なんで私だけ検査しなくちゃいけないの?そっちに問題があったらどうするの?」と彼女は怒りをぶつけ、吉田と別れることにした。
すーちゃん、まいちゃん、さわ子さんは高級マンションの見学へ行き、眺めの良さに感嘆する。格差を実感させられた3人だが、今度はヘリクルージングに行こうと約束した。3人はさわ子さんの家へ行き、一緒に夕食を取ることにした。すーちゃんが「今日はお婆さん、いらっしゃらないの?」と訊くと、さわ子さんは「寝たきりで何も分からないから。返事もしてくれない」と告げる。すーちゃんが「でも、ちょっと御挨拶しておこうかな」と言うと、さわ子は嬉しくなった。さわ子の紹介ですーちゃんとまいちゃんが挨拶すると、静江はハッキリとした口調で「どうぞ、ごゆっくり」と述べた…。

監督は御法川修、原作は益田ミリ「すーちゃん」シリーズ(幻冬舎)、脚本は田中幸子、製作統括は和崎信哉、共同製作は水口昌彦&木幡久美&藤門浩之&板東浩二&北川直樹&梶尾徹&町田智子&内藤修&川邊健太郎&小玉圭太、エグゼクティブプロデューサーは小西真人、プロデューサーは武田吉孝&八尾香澄、スーパーバイジングプロデューサーは久保田修&井手口直樹、共同プロデューサーは木幡久美、ラインプロデューサーは齋藤寛朗、撮影は小林元、照明は堀直之、録音は浦田和治、美術は黒瀧きみえ、編集は李英美、音楽は河野伸&カサリンチュ。
主題歌『あるがままに』カサリンチュ Words by:村山辰浩、Music by:村山辰浩、Arranged by:河野伸。
出演は柴咲コウ、真木よう子、寺島しのぶ、井浦新、染谷将太、佐藤めぐみ、木野花、銀粉蝶、風見章子、水橋研二、高部あい、上間美緒、吉倉あおい、佐久間麻由、おかやまはじめ、矢柴俊博、長野里美、菅原大吉、史朗、平沼紀久、川口圭子、岡部たかし、牧田明宏、金谷真由美、小山颯、ミー太郎、五辻真吾、岩崎光里、東加奈子、札内幸太、野口卓磨、吉田紗和子、田山楽、榊原美紅、結、重廣レイカ、長谷川ゆう、緒川尊、中村日々愛、曽我美月、三谷翔太、藤白すみれ、大坂美優、利倉将太、林蓮大、當麻陽菜、利倉大輔、利倉なつき、今谷フトシ、中谷仁美、この葉、三上愛、横町ももこ、三橋愛永ら。


益田ミリの4コマ漫画『すーちゃん』シリーズを基にした作品。
脚本は『アントキノイノチ』『アナザー Another』の田中幸子、監督は『SOUL RED 松田優作』『人生、いろどり』の御法川修。
すーちゃんを柴咲コウ、まいちゃんを真木よう子、さわ子さんを寺島しのぶ、中田を井浦新、千葉を染谷将太、美香を佐藤めぐみ、葉子を木野花、信子を銀粉蝶、静江を風見章子、カフェの面接に来る男を水橋研二、千草を高部あい、ちかを上間美緒、みなみを吉倉あおい、千葉の姉を佐久間麻由が演じている。

この映画は最初の5分程度で、早くも「散漫だなあ」と感じさせてしまう。
冒頭、すーちゃんがコーヒーショップでテキパキと注文し、「注文は一度で済むように心掛けている」という彼女の語りが入る。次にまいちゃんが登場し、後ろから女性が来ていると気付きながらもエレベーターのドアを閉めて、「許せ」と呟く様子が描写される。続いてさわ子さんが登場し、アルバムに入れていなかった家族写真を床に落として「思い出が雑になって来たなあ」と心で呟く様子が示される。
そうやって1人ずつのシーンを用意した後、3人がピクニックをする情景に移行する。
なので、1人ずつのシーンに対しては「だから?」と言いたくなってしまう。

ひょっとすると、同世代の女性が「あるよね、そういうこと」と共感するのを狙ったのだろうか。
だとしても、それぞれ1分にも満たない時間で処理された上、同じようなエピソードを連ねるわけでもなく別のベクトルを向いた3つの出来事を並べただけでピクニックのシーンに移られると、「果たして何を描きたかったのか」と言いたくなってしまう。
3人が一緒にいるシーンを最初に用意して、それから個別のシーンに移った方がいいんじゃないかと思ったりもしてしまう。

ただし、実は「果たして何を描きたかったのか」という疑問について、答えが分かっているのだ。極端に言えば、そこでは何も描こうとしていないのだ。
何かを描いているように見せ掛けて、実は何も描いちゃいない。少なくとも、何も伝えようとはしていない。
あえて言うなら、3人の同世代の女性たちに「癒やしの空間」を与えようとしているだけだ。この映画にとって何よりも重要なのは「癒やし」なのだ。
いや、「何よりも重要」どころか、それこそが本作品の目的なのだ。
何しろ、これはスールキートスが製作した映画なのだ。

2005年、霞澤花子が企画し、荻上直子が監督と脚本を務める『かもめ食堂』が公開された。
これはスローライフを推奨する作品であり、このコンビは2007年にも同類の映画『めがね』を送り出した。
その『めがね』でプロデューサーを務めた木幡久美が2008年に設立した会社が、スールキートスである。
それ以降、スールキートスは霞澤花子が企画した2009年の『プール』や2010年の『マザーウォーター』を製作している。また、荻上直子が監督と脚本を務めた『トイレット』も手掛けている。

スローライフ推奨は霞澤花子や荻上直子の世界観だったが、木幡久美は彼女たちにすっかり感化されたのか、「F1層に癒やしを与える」という部分だけは完全に染まり切った。
そこで、霞澤花子も荻上直子も関与しない本作品でも、そういう意識を全面に押し出している。
また、霞澤花子や荻上直子との仕事で「美味しそうな料理を見せるとF1層が食い付く」ということも覚えたのか、すーちゃんが料理を出すシーンやカフェのメニューを写し出すシーンが何度も登場する。

ザックリと言うならば、30歳を過ぎた女性たちの日常風景を切り取り、「それほどドラマティックではないかもしれないけど、本人たちにとっては色んなことが起きている日々」を淡々としたタッチで見せようってのが、この作品だ。
似たような類の映画は幾つも作られているが、大きな問題は、その「何気ない日常」に何らかの魅力や面白さが必要なのに、それが乏しいってことだ。
もちろん、一番のターゲットであるF1層の共感を誘うための作業を施していることは良く分かる。
ただし、「周囲を悪者にすることでメインの3人に共感させる」という部分で、あまりにも作為が強くなり過ぎているため、逆に気持ちが冷めてしまうという現象が起きている。

「悪者にする」ということではないが、別の部分でも「下手な作為」に引っ掛かる箇所が幾つか存在する。
例えば、中田が公園で子供たちに懐かれ、一緒に遊ぼうと付きまとわれるシーン。
中田が子供好きというわけではなく(むしろ離れてほしいと求めている)、子供たちと知り合いでもない。しかも、子供たちが赤の他人であるオジサンと遊んでいるのに、その母親は見ているだけ。
それって、かなり奇妙な光景に感じるのだ。

この映画はフィクションだから、何から何までリアルでなきゃいけないってことは無い。
しかし、これは「30代女性のありふれた日常」を切り取る作品であり、SFやファンタジーではないのだ。だから、「世の中の30代女性から見て、身の回りに転がっているような風景」としてのリアリティーは保っておく必要があるはずだ。
前述したシーンは、その範疇を明らかに逸脱している。
「周囲の面々を悪者にする」という細工の部分でも、ある程度は意図的に誇張しているのかもしれないけど、その作為にコレジャナイ感を抱くわ。

この映画が露呈している一番の問題点は、「伝えようとする意識が変なトコで過剰」ってことだろう。
具体的に言うと、それはモノローグである。
序盤、ちかの機嫌を取ったすーちゃんがバックヤードを出て溜息をつき、険しくなった顔をマッサージしている映像に「別に辞めてもいいんだよと思いながら優しくすることは、いいことではないのかもしれない。だけど、これも仕事だと考えれば、悪いことじゃない」というモノローグが入る。
だけど、そこはむしろ何も喋らせない方がいい。
すーちゃんの様子を描くだけで、彼女の気持ちは充分に伝わってくるんだから。それなのにモノローグで心情をベラベラと喋らせるのは、ものすごく無粋で不細工だ。

さわ子が母と共に祖母の介護をしている様子を最初に示すシーンでは、「もし私が結婚したら、お母さん、お婆ちゃんと2人きりか」という心の呟きが入り、家を出て行く猫を見ると「好きな時に出て行けるって、なんかいいなあ」という心の呟きが入る。
この辺りも、なぜ全てモノローグで説明してしまうのかと。
そこまで全て語るのなら、もはやラジオドラマでいいわ。映像は何のためにあるのかと。
もはや「モノローグ&補足映像」と化しているぞ。

この作品のテイストを考えた時に、他の映画と比べても、「余白」とか「余韻」ってのを重視した方がいいと思うのだ。
そういう意味でも、やたらとモノローグを入れて登場人物の心情を説明するのが望ましいとは思えない。むしろ、徹底的に排除しちゃった方がいいよ。
これが例えば、「演者の芝居が稚拙なので、言葉で説明しないと全く伝わらない」ってことなら、まだ分からんでもないよ(それはそれで問題があるけど)。
だけど柴咲コウ、真木よう子、寺島しのぶといった面々は、ちゃんとキャラクターの心情を芝居で表現できているわけで。
そこにモノローグを被せると、余計な飾り付けでしかないんだよな。

後半、すーちゃんが面接で不愉快な男に対する怒りを示し、葉子から諭されるシーンの後、話は「1年後」に飛ぶ。
この構成には、悪い意味で驚かされた。「時間をジャンプしちゃうのかよ。そういうトコだけ変にストーリテリングとか重視するんだ」と思ってしまった。
だけど、そこまでの流れからすると、どう考えたって時間の跳躍は無い方がいい。
「まいちゃんの妊娠後」ってのを描きたかったんだろうとは思うのよ。でも、まいちゃんの妊娠とか出産も含めて、やっぱり要らないなあと。
「人生に試行錯誤した結果として、子供を授かるという幸せを得ました」という着地にしたかったのかもしれないけど、そもそも着地のポイントとして、それはどうなのかなと。そこまで到達させなくても、「すーちゃんは店長としての遣り甲斐を感じ、大変なこともあるけど頑張ろうと決めました」「まいちゃんは結婚相談所で素敵な人と出会い、結婚することを決めました」ってことで、いいんじゃないかと思うんだよね。

わざわざ1年後へジャンプした後、3人が「それまで嫌なこともあったけど、それぞれに生きがいを見つけて幸せに暮らしています」ということにでもなっているなら、まだ分からんでもないのよ。
だけど実際には、まいちゃんが「捨てた方の人生も有りだったんじゃないかと考えちゃう」と漏らし、すーちゃんは一人で生きていく寂しさに対する不安のモノローグを語っている。
つまり1年後になっても全く変わっておらず、むしろ悪くなっているんじゃないかとさえ思うわけで。
だから、わざわざ1年後に飛んだ意味が見えないのよね。

映画のラスト近く、まいちゃん&赤ん坊とさわ子さんがピクニックをしているシーンが写し出される。
すーちゃんは研修で来られず(その後に遅れて現れる)、まいちゃんが彼女から届いた手紙を見せる。すーちゃんの声による手紙の朗読が入り、ちょっと感動を誘うようなBGMが流れる。
それが効果的に機能する映画もあるだろうけど、これは違うわ。むしろ、変に盛り上げようとせず、サラッと「何気ない日常」で終わらせるべきだわ。
「私はこんなことを思っています」というのを手紙の朗読で説明させるのも、なんかカッコ悪いし。

(観賞日:2016年4月2日)

 

*ポンコツ映画愛護協会