『すくってごらん』:2021、日本

金魚問屋のトラックを運転していた王寺昇は、スーツ姿で田舎道を歩きながらスマホを見ている香芝誠を目撃した。王寺が声を掛けると、香芝は少し迷いながらもスマホを見せた。王寺が車に乗るよう促すと、彼は「いや結構。徒歩で行きますんで」と断る。王寺が「2時間は掛かりますよ」と教えても、香芝は「タクシー呼びますんで」と言う。王寺に「来ると思います?」と問い掛けられた彼は、周囲を見回す。そこが田園が広がる場所であることを確認し、香芝はトラックに乗せてもらった。
香芝は町に着いて礼を言うが、王寺は彼の言葉を待たずにトラックを発進させていた。香芝が歩いていると、着物姿の生駒吉乃が急ぎ足で去るのが見えた。香芝が後を追って『紅燈屋』という店に入ると、吉乃は「お兄さん。ゆっくり遊んでいってくださいね」と声を掛けた。うろたえた香芝が「私はただ、迷い込んだだけで」と釈明すると、彼女は「遠慮せんと。一戦交えてってくださいな」と言う。香芝は欲情を隠し切れなかったが、吉乃にポイを渡されて困惑する。「ほんなら、はじめましょ。制限時間は3分です」と説明された彼は、金魚の水槽を見て誤解に気付いた。
紅燈屋が金魚すくいの店だと知った香芝は、ポイを捨てて「こんなことしに来たわけじゃない」と告げる。老女が店先から「お兄さん」と手招きすると、吉乃は「下宿の方ですか。アパート、そこですよ」と香芝に言う。香芝は社員寮に案内され、自分の境遇を嘆いた。翌日、香芝は支店に出勤し、支店長が行員の川西&三宅&寛子&百合に紹介した。香芝は本音を隠し、「数字は裏切らないをモットーに、粛々と職務を遂行していきたいと思っております」と無感情に挨拶した。彼は黙々と仕事をこなし、12件の新規契約を取り付けた。
川西は香芝に「外回りに行くぞ」と言い、27歳の山添明日香と兄の権太郎が経営するカフェバー『Lanchu(ランチュウ)』に連れて行く。明日香は香芝が東京から来たエリート銀行員だと知り、露骨に色目を使った。香芝は店の経営状態が良好とは思えず、改善策を提案すると申し出た。明日香が「新人さんなんやったら、アレやるんやろ?」と口にすると、川西は「当たり前や。紅橙屋さんにお願いしてるわ」と述べた。その夜、紅橙屋で香芝の歓迎会が開かれ、川西たちは金魚すくいに没頭した。しかし香芝には幼稚な遊戯として思えず、「時間の無駄」と声に出してしまう。慌てた彼は、疲れていると嘘をついてアパートに戻った。
吉乃が手作りのおはぎを持ってアパートを訪れ、その美味しさに驚いた香芝は店を出せるレベルだと感じた。吉乃は紅橙屋が父の残した店だと話し、「いつでもいらしてください」と告げて去った。次の日、香芝はLanchuへ行き、明日香に改善案を提示した。しかし明日香は全く受け入れようとせず、香芝は「もっと現実を見るべきです」と説く。明日香は「幾ら夢を見ようとしても、結局、見せられるのは現実か。ホントに東京でやっていけるのって、アンタみたいな人だけなのかもね」と漏らし、女優を目指して東京で7年ほど暮らしていたことを打ち明けた。
明日香がギターで弾き語りを披露すると、香芝は「貴方は己の心情を恥ずかしげもなく吐露しながらも、美しい作品に昇華してる」と感涙した。香芝は彼女に、左遷された事情を打ち明けた。本店にいた頃、彼はAIを使ったロボットマッサージ機への融資を上司に提案した。しかし上司は「マッサージチェアと変わらんだろうが。癒しは触れ合いから生まれる。結局、人と人なんだよ」と冷淡に言い、香芝は溜め込んだ感情が暴発して「うっさい親父、やめてくれ」と怒鳴ってしまう。彼は慌てて釈明しようとするが、上司の怒りを買って左遷されてしまったのだった。
Lanchuを出た香芝は、土蔵でピアノを弾いている吉乃を目撃した。物音を立てて気付かれた香芝は、咄嗟に「金魚すくいの練習をお願いしたいと思いまして」と嘘をつく。金魚すくいでは観賞用として弾かれた金魚が使われることを吉乃から教わった彼は、「本来ならば価値を認められていたはずなのに、少しの間違いでエリート街道から落ちぶれて、もう戻れない」と自分を重ね合わせた。吉乃は香芝と紅橙屋へ戻り、「どの子がいいか見定め、追い掛けずに自分からポイに乗るのを待つ」とコツを教えた。香芝は助言通りにポイを動かし、初めて金魚をすくうことが出来た。
香芝は吉乃に金魚を貰い、ビニール袋に入れて持ち帰った。誰かと飲みに行きたい気分になった彼は、下宿に戻らず町を見渡せる高台へ向かった。すると王寺がいたので、香芝は「1人でセンチメンタルに浸りたかったのに」と悔しがった。王寺は彼に気付き、「お好きなんですね、金魚すくい」と言う。香芝が「魚と追い掛けっこする楽しみは、私には分かりかねます」と否定すると、「あのままならない所がいいんじゃないですか」と王寺は口にした。
香芝は荷台の水槽にいる金魚を見て、「デカい」と漏らす。王寺は「それ、その子と同じ金魚なんですよ」と言い、初めてすくった金魚で27歳だと語る。彼は愛情を持って可愛がり、大きな水槽で飼えば伸び伸びと育つのだと香芝に話した。王寺は金魚を家で飼うための水槽を香芝に見せ、ようやく自分が車で町まで送った相手だと気付いた。彼は香芝に水槽をプレゼントし、その場を去った。香芝はアパートに戻り、水槽で金魚を飼い始めた。
後日、香芝は自分の助言で内装を変更したLanchuを訪れ、怪しさが軽減されたと明日香に告げる。彼が去ろうとすると、明日香はランチを食べて行くよう勧める。ライブの出演者募集を知った香芝は、「ピアノ演奏だけでも出られるんですか」と尋ねる。明日香は吉乃のことだと悟り、「あの子、人前ではピアノ弾かないよ」と教えた。「惚れちゃったんだ」と指摘された香芝は、激しく動揺する。彼が恋心を否定すると、明日香は「あの子はやめといた方がいいよ」と忠告した。
香芝は明日香から不意にキスされ、絶叫して店から逃げ出した。銀行に戻った彼は、寛子からLanchuのライブチケットをプレゼントされた。香芝は明日香のキスを思い出して狼狽し、吉乃のことを妄想して「何をしに来たんだ私はこの町に」と呟いた。仕事を切り上げて夜の町を歩いた香芝は、吉乃を見掛けて後を追った。彼は金魚を入れた金魚鉢を抱え、土蔵で吉乃と会う。彼が「今、この子にピアノを聴かせてもらえませんか」と頼むと、吉乃は「出来ません」と断った。
吉乃は幼馴染に天才ピアニストがいたこと、10歳の時に一緒にコンサートに出たこと、舞台に出ると比べられるのが嫌で弾けなくなったことを話す。それ以来、人前で弾くのはやめたのだと、吉乃は香芝に語った。香芝が明日のLanchuのライブに一緒に行かないかと誘うと、吉乃は店で7時に待ち合わせようと告げた。次の日、香芝は支店長から3件を回るよう頼まれ、待ち合わせの時間までに何とか片付けようと急いで仕事をする。彼がLanchuに行くと、王寺がピアノを弾きながらバンドを従えて歌っていた。
香芝は吉乃が王寺を見つめているのに気付き、声を掛けずに店を去った。ライブの後、吉乃は「兄さん、帰ってきてはったん?」と王寺に告げる。王寺は「言ってなかったっけ?」と言い、「しばらくは、こっちにいてはるんやろ」と問われて「どうかなあ」と曖昧に答えた。2人が話していると、酔っ払った明日香が歩み寄った。彼女は苛立った様子で、「好きやったら、すぐキスしたらええねん。そうやってフラフラしてたら、吉乃ちゃん持っていかれるで」と王寺に告げた。
次の日、香芝は吉乃と出会うと、「確かに、貴方にが夢に出て来てからというもの、貴方に心を奪われたところはありましたが、それはおそらく一時の気の迷いです」と告げて去る。出勤した彼は仕事に打ち込もうとするが、心の声が全て口から漏れてしまう。同僚はLanchuで飲み会を開くが、香芝は酒が飲めないのでノンアルコールビールにする。彼は心の声が全て漏れていると知り、「また暴発を起こしたというのか」と焦った。そこへ支店長から来て人事部から連絡があったと言うので、ついに解雇かと香芝は覚悟する。しかし来月から東京の本店に戻れると知らされ、彼は感激した。
香芝は吉乃の元へ赴き、「どうしても貴方のピアノが聴きたい」と頼む。吉乃が断ると、彼は「では僕が歌います」と言い出した。吉乃は困惑するが、香芝は構わずに自分の思いを歌で吐露する。吉乃が逃げ出すと、彼は後を追って歌い続けた。途中で歌を切り上げた香芝は「一緒に東京へ行きましょう」と誘うが、「出来ません。この町が好きなんです」と即座に断られた。すると彼は、夏祭りの金魚すくいで王寺より多く金魚をすくったらピアノを弾いてほしいと要求した…。

監督は真壁幸紀、原作は大谷紀子『すくってごらん』(講談社「BE・LOVE」所載)、脚本は土城温美、製作総指揮は酒巻正幸、製作は宮本純乃介&加太孝明&宮崎聡&羽東敏夫&長岡雅美&川上順平&巴一寿、企画・プロデュースは元村次宏、プロデューサーは梶原富治&瀬崎秀人、協力プロデューサーは松井晶子、アソシエイトプロデューサーは山崎勉&関根健晴&巣立恭平、撮影は柴崎幸三、照明は谷本幸治、録音は赤澤靖大、美術はAKI、編集は瀧田隆一、音楽は鈴木大輔、劇伴音楽はats-&清水武仁&渡辺徹、主題歌『赤い幻夜』は生駒吉乃(Vo. 百田夏菜子)。
出演は尾上松也、百田夏菜子、柿澤勇人、石田ニコル、笑福亭鶴光、川野直輝、矢崎広、大窪人衛、清水みさと、辻本みず希、北山雅康、鴨鈴女、やのぱん、竹井亮介、柴山陽平、横山けーすけ、伊藤匡太、狭間涼太、三浦康彦、宮内貴義、渡邉晶仁、古場町茉美ら。


『BE・LOVE』で連載されていた大谷紀子の同名漫画を基にした作品。
監督は『ボクは坊さん。』『ラスト・ホールド!』の真壁幸紀。
脚本は『そらのレストラン』の土城温美。
香芝を尾上松也、吉乃を百田夏菜子、王寺を柿澤勇人、明日香を石田ニコル、権太郎を川野直輝、川西を矢崎広、三宅を大窪人衛、寛子を清水みさと、百合を辻本みず希、支店長を北山雅康、下宿の女将を鴨鈴女が演じている。通行人の役で、笑福亭鶴光が出演している。

冒頭、たくさんの金魚が泳ぐ様子がカメラにアップで写し出され、その向こうに田舎道を歩いて来る香芝の姿がボンヤリと見える。それは金魚問屋の荷台に積んである水槽越しの映像という設定だ。
でも最初に金魚を登場させるのは、その後の展開を考えると得策とは思えない。紅燈屋のシーンで初めて金魚を見せて、「香芝が紅燈屋で初めて金魚と遭遇する」という形にした方が効果的だろう。
ところが紅燈屋のシーンでは、なぜか香芝がポイを渡された後、「香芝が水槽に目をやる」→「そこに漂う金魚のアップ」といった描写を入れないんだよね。
それは手落ちというか、ものすごく雑な処理に感じるぞ。

あと、舞台となっている場所を全く説明しないまま話をどんどん進めるってのは、どう考えても手落ちだろう。
そこが奈良県ってことを、観客に教えない理由は何なのか。少なくとも、それで得られるメリットは何も無い。
場所をハッキリさせず、「架空の田舎町」という設定にしておきたかったのか。
ファンタジーとしての世界観を構築したいのであれば、奈良県に限定しない方が何かと都合がいい部分もあるだろう。でも結果として、奈良県と明示しなかったことによるプラスの効果は何も無い。

香芝は王寺が親切に声を掛けたのに、出来れば関わりたくないという面倒そうな態度を取る。
車に乗ってから「お兄さん、何をしにこちらに?」と質問された時も、「別に」とぶっきらぼうな態度を取る。
なぜなのかと思っていたら、「基本的に、お兄さんと呼んで来る奴を私は信用していない。怪しげな男」というモノローグが入る。
そういう思いで疎ましそうにしていたのなら、最初に王寺から声を掛けられた時点で、そのモノローグを入れておくべきだ。

その後、王寺がカーラジオを付けてBGMが流れ出すと、香芝の「迷い込んだ謎多き田舎町」といったラップ調のモノローグが入る。
でも、ちっとも「謎多き田舎町」じゃないのよ。そういう描写は全く無いからね。
で、その後には「そう、私は左遷銀行員」とモノローグが入るけど、その情報だけ半端に出すのもマイナス。
出すんだったら、その段階で左遷された事情の回想も挟むべき。それを入れないのなら、左遷されたことは後で初めて触れるべきだよ。

そんなモノローグの後、香芝が歌い始める。この映画、踊りはほとんど無いが、出演者の歌唱シーンは何度も入る。だったらミュージカル映画なのかというと、製作サイドは「新感覚ポップエンターテインメント」という触れ込みで公開している。
どうやら、ダンスシーンを排除することで、日本人にも恥ずかしさの無いミュージカル映画に仕上げようという意図があったらしい。
日本製のミュージカル映画は、周防正行監督の『舞妓はレディ』や矢口史靖監督の『ダンスウィズミー』でさえ興行的には成功していない。邦画でミュージカル作品をヒットさせるのは、かなり難しいことなのだ。だから、そのハードルを何とか下げようってことなんだろう。
ただ、そもそもダンス抜きのミュージカル形式として作る意味が良く分からないんだよね。

その意味についてはひとまず置いておくとして、「新感覚ポップエンターテインメント」としての出来栄えはお世辞にも芳しくない。
まず香芝が歌う最初のシーンからして、「それは違うだろ」と言いたくなる。彼が歌い出すと、すぐに王寺も加わるのだ。
そこは香芝が左遷されて田舎に来た暗い気持ちを歌に乗せると、王寺が田舎の良さを歌にする。そうやって、それぞれの全く異なる気持ちを交互に形にしてあるのだ。
だけど、そこは絶対に、香芝の心情だけを歌に乗せるべきシーンでしょ。

香芝は王子への態度からして田舎町に対する強烈な拒否反応があるのかと思ったら、後ろ姿の吉乃を見ると迷わずに後を追い掛ける。それはキャラとして、統一感が取れていないように感じる。
ここで少しだけ吉乃の歌が入るが、ただ邪魔なだけ。
幻想的な雰囲気を醸し出そうとしているのは、踊り子を配置していることからも良く分かる。だけど、そこを「香芝を魅了する、いかがわしい夜の町」として表現していること自体に、疑問があるのよ。
吉乃が香芝に気付きながらも、少し振り向くだけで、まるで誘惑するように店へ入って行くってのも不自然さしか無いし。

紅燈屋の表現も、もちろん「風俗店と誤解する」というネタだから、それっぽく描いているのは分かるよ。でも金魚すくいの店としては、あまりにも内装が変だし。
「ファンタジーだから」ってことかもしれないけど、方向性を間違えているようにしか思えない。
香芝の歓迎会として支店の面々が紅橙屋で金魚すくいをするシーンも、店内が薄暗いし、内装も変に風俗店っぽさが強いので、ちっとも「皆が楽しく金魚すくいに興じている」という印象が無いのよ。
っていうか実際、まるで盛り上がっていないし。
「スポーツとして真剣に取り組んでいる」ってことだとしても、そういう「熱血」「興奮」が感じられるわけでもないし。

香芝のラップ調のモノローグは何度も入るのだが、それとミュージカルシーンで歌われる曲のテイストは全く合っていない。
ミュージカルとしての方向性にも、まるで統一感が見られない。香芝が支店に初出勤するシーンでは、英語のラップを歌うし。
明日香が弾き語りをするシーンだけは、実際に彼女が歌っている設定だから、そこはブレるし。
ここで香芝が簡単に感動しているが、これで彼のキャラもブレるし。田舎の人間に対して心を閉ざしているのか、バカにして見下しているのかと思いきや、違うのかよ。

吉乃のおはぎを口にした香芝は、「これは店を出せるレベルだ」とモノローグを語る。でも、それなら見せ方を間違えている。
もっと香芝が味に感動したことを分かりやすく伝えるべきで、そこで変に抑制しても何の意味も無いでしょ。
ただ、それ以降の展開を見ている限り、どうも意図的にやっているわけではなくて、単純に演出がマズいだけだ。香芝の興奮や感動を表現するべき箇所で、やたらと淡白で薄い見せ方になっている。
あとさ、吉乃が美味しいおはぎを作れる設定って、ホントに要るかね。「金魚すくいの店を父から引き継いでいる」「ピアノが上手い」という2つの要素だけで、お腹一杯だわ。

香芝が初めて金魚をすくうことが出来たシーンでは、大きな興奮とまでは行かないにしても、それなりに感激があったはず。
ところが映像では、引きのショットで香芝と吉乃を捉えるだけだ。ちっとも香芝の心の動きを伝えようとしない。
せめて顔のアップで、思わず頬が緩むような表情でも写していれば、それだけでも印象は違うだろうに。気持ちが高揚していることは、これっぽっちも伝わらない。
前述したように、そういうトコの表現が下手なのだ。

香芝は初めての金魚をすくった後で高台に行くが、王寺がいると「1人でセンチメンタルに浸りたかったのに」と悔しがる。
だったら、そこに行かずに立ち去ればいいでしょ。重要なのは1人になることであって、その場所じゃなきゃダメってことじゃないはずなんだから。
それで何か展開として支障が出るかというと、何も無いからね。
「立ち去ろうとしたら王寺が気付いて声を掛ける」という手順を踏めば、同じような展開にすることは出来るわけでね。

王寺は高台で香芝に金魚を飼う水槽を見せた後、急に「ラララ」と歌い出す。なので、そこからBGMが流れて歌に入るのかと思いきや、そこは少しハミングするだけ。
しかも、それはミュージカルシーンとしての扱いではなく、実際に「唐突に王寺がハミングを始めた」という扱いだ。
それだけでも不自然さ満開なのに、なぜか香芝が「こんな野郎の歌まで、心が持って行かれる」とモノローグを語る。
いや、どこに心を持って行かれる要素があるんだよ。せめて心に刺さる歌詞でもあればともかく、ただのハミングなんだし。

開始47分辺りで「只今より1分20秒間の休憩が入ります。その間、一曲お聞き下さい。」と文字が表記されて休憩が入るが、こんなの全く要らないでしょ。たった90分程度の作品で、なんで休憩を入れるのよ。
もちろん、「そういう趣向」として持ち込んでいることは分かるよ。だけど、変な細工で流れを止めているのは、完全に失敗だよ。
っていうか、そもそも歌唱を軸に据えていること自体、失敗だと思うぞ。
この映画ってミュージカル映画としては致命的な欠点があって、歌に入るタイミングや流れがドイヒーなんだよね。歌われる曲も、全く作品に合っていないし。
本来なら歌唱シーンがセールスポイントじゃないとダメなのに、「そこを全てカットした方が少しはマシになる」と感じるのだ。

休憩の後、夜の町を歩いた香芝が吉乃を見掛けて後を追うシーンがある。ここでは踊り子が登場して歌が流れ、香芝は明日香に紅燈屋へ連れ込まれてキスされそうになる。慌てて逃げ出した香芝は、吉乃が王寺のトラックに乗り込むので追い掛ける。いつの間にか吉乃は電話ボックス型の水槽に閉じ込められていて、香芝が扉を開けて救出する。
これは全て幻想的な表現なのだが、シーンが切り替わると金魚鉢を抱えた香芝が吉乃と2人で土蔵に入る様子が写る。
そうなると、香芝が吉乃を助けた出来事まで事実のように見えてしまう。現実的な描写の中で、「香芝が吉乃と会った」という手順は無いからね。
そこは意図的に現実と幻想の境界線を曖昧にしているのではなくて、表現が下手だから混同した状態に陥っているだけだ。
いつの間にか香芝が金魚鉢を抱えているのも、ワケが分からないし。

吉乃は香芝に天才ピアニストとの過去を明かし、人前で弾くのが怖くなったことを説明する。
だけど、そういう事情があるのなら、土蔵で弾いている姿を香芝に見つかったのも、本来は避けたかったはずだよね。
それにしては、香芝に気付いても大して慌てていなかったよね。そこで弾いていたのを、周囲には内緒にしてほしいとも頼んでいないし。
それは対応として変でしょ。まるで「演奏を誰かに聴かれても平気」って感じに見えちゃうでしょ。

香芝がLanchuに行くと、王寺がバンドを従え、ピアノを弾いて歌っているというシーンがある。ここで「吉乃が話していた天才ピアニストは王寺だった」ということが明らかになるんだけど、それは違うなあ。
なんで吉乃が言っていた天才ピアニストの正体が、バンドを従えてポップスを歌いながら演奏する奴なのよ。しかも歌とピアノだけじゃなくて、途中で踊り出しちゃうし。
「吉乃が劣等感を植え付けられた天才ピアニスト」のキャラ造形として、完全に間違えている。最初に彼を金魚売りとして登場させている時点で間違ってるしね。
キャラとしては、絶対にピアノで有名人になっているべきだよ。そうじゃなくて他の仕事をしているのなら、逆に「ピアノは全くやっていない」という設定にしておくべきだし。

実は金魚すくいって、ほとんど物語に関係ないよね。
吉乃は金魚すくいの店を営んでいるし、王寺は金魚売りだし、終盤には香芝と王寺が金魚すくいで勝負するし、だから表面的には大きな要素に見えるのよ。だけど冷静に考えると、金魚すくい関連の要素を丸ごとカットしたとしても、ほとんど成立しちゃう内容なんだよね。
金魚すくい自体が作品のテーマになっていないのは、別に構わないのよ。熱血スポ根モノってわけでもないんだし。
でも、何かを表現するための道具としての価値さえ乏しいのよ。
香芝にしろ吉乃にしろ、金魚すくいが人生において大切な存在になっていないし。

(観賞日:2022年9月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会