『杉原千畝 スギハラチウネ』:2015、日本

昭和30年(1955年)、東京。ユダヤ人のニシェリは外務省を訪れ、リトアニアで会ったセンポ・スギハラとの面会を求めた。応対した官僚の関満一朗は、そんな名前の人物は現在も過去も外務省に存在しないと告げる。ニシェリは「世界中の何千という人々が彼を覚えています。なぜ隠すのです?」と訴えるが、彼は「残念ですが、お役に立てません」と冷淡に言う。ニシェリは「必ず再会すると約束して、この紙をくれました。その紙が私の命でした。センポが我々に命をくれたのです」と述べ、ヴィザを見せる。関は「お引き取りください」と突き放し、ニシェリは「絶対に諦めません」と口にして外務省を後にした。
昭和9年(1934年)、満洲国。杉原は白系ロシア人のイリーナやマラットたちに協力してもらい、スパイ活動を行っていた。北満鉄道の譲渡交渉を有利に進めるため、彼らはソ連の情報を掴んだ。杉原は19歳で満州に渡り、ハルピン学院に学んでソ連の知識を積み上げてきた。関東軍将校の南川欽吾は「外交官は平和主義者だ」と言い、戦うべきだという考えを語る。イリーナは南川への不快感を示すが、杉原はモスクワへ行くために利用するつもりだと話した。
杉原たちは深夜の列車基地を監視し、ソ連軍が忍び込むのを確認した。ソ連軍が新型車両を盗み出し、鉄屑を売り付けるつもりだと杉原は睨んだ。杉原やマラットたちは飛び出すが、ソ連軍に銃を突き付けられる。そこへ関東軍を率いる南川が現れ、ソ連軍を包囲した。南川がソ連軍を皆殺しにしたので、杉原は「約束と違う」と抗議した。南川はマラットを含む杉原の仲間たちも始末し、偽装工作を行った。南川詰め寄る杉原を殴り倒し、問題が起きないために最善の策を取ったのだと悪びれずに主張した。
北満鉄道の譲渡交渉が有利に進み、満州国外交部次長の大橋忠一は杉原を称賛した。しかし杉原は辞表を提出し、関東軍のために働く気は無いと告げた。翌年、東京へ戻った杉原はモスクワ大使館に赴任するはずだった。しかしソ連から「好ましからざる人物」と見なされ、入国ヴィザの発給を拒否された。友人の菊地静男と飲みに出掛けた杉原は苛立ちを吐露し、悪酔いした。杉原は菊地の家へ赴き、彼の妹である幸子と出会った。杉原は幸子と親しくなり、交際するようになった。
杉原は関から、次の赴任先がリトアニアに決まったことを告げられる。関は杉原に、まずはフィンランドで情勢を把握し、領事館設立の準備を進めるよう指示した。昭和14年(1939年)、リトアニアのカウナス。杉原は幸子と共に領事館で暮らし始め、現地職員を募集した。すぐにグッジェというドイツ系リトアニア人がやって来て、杉原は彼を雇うことにした。酒場へ出掛けた杉原は、ペシュという謎の男に声を掛けられた。ペシュは彼に、「取り引きしませんか。私は貴方の必要な物を、貴方は私の欲しい物を用意できる」と話す。杉原が「私の欲しい物?」と訊くと、ペシュは「近い内にお持ちしますよ」と述べ、酒場を出て行った。
米国が開催した外交官の交歓会に参加した杉原は、オランダ領事のヤンと知り合った。ペシュは車に乗り、領事館へやって来た。彼は杉原に、「貴方の手足となって情報を集めてくる。雇ってほしい」と持ち掛けた。ペシュは亡命を余儀なくされたポーランド人のスパイであり、情報を提供する代わりに組織の仲間へのヴィザ発給を求めた。杉原は取り引きを承諾し、運転手として彼を雇った。杉原はガノールという商人と仕事で会い、彼の息子であるソリーが興味を持った封筒の切手をプレゼントした。
杉原がペシュを伴って港へ行くと、立ち入り禁止になっていた。ペシュは彼に、「ソ連がリトアニアを狙う理由の1つは、この港です」と告げる。ソ連がリトアニアの旧首都のヴィリニュスを返還すると聞いた杉原は、何か裏があると睨む。地図を見た彼は、ソ連がヨーロッパを分断する気だと気付いた。彼はベルリンの在ドイツ日本大使館へ赴き、駐ドイツ大使の大島浩と会う。杉原はポーランド侵攻を終えたソ連がフィンランドを狙っていること、ドイツと不可侵条約を締結したのは東ヨーロッパを分け合うのが狙いであることを話す。大島がドイツ&イタリアと三国同盟を結ぶため行動していることを明かすと、杉原は「いつまでもドイツが勝つとは限りません」と言う。しかし大島は、ヒトラー率いるドイツが無敵だと信じていた。
昭和14年(1939年)12月14日、杉原は領事館でハヌカのパーティーを開き、ガノールの一家を招待した。ガノールは彼に、ワルシャワから逃げて来た親戚のローゼンタールを紹介した。ローゼンタールは空襲で家を焼かれ、娘の旦那を殺されていた。彼は娘と孫娘を連れて逃亡を図ったが、他のユダヤ難民と共にドイツ兵に捕まって倉庫に閉じ込められた。ナチス将校は「伏せろ」「立て」と何度も命じ、その度に部隊に発砲させて楽しんだ。逃げようとする者は射殺され、遊びを終えた将校は全員を始末させた。死んだフリをしていたローゼンタールと孫娘は生き延びたが、娘は命を落とした。
ガノールが「いずれ我々も逃げなければ」と言うと、杉原は「ソ連は来年にもリトアニアへ侵攻するかもしれない。一刻も早く出国を」と促した。するとローゼンタールは、「もうユダヤ人には行く場所が無いのです」と口にした。ソ連がリトアニアを併合すれば、領事館は閉鎖される。杉原はペシュから「ドイツがフランスに攻め入るのも時間の問題です。日本はどうするのです?」と問われ、「アジアへの進出を続けるだろう。軍部はドイツと同盟を結ぶことによって、アメリカとの対決を避けられると思っている」と述べた。
昭和15年(1940年)、アメリカ公使館は閉鎖され、ヴィザが発給されなくなった。そこでユダヤ難民のニシェリたちは、オランダ領事館へ赴いた。ヤンはオランダがドイツに併合されていることから、他の国へ行った方がいいと勧める。しかしニシェリたちが「金さえあればソ連を通過できる。だが目的地が無いと」と言うのを聞き、協力することに決めた。ソ連から退去命令を示唆されている日本領事館の周囲にも、大勢のユダヤ難民が押し寄せていた。杉原はペシュから「日本政府がヴィザ発給を認めるわけがない。放っておくのが一番です」と言われ、その意見に同調した。
杉原はペシュから「貴方に会いたがっている人がいる」と告げられて教会に赴き、イリーナが待っていたので驚いた。イリーナは夫であるユダヤ難民を紹介し、ヴィザ発給を頼む。既にソ連の通過ヴィザは調達しており、シベリア鉄道に乗る人々に紛れて逃げるつもりだと彼女は説明した。杉原は用意することを約束し、彼女と別れた。彼が領事館に戻ると、さらに多くの難民が通過ヴィザの発給を求めて集まっていた。杉原はグッジェに、「誰も中に入れるな」と指示した。
杉原は日本政府に確認を取るが、やはり条件を満たさない者へのヴィザ発給は認められなかった。ペシュは「政府に従うべきです。ヴィザを発給すれば、外交官としての貴方は終わりです。諜報活動に影響が出るだけでなく、家族に危険が及ぶかもしれない」と告げるが、杉原は難民の代表者と会うことにした。ニシェリたちを領事館に入れた彼は、「渡航費と日本での充分な滞在費、最終目的地への入国許可が必要です」と告げた。するとニシェリは金を工面すると言い、入国許可については一枚の紙を差し出した。それはヤンが用意した紙であり、「キュラソーを含むオランダ領への入国にヴィザは不要」と認める署名があった。
不可解に感じ杉原はヤンの元を訪れ、説明を求めた。彼が「あれはただの紙切れです」と告げると、ヤンは「だが、彼らが脱出できればオランダ植民地には入国できる。いつクビになってもいい」と述べた。その夜、杉原は幸子から、「貴方は今でも世界を変えたいと思っていますか」と質問される。杉原が「常に変えたいと思っている。全てを失うことになっても付いて来てくれるか」と言うと、「はい」と幸子は答えた。翌朝から杉原は、ヴィザ発給を開始した。
ニシェリはヴィザを貰って礼を述べ、杉原は「いつかお会いできるのを楽しみにしています」と告げた。杉原は教会へ行き、イリーナにヴィザを渡した。「なぜ偽装結婚までしてユダヤ人を助ける?」という彼の質問に、イリーナは「彼も私も故郷に帰れない人たちなのよ」と答えた。杉原はパスポートに怪しい点がある子供連れの女性を面接するが、「どうしても必要なんです」と言う彼女にヴィザを発給した。強制退去が1週間後に迫る中、杉原は外務省に何度も問い合わせて時間を稼ぎ、一枚でも多くのヴィザを発給しようとする…。

監督はチェリン・グラック、脚本は鎌田哲郎&松尾浩道、製作は中山良夫&市川南&熊谷宜和&薮下維也&石川豊&三宅容介&松田陽三&久保雅一&都築伸一郎&大塚雅樹&井戸義郎&城朋子&和田倉和利、エグゼクティブプロデューサーは奥田誠治、Coエグゼクティブプロデューサーは門屋大輔、プロデューサーは飯沼伸之&和田倉和利、アソシエイトプロデューサーは佐藤譲、セカンドユニット監督は尾上克郎、撮影はゲイリー・ウォーラー、照明はマレク・モゼレフスキ、美術は金勝浩一&プジェミスワフ・コヴァルスキ、録音は原田亮太郎、衣裳デザインは黒澤和子&ドロタ・ロクエプロ、編集はジム・ムンロ、テクニカルプロデューサーは大屋哲男、音楽は佐藤直紀。
出演は唐沢寿明、小雪、小日向文世、ボリス・シッツ、アグニェシュカ・グロホフスカ、ミハウ・ジュラフスキ、ツェザリ・ウカシェヴィチ、塚本高史、濱田岳、二階堂智、板尾創路、滝藤賢一、石橋凌、アンナ・グリチェヴィチ、ズビグニエフ・ザマホフスキ、アンジェイ・ブルメンフェルド、ヴェナンティ・ノスル、マチェイ・ザコシェルニー、木原勝利、翁華栄、吉田久美、村上裕明、古島康裕、古島裕大、古島裕敬、生津徹、社城貴司、手代木智ら。


“日本のシンドラー”と呼ばれた杉原千畝を主人公にした伝記映画。
ポーランドで2ヶ月に渡るロケを行っている。終戦70年特別企画として製作されている。
監督は『サイドウェイズ』のチェリン・グラック。
MVやCMの演出を手掛けてきたディレクターの鎌田哲郎と、『不機嫌な果実』や『チチを撮りに』の助監督だった松尾浩道が脚本を担当している。
杉原を唐沢寿明、幸子を小雪、大島を小日向文世、ペシュをボリス・シッツ、イリーナをアグニェシュカ・グロホフスカ、ニシェリをミハウ・ジュラフスキ、グッジェをツェザリ・ウカシェヴィチ、南川を塚本高史、菊地を板尾創路、関を滝藤賢一、大橋を石橋凌が演じている。

映画の冒頭で、「1950年代末、欧州には再び戦争の影が忍び寄っていた。複雑怪奇な情勢を探るため、ナチスドイツとソ連を相手に情報戦を挑む一人の日本人。これは、祖国日本のため太平洋戦争を回避しようとした一外交官の物語である」という文字が表示される。
杉原千畝と言えば、ユダヤ人を救うために独断でヴィザを発給した行動が有名だ。
というか裏を返せば、それ以外のことは全くと言っていいほど知られていない。
そんな杉原を、この映画では「戦争回避を目指したインテリジェンス・オフィサー(諜報外交官)」として描こうとしていることを、冒頭の文字で宣言しているわけだ。

あまり知られていない杉原の一面をピックアップしようとするのは、なかなか興味深いアプローチである。ところが、そういう方針を徹底できていないため、焦点の定まらないボンヤリした映画になっている。
その覚悟の無さは、最初のシーンから露見している。最初の文字が出た直後のシーンで、リトアニアで救われたニシェリが杉原を訪ねて来る様子を描くのだ。
そこから話を始めるってことは、例の有名なエピソードをメインに据えていることが明白になる。つまり冒頭の文字による宣言が、早々と崩壊しているのである。
そのくせ、その後は杉原がリトアニアへ行くまでの出来事を描いているんだから、何がしたいのかと言いたくなる。
「インテリジェンス・オフィサーとしての杉原は描きたい。でもユダヤ人を救った有名なエピソードも描きたい」という、欲張った意識が見て取れる。そのせいで軸足が固まらず、中途半端な作品になっているのだ。

昭和9年になると、列車の中で杉原がソ連のスパイに追われる様子が描かれる。そのシーンでは、杉原やイリーナたちが何のために行動しているのかがボンヤリしている。
直後のシーンを見る限り、どうやらソ連に関する情報を入手したようだ。だが、そこを描く必要性は全く感じない。
「アクションシーンから始めたい」ということだったのかもしれないが、だったらアクションとしての演出を頑張る必要がある。
しかし、緊迫感や迫力たっぷりで、客を引き込む力があるようなアクションシーンになっているわけではない。

列車基地のシーンも、やはりボンヤリした描写になっている。
また、杉原はマラットに「戦闘にはならない。関東軍が欲しいのは証拠だ」と言っているのだが、直前のシーンにおける南川の好戦的な態度からすると、「戦闘になるよね。ソ連軍を殺そうとするよね」ってのが見え見えなのだ。
なので、南川がソ連軍を殺して杉原が「約束と違う」と抗議しても、絶対に殺さないと安心していたことが愚かにしか

モスクワ大使館への赴任がダメになった時、杉原は「どうしてこんなことになった」と苛立っている。
だけど、ソ連の情報を盗み出したり、ソ連軍と揉めたりすれば、そりゃあ危険人物としてマークされるのは当たり前でしょ。
仮に列車基地でソ連軍が殺されなかったとしても、それに関しては大して変わらなかっただろう。
なので、自分でソ連に目を付けられるような行動を繰り返しておいて、それで「ヴィザの発給を拒否されるなんて青天の霹靂」みたいな反応を見せるのも、これまた愚かにしか思えない。

あと、そこまでソ連へ行くことに杉原が固執する理由がサッパリ分からないんだよね。
彼は「モスクワへ行けば世界を知ることが出来る。世界を知れば、日本をもっと良い国、素晴らしい国にすることが出来るはずなんだ」と語るけど、何だかピンと来ない主張だ。
また、その訴えに、映画を引っ張る力は無い。
っていうかさ、リトアニア領事館に赴任するまでの出来事なんて、全く要らないでしょ。どうせ杉原がリトアニアへ行ってからの物語が本筋みたいなモンなんだし。

杉原がソ連へ行きたがっているとか、ソ連にマークされて入国できなかったとか、そんなのは時間を割いて描いておくほどの情報なのか。後から台詞で軽く言及するだけでも事足りるんじゃないか。
これが例えば、杉原がユダヤ人にヴィザを発給する有名なエピソードにも、彼のソ連に対する熱の強さが大きく影響して来るのなら、そりゃあ詳しく触れておいてもいいかもしれない。
だけど、まるで不要なんだから。
そこを描いても上手く処理できていれば映画の厚みに繋がるが、余計なことに手を出して散らかっているだけでしょ。

リトアニアへ行く前の出来事を描いているもんだから、幸子との関係も出会いから始めなきゃいけなくなっている。
だけど、そこに手間と時間を掛ける余裕は無いので「出会いました、何度かデートを繰り返しました」ってのをサラッと片付けるだけ。そこに恋愛劇なんて全くありゃしないのだ。
あとさ、そのデートで幸子が杉原について「ロシア語だけじゃなくて、ドイツ語もフランス語も話せるんですか」と言うけど、実際に杉原が喋るのは、ほぼ日本語と英語。
他の外国人キャストにしても、人種に関わらず英語を喋る。複数の言語が飛び交うようなことは無い。
そこはハリウッド方式ってことなのかね。

舞台がリトアニアに移ってからも、そんなに時間の余裕なんて無いはずなのに、なぜか余計なトコで手間と時間を使いたがる。
ペシュは酒場で杉原に接触して取り引きを提案した後、車に乗って領事館に現れ、正体を明かして雇ってほしいと持ち掛ける。
だけど、そんなのを2つのシーンに分けて描く必要なんて全く無い。どちらか片方で充分でしょ。
例えば、「酒場でペシュが取り引きを持ち掛けて詳しい条件と正体を説明し、杉原が運転手として雇う」という形にすればいい。それで生じるデメリットなんて、特に思い付かないぞ。

外交官の交歓会のシーンは、「杉原がヤンと出会う」という目的のためだけに用意されているシーンと言ってもいい。どこかで杉原とヤンを知り合いにさせておく必要はあるけど、交歓会のシーンは費用対効果の悪さを感じる。
杉原がソリーに切手をプレゼントするシーンは、後に繋がるんだろうと思っていたら特に何も無い。だったら、そのシーンだけ杉原が子供への優しさを示すのは要らない。
ポーランドのバラナヴィーチで列車に乗ろうとしていたイリーナが、迷子になった少女に声を掛けるシーンがある。少女は母を殺されており、祖父とはぐれたことを話す。直後にハヌカのシーンがあり、その少女がローゼンタールの孫娘だと分かるようになっている。
だけど、その駅のシーンを入れておく意味は全く感じない。

ローゼンタールがドイツ兵に捕まって倉庫に閉じ込められる回想劇は、かなり時間を掛けて丁寧に描かれている。それによってナチスの残虐さを示し、ユダヤ難民への同情心を喚起しようとしているわけだ。
その効果は間違いなくあるが、その回想シーンを入れないとユダヤ難民の置かれている辛すぎる環境があまり伝わって来ないのだ。
我々は回想劇を見ているが、杉原はローゼンタールの語りで聞いているだけだ。
ホントは杉原が見ていない惨殺エピソードに頼らなくても、「命懸けでユダヤ難民を助けて開けないと」と観客に思わせるような作りになっているべきじゃないかと思うんだけどね。

難民が領事館の周囲に集まっている夜、その様子を窓から幼い男児が見ている様子が描かれる。それは杉原の息子で、彼は少年に食べ物を分け与える。
私が見落としていなければ、そこまで杉原の息子は全く登場していなかった。
また、息子がユダヤの少年と接するのだから、それは後のストーリー展開に繋がる伏線なのかと思ったら、特に何も用意されていなかった。
なので杉原の息子は、そのシーンのためだけに出て来たような状態となっている。

杉原がリトアニアを脱出して東プロイセン領事代理に任命された後、ユダヤ人難民がソ連を通過して日本へ向かう様子や、それに関連してJTB客船乗務員の大迫辰雄や在ウラジオストク総領事代理の根井三郎が行動する様子が描かれる。
でも杉原とは全く関係の無い所で展開しているドラマなので、目が散っているとしか思えない。
大迫たちが杉原と接し、その熱意に心を打たれて難民を日本へ送ろうと決めるわけでもないんだし。
根井は杉原の学校の後輩だけど、そのシーンで初めて分かることだし。

ユダヤ人難民が日本へ向かった後も、まだまだ話は続く。
「ドイツのソ連侵攻を確信した杉原が証拠を突き止めるが日本政府は無視する」とか、「理由は分からないが準備の遅れたガノール一家が出国を認められずナチスに連行される」といった様子が描かれる。
でも、それによって何を表現したいのかは全く分からない。
その後も戦争が終わるまでの経緯をザックリと処理しているが、杉原をどういう人物として描きたいのか、物語として全体をどのように構成するのかが全く定まっていない。

この映画で何よりマズいと思うのは、肝心なトコで杉原の感情が全くと言っていいほど伝わらないってことだ。
南川がソ連軍やマラットを射殺した時や、日本で泥酔した時は、激しい感情を吐露していた。ところがリトアニアへ赴任した後は、ほとんど感情を表現しなくなってしまう。
それでも彼の苦悩や葛藤が充分に伝わるのなら、別に構わないだろう。しかし、「外交官の仕事とユダヤ人を救いたい気持ちの板挟みになって揺れ動き、強い覚悟でヴィザ発給を決める」という心の変遷は全く見えないのである。
だから、ただ出来事を順番に描いているだけの、淡々とした進行になっている。

杉原がリトアニアにいる時間帯の杉原は、「唐沢寿明って、こんなに芝居が下手だったかな」と首をかしげたくなるほど人間味の乏しいキャラになっている。
英語の台詞を喋るだけで精一杯だったのか、それとも演出の問題なのかは分からない。
ただ、リトアニアを脱出した後、大島に自身の考えを訴える時や、東プロイセンで幸子と話す時なんかは、ちゃんと感情が見えるんだよね。
ってことは、やっぱり前者が理由だったのかなあと。

(観賞日:2018年1月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会