『シュガー&スパイス 風味絶佳』:2006、日本

高校卒業を控えた17歳の山下志郎は、衝動的に自殺を図った友人・尚樹を止めるため、もう1人の友人・マッキーと共にアダルトビデオを 何本も借り、現場へと急いだ。首を吊ろうとしていた尚樹だが、2人に止められて首が絞まると「死んだらどうするんだ」と口にした。 珍騒動の後、志郎はマッキーから、名古屋の大学へ進学することを聞かされた。
夜、志郎は1人の女性が走ってくる車の前に立ち塞がり、現れた男に平手打ちを食らわせる姿を目撃した。志郎は尚樹から、恋人のヨウコ と一緒に暮らす計画を彼女に知らせず立てていることを聞かされた。同棲生活のために、大学へ行きながら働くつもりだと彼は語った。 そのヨウコの元に、密かにマッキーが会いに来ていることを、志郎も尚樹も知らなかった。
志郎は大学へは行かず、とりあえずガソリンスタンドでのアルバイトを始めた。もちろん両親は反対したが、志郎は聞く耳を貸さなかった。 ガソリンスタンドではバイト仲間の村松が田舎に帰ることになり、社長が新しいバイトを連れて来るという。時々、ガソリンスタンドには 志郎の祖母が若い恋人マイクを連れてやって来る。彼女は志郎や周囲の人々に、自分をグランマと呼ぶよう強制している。アメリカかぶれ のグランマは、志郎が大学へ行かずバイト生活をすると宣言した時、彼の味方をして両親を説き伏せた。
社長が連れて来た新しいバイトの渡辺乃里子は、かつて志郎が平手打ちの現場を目撃した女性だった。グランマが営むバーで村松の送別会 が開かれるが、同じ時間に乃里子は友人・沙絵と会っていた。乃里子が遅れてバーに現れた時、志郎だけが残っていた。グランマは彼女を 呼び寄せ、しばらく話をする。グランマに指示されて、志郎は乃里子を送って行った。
ある日、ガソリンスタンドで働いていた志郎は、一台の車を見た乃里子が逃げるようにロッカールームへ走っていくのを目にした。質問 すると、乃里子は「ただ顔も見たくない人だっただけ」と答えた。乃里子に誘われて、志郎は彼女と一緒にバーへ行く。乃里子が自然な 感じで「好き」という言葉を口にしたので、志郎は確認する。すると彼女は、「悪い?」とサラッと言った。
尚樹から「死ぬ」と告げる電話が入り、慌てて志郎は駆け付けた。同棲のために用意した家で、尚樹は沈み込んでいた。ヨウコがマッキー と密会を繰り返していた事実を知ったのだ。「彼女が向こうを選んだ、仕方ない」と冷静に語る志郎に、「お前には分からない」と尚樹は 泣きじゃくった。尚樹に半ば押し付けられる形で、志郎はその家に引っ越すことにした。部屋を訪れたグランマは、志郎に「乃里子の ボーイフレンドになるのも、もうすぐだね」とからかうように言った。
ある日、志郎は乃里子が不機嫌なのに気が付いた。彼女と一緒に帰路に就いた志郎は、ベンチでキスしようとするが拒まれた。乃里子は 志郎に、元カレから、返し忘れていた鍵について「どうするつもり?」と問い掛けるメールが届いたことを打ち明けた。乃里子が彼に会い に行くと決め、志郎は同行した。元カレの矢野は、医学部の学生だった。乃里子は大学図書館へ赴き、彼に無言で鍵を渡して去ろうとした。 だが、呼び止められ、矢野の元へ戻って話をする。それを見た志郎は、黙って図書館を去った。
その夜、大雨が降る中、乃里子は傘も差さずに志郎の家へやって来た。乃里子から「どうして勝手に帰ったの。どうして黙ってるの。何か 言いなさいよ。言わなきゃ分からない」と責められた志郎は「分かんないのはそっちだよ」と反論し、「君が好きだ」と告白した。濡れた 体を暖めるため、志郎は乃里子を部屋に招き入れた。志郎は寄り掛かってきた彼女を抱き締め、キスをした。
志郎と乃里子はグランマに誘われ、ドライブに出掛けた。それは、グランマの思い出の場所を見るためのドライブだった。だが、到着した 場所は、グランマの思い出の風景とは違っていた。志郎は乃里子との幸せな交際を続け、半同棲生活に入った。そんな中、所長から住所を 聞き出した矢野が、乃里子に会いに来た。志郎は外出中だったが、乃里子は矢野を部屋に入れた。矢野は彼女に、「お前はオレじゃなきゃ 無理だよ」と告げた。そんな出来事があったことを、志郎は全く知らなかった…。

監督は中江功、原作は山田詠美、脚本は水橋文美江、製作は亀山千広、企画・プロデュースは大多亮、プロデューサーは臼井裕詞& 甘木モリオ、エグゼクティブプロデューサーは関一由&細野義朗&島谷能成、撮影は津田豊滋、編集は松尾浩、録音は阿部茂、 照明は川井稔、美術は部谷京子、音楽は吉俣良、サウンドプロデュースは千葉篤史、主題歌はOASIS『LYLA』。
出演は柳楽優弥、沢尻エリカ、夏木マリ、高岡蒼甫、大泉洋、チェン・ボーリン、光石研、奥貫薫、金田明夫、木村了、濱田岳、 岩佐真悠子、サエコ、佐藤二朗、板倉俊之、彦摩呂、安斎肇、池谷のぶえ、蒼井優、遠山俊也、伊藤正之、 斉藤直行、大江聡、ランディ・マッスル、ショウショウ、麗菜、なんしぃ、蘭香レア、幸野善之、麻田真夕、上田拓未ら。


山田詠美の短編小説『風味絶佳』を基にした作品。
監督、脚本、プロデュース、撮影、編集、照明は、『冷静と情熱のあいだ』と同じ顔触れ。
志郎を柳楽優弥、乃里子を沢尻エリカ、グランマを夏木マリ、矢野を高岡蒼甫、所長を大泉洋、マイクをチェン・ボーリン、 志郎の両親を光石研と奥貫薫、社長を金田明夫、マッキーを木村了、尚樹を濱田岳、ヨウコを岩佐真悠子、沙絵をサエコ、豊田を佐藤二朗、 村松をお笑いコンビ“インパルス”の板倉俊之が演じている。

“「冷静と情熱のあいだ」のスタッフが贈る珠玉のラブストーリー”というのが、公開当時の惹句となっていた。
製作サイドとしては、『冷静と情熱のあいだ』という作品を出すことが訴求力に繋がると考えたのだろう。
だが、こちらとしては、『冷静と情熱のあいだ』のスタッフだったら、たぶんロクなモンが出来上がらないだろうなと思ってしまった。
しかも製作は、私の中で「あの男には気を付けろ」という持論が存在する亀山“和製ピーター・グーバー”千広だから、さらにネガティヴな 気持ちになる。
そんで実際、予想した通りの出来映えだった。
メインタイトルは『シュガー&スパイス』だが、スパイスなんて無い。
だからと言ってシュガーだけってわけでもない。
まあシュガー&重曹ってとこかな。
無理をすれば食べられないことは無いけど、御世辞にも美味しいとは言えないって感じ。

ざっくりと内容を説明するならば、「ウブな男が女の箸休めに利用されて捨てられた」という話である。
志郎が乃里子と楽しそうに遊んでいても、そこに喜びを感じることは無い。
捨てられた志郎が号泣しても、その悲しみは全く伝わってこない。
あと、これって本当に2006年という時代設定なのか?
まるで「大人になった主人公が自身の若い頃を振り返っている」という回想形式の映画かと勘違いするぐらい、昔の時代設定に見えて しまうんだが。

この映画の材料になっているネタは、その昔は丸々と太ったキチンだった。
だが、長い映画史の中で肉を食べ尽くされ、骨をしゃぶり尽くされ、その骨で何度もスープを取ってきた。
この映画は、その使い古された骨を短時間だけ煮込んで、他の具材や出汁になるモノは入れず、調味料もほとんど加えずに出している。
それを美味しいと言えるほど、私はお人好しではない。
そして優しい嘘をついてあげられるほど、中江功や亀山千広を溺愛しているわけでもない。

ただし、実は使い古されたネタを扱う際の評価に関しては、ジャンルによっても異なってくる。
例えばロマンティック・コメディーなら、その安心感が心地良さに繋がることもあるだろうし、既視感に溢れているからといって、それで イコール「ダメな作品」という評価に繋がるわけではない(とは言え、もちろん「そのまんま何も手を加えず」ではダメだが)。
本作品のようにマジなテイストで悲しい恋を描く場合、そのハードルはロマコメよりも上がる。
ただし、やはり「良く使われたネタだから」というだけで「だからダメだ」というわけではない。
しかし、この映画の場合、そういうネタを取り扱うに際して、あまりにも意識が低いと言わざるを得ない。
繊細にやっているように見せ掛けて、実は相当に雑な作りである。

最初に用意されている正面からの顔のアップが尚樹で、さらに激しいBGMに合わせて彼とヨウコの関係をフィーチャーするってのは、 正気の沙汰とは思えない。
なぜ、その後に用意されている、志郎が「僕はまだ本当の恋を知らない」というモノローグのシーン(そして静かなBGM)から 入らなかったのか。
全体のテイストを考えても、激しいBGMから入るより、そっちでしょ、どう考えても。尚樹の話が、志郎のモノローグを引き出すために 必要不可欠なモノってわけでもないんだし。
しかも、その後もタイトルロールで尚樹とヨウコの関係にスポットを当てている始末だ。
そんなのは、真っ先に絶対に描かなきゃいけないことでもない。先に志郎の現在の状況や心理を描写して、それから友人と彼女を登場 させても何の問題も無い。志郎と乃里子の出会いや関係を進めて、その傍らで尚樹とヨウコの話を挿入しても何の問題も無いはずだ。

村松から「若い人は何も問題が無くていいなあ」と言われた志郎は、モノローグで「僕にも問題はある」と語り、グランマが若い恋人を 連れていることに「我慢しなきゃならない」という心情説明が入る。
しかし、その直後、「グランマは時に最強の味方になる」と語り、バイトを決めた時に擁護してくれた説明へと続く。
ここの「否定的から肯定的へ」という急激なツイストも、何とかならないのか。
そこは、グランマの説明へ持って行く時の入り方に大きな問題がある。

乃里子がガソリンスタンドに来た時、志郎は思い出したような表情になり、そこで「かつて乃里子の姿を見た」というフラッシュバック的 な短い回想シーンが挿入される。
だが、その回想シーンで示される「乃里子の顔が確認できるぐらいカメラが寄った映像」は、序盤で志郎が平手打ちを目撃した際には 無かったはず。
その回想の見せ方は、映画としてインチキじゃないのか。

乃里子が矢野から「お前はオレじゃなきゃ無理だよ」と言われるシーンを、彼女視点で描くのは演出として繊細さに 欠けるなあと感じる。
そこまでは志郎の視点でほぼ徹底されているんだし、何より彼の苦い恋愛&成長の物語なんだから、中途半端に乃里子視点など要らない のだ(図書館のシーンでも中途半端に乃里子視点があるんだよな)。
そこは、帰宅した志郎が密かに2人の会話を聞いているという形で描写すべきだったのではないかと。
志郎の視点で描く気が無いのであれば、そこの乃里子と矢野の会話は、バッサリとカットしてしまっていい。矢野が来るカットと立ち去る カット、その2つだけを提示すればいい。
というか、矢野はチョロッとしか出て来ないし、志郎と直接の会話シーンも無いんだから、むしろ全く登場させない方が良かったんじゃ ないのか。その方が効果的ではなかったか。

グランマが終盤、「優しいだけじゃダメなんだよ」と志郎に言うが、別に彼は優しいだけだったから フラれたわけではないと思うぞ。
そもそも乃里子に矢野への未練があったというだけでしょ。
この映画に描かれた話の流れで「男は優しいだけでなくタフじゃなきゃダメ」という結論に導くのは、無理がありすぎるぞ。
あと、話の入り方からすると、恋の終わりの後に、モラトリアムの終了も迎えるべきじゃないのか。
つまり新しい恋の予感だけでなく、人生の筋道についても何かを見つけるべきじゃないのか。

『星になった少年』でも思ったことだが、柳楽優弥の芝居は、やはり娯楽映画ではキツいものがあるんじゃないか。
特に本作品の場合、例えば「乃里子が着替えようとしているのに気付かずベラベラと喋り続け、指摘されて慌てて立ち去ろうとしてコケる 」などといったコメディー芝居が幾つか用意されているが、全く似合わない。
「濱田岳の方が絶対に合うよな」と思ってしまう。
柳楽優弥をミスキャストとするか、あるいはコメディー演技を要求したことが間違っていると考えるかは、判断に迷うところだ(志郎の キャラ造形において、コメディー芝居は絶対に必要というわけではない)。ともかく、柳楽優弥という人は、かなり芝居の幅が狭いようだ。
わずかな喜劇芝居でさえも似合わないし、基本的には「静かで抑制されたトーンの映画」が適しているんじゃないかな。
それは本作品の時点での印象だし、まだ若いのだから、今から成長や変化が生じる可能性も充分に考えられるけど。

エリカ様は、「年下男を惑わす小悪魔的な女」ということなら、柳楽優弥ともピッタリ合うだろう。
しかし、マジな気持ちで交際するカップルとしては、どうも違和感を覚えてしまう。完全に「身勝手な乃里子に志郎が翻弄される」という 関係性なら、別にいいんだけどね。
最初から柳楽優弥がタメ口で、「年上と年下」という関係性が見えにくいのもキツい。
っていうか、ハッキリ分からないんだが、乃里子は年上の女性として設定されているのかな。
もし違うなら、その時点で大失敗だよな。
実際にエリカ様の方が年上だし、そして見た目でも柳楽優弥が遥かに年下に映るし。

最初のバーの場面で、意味ありげな表情を浮かべる魔女、じゃなかったグランマのアップが不自然なぐらいに多く写る。そして、彼女が 半ば強引に話をかき回し、そして揺り動かす役割を任されている。
しかし残念ながら、ものすごく浮いた存在と化している。触媒としては、かなり強引な存在だ。
グランマ自身の話と2人の恋愛劇の関連性も、乏しいし。
ただし、仮に柳楽優弥と沢尻エリカじゃなくて、濱田岳と岩佐真悠子が主役だったとしたら、それほどグランマの浮き上がった印象は強く ならずに済んだのではないか、もう少し噛み合わせが良かったのではないかと思ったりもする(この映画で濱田岳と岩佐真悠子が演じて いる役柄ではなく、ちゃんと「主役」として別のキャラを与えれば、ということである)。

もちろん「まず柳楽優弥と沢尻エリカの共演ありき」で進められた企画なんだろうけど、それが周囲の色んなトコロで問題を生じさせて いるように思えてしまう。
そこさえ変えれば、他はそのまんまでも、もっと上手く行ったんじゃないかなあと。
まあ出来ることなら、主演2名だけでなく監督も変えた方が、もっと上手く行くような気はするけど。
って、もはや完全に別の映画だな、そりゃ。

中江功監督は『冷静と情熱のあいだ』と同様に、たっぷりとした間を取りながら、ゆったりとしたテンポで話を進めていく。
だが、それが物語に深みを持たせたり、観客の感情を喚起したりすることに繋がっているわけではない。
ただ中身が薄いだけとしか思わない。
それと相変わらず、脇役の使い方が上手くない。脇役の出し入れのタイミングも悪い。志郎と乃里子が交際を始めると尚樹は消えて しまうし、沙絵は何のために登場したのかサッパリ分からない。ガソリンスタンドの連中はコメディー・リリーフ的な扱いなのかも しれないが、もう少し物語に上手く絡ませられなかったのかと。
とは言え、抜け作キャラを演じる佐藤二朗のコメディー・リリーフぶりは良い。
見終わった後に残るのは、そこはかとない彼の存在感だけと言ってもいい。

(観賞日:2008年2月9日)

 

*ポンコツ映画愛護協会