『昴-スバル-』:2009、日本&中国&韓国&シンガポール

[Overture]
小学生の宮本すばると双子の弟である和馬は母を亡くし、父と3人で暮らしていた。和馬は野良猫を拾い、家で飼おうとする。「ここは社宅だから飼えないって何度も言っただろ」と父に言われ、すばるは「お母さんは飼ってもいいって言ったよ」と反論すると、「もっと広い家に引っ越せたら飼えるって言ったんだ」と彼は説明する。和馬が「すばるちゃんの誕生日プレゼントなんだ」と告げると、父は逃がして来るよう指示した。外へ出たすばると和馬は、逃げた猫を追い掛けてバレエ教室を覗き込む。いつも2人は、「白鳥の湖」を練習するバレリーナたちを見学していた。まだ母親が生きていた頃、2人は7歳の誕生日に「白鳥の湖」を見に行った。母はバレエを習わせると約束したが、それが叶わない内に死んでしまったのだ。
[Act1]
すばるは同級生の呉羽真奈たちから「和馬君に会いたいだけよ」と言われても、冷淡に拒絶して立ち去った。和馬は脳腫瘍に侵され、病院のベッドにいた。父は主治医から腫瘍が肥大して脳が圧迫されていることを知らされ、妻が死んだ時と同じだと感じる。「この病気、遺伝するんですか」と彼が質問すると、医師は「今は何とも」と告げた。和馬は腫瘍の影響で記憶障害が起きており、すばるに「きっといつか、すばるちゃんのことも忘れちゃう」と告げる。
すばるが「病気が治ったら、バレエ習おう」と告げる様子を、真奈が密かに見ていた。真奈の母である真子は、バレエ教室の経営者だった。帰宅した真奈は彼女から「バレエやりたいお友達がいるか、聞いてくれた?」と問われ、「聞いたよ。たぶん、2、3人は見に来ると思う」と答える。「前に言ってた、体育の良く出来るお友達にも聞いてくれた?」と問われた真奈は、「すばるちゃんのこと?あの子、バレエは全然向いてないの」と告げた。
ある日、すばるが和馬の病室にいると、日比野五十鈴が猫を持ち込んで看護婦に注意されていた。すばるは彼女から、「アンタの踊り、面白いね。ちゃんと習えばいいのに」と言われる。すばるは、真子の営む呉羽バレエ教室へ行き、バレエのレッスンを受ける。そのことを知った真奈は、「なんでアンタがここにいるの?」と攻撃的な態度を取った。すばるが普段より遅く病院へ行くと、父は「こんな遅くまで、どこで遊んでたんだ」と責めるように告げる。
すばるは和馬が検査中だったことを説明し、「私、和馬が入院してから、自分がやりたいって言ったの初めてだよ」と訴える。彼女は「1週間に1回行くだけ。和馬の面倒はちゃんと見るから」と言うが、「和馬は病気で何も出来ないんだぞ。可哀想だと思わないのか」と父は声を荒らげる。すばるは「和馬は可哀想だけど、そんなの私のせいじゃない。お父さんは和馬さえいればいいんでしょ。和馬だけが大事なんでしょ」と喚き、和馬の顔を見てハッとなった。
和馬の容体が悪化した時、すばるは病院を訪れた真奈に「教室に来られないなら、私がバレエを教えてあげる」と告げられる。すばるは断るが、「和馬君のために」と言われて受け入れる。廊下に出た真奈は、真似をするよう彼女に告げた。すばるは母と見た『ジゼル』に謝罪のための踊りがあると聞いて練習するが、和馬は息を引き取った。和馬の告別式に参列したすばるは、黒猫を目撃して後を追った。キャバレー「パレ・ガルニエ」のポスターを見た彼女は、そこで『白鳥の湖』『ジゼル』が上演されているのを知った。
[Act2]
すばるが「パレ・ガルニエ」に足を踏み入れると、そこには五十鈴がいた。彼女は店のオーナーで、『白鳥の湖』のリハーサルを指導した。店ではストリップ・バレエも上演されており、客はオカマのダンサーであるサダたちに罵声を浴びせることもあった。成長したすばるが店を訪れると、ストリップ・ダンサーのマリコが生理で出演できなくなっていた。すばるは「私が出る」と名乗りを挙げるが、五十鈴は却下する。土曜日の客は普段より少しだけ上品なので、すばるは今までその日だけ出演させてもらっていた。
すばるは「このステージに出なくちゃいけない理由があるの。1つはお金。呉羽先生は、レッスン料金がまた高くなったから」と言い、他に方法が思い付かない五十鈴に承諾させる。すばるはステージで『ボレロ』を踊るが、なかなか脱がないので客が文句を付ける。サダが客を黙らせ、すばるは踊り切って楽屋へ帰る。彼女は充実感を覚えるが、五十鈴は「形で踊ってどうすんのよ。何も感じなかった」と酷評する。しかし彼女は、週に2回の出演を承諾した。
すばるが去った後、五十鈴はサダに「すばるには生きる力みたいな物を感じるんだ。今は型にハマって見えなくなってるみたいだけど」と告げた。すばるがバーカウンターに行くと、1人の女が「いい度胸してる。よりによって『ボレロ』を踊るなんてね」と口にした。女が「貴方の演技、テクニックがまだまだよ」と批評するのを軽く受け流し、すばるは店を出た。サダは彼女に声を掛け、すばるが初めて店で踊った時のことを語る。すばるは踊った時に何を考えていたかは覚えていなかったが、五十鈴に「和馬はアンタに何も残さなかったわけじゃないね。ダンスを残した」と言われたことは記憶していた。サダと別れた後、先程の女がバイクで現れ、すばるに「リズ・パークよ」と自己紹介して走り去った。
ある日、すばる店を訪れた真奈から、真子が明日のオーディションに行くよう言っていることを知らされる。来月の芸術祭で『白鳥の湖』の公演があり、欠員が出たので真子は真奈も含む3人の生徒をオーディションへ送り込むことにしたのだ。すばるは「ずっとこんな所で踊るつもり?」と問われ、「先のことは分かんないよ」と答えた。すばるは五十鈴のレッスンを受け、「プロのバレエダンサーになる」と告げる。そこへ五十鈴はチェンチャンという旧友の訪問を受け、すばるに「ニューヨークで小さなバレエ・カンパニーをやってんの」と紹介した。
すばるはオーディションに参加し、バレエ団のメンバーと共に踊る。振付家の熊沢は助手のキムと共に見守り、1人だけテンポが遅れるすばるを何度も叱責した。音楽を止めた彼は、すばるに「そんな踊りを呉羽さんが教えるわけがない。誰か他の奴にも教わってるな」と告げる。彼は「どこぞのバカに教えられた癖は、簡単には抜けん。時間の無駄だ」と冷徹に告げ、すばるを退室させようとする。熊沢が代役に真奈を指名すると、すばるは「1週間後の私を見たら考え直すはずよ」と勝ち気に言い放って立ち去った。
すばるはサダのアドバイスを受け、人と合わせる必要性を教えられる。すばるは黒く塗り潰した眼鏡で視界を奪い、街に出で人の気配を感じ取ろうとする。車にひかれそうになった彼女は、フリーターのコーヘイに救われた。事情を知ったコーヘイは、週末に倉庫で踊っている友人のストリート・ダンスを見に行かないかと誘った。週末、すばるは倉庫へ赴き、ストーリート・ダンスを見学した。コーヘイは彼女に、リーダーのタクがニューヨークでの経験もあることを教えた。すばるはタクたちの前に行き、ダンス・バトルに参加しようとする。そこへタクと顔見知りのリズが現れ、すばるにアドバイスを送った。すばるはタクのチームに入り、一緒に踊った。
すばるは熊沢の元を訪れ、バレエ団に加わって踊る。すると熊沢は、4幕で真奈に踊らせ、すばるに2幕を任せると決めた。すばるはリズに誘われ、一緒に遊んだり買い物をしたりする。真奈は母に促され、すばるを家へ招待した。夕食の後、すばると真奈はクラブへ遊びに出掛ける。すばるがアメリカン・バレエ・シアターのリズと親友だと知り、真奈は驚いた。
公演の日、すばるはバレエに反対している父に「見に来て下さい」とメモを残して家を出た。しかし客席に父がいないのを見て、すばるは落胆した。本番直前、すばるが震えるのを見た真奈は、「今さら代わってほしいっていう気じゃないでしょうね。バカにしないでよ」と声を荒らげた。すばるは落ち着きを取り戻し、「ありがとう、一緒にいてくれて。もう大丈夫」と告げた。舞台に出た彼女は、父が来たことに気付かないまま『白鳥の湖』を踊る。すばるは観客から喝采を浴び、熊沢も納得の表情で彼女を迎えた。父は拍手を送り、劇場を後にした。真奈は母から「今夜の貴方のバレエ、素晴らしかったわ」と声を掛けられるが、すばるへの嫉妬心は隠せなかった。
リズはすばるに、年末に上海で開かれる国際バレエコンクールへの参加を持ち掛けた。優勝すれば好きなバレエ団で踊れると説明され、すばるは興味を示した。参加することを決めた。反対する五十鈴に、すばるは「死の恐怖の後に訪れる、生まれ変わった自由な気持ち」を舞台で感じたことを説明する。すばるが「バレエの世界だけは、私が私でいられる世界なの」と熱く訴えると、五十鈴は「アンタが感じた不思議な境地は、誰にでも起こるんじゃないからね。神様からの授かり物だね。と同時に悪魔だね。その魔力に取り憑かれたら、踊れないとボロボロになるよ」と警告した。
[Act3]
五十鈴はコンクールへの参加に反対する姿勢を崩さず、店にも出演させないと通告した。すばるはサダの前で、「おばちゃんに捨てられた。今はおばちゃんにいてほしいのに」と涙を流す。五十鈴はサダに非難され、「こんなことで挫折していたら、あの子がバレエ界でやっていけるわけがないでしょ」と告げる。五十鈴は「もう、あの子に教えられることが無いの。あの子には本物になってもらいたいからさ」と言い、手術を受けることを明かした。
すばるはダンサーの天野にレッスンしてもらうが、「そんなレベルでコンクールに出る気ですか」と厳しい言葉を浴びせられる。天野は音楽を聴く必要性を説き、その解釈が表現力に繋がるのだと告げた。すばるは天野の指導を受け、未経験のモダンも練習する。いよいよコンクールの日が近付き、すばるは五十鈴やサダに別れを告げて上海へ向かった。真奈もコンクールに参加することを決めており、真子と共に上海を訪れた。天野は別れた妻である真子と会い、真奈がコンクールに参加することを初めて知った…。

監督・脚本は李志毅(リー・チーガイ)、原作は曽田正人(小学館『ビッグコミックスピリッツ』連載)、エグゼクティブ・プロデューサーは江志強(ビル・コン)&松浦勝人&千葉龍平&リー・スーマン、共同エグゼクティブ・プロデューサーは金英敏(キム・ヨンミン)&ダニエル・ユン&ヒュー・サイモン、プロデューサーは三木裕明、共同プロデューサーは呉恵[女冊](ロザンナ・ン)、ダンス監修/振付は上島雪夫、美術監督は種田陽平、衣裳デザインは黒澤和子、撮影は石坂拓郎、照明は舘野秀樹、録音は前田一穂、編集は深沢佳文、音楽プロデューサーは志田博英、音楽は冨田恵一&森英治&Daisuke”D.I”Imai。
主題歌「faraway」倖田來未 作詞:倖田來未、作曲・編曲:塩川満己。
出演は黒木メイサ、Ara、平岡祐太、佐野光来、桃井かおり、筧利夫、前田健、映美くらら、愛華みれ、橋爪淳、小野ひまわり、飛田光里、東方神起、周潔、大和田獏、中村麻美、中村しんじ、Stephanie、山根和馬、CHISA、中村謙介、大貫杏里、樋口みのり他。


曽田正人の漫画『昴』を基にした作品。
監督&脚本は『不夜城 SLEEPLESS TOWN』『マジック・キッチン』のリー・チーガイ。
すばるを黒木メイサ、リズをAra(コ・アラ)、コーヘイを平岡祐太、真奈を佐野光来、五十鈴を桃井かおり、天野を筧利夫、サダを前田健、マリコを映美くらら、真子を愛華みれ、すばるの父親を橋爪淳、幼少時代のすばるを小野ひまわり、和馬を飛田光里が演じている。
映画プロデューサーのビル・コンは原作漫画を読んで映画を企画したものの、なかなかヒロイン役が見つからず、黒木メイサを紹介されて起用することに決めたらしい。

曽田正人の漫画が原作として表記されているが、幾つかのキャラクターと大まかな世界観を拝借しているだけで、中身は大幅に改変されている。
理由の1つとして、韓国のSMエンターテインメントと日本のエイベックス・エンタテインメントが製作に関与していることが挙げられる。
それによって、SMエンターテインメントに所属タレントでエイベックス・エンタテインメントがマネージメントしているAra(コ・アラ)がヒロインのライバル役に起用され、東方神起が出演する状態になった。

冒頭、すばるのモノローグで「ある人は、私のことを群れを離れた狼だっていう。ママは野良猫みたいだって言う」と語られる。
しかし彼女は、群れを離れた狼にも、野良猫にも、全く見えない。ハッキリ言って、「ただの凡庸な少女」でしかない。
あえて言えば「ちょっと生意気な娘」ではあるが、それはヒロインの「人とは異なる特殊性」を感じさせる要素ではない。
しかも困ったことに、すばるは群れを離れた狼や野良猫に見えないだけでなく、「天才的なバレリーナ」にも見えないのである。

話の繋がりや流れが、色々とおかしい。
例えば[Act1]に入った時、すぐに「すばるが話し掛けようとする真奈たちを無視して立ち去る」という様子が描かれ、その後で和馬が入院している様子を描く。
でも、そこは和馬が倒れるシーンを用意した方がいいでしょ。それに、そこが真奈の初登場ってのもタイミングとして上手くない。
すばるが真奈たちを無視し、和馬に会わせようとしない理由も全く分からない。
すばるたちは小学生なのに、学校のシーンが全く登場しないのも、どうなのかと思うし。

父が金を渡して「これで何か食べて帰りなさい」と告げた後、すばるが居酒屋らしき場所で食事を取るシーンがチラッと挟まれ、カットが切り替わると「すばるが病室で五十鈴と出会う」という様子になるのだが、その食事シーンを挟む意味が全く無い。それどころか、「父がすばるに金を渡して云々」という手順も全くの無駄だ。
もっと根本的な問題に触れると、すばると父親の関係性も、あまり上手く描けていない。
もっと問題なのは、それが描けていなくても、物語に大した影響を与えていないってことだ。何しろ[Act1]で一時的に退場した後、後半に入るまで姿を消しているのだ。
そうなると、すばるとの親子関係も、もちろん充実したドラマを描くことが出来ない。

この映画、序盤から「それはマジなのか」と言いたくなるような演出が目白押しだ。コメディーじゃないのは明らかなので、たぶんマジなんだろうけど、結果的に笑いを誘うような状態になっている箇所が幾つもある。
最初に笑ってしまったのは、すばるが和馬の見舞いに訪れたシーン。
和馬は「きっといつか、すばるちゃんのことも忘れちゃう」と口にして、目を閉じる。すると、すばるが「寝ちゃダメ、しっかりして。見て、バレエの好きな猫だよ」と告げ、病室の中を動き回りながら猫の動きを真似する。
その間、切なさを煽るようなバイオリンとピアノのBGMが流れるのだが、バカバカしいったらありゃしない。
で、まるで和馬が死ぬようなフラグだったけど、普通に目を開けている。そりゃあ、そこで死んだら陳腐だけど、死ななくても陳腐なのよね。

そのシーンには、別の問題もある。
その様子を見ていた真奈が帰宅し、すばるをバレエ教室に誘ったのか母から問われて「あの子、バレエは全然向いてないの」と告げるのは、「すばるの踊りを病室で見て嫉妬し、嘘をついた」ということなのだ。でも、それが上手く伝わっているとは到底思えない。
その理由は、まず「すばるが猫の真似をする動きが優れている」ってことを、演出として表現していないこと。
また、そこは「死にそうな弟のために踊る」という目的が強くなっているため、「すばるの踊りを見た真奈が上手さに圧倒される」という意味合いは見えなくなってしまうのだ。

そもそも、すばるが病室で見せるのは「猫の形態模写」みたいな動きであって、バレエの動きとは言えない。だから、それを「すばるが持っているバレエの才能に真奈が気付かされる」というシーンに使っていること自体、疑問が残る。
それに、すばるは[Overture]で和馬と一緒に歩いているシーンで、いわゆるバレエの動きを既に見せているのだ。
そういうのをサラッと見せるんじゃなくて、すばるが天才的な才能の持ち主であることをアピールしたいのなら、初めて踊るシーンは大切に扱うべきでしょ。
例えば「バレリーナの動きを少し見ただけで、同じような動きを再現した」ってな感じで、彼女の才能の一端を見せた方がいいでしょ。

ただし、「すばるが天才的なバレエのセンスを持っている」ってことを演出で表現したとしても、それで全てが上手く行くわけではない。
なぜなら、それを実際に体現できる役者が必要となるからだ。
そして黒木メイサが、「天才的バレリーナ」としての説得力を見せているとは言えない。
ただし、彼女が力不足なのは事実だが、そもそも「宮本すばる」というキャラクターを演じ切ることの出来る役者なんて、日本の芸能界に存在しないのではないだろうか。

黒木メイサは映画出演に向けてバレエの猛特訓を積んだらしいが、それで「天才的な能力の持ち主」を演じられるほど、バレエは甘いモノではない。
例えばピアノやバイオリンであれば、指使いさえ覚えれば、実際の音がヘナチョコだったとしても、上手く演奏しているように見せ掛けることは可能かもしない(決してピアノやバイオリンを軽く見ているわけではないよ)。
しかしバレエの場合、実際に踊る姿を見せる必要がある。
だから素人が少し練習した程度では、プロのように感じさせることは不可能なのだ。

なので「宮本すばる」のキャラクターに説得力を持たせようとした場合、考えられる選択肢は2つしか無い。
1つは「本物のバレリーナに演じてもらう」という方法、もう1つは「バレエのシーンはスタント・ダブルに全て任せる」という方法だ。
前者の場合、バレリーナに演技を要求するわけだから、「バレエは素晴らしいけど芝居が下手」という問題が起きることは、ほぼ確実だ。
一方で後者の場合、撮り方に制限が生じるし、どうやっても「吹き替えがバレバレ」という状態になることは、ほぼ確実だ。
どっちにしろ何かしらの欠点が生じるわけで、そもそも企画として相当に難しいモノだと言わざるを得ない。

そんな難しい企画に挑んだ本作品は、恐ろしいことに「本物のバレリーナに演じてもらう」という方法も、「バレエのシーンはスタント・ダブルに全て任せる」という方法も採用していない。
「黒木メイサにバレエを踊ってもらい、それをカメラで捉える」という方法を採用している。
つまり特訓を積んだ素人のバレエを「天才バレリーナの踊り」として観客に見せているわけで、そりゃあ誰がどう考えても無謀でしょ。
それは果敢な挑戦ではなく、「あらかじめ定められた失敗」に向かって愚かにも突き進んでいるだけだ。
周囲のキャラに「彼女の踊り、さらに進歩してませんか」「周りも彼女につられて、みちがえるようです」などと称賛させても、寒々しいだけだ。

佐野光来は幼い頃からバレエを習っていたので、むしろ黒木メイサよりは遥かに役柄とマッチしていると言える。しかし、そういう出演者ばかりではなく、黒木メイサと同様に「バレエの素人がバレエダンサーを演じる」という面々もいる。
筧利夫や愛華みれは指導者役で実際に踊るシーンは無いから、そこは誤魔化せる。しかしAraは現役のプロダンサーなので、本来なら踊るシーンが必要だ。そうじゃないと、すばるをライバル視する手順が死ぬ。しかし、実際に踊っているシーンが全く描かれないまま時間だけが経過する。
なので、こいつが何者なのか、サッパリ分からない状態が続くことになる。
それなのに、「すばるがリズと一緒に買い物をしたり遊んだりする」という様子が挿入されたりして、見事なぐらいギクシャクしてしまう。
踊るシーンを見せないのは「実際にバレエを踊らせたらボロが出るから」という事情だろうが、だったら、そんな女優を起用しちゃダメでしょ。

前述したように、[Act1]に入った時、すばるは真奈から声を掛けられても無視して立ち去る。ところがバレエ教室に通い始めると、元気に「よろしく」と挨拶する。
一方、すばるに声を掛けて「和馬君に会いたいだけよ」と言っていた真奈は、彼女がバレエ教室に来ると、露骨に敵対心を示して「なんでアンタがここにいるの?」と言い放つ。
2人とも、わずかな時間で態度が大きく変化している。まるで別人になったかのような違和感があるぞ。
しかも和馬の容体が悪化した時には、真奈がすばるに「教室に来られないなら、私がバレエを教えてあげる」と言い出すし、もうキャラ描写がメチャクチャじゃねえか。

すばるは父からバレエ教室に行ったことを非難されると、「お父さんは和馬さえいればいいんでしょ。和馬だけが大事なんでしょ。和馬なんていなければいい」と口にする。
それまで和馬を心配し、「和馬のためにバレエが上手くなりたい」と言っていたのに、急に「父親が和馬ばかりを可愛がるので嫉妬していた」ってことをアピールする。
今まで、そんな素振りなんて皆無だったじゃねえか。父親が和馬だけを大事にしているとか、すばるが寂しそうな様子を見せるとか、そんな描写なんて無かったじゃねえか。
ちゃんとした道筋を通っていないのに、「すばるが実はこんなことを思っていました」ってトコだけ示されても、違和感しか沸かないぞ。

[Act2]に入ると、すばるが「パレ・ガルニエ」に足を踏み入れる。そこで彼女は五十鈴と再会し、リハーサルを見学する。カットが切り替わるとショーが行われているシーンになるので、その夜の出来事なのかと思ったら、成長したすばるが楽屋に現れる。
つまり「何年も経過してからのシーン」ってことになるわけだ。
どこかで時間を飛躍するのは、もちろん演出として当然の作業だ。ただ、「そこかね」と言いたくなる。
そこだとしても、もうちょっと分かりやすく処理すべきでしょ。いっそのこと、「*年後」と表示してもいいぐらいだ。それが不恰好だとは全く思わないぞ。
少なくとも、この映画のような処理に比べれば遥かにスムーズだ。

成長したすばるは「土曜日だけ店で踊らせてもらっている」という設定で登場し、「その日はストリッパーの代役で踊る」という形で『ボレロ』を踊る。
だけど、「いつもの様子」を見せないまま「普段とは違う日の様子」を見せるって、どういうことよ。
あと、よりによって、なんで『ボレロ』を選んだのか。それは、すばるに対する疑問じゃなくて、製作サイドに対する疑問だ。
『ボレロ』って、バレエの中でも特に難しいと言われるような曲目でしょ。実際、すばるの『ボレロ』には、引き付ける力なんて全く無いし。
あと、ストリップを目的に来ている客の前で、まるで脱がない『ボレロ』を踊るって、それは明らかに「間違い」と断言できるぞ。客の望む物を見せてこそ、プロフェッショナルでしょ。『ボレロ』で客が納得しているとも思えないし。

『ボレロ』を踊ったすばるが店を去った後、五十鈴は「あの子が初めて店で踊った時のことを思い出しちゃった」と言い、小学生のすばるが店に通っていた時の様子が回想シーンでチラッと描かれる。
その後、サダが店を出たすばるに声を掛け、小学生のすばるが初めて踊った時の様子が描かれる。
でも、わざわざ回想で挟むより、時系列に沿って描いてしまえばいい。
回想として描くと、「わざわざ回想で挟むほどの意味が感じられない」という感想しか沸かないわ。

すばるが黒く塗り潰した眼鏡で街に出るシーンはバカバカしさがあるが、それより問題なのは「そういう訓練」があっという間に終了してしまうってことだ。それなら、そんなシーンは要らんよ。
ようするに、そこは「すばるがコーヘイと出会う」という目的のためだけに用意されているシーンなのよ。
でも、すばるがコーヘイと出会う手順は、そんな変な行動を取らせなくても成立させられる。
ただし、出会ったばかりなのに、すばるとコーヘイがすぐ親密な関係になる筋書きも不自然さに満ち溢れているので、「いっそのことコーヘイを出さなくていいんじゃないか」と言いたくなるけどね。

すばるはコーヘイから「週末に倉庫で踊っている友人たちのストリート・ダンスを見に行こう」と誘われると、「考えとく」と告げて立ち去る。そしてカットが切り替わり、週末に倉庫で踊っている面々の様子が写し出される。
だけど、そこって日を改める必要が全く無いぞ。
コーヘイの仲間が踊っている日を、週末じゃなくて「その日」に設定しておけばいい。そうすりゃ、誘った流れで倉庫へ行く展開に移れる。
すばるが「考えとく」と言ったけど倉庫に現れるとか、そんな手順なんて全くの無意味なんだし。

そもそもバレエの話なのに、ストリート・ダンスのエピソードを盛り込んだこと自体、正解とは思えない。
そんなエピソードを挟んだ理由は明白で、「黒木メイサは沖縄アクターズスクールに通っていたので、バレエよりはストリート系のダンスの方が踊れる」という事情があるからだ。
だから彼女の得意分野でアピールさせたかったんだろう。
ただし、そのせいで、すばるが「バレエダンサーを目指しているヒロインなのに、バレエよりストリート・ダンスの方が上手い」というヘンテコなキャラクターになっている。

すばるはストリート・ダンスに参加した後、熊沢の元を訪れる。熊沢はオーディションですばる酷評していたのに、なぜかレッスンに参加することを喜んで許可している。
どういう心境の変化なのか、まるで理解できない。彼はすばるの踊りを見たわけでもないのに。
で、そのレッスンを見た熊沢は、すばるの起用を決めるのだが、つまり「すばるはストリート・ダンスに参加したことで、バレエのテクニックを会得した」ってことになる。
だけど何がどうなったのか、サッパリ分からない。なぜストリート・ダンスに1度参加しただけで、それとは全く別物であるバレエの技術が向上するのか。
「人と合わせる感覚を会得した」ってことらしいんだけど、説得力は皆無だ。

すばるに役の半分を奪われた真奈が悔しがっていると、真子は「悔しいのは分かるけど、こういう時に喜んであげるのが友達でしょ。そういえば、どうして家に呼んだり、一緒に遊んだりしないの?」と持ち掛ける。
ここで真奈が「じゃあ今度の週末、家に呼んでもいい?」と言うので、すばるを陥れようとかバカにしようとか、何か企みでもあるのかと思ったら、互いの成功を祝って乾杯している。
真奈の嫉妬心は、どこかへ消えてしまったのか。
こいつのキャラは支離滅裂だ。

すばるが上海のコンクールへ出ることを決めると、天野という男が登場する。すばるの練習を見ていた彼が「そんなレベルでコンクールに出る気ですか」と言うので、そこで初めて出会うのかと思いきや、「コーチとして指導している」という設定なので困惑させられた。
どういう経緯で天野がコーチになったのか、そもそも彼は何者なのかがサッパリ分からない。舞台が上海に移った後、「リズがすばるに天野を紹介した」ってことが説明されるが、それを後から観客に知らせるのって、どう考えてもデメリットしか無いでしょ。
あと、それに関連して「真子が天野への復讐に娘を使おうとする」という展開があるけど、心底から「どうでもいい」としか思えんよ。
ただ、極端なことを言ってしまうと、「どうでもいい」という感想の湧かないシーンなんて無いんだけどね。

(観賞日:2017年3月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会