『ストレイヤーズ・クロニクル』:2015、日本

1990年代の初め、「人は自分の意思で進化することが可能か」ということを検証するための実験が行われた。その実験には、2つの方法が選択された。1つは、親の世代から脳内にストレスを掛け、異常なホルモンを分泌させて突然変異的に進化を促す方法だ。もう1つは、遺伝子操作によって違う生物の能力を持たせる方法である。それぞれに6人ずつの子供が被験者として選ばれ、実験が行われた。そして時が過ぎ、実験台となった子供たちは成長した。
ある夜、スバルは良介と亘を伴い、三上悠里という女性が拉致されたボウリング場へ赴いた。彼らが中に入ると誘拐グループは不在で、悠里は麻薬を打たれていた。そこへ首謀者の赤城と仲間たちが戻ったので、スバルは悠里を解放するよう要求した。一味は余裕の態度で襲い掛かるが、スバルたちは特殊能力を使って退治した。亘が「破綻」を迎えたため、スバルはボスである外務副大臣の渡瀬浩一郎に対処を要請した。すると渡瀬は何とかする」と事務的に言い、側近の井坂たちに亘を運ばせた。
スバルたちは過剰なホルモンの分泌により、脳細胞にダメージを負って破綻するリスクを抱えながら生きていた。1年前には仲間の寛人が破綻し、そのまま命を落とした。渡瀬はスバルに、悠里の祖父が大物政治家の大曾根誠であることを話す。しかしスバルは、政治に何の興味も無かった。それよりも彼は、里親の元に預けられている仲間の沙耶と隆二が心配になった。彼は「兄弟の幻想は捨てろ」という渡瀬の忠告を聞き入れず、2人の様子をに見に行くことにした。
スバルは高校に通う隆二を訪ね、「あの頃みたいに、みんなと一緒に暮さないか。渡瀬の手から離れたい。俺たちにも出来る生き方があるはずだ」と語る。しかし隆二は「無理だよ」と、否定的な態度を示す。スバルは亘が破綻したこと、寛人が1年前に破綻して死んだことを話すが、隆二は「会えたのは嬉しいけど、そっとしといてよ」と述べて立ち去った。一方、大学に通う沙耶は、能力のせいで苦しんでいた。彼女はスバルを見つけると喜び、目に涙を浮かべて抱き付いた。
その夜、学と仲間のモモ、静、壮、ヒデ、碧は臓器売買シンジケートのアジトを襲撃し、監禁されていた人々を解放して一味を始末した。次の日、彼らはスバルの前に姿を現し、チーム・アゲハのカードを渡し姿を消した。渡瀬はスバルから報告を受け、アゲハの生みの親である科学者のリム・シェンヤンが来日することを明かす。彼はスバルに、アゲハの確保を命じた。スバルが良介と暮らす家に戻ると、沙耶が転がり込んでいた。スバルが驚くと、彼女は「今の親は自由に生きていいって言ってくれてるし」と述べた。
スバルは「超記憶」の能力を持つ良介に、アゲハのことを尋ねる。すぐに良介は、厚労省の役人や議員、臓器売買シンジケートの襲撃など去年から続いている殺人事件の現場にアゲハのカードが残されていることを説明した。スバルは良介に、アゲハの正体は自分たちより長く続いた実験の被験者たちだと話す。アゲハを確保する任務を彼が話すと、良介は無理だと難色を示す。亘がいない上、向こうの方が能力が高いことは確実だからだ。しかし沙耶が「私はやるよ」と言ったので、良介も手伝うことにした。
スバルたちはシェンヤンの参加するシンポジウム会場へ赴き、アゲハの出現に備える。シンポジウムには渡瀬も参加し、壇上でシェンヤンと並んでいた。するとスタッフに化けた神谷という男が会場を封鎖し、腹に巻いた爆弾を見せて参加者を脅迫した。彼は「人間が環境を変えてしまったから、未来が見えない。特に原発の罪は重い」と言い、主催企業と政府に対して全原発の廃炉を要求した。すると渡瀬は自身の体験を語り、「変化すべきは環境ではなく、人間そのものじゃないか」と問題提起した。
話し合おうという渡瀬の提案に応じた神谷は、シンポジウムの参加者を解放した。しかしSWATが突入して来たため、激昂した彼は爆弾を起動させようとする。そこへ静が現れて神谷の動きを止め、スバルが彼に飛び掛かって取り押さえた。スバルと良介は逃げる静を追うが、モモに邪魔された。リムは地下駐車場から車で脱出しようとするが、学と壮と碧が立ちはだかった。壮が護衛の2人を叩きのめしたところへ、隆二が出現した。壮が困惑しているとヒデが現れ、同じ能力の持ち主だと説明した。
隆二と壮は格闘になり、駐車場から場所を移動する。壮は護衛の2人を殺害し、学たちはリムを展望室へ連行する。隆二は劣勢に陥るが、スバルが加勢に駆け付ける。スバルと戦った壮は勝つのが難しいと感じ、その場から逃走した。リムは静から「私は命を延ばす方法が知りたいの」と言われ、「君たちは、ものすご速さで老化している。それを止めることは誰にも出来ない」と説明する。ただし彼は、碧だけは他の面々と違って生殖能力があるかもしれないと述べた。
スバルたちが展望室へ乗り込むと、既にリムは殺されていた。学はスバルに、「アゲハには生まれ付き、生殖能力が無いんだ。僕らは20歳前後で死ぬ運命だ。だけど僕だけは違う選択肢を与えられた」と話す。そして彼は「出て行けよ、渡瀬が作った世界から。僕たちは子供の頃に飛び出したよ。自分たちだけで生きて来た。君はね、本気でやろうとしてないんだよ」と語り、「一つだけ教えといてあげようか。僕はね、感染するんだよ」と口にした。
スバルは渡瀬の元へ赴いて「感染って、どういうことだ」と詰め寄るが、答えは得られなかった。碧はモモと静の3人でアパート暮らしをしているが、隣に住む大学生の丸山聡志から顔を合わせる度に話し掛けられるようになっていた。そこで碧はモモと静に、そろそろ部屋を引き払った方がいいのではないかと持ち掛ける。しかしモモと静は丸山と会っても話し掛けられたことが無く、「それって碧に興味津々ってことじゃないの?」と述べた。
学たちは碧を生き残らせるため、今後の戦いには参加させないことを決めた。碧は「子供を作って、自分たちがいたことを未来に伝えてほしい」と頼まれ、「私はみんなと一緒にいたい」と反発する。力の衰えを感じている壮が改めて頼んでも、碧は納得しなかった。彼女はスバルたちの家を訪れ、そろそろアゲハが寿命を迎えることを話した。スバルは良介から「この子、渡瀬の所へ連れて行かなくていいの?渡瀬を裏切って、僕らは生きて行けるの?」と言われ、「理由は分からない。だけど、彼女は渡さない」と述べた。
スバルは実験の初期段階に関わっていた大曾根の屋敷へ赴き、自分たちの生まれた理由を尋ねた。大曾根は「政治、経済、軍事、科学。それぞれのトップが集まった秘密結社のやったことだ。だが、全ては興味本位。やがてバブルは弾け、グループは解体された。君たちの実験が中止され、もう一方のラインが優秀だと判断され、継続された。だが、アゲハは逃げ出し、姿を消した」と説明した。そこへ亘が姿を現し、大曾根に襲い掛かった。スバルは制止しようとするが、力では全く敵わなかった。
亘は大曾根を殺害し、スバルを気絶させて立ち去った。意識を取り戻したスバルが渡瀬の元へ行くと、亘の姿があった。スバルが「亘に何をした?」と渡瀬に詰め寄ると、亘が「学が死ぬと、致死率80%の猛毒ウイルスがバラ撒かれる。生き残った20%の人類が、新しい進化を遂げる。それが僕らの未来となる」と語る。渡瀬は静かな口調で、「あるべき方向に進むんだよ、人類は」と述べた。アゲハの確保を指示した渡瀬の狙いは、学を殺してウイルスを撒き散らすことにあったのだ。
後日、壮がスバルたちの家を訪れ、碧を連れ帰ろうとする。良介は制止に入るが、壮が突き飛ばした。すると木に激突した良介は、破綻を迎えてしまった。駆け付けたスバルは良介の破綻を知り、激怒して壮に襲い掛かる。反撃しようとする壮だが、その力は既に衰えていた。そこへ隆二が現れると、壮は最後の相手だと確信して戦いに誘った。壮は隆二を追い込むが、寿命が尽きて死亡した。スバルは渡瀬に電話を掛け、「もうアンタには頼らない。俺はアンタが殺そうとしている80%の人類を救う。学は渡さない」と宣言した…。

監督は瀬々敬久、原作は本多孝好 『ストレイヤーズ・クロニクル』(集英社)、脚本は喜安浩平&瀬々敬久、製作は中山良夫&薮下維也&柏木登&下田淳行&米田弘志&熊谷宜和&茨木政彦、ゼネラル・プロデューサーは奥田誠治、エグゼクティブ・プロデューサーは門屋大輔、企画・プロデュースは佐藤貴博、プロデューサーは下田淳行、ラインプロデューサーは及川義幸、撮影は近藤龍人、照明は藤井勇、美術は磯見俊裕、録音は小松崎永行、VFXスーパーバイザーは前川英章、編集は早野亮、助監督は李相國、アクション監督は下村勇二、音楽は安川午朗。
主題歌『ロマンスがありあまる』ゲスの極み乙女。 作詞:川谷絵音、作曲:川谷絵音。
出演は岡田将生、染谷将太、成海璃子、伊原剛志、石橋蓮司、豊原功補、松岡茉優、高月彩良、清水尋也、鈴木伸之、柳俊太郎、瀬戸利樹、白石隼也、本郷奏多、黒島結菜、青木崇高、忍成修吾、渡辺大、日向丈、団時朗、布施紀行、奥野繁、池田政典、岸井ゆきの、国枝量平、中脇樹人、荻野友里、和木亜央、中川哲、藤本恭子、安野恭太、鶴井宗貴、池上幸平、さとうかよこ、久保浩子、阿部栞奈、堀内泰佑、渡邉このみ、深田真弘、高村佳偉人、荒木飛羽、吉澤太陽、高橋琉晟、今井紗来、伊藤歩夢、磯野恵大、清水美沙、市原伽恋、酒井和哉、白井珠希、佐藤真子、江藤修平、松木研也、橋本有紗、小野孝弘、原田舞美、宮崎紗也絵、前原梨奈、杉浦芳理、鬼塚庸介、鈴木雄一郎、佐藤美彩希ら。


本多孝好の同名小説を基にした作品。
監督は『アントキノイノチ』『マリアの乳房』の瀬々敬久。
脚本は『桐島、部活やめるってよ』『幕が上がる』の喜安浩平と瀬々敬久監督による共同。
スバルを岡田将生、学を染谷将太、沙耶を成海璃子、渡瀬を伊原剛志、大曾根を石橋蓮司、井坂を豊原功補、モモを松岡茉優、静を高月彩良、良介を清水尋也、壮を鈴木伸之、ヒデを柳俊太郎、隆二を瀬戸利樹、亘を白石隼也、丸山を本郷奏多、碧を黒島結菜、赤城を青木崇高が演じている。

キャラクター設定や大まかなプロットから、「和製X-MEN」をイメージした人は少なくないだろう。
何しろ、ご丁寧なことに、アゲハのリーダーである学が車椅子に乗っているぐらいなのだ。
しかし、超能力SFやアメコミ映画的な面白さは、この映画を観賞しても全く味わえない。
邦画の製作費だとSFアクションは難しいとか、日本の土壌がアメコミ的なノリに合わないとか、そういう問題ではない。
単純に、シナリオと演出がマズいだけである。

冒頭、1990年代初頭に行われた実験について、スバルがナレーションで説明する。
そういう形で処理するのは悪くないけど、少しぐらいはアヴァンの時点でエピソードを用意してもいいんじゃないかと。
寛人が何かしらの力を使おうとしてスバルに制止される様子は描かれるが、どういう意味のあるシーンなのか良く分からない上に、観客を引き付ける力も無い。
映像を使うのなら、実験で個々の能力を見せるとか、軽くキャラ紹介するとか、その程度は欲しいところだ。
あるいは開き直って、語りだけで始めるのも一つの手だろう。ただし、その場合は語り手をスバルじゃなくて客観的な第三者にした方がいい。
っていうか、この映画のような形で始めるにしても、やっぱり客観的な第三者にした方がいいけどね。そっちの方が、雰囲気を出すには効果的だろう。

現在のシーンに入ると、すぐに「スバルたちが悪党と戦う」という展開が訪れる。
そういう展開を早い段階で用意するのは、スバルたちの特殊能力を示す意味でも、アクションシーンで観客を引き付けるという意味でも、有効と言えるだろう。
ところが残念ながら、ものすごく地味なシーンになっている。VFXで派手に飾り付ける類の特殊能力ではないので、アクションとしてのケレン味が必要になるはずだが、そこが全く足りていない。
岡田将生にアクション俳優としての素養があるわけでもないので、掴みとしては完全に失敗している。

それだけでなく、いきなり亘が破綻するという展開も、得策とは思えない。まだチーム・スバル全員の能力が示されたわけでもないし、それどころか全員の登場さえ終わっていないのに、いきなり亘の破綻ってのは、構成として上手くない。
まずは全員を登場させてキャラ紹介と特殊能力の披露を済ませ、それから破綻させても遅くない。
寛人に関する回想シーンを挿入すれば「破綻とは何か」は説明できるし、破綻に対するスバルたちの不安を表現することも出来る。
だから、「破綻への不安を抱えながら行動していたけど、ついに亘が破綻してしまう」という展開にでもすればいいわけで。

なぜスバルと良介と亘だけが渡瀬の下で仕事をしているのか、なぜ沙耶と隆二は里親に預けられているのか、いつ頃からスバルは沙耶や隆二と会っていないのか、会っていなかった理由は何なのか。
そういったことが良く分からないまま、話が進んでいく。
それらは序盤の段階で説明しておいた方がいいんじゃないのか。
ミステリーとして引っ張り、「実はこういう真実がありまして」という種明かしに効果が期待できるならともかく、そういう類の情報でもないんだし。

冒頭では「Childfood's End 幼年期の終りに−」という文字が表示され、1990年代初頭に行われた実験に関するスバルの説明が入る。
その段階では特に気にならなかったが、スバルとの再会に沙耶が感涙して抱き付いた後、カットが切り替わって「That night... その夜...」と出た時には、その文字のデザインも含めて、強い違和感を覚えた。
そんな文字、わざわざ表示する意味が全く無いし。
その後には「The next day... 次の日...」という表示が出たりするけど、そういうのは全て要らない。

「その夜」の表示に続いて描かれるのは、どこかで学たちが行動している様子だ。
でも、どこかで外国人一味と戦い、倉庫に監禁されている人々を解放している」ということは分かるけど、具体的に何をしているのかはサッパリ分からない。
キャラ紹介としても薄味なので、「だったら要らないわ、そのシーン」と思ってしまう。スバルと接触する時に、初めて登場する形でも充分だ。わざわざ挿入するほどの価値は無い。
あと、こいつらのアクションも、やっぱり地味なのよね。
学に至っては、特殊能力がアクションに不向きだから仕方ないけど、普通に拳銃を発砲しちゃってるし。

スバルからアゲハについて質問された良介が「厚労省の役人や議員、臓器売買シンジケートの襲撃など去年から続いている殺人事件の現場にアゲハのカードが残されている」と説明したところで、ようやく昨晩のシーンで学たちが襲った相手は臓器売買シンジケートだったことが明らかになる。
ただ、厚労省の役人や議員の殺害と、臓器売買シンジケートの襲撃が同一に扱われているので、どういうことなのかと思ってしまう。
襲う目的や基準が良く分からんぞ。
しかも臓器売買シンジケートの時だけは、どうやら外国なのよね。

神谷がシンポジウムの会場を占拠した時、渡瀬は幼い息子が死んだ出来事などを語り、持論を主張する。でも、彼が演説する内容は、全くと言っていいほど頭に入って来ない。
大きな要因は2つあって、まず「そのタイミングで喋ることかな」という疑問が強い。どこかで渡瀬の持論を説明したいという都合があって、そこからの逆算が下手だとしか思えない。
もう1つの要因として、そもそも渡瀬が超能力者を生み出そうとしたきっかけや理由なんて、どうだっていいとしか思えないのよね。
「そんなトコでグダグダで演説している暇があったら、SFアクションの面白味を見せてくれ」と言いたくなるのだ。

この映画、とにかく「グダグダ喋る」「ウジウジ考え込む」ということが、やたらと多いんだよね。
そういう要素を入れちゃダメだとは言わない。アメコミ映画だって、主人公に悩ませるってのは良くあるケースだしね。
だけど、その成分があまりにも多すぎるのは、配合を間違えているとしか思えない。
カレーを作る時に隠し味としてデミグラスソースを入れるなら分かるけど、大量に投入したらシチューになるでしょ。
この映画ってそんな感じで、本来あるべき姿とは別の料理になっているのよ。

シンポジウムの会場を占拠する神谷の存在意義は、ただ渡瀬に自身の考えを語らせるためのモノだ。
「アゲハがリムを連れ去る」という目的や行動には、何の関係も無い。神谷が会場を占拠する行動もアゲハが仕掛けた作戦の内ってことならともかく、まるで別物だ。
だから静が会場に現れて神谷の行動を阻止するのも、どういう意図なのか良く分からない。
リムの身柄確保が目的なら、既に彼は駐車場へ移動しているから、神谷が何をやろうと関係が無いはずだし。

地下駐車場に隆二が出現するのも、どういうことなのかサッパリ分からない。
沙耶が会場から解放された時に隆二と会っているけど、そこから何がどうなって、彼が地下駐車場に出現して「こんなにマジで走ったの、生まれて初めてだよ」と呟くことになるのか、まるでワケが分からない。
後から沙耶がスバルに連絡して「隆二が来てくれた。今、あの子が追い掛けてる」と言ったり、彼女が会場へ来るよう要請したことを明かしたりしている。
だけど、そういうのって現在進行形のドラマで描いた方がいいでしょ。

学たちが登場した時に「なぜアゲハは渡瀬の手を離れているんだろう」と思ったのだが、スバルが接触した時に「子供の頃に飛び出した」という説明が入る。
でも、そこまで不明のままで話を進めていることが、得策とは思えないんだも。
いっそのこと、オープニングの段階で「まずスバルたちの実験は中止され、アゲハたちの方が効果的ということで継続された。しかしアゲハたちは逃げ出した」という詳細まで説明しちゃった方がいいぐらいだ。
あと、アゲハたちが子供の頃に逃げ出したのに、渡瀬の一味が今まで何も対処せずに放置していたのは、どういうことなのかと。

スバルから感染の意味を問われた渡瀬は、「君には武器が必要だ」とナイフを渡し、それが死んだ妻の遺品であることを説明する。
まるで答えになっていないし、話題を逸らしている。
ところがスバルは「そんなことより、学の言った感染の意味を教えろ」と問い詰めることもなく、あっさりと別のシーンに移ってしまう。
「感染する」ってのは学が明かした唯一の情報であり、ものすごく重要な意味を持つことが確実なのに、なぜスバルが答えを知ろうと必死にならないのか、理解に苦しむ。

ただし、そこの疑問なんて軽く吹き飛ぶような展開が、次のシーンに用意されていた。
それはアパートに戻った碧が丸山に話し掛けられるシーンなのだが、「実家からリンゴ、腐るほど届いたんで」と差し出された彼女は「結構です」と断る。
その時点で、既に「碧の周辺描写なんて要らないだろ。そんなトコまで手を広げる余裕なんて無いだろ。もっと他に時間を割くべきトコが幾らでもあるだろ」と言いたくなるのだが、もっと凄いことが待ち受けている。
碧がアパートに入るタイミングで曲のイントロが流れ、ゲスの極み乙女。の『ロマンスがありあまる』が掛かるのだ。
いやマジかと。そもそもロマンス自体が邪魔なのに、歌まで入れるのかと。

そこから碧をフィーチャーした時間帯が、しばらく続く。
メインであるスバルたちのドラマがペラペラな状態なのに、敵側を厚くしようとしているわけだから、当然のことながらバランスは破綻している。
で、ようやくスバルたちのターンに移るので、どういう内容になるのかと思ったら、「どうやったらアゲハに勝てるのか」ってことで格闘技のビデオを見たり鍛錬を積んだりする様子が分割で描かれる。
そして、そこではゲスの極み乙女。の『サイデンティティ』が流されるのである。

その辺りは、とてもマジでやっているとは思えないのだが、冗談だとしても明らかに場違いだ。
場違いっていうか、映画を間違えているという印象だ。
雇われ監督として仕事をやっている瀬々敬久が、上の方から「どうしてもゲス極の2曲を劇中で使用すべし」という縛りを要求されたので、あえて違和感たっぷりになるような下手な形で挿入したんだろうか。
そうとでも考えないと腑に落ちないぐらい、その辺りの演出はメチャクチャなのよ。

良介の破綻と壮の死を目にしたスバルが、「アゲハを確保して渡瀬の言いなりになるのは間違っている。
遺伝子操作で誕生した自分たちの未来を守るために、アゲハと手を組んで渡瀬と戦おう」という意識に変わるのは理解できる。
ただし、「人類を救うために渡瀬と戦う」という意識に目覚めるのは、まるで腑に落ちない。良介の破綻と壮の死を見た時に、どういう理屈で「人類を救おう」ってことになるのか。
そういう考えに至るのなら、「スバルが守りたいと思う人間」を用意しなきゃ成立しないんじゃないのか。

終盤に入るとチーム・スバルとアゲハが手を組み、渡瀬の差し向けた精鋭部隊に襲われる展開が用意されている。
「本当に恐ろしいのはミュータント(あっ、ミュータントって書いちゃったね)ではなく人間だ」という形にしたいのは分かるけど、そこまでの展開が雑でドラマが薄いので、全く乗れない。
ミュータント側で次々に犠牲者が出ても、そこに悲劇性は乏しい。相手が銃を持っているとは言え、あまり「追い詰められている」という印象が無いのでね。
そんなに人数が多いわけではないし、その戦いも何となく貧乏臭いんだよね。
「これって低予算のインディーズ映画だったっけ?」と思っちゃうぐらいなのよ。

ラスト寸前、渡瀬は公園で学に拳銃を向け、碧から拳銃を向けられる。渡瀬は落ち着いた態度で、スバルに「見ろ、みんな無関心だ」と言う。
確かに公園で遊んでいる人々は、誰もスバルたちのことを気にしていない。そしてスバルがナイフで渡瀬を突き刺しても、まるで騒ぎにならない。
もちろん「人間は無関心だ」ってことを見せたいのは分かるけど、ちょっと無理がありすぎだろ。
拳銃を持った奴がいたり、ナイフで襲い掛かる奴がいたりしたら、さすがに誰かが気付いて騒ぎになると思うぞ。
再び『ロマンスがありあまる』が流れる中、碧と丸山の会話を字幕で表示するエンドロールもカッコ悪いし、最後の最後まで陳腐のアンコが詰まった映画である。

(観賞日:2016年7月31日)

 

*ポンコツ映画愛護協会