『STAND BY ME ドラえもん』:2014、日本

のび太はしずかに誘われて空を飛ぶが、それは夢だった。のび太はママに何度も起こされ、ようやく目を覚ました。彼は学校に遅刻し、廊下に立たされた。ジャイアンとスネ夫からは、すっかり馬鹿にされた。放課後の草野球ではヘマを繰り返し、運動音痴ぶりを露呈した。そんな様子ょモニターで観察していたドラえもんは、のび太の情けない姿に呆れ果てた。セワシは曾曾爺さんであるのび太を何とかするため、ドラえもんを連れて過去へタイムスリップした。
セワシはのび太の部屋へ行き、自分との関係について説明した。のび太は19年後に結婚すると言われるが、相手がジャイ子と知って落胆する。セワシはのび太の人生が失敗の連続であり、そのせいで子孫が貧乏を余儀なくされていることを話す。セワシは未来を変えるために来たこと、そのためにロボットのドラえもんを連れて来たことを語った。ドラえもんは嫌がるが、従わざるを得なかった。ドラえもんの体には、のび太を幸せにするまで変えれない「成し遂げプログラム」がセットされていた。それに反する言葉を口にしたり行動を取ったりすると、体に電流が走るのだ。
ドラえもんは秘密道具のタケコプターをのび太に渡し、一緒に空を飛ぶ。しずかの部屋を覗いたのび太は、頬を緩ませた。ドラえもんは家に戻ると、しずかと結婚させてあげようかと持ち掛けた。のび太を幸せにするには、それが最適な方法だろうと彼は考えたのだ。翌日からドラえもんは、遅刻しそうなのび太に「どこでもドア」を出したり、テストに備えて「暗記パン」を食べさせたり、「がっちりグローブ」で草野球をさせたりと、何かに付けて秘密道具でサポートした。
のび太は学校でしずかと会話を交わし、嬉しい気分になった。だが、しずかが何をさせても優秀なクラスメイトの出木杉と話すのを見て、敗北感に見舞われる。そこでドラえもんは彼のために、「すりこみ卵」を出した。しずかを中に入れると15分後に卵が開き、最初に見た相手を好きになるのだとドラえもんは説明する。しずかを卵に入れることに成功したのび太だが、ちょうど卵が開いた瞬間に彼女が見た相手は出来杉だった。
のび太はショックを受けるが、出木杉は元に戻してほしいとドラえもんに頼む。ドラえもんとのび太が困惑していると、出木杉は道具に頼ることが嫌なのだと説明した。すりこみ卵の効力を無効化したドラえもんは、道具に頼らず自分自身が何とかしないとダメだとのび太に言う。のび太は次のテストで0点を取らないよう、真面目に勉強する。だが、彼は算数を勉強したのに、学校で実施されたのは漢字テストだった。結局は、テストの結果はまたも0点だった。
のび太は何をやってもダメな人間なのだと落ち込み、しずかとの結婚を諦めることにした。しずかに嫌われようと考えた彼は、スカートをめくって怒りを買う。のび太は出木杉と会い、「しずかちゃんのことを頼む」と告げて立ち去った。出木杉はしずかと会い、のび太の様子が変だと話す。心配になったしずかは、のび太の家へ行ってみた。のび太は嫌われたい一心で、ドラえもんが出した「虫すかん」を一気に飲んだ。それは周囲の誰もが寄り付かなくなる力を持った道具で、ドラえもんやママも離れてしまった。
しずかは「虫すかん」の力に抵抗し、のび太に近付いた。彼女がのび太を吐かせたので、「虫すかん」の力は消えた。心配してくれたことに当惑の様子を浮かべるのび太に、しずかは友達だから当たり前だと言う。ドラえもんはのび太に、未来が変化したことを教えた。彼が見せた未来の写真では、大人になったしずかがのび太にそっくりの息子を叱っていた。のび太が感激すると、ドラえもんは多くの可能性から君自身が選んだのだと述べた。
翌日、のび太はしずかと出木杉が学芸会の練習をしている様子を見て、すっかり不安になった。そこでドラえもんは、「タイムテレビ」で未来の様子を見せることにした。すると青年のび太は、しずかから登山に誘われていた。しかし、のび太が煮え切らない様子を見せたので、しずかは腹を立てて「他のお友達と行くから」と去ってしまった。しずかが1人で雪山を歩いている頃、のび太は風邪をひいて自宅で寝込んでいた。
のび太は「タイムふろしき」を使って青年のび太になり、仲間とはぐれて猛吹雪の中にいるしずかを助けに行く。だが、のび太が持参した道具は、どれも役に立たなかった。2人は洞窟に避難するが、ここでものび太は湿ったマッチのせいで火を付けられなかったり、風邪をひいたしずかに掛けようとしたコートが濡れていたりと、またも役立たずだった。しずかが衰弱する様子を見た彼は、死ぬのではないかとパニックに陥った。
しずかは「ちっとも変わらないわね。いつもハラハラしちゃう。いいわ、この間の返事、OKよ」と言い、意識を失った。のび太は彼女を背負って雪山を下りようとするが、動けなくなってしまう。彼は青年のび太を信じ、呼び掛けて記憶を届けようとした。すると青年のび太が未来の空中バイクで駆け付け、のび太としずかを救った。のび太は青年のび太に、しずかが「この間の返事、OKよ」と言っていたことを教える。すると青年のび太は大喜びし、プロポーズしていたことを話した。
のび太はドラえもんと共に、青年のび太の結婚式を見に行くことにした。タイムマシンで行ってみると、青年のび太は結婚式の日取りを間違えて前日に会場入りしていた。ドラえもんはのび太に、せっかくだから前日の青年のび太を観察しようと提案した。青年のび太はジャイアン、スネ夫、出木杉と集まり、祝福を受けていた。ドラえもんとのび太は、しずかの様子も見てみることにした。しずかはパパの前で、「結婚やめる。私がいなくなったら寂しくなるでしょう?これまで甘えてばかりで、何もあげられなかった」と言い出した。するとパパは彼女に、「君は十分に素晴らしい贈り物を私たちに残してくれたよ、数えきれないほどの思い出という形でね」と述べた…。

監督は八木竜一&山崎貴、原作は藤子・F・不二雄、脚本は山崎貴、製作は伊藤善章&梅澤道彦&都築伸一郎&大芝賢二&平城隆司&紀伊高明&市川南&中村理一郎&加太孝明&島村達雄&山本晋也&浅井賢二&阿部秀司 &笹栗哲朗&樋泉実&大辻茂、エグゼクティブプロデューサーは伊藤善章&梅澤道彦&阿部秀司、プロデューサーは大倉俊輔&守屋圭一郎&渋谷紀世子&岡田麻衣子、アソシエイトプロデューサーは篠田芳彦&天野賢&高橋麗奈&黒川和彦&沢辺伸政&和田修治&高木智悌&杉山登&川北桃子&中沢利洋、絵コンテは八木竜一、アートディレクターは花房真、CGスーパーバイザーは鈴木健之、編集は宮島竜治&菊池智美、音楽は佐藤直紀。
主題歌『ひまわりの約束』歌:秦基博 作詞・作曲:秦基博、編曲:秦基博&皆川真人。
声の出演は水田わさび、大原めぐみ、かかずゆみ、木村昴、関智一、妻夫木聡、三石琴乃、松本保典、田原アルノ、竹内都子、山崎バニラ、萩野志保子、高木渉、松本さち、北村謙次、児玉明日美、後藤光祐、佐藤美由希、寺島惇太、天神林ともみ、まつだ志緒理、三木美、Lynn、渡辺拓海。


藤子・F・不二雄の漫画『ドラえもん』を、初めて3DCGで映像化した作品。
『friends もののけ島のナキ』に続いて、八木竜一と山崎貴がコンビで監督を務めている。脚本は山崎貴の単独。
ドラえもん役の水田わさび、のび太役の大原めぐみ、しずか役のかかずゆみ、ジャイアン役の木村昴、スネ夫役の関智一、ママ役の三石琴乃、パパ役の松本保典、しずかのパパ役の田原アルノ、ジャイアンのママ役の竹内都子、ジャイ子役の山崎バニラ、出木杉役の萩野志保子、先生役の高木渉、セワシ役の松本さちといった声優陣は、通常のTVアニメ『ドラえもん』と同じ顔触れだ。
のび太青年の声を担当するのは、CMでは実写版で同じ役を演じている妻夫木聡。

まず「いっしょに、ドラ泣きしません?すべての子ども経験者のみなさんへ。」という公開時のキャッチコピーに、強い不快感を覚えた。
もちろん『ドラえもん』の中には涙を誘う話もたくさんあるが、最初から泣かせることを目的にしたドラえもん映画を作ろうという企画に対して、あざとさを感じる。
そりゃあ商売としては、悪くない考えなんだろう。だけど、『ドラえもん』を単なる商売道具としか捉えていないことは確かであり、そこに醜悪なモノを感じる。
だから、この企画を立案した山崎貴だけでなく、大歓迎で許可してしまった版権元に対する怒りも沸くぞ。

「泣かせる映画」という企画だけでも不愉快なのに、「泣かせることを目的とした大人向けの映画」という企画なので、ますます腹が立つ。
藤子・F・不二雄先生は、あくまでも「子供たちのための漫画やアニメ」として、『ドラえもん』を手掛けていたのだ。
「子供だけでなく大人も楽しめる」ということならOKだが、最初からターゲットを大人に絞り込んだドラえもん映画ってのは、その時点で完全なる間違いなのだ。
極端な話、冒涜と言ってもいいぐらいだ。

原作の中から第1話『未来の国からはるばると』の他、『雪山のロマンス』『のび太の結婚前夜』『さようならドラえもん』『帰ってきたドラえもん』『たまごの中のしずちゃん』『しずちゃんさようなら』という7本を選んで再構成している。
キャッチコピーが示す通り、基本的には泣けるエピソードをチョイスしているわけだ。
で、誰もが思うことだろうけど、「そりゃあ原作の中でも良く出来ていて感動的なエピソードを選んで繋げたら、それなりに泣かせることは出来るだろうよ」と言いたくなる。
ようするに、この映画で感動したとしても、それは原作の力であって、演出や脚本の力は皆無に等しいのだ。

しかも、この映画には大きな問題があって、それは「漫画やアニメで『ドラえもん』に触れている」ということを前提に作られているってことだ。
漫画やアニメで得た予備知識によってキャラクターの個性や人間関係、劇中で描かれるエピソードの周辺状況などを全て脳内補完して、ようやく充分に話を理解し、堪能することが出来るのだ。
そりゃあ『ドラえもん』は有名な作品だから、触れている大人は多いと思うよ。
だけど、そこに頼りまくって映画を作るってのは、ただの怠慢じゃないのかと。

山崎貴が何もやっていないわけではなく、原作からの大きな変更を用意している。
それは、ドラえもんがのび太と暮らすようになる経緯だ。
原作のドラえもんは自ら望んでのび太との生活を始めるのだが、この映画では乗り気ではない。
そこでセワシは、のび太を幸せにするまで帰れない「成し遂げプログラム」をセットする。プログラムに違反すると体に電流が流れるので、仕方なくドラえもんはのび太と一緒に暮らし始めるのだ。

そういう説明を書いただけで賢明な人なら分かるだろうけど、どう考えても改悪でしょ、その設定。
なぜドラえもんが嫌々ながら、のび太と一緒に暮らすようになるのかと。
それが感動を煽ることに繋がるだろうとでも思ったのか。仮にそうだとしても、それは作品の本質を汚すことになるから、リスペクトの気持ちがあるなら絶対に変えちゃいけないトコだぞ。
それに、感動を煽ることにも繋がっていないし。
そもそも「ドラえもんがのび太と一緒にいる理由」なんて、声高に説明しなくてもいいんだよ。それは野暮ってモンだわ。

そもそも後の構成を考えると、ドラえもんとのび太の出会いのシーンなんて無い方がいい。
どうせ観客層を「過去に『ドラえもん』を見て育った大人たち」に設定して、脳内補完に頼った内容に仕上げているんだから、登場人物や人間関係を説明する必要も無いんだし。
それに、出会いから始めて、終盤には「別れと再会」まで描くってのは、どう考えたって詰め込み過ぎでしょ。
おまけに、ドラえもんとのび太の友情物語をメインに据えているんじゃなくて、のび太としずかの関係を重視して話を進めているわけで。

「それを言っちゃあ、おしめえよ」ってことになるんだろうけど、3DCGで『ドラえもん』を映画化する必要性は全く無い。我々は2Dアニメの『ドラえもん』を見慣れているし、それで充分だと思っている。
3DCGで映画化するのは、ファンのニーズに応えたわけでもないし、「お客さんに楽しんでもらうため」という意識も無い。単純に、「3DCGの技術を見せびらかそう」ってだけだ。
ただし、それには別に構わない。そこに関しては、重要なのは結果であり、プロセスはどうでもいい。
問題は、結果が芳しくないってことだ。登場人物が実際に喋っているという感じや、気持ちの伝わり方が、シンプルに簡略化された2Dアニメより劣っているってことだ。

セワシがのび太の元へ来た時点では、「のび太が失敗を繰り返したせいで子孫は貧乏を余儀なくされている」という状況だ。それなのに、彼が明るく喋っているのは、ちょっと違和感がある。
「祖先が情けないので何とかしたい」ってことじゃなくて、「自分たちの人生を変化させたい。貧乏は嫌だ」という思いがあるのなら、もうちょっとマジに捉えるべきじゃないのかと。そこは原作と一緒ではあるんだけどさ。
あと、セワシは「のび太を幸せにするために」ってことでドラえもんを派遣しているけど、そこも引っ掛かるんだよな。
のび太が幸せになっても、子孫が貧乏から脱却できるとは限らないわけでね。

のび太から「役に立つの?」と問われたドラえもんがタケコプターを渡すのは、ちょっと展開としては強引だ。
で、そこでタケコプターを出した理由は、その直後に判明した。
のび太がタケコプターをコントロールできず、高速で空中を振り回される様子が写し出されるけど、ようするに、そういう映像を見せたかったってことなんだろう。
まあ3DCGで『ドラえもん』を映画化しようとする人だから、「まず映像ありき」ってのは、ある意味では筋が通ってるわな。

ドラえもんは「のび太を幸せにするには、しずかと結婚させるのが一番」と考えているけど、それは変でしょ。
だって、セワシがのび太の未来を見せた時点では、彼はジャイ子と結婚していたのよ。結婚相手を変更したら、セワシが産まれなくなるでしょうに。あと、しずかと結婚したからって、貧乏から脱却できるとは限らないしね。
で、そこの問題は完全に無視して、「のび太をしずかと結婚させる」というミッションに向けてすぐに動き始めちゃうから、のび太が秘密道具を使う目的は全て「しずかにモテるため」ということになってしまう。
サイテーだろ、その改変。

しかも、のび太としずかの恋愛劇(?)を重視したせいで、「ドラえもんが秘密道具でのび太をサポートする」という部分がダイジェスト処理されてしまう。
そこを短く済ませたせいで、のび太は「安易に秘密道具に頼り、何の努力もしない、まるで共感を誘わないクソガキ」になってしまう。
そりゃあ漫画やアニメでも、のび太はすぐに秘密道具に頼っていたよ。だけど、そのせいで痛い目に遭ったり、たまには努力したりしていたのよ。
そこをスッ飛ばすから、ドラえもんを都合良く利用するだけの不愉快なガキになってしまう。

一方でドラえもんも、自分が早く未来へ帰りたい一心で、のび太を甘やかして秘密道具を積極的に使わせるという、これまた好感度の低いキャラになっている。のび太を卑怯な手段で出木杉より上回らせて、しずかの気持ちを掴ませようとする奴になってしまう。
でもホントのドラえもんは、そんな奴ではない。
もちろん、のび太を甘やかすことはあるが、それは彼のことが好きだからだ。だから、時には厳しく注意したり、懲らしめたりすることもあるのだ。
でも、この映画のドラえもんは、未来に帰りたくて嫌々ながら任務に従っているだけで、のび太との友情が結ばれていないのだ。

出木杉が「しずかちゃんのことは好きだけど、道具に頼りたくない」と言い、ホントに素晴らしい少年であることを見せ付けた後、「君も道具を使ってもダメだって分かったでしょ。君自身が何とかしないと」とドラえもんはのび太に告げる。
だが、さんざん秘密道具を出して甘やかしておいて、どの口が言うのかと。
で、そこからのび太が真面目に勉強する様子が描かれるが、ドラマとしての蓄積が全く無いので、すんげえ軽い決心にしか見えないし、ちっとも応援したい気持ちが湧かない。

のび太は真面目に勉強して「やれば出来る」ってトコを見せるわけではなく、間違えて算数の勉強をしたので漢字テストでO点を取るという、相変わらずのボンクラっぷりを露呈する。
それによって彼が落ち込むとBGMが流れて泣かせようとするが、泣けるわけねえだろ。むしろ、ちょっと喜劇的なシーンだと感じるぐらいなのに。
のび太がボンクラのせいでO点を取った後、「しずかちゃんに嫌われよう、自分はいない方がいい」と言い出すのも、底抜けの愚か者が勝手に暴走しているだけにしか見えない。
そんな彼を、愛すべきバカとして描くことも出来ていない。

観客を泣かせるために、「ドラえもんとのび太の別れと再会」と「のび太としずかの結婚」の両方を入れたのは、明らかに欲張り過ぎだ。
ドラえもんとのび太が出会った後は、ずっと「のび太としずか」のパートで進めているくせに、終盤になって急に「ドラえもんとのび太」のパートに移って別れのドラマを描かれても、そこまでに友情を育むドラマなんて全く描かれていなかったじゃねえかと言いたくなる。
それにね、『さようならドラえもん』が涙を誘うのは、本当にドラえもんが二度と戻って来ないと感じさせるからなのよ。
その直後に『帰ってきたドラえもん』をやったら、全てが台無しになっちゃうのよ。

「時間が無いのに盛り込み過ぎ」ってのは本作品の最も大きな問題であり、そのせいで全てが慌ただしく、全てが薄っぺらい。
この映画で私は泣くどころか、涙腺が刺激されることさえ一度も無かったが、そんな自分は本当に健全だと思うわ、マジで。
ちなみに、こんなモンに最優秀アニメーション作品賞を受賞させる日本アカデミー賞は、今さら言うまでも無いことだか、やっぱりクソほどの価値も無い。

(観賞日:2015年9月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会