『スパイ・ゾルゲ』:2003、日本

昭和16年秋、東京。尾崎秀實が妻・英子と11歳になる娘の3人で暮らしている家に、特高警察の刑事たちが乗り込んで来た。無言の刑事に手錠を掛けられた尾崎は、おとなしく連行された。まるで訳の分からない英子は、崩れるように座り込んだ。特高の“T”は尋問を担当し、証拠が挙がっていることを告げる。しかし祖国を裏切った行為を自白するよう求められても、尾崎は黙秘を貫いた。そこでTは部下に命じ、尾崎に激しい暴行を加えた。
検事の吉河光貞は刑事たちと共に、鳥居坂警察署からリヒャルト・ゾルゲの家を観察していた。女が出て行くのを確認した彼らは家へ赴き、勾引状を見せてゾルゲを連行した。ゾルゲは国防保安法と治安維持法違反の容疑を否認し、自分はフランクフルト紙の特派員でドイツ大使館の情報館だと主張した。ゾルゲは吉河に、大使館が弁護士を派遣するまで協力しないと告げた。吉河が「貴方はドイツ人なのか、それともロシア人なのか」と尋ねると、ゾルゲは「両方だ」と答え、自らの人生について語り始めた。
ゾルゲはロシア帝国の領土、アゼルバイジャンの港町バクーで産まれた。母親はロシア人、父親はドイツ人で海底油田を採掘する技師だった。バクーでは外国人が現地の住民を最低賃金で雇い、裕福な生活を送っていた。ゾルゲが3歳の時、一家はベルリンへ引っ越した。父親は銀行の要職に就き、ゾルゲは平穏で豊かな日々を過ごすことが出来た。しかしヴィルヘルム2世の野心が、そんな暮らしを壊した。ゾルゲが18歳の時に世界大戦が勃発し、祖国愛と皇帝への忠誠心からゾルゲは志願兵になった。戦争で3度の負傷を経験した彼は、その勇気を称えられて二等鉤十字勲章を受章した。
ゾルゲは「父と同様に、完璧で善良なドイツ人だ」と言うが、吉河は信用せずに「本当のことを告白した方が君のためだ」と告げる。ゾルゲは呆れたように、親友であるドイツ大使と連絡を取るよう促した。一方、尾崎の取り調べを担当しているTは、人脈の凄さに感嘆していた。尾崎は元総理の近衛文麿、元老・西園寺公望の孫である公一など、多くの貴族や政府要人と親しくしていた。Tは新聞記者である尾崎が国家要人に取り入り、機密情報を得てゾルゲに売り渡していたと考える。だが、そのように指摘された尾崎は、「金のためにしたことなど、何も無い」と告げた。
吉河はゾルゲに、尾崎が自白した調書を見せた。さらに彼は、ゾルゲの家にあった暗号電文の下書きを突き付けた。するとゾルゲは観念し、自分が共産主義者でスパイであることを認めた。ゾルゲは大戦後に入党したことを明かし、その経緯について語った。ドイツは戦勝国から巨額の賠償金を求められて破産し、ゾルゲはベルリンで兵士と労働者のデモ行進に参加した。「共産主義は人々に希望を与え、平等を約束した」と彼は話す。
一方、尾崎はTに対し、党員になったことは無いと証言した。ゾルゲと初めて知り合った場所を問われ、彼は上海だと答えた。昭和6年、朝日新聞大阪本社で勤務していた尾崎は、上海通信局に赴任した。同年9月18日、満州事変が勃発した。日本人に対する抗議の声が高まる中、尾崎は親しくしている米国人ジャーナリストのアグネス・スメドレーから声を掛けられた。2人は中国人の少女が同胞から激しい暴行を加えられて殺される様子を目撃するが、何も出来なかった。
アグネスは尾崎に、ゾルゲを紹介した。その時、ゾルゲはジョンソンと名乗っていた。ゾルゲとアグネスは、「国内で分裂していたら中国は解放されない。共産主義下なら団結する」と尾崎に言う。「中国共産党は小さすぎる」と尾崎が告げると、ゾルゲは「我々が大きくすればいい」と述べた。ゾルゲは「日本軍の正確な情報が欲しい。入手できれば世の中を変えられるかもしれない」と頼む。アグネスも尾崎に、彼への協力を要請した。
尾崎は日本軍上層部の情報が入る度に、それをゾルゲに伝えるようになった。ゾルゲは報酬の提供を持ち掛けるが、尾崎は受け取ろうとしなかった。ゾルゲたちのスパイ活動が続く中、日本軍に買収された中国人の一団が日蓮宗の信者たちを襲った。上海に潜入していた陸軍特務機関が、日本人テロを捏造することで支那に介入する口実を探していたのだ。支那人の暴動勃発を知った尾崎は、ゾルゲとアグネスの元へ行く。尾崎はゾルゲに、日本軍の最終目的が中国全土の制圧だという情報を渡した。関東軍の目標が中国北部にあることを尾崎が語ると、ゾルゲは「モスクワも喜ぶ」と口にした。その時に初めて、尾崎は彼の使命を認識した。尾崎は本社から帰国命令を受けたことを話し、その場を後にした。
ゾルゲは上海任務を終えてモスクワの赤軍第四本部へ戻り、ベルジン大将と会った。ベルジンはゾルゲに、東京へ行って情報を収集する任務を命じた。ゾルゲはウリツキー大尉から、パリにいたクロアチア人のヴェケリッチという連絡員が接触することを説明した。ゾルゲは、彼に日本人の連絡員や上海で一緒だった無線技師のマックスを使いたいと述べる。するとウリツキーは、日本人を使うのは難しく、マックスはヴォルガで修理工の訓練をしていると告げた。ゾルゲは恋人のカーチャと久々に再会するが、すぐに日本へ行くことを告げると「もう限界よ」と言われる。ゾルゲは変わらぬ愛を訴え、彼女に求婚した。
昭和8年、東京。ヴェケリッチは電話で連絡を受け、ロス帰りの洋画家である宮城与徳と会う。宮城はヴェケリッチの仲介で、シュミットと名乗っていたゾルゲと面会した。駐日ドイツ大使館のパーティーに招待を受けたゾルゲは、大使館付陸軍武官のオイゲン・オット大佐や妻のヘルマと知り合った。ゾルゲが来日した表向きの目的は、新聞特派員として農業の記事を書くというものだった。陸軍参謀本部が近くにあり、オイゲンが日本の陸軍将校と親しく付き合っていることをゾルゲは知った。彼とヘルマは、すぐに不貞の関係となった。
宮城は大阪朝日新聞社へ行って尾崎と接触し、ゾルゲが会いたがっていることを伝えた。宮城は尾崎に、アメリカ在住の日本人が白人から差別を受けていたこと、自分は沖縄人なので日本人からも差別を受けてきたことを語り、だからゾルゲに協力するのだと告げた。ゾルゲは上京した尾崎と会い、「日本軍の中国大陸での目標を知りたい」とスパイ活動への協力を要請した。尾崎は東京朝日新聞社へ異動となり、ゾルゲはオット大佐の力添えでナチスに入党した。
新聞社をクビになったアグネスが、尾崎の元に現れた。故郷だと感じている中国へ行くというアグネスに、尾崎は翻訳が完成した彼女の本を見せた。ゾルゲはモスクワから東京の大使館経由で費用を受け取りながら、諜報活動を行った。誕生日にカフェを訪れた彼は、女給の三宅華子と知り合った。マックスとヴェケリッチは無線のための道具を揃え、ゾルゲの住む家屋からモスクワへの送信に成功した。
昭和11年2月26日、一部の青年将校が部隊を指揮し、岡田啓介内閣総理大臣や高橋是清大蔵大臣たちを殺害するクーデター事件を起こした。翌朝、尾崎から事件の発生を知らされたゾルゲは、大使館へ急行した。オイゲンから情報収集を頼まれ、ゾルゲは車で町に出た。中橋中尉の率いる一団は東京朝日新聞社に乗り込み、代表を出せと要求した。主筆の緒方竹虎が出て行くと、中橋は「国賊の朝日新聞は叩き潰す」と宣告して社内を荒らした。
参謀次長の杉山元は昭和天皇の勅命を得て、反乱部隊の鎮圧に乗り出した。近衛文麿は西園寺公望から、次の内閣をやってみないかと促された。尻込みする近衛に、西園寺は「このまま手をこまねいていると、政治の主導権が軍人の手に落ちてしまう」とと危機感を示した。宮城はゾルゲと尾崎に、反乱を起こした兵士の大半が貧しい地方出身者であることを告げた。ゾルゲは2人に、「クーデターの背後にある思想は共産主義に酷似している」と言う。結局、大半の将校は投降し、首謀者は銃殺刑となった。
ゾルゲはディレクセン大使に呼ばれ、オイゲンの私設情報員として協力してほしいと持ち掛けられた。「非公式だが、大使館内での部屋も用意した」と言われ、ゾルゲは「頑張ります」と告げた。これにより、ゾルゲは大使館内の機密情報を簡単に入手できるようになった。ゾルゲはカーチャからの手紙を受け取り、彼女の妊娠を知って大喜びした。ヘルマはゾルゲの家を訪れ、夫に不倫のことを話したと明かす。驚くゾルゲに、彼女は「平気よ。彼は自分の妻より他人の奥さんに興味があるの」と述べた。
後日、オイゲンはゾルゲに「妻のことは感謝してる。我々は長い間、仮面夫婦だ。君のおかげで私の家庭生活は以前より快適になった」と話す。彼はゾルゲに、日本とドイツがソ連を封じ込めるための秘密協定を画策していることを打ち明けた。「日本軍は政府を飛び越え、ドイツ国防本部に接触している我々も乗り遅れないよう、独自の通信手段を持つ必要がある。暗号作成に協力してくれ」と頼まれ、ゾルゲは何の迷いも無く承諾した…。

原作・製作・監督は篠田正浩、エグゼクティブ・スーパーバイザーは原正人、プロデューサーは鯉渕優、脚本は篠田正浩&ロバート・マンディー、製作は岩下清&椎名保&島谷能成&香山哲&牧山武一&野田順弘&長瀬文男&増田宗昭&早河洋&里見治&山本英俊、ラインプロデューサーは上原英和、協力プロデューサーは永井正夫、撮影は鈴木達夫、衣裳デザインは森英恵、美術は及川一&陳紹勉&アネット・ロフィー、録音は瀬川徹夫、照明は三上日出志、監督補は浜本正機、プロダクション・スーパーバイザーは青木陽一、VFXプロデューサーは大屋哲男、VFXスーパーバイザーは川添和人、デジタル撮影コーディネーターは笠原雄治、美術アドバイザーは浅葉克己、編集は奥田浩史、音楽は池辺晋一郎。
出演はイアン・グレン、本木雅弘、椎名桔平、上川隆也、葉月里緒奈、小雪、夏川結衣、永澤俊矢、榎木孝明、岩下志麻、大滝秀治、加藤治子、竹中直人、石原良純、佐藤慶、観世榮夫、ウルリッヒ・ミューエ、ミア・ユー、ヴォルフガング・ザックマイヤー、アーミン・マリュースキー、キャサリン・フレミング、カレン・フリーシック、花柳錦之輔、麿赤児、吹越満、鶴見辰吾、津村鷹志、河原崎健三、原口剛、不破万作、菊池康二、松村穣、津田健次郎、鶴岡大二郎、佐藤学、田中弘太郎、秋間登、りゅう雅登、野村信次、江口ナオ、沈莉輝ら。


実在した国際的スパイ、リヒャルト・ゾルゲや彼の関与したゾルゲ事件を題材とする映画。
原作&共同脚本&製作&監督は、『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』『梟の城』の篠田正浩。これが監督業からの引退作品。
ゾルゲをイアン・グレン、尾崎を本木雅弘、吉河を椎名桔平、Tを上川隆也、華子を葉月里緒奈、ヴェケリッチ夫人の淑子を小雪、英子を夏川結衣、宮城を永澤俊矢、近衛を榎木孝明、近衛夫人の千代子を岩下志麻、西園寺を大滝秀治、1990年の華子を加藤治子、中橋を石原良純、東條を竹中直人が演じている。

ドイツ人やロシア人のキャラクターが登場するが、なぜか喋るのは英語。
大使館内のドイツ人同士、モスクワのロシア人同士が英語で喋っているというのは、違和感が否めない。
ハリウッド映画なんかでは、どの人種であろうと英語で喋らせるってのを平気でやっているけど、それは「全てを母国語に合わせている」ってことだ。だから、それを真似するなら、昔の東映特撮映画みたいに「全て日本語吹き替え」ってことにしなきゃ意味が無い。
「日本語は日本語、外国語は全て英語」ってのは、不自然で中途半端な統一だと思うぞ。

とにかく無駄が多い。
上映時間は182分だが、それに見合うだけの充実した中身は無い。序盤の段階で、既に無駄の多さを感じさせられる。
具体的な例を挙げると、ゾルゲが連行された後の手順。警察署で吉河の取り調べにゾルゲが容疑を否認した後、シーンが切り替わるとゾルゲは東京拘置所にいる。そこから彼は連行され、吉河の取り調べを受ける。
だったら、1つ目の取り調べシーンも、東京拘置所の様子も要らないでしょ。いきなり2つ目の取り調べシーンから描写すればいい。そこでバカ丁寧な手順を踏んでいる意味が全く無い。
その後も、「そのシーンはホントに必要なのか」と思わされる箇所が幾つも出てくる。

吉河から「貴方はドイツ人なのか、それともロシア人なのか」と訊かれたゾルゲが「両方だ」と答え、自らの人生について語り始めるという進め方は、ものすごく無理がある。
「弁護士の派遣は無理だ」と言われたからって、なんで自らの人生をベラベラを喋るかね。
そこは例えば、「暴力的な追及を受けて意識が遠のいたゾルゲが人生を振り返る」とか、そういう形にでもすれば同じような作業は出来たはず。
ただし、そこを全てゾルゲの語りで処理するのは、ものすごく不格好。「だったら要らんわ、そんな説明」と言いたくなる。それが仮に虚構だったとしたら、ますます要らないし。

もっと言ってしまえば、「逮捕されたゾルゲと尾崎が執拗な追及の末に自白する」という手順に時間を掛けているのも、無駄に思える。
その経緯の中で、「最初は無実を主張していたゾルゲが、意外な証拠を突き付けられて動揺する」とか「自白を取るのに苦労していた吉河やTが、意外な場所から証拠を見つけ出す」とか、そのようなドラマの厚みは無いのだから。ものすごく淡白に処理されるのだから。
ゾルゲに負けじと、尾崎も自分の過去をセリフで説明する。
そうやってナレーション・ベースで処理する時間の、なんと退屈なことよ。

「当時の上海は、西洋列強のアジア侵略の拠点として分割され、貿易による収益は膨大だった。西洋の植民地政策に遅れまいと、日本も資本を投下していた。日本人街が形成され、治安維持のために日本政府は海軍を派兵した。蒋介石政権は西洋列強や日本の支配に対し、妥協を重ねていた。むしろ列強や日本に立ち向かう中国共産党の活動に脅威を感じ、強烈な弾圧を加えていた。」とか、そりゃあ当時の情勢を観客に分からせるためには必要な情報かもしれんけど、「そんなことより話を先に進めてくれ、そして物語やドラマを描いてくれ」と言いたくなる。
しかも、そこまでを詳しく当時の情勢を説明しているのに、尾崎がゾルゲに協力しようと考えた心情はサッパリ見えない。
いや、もちろん「アジアを救いたいから協力しよう」という気持ちだったことは分かる。ただし、そういう心情が、映画を見ていても全くと言っていいほど伝わって来ないのだ。
その理由は簡単で、人物や心情を充分に描写していないからだ。
篠田監督は、ただ単に用意した筋を追っているだけに過ぎない。人物を配置し、台詞を喋らせ、演技をさせているが、全ては段取りの消化という作業に過ぎない。

篠田監督は自分で心情表現が足りていないと分かっていたのか、そこも「私にはスパイをしているという認識は無かった。列強に植民地化されているアジアの屈辱を解放することが、私の夢だった」といセリフだけで、尾崎がゾルゲに協力した理由を説明してしまう。
それは俗に「手抜き」と呼ばれる行為だ。
分かっているなら、ドラマを描いてくれ。
もしくは、そういうことに全く興味が無くて、だから描こうとしなかったのか。デヴィッド・リンチやデヴィッド・クローネンバーグのように、「自分のやりたいことだけやって、興味の無いことは手抜きで済ませる」というスタイルなのか。

宮城与徳がゾルゲと会いたがる理由は、映画を見ているだけだと全く分からない。
彼が左翼活動家であることを事前に知っていれば脳内補完できるだろうが、それでは意味が無い。
後のシーンで尾崎に「アメリカでは日本人ということで差別され、沖縄の人間なので日本人からも差別された」と語っているが、「だから共産主義のスパイになりました」というのは、なかなか納得し難いものがある。
それは、あまりにも説明不足だろう。

ゾルゲとカーチャの恋愛劇も、尾崎とアグネスの恋愛劇も、尾崎と英子の夫婦関係も、何よりも肝心なはずのゾルゲと尾崎の絆でさえ、ものすごく薄っぺらい。
サガミのコンドームもビックリするぐらいの薄さしか無い。
カーチャの流産を知ったゾルゲがショックで酒に走るというシーンもあるが、全くドラマとしての深みや厚みが無くて、急に段取りを消化しているだけという印象になっている。
っていうか、ゾルゲが日本酒の一升瓶をラッパ飲みするという描写なんて、ほとんどギャグにしか見えないし。

ゾルゲが東京の大使館経由で費用を受け取ったシーンの後、「宮城は米国の生糸禁輸の影響を調査するため、東北へ出張した」とか「尾崎の分析で、ゾルゲは日本経済が想像以上の打撃を受けていることを知っていた」とか「その上、冷害が東北を襲い、農民の困窮は極限に達していた」といったことが説明されるが、それはホントに必要なのかと思ってしまう。
それは「そういった状況を政府が放置したせいで二・二六事件が勃発した」というところに繋がってはいるんだけど、そこの繋がりがあるからって、「だから何?」と言いたくなる。
何しろ、その二・二六事件でさえ、必要性が良く分からないような状態でしか描かれていないのだ。
それによってゾルゲや尾崎たちがどのような影響を受けたのか、あるいはどのように関与したのか、そういうことへの意識が薄いのだ。

緊迫感のあるシーンは、ほとんど登場しない。
半分ぐらい過ぎた辺りで、思い付いたように「ドイツ大使館でスパイ活動を行ったゾルゲが、キーファー秘書が来たので身を隠すけどカメラを置き忘れて焦る」というシーンが出て来るけど、大して緊張感は煽られない。
だって、そこでゾルゲが気付かれないのは分かり切ったことだし。そんなことしたら、史実と異なるパラレル・ワールドになっちやうからね。
でも、ホントにそれぐらいなんだよな、スリリングなシーンって。

とにかく篠田監督って、人物やドラマを描こうとしていないんだよな。
単純に興味が無いだけなのか、それとも苦手にしているのかは知らないけど、それは今に始まったことではない。
例えば『写楽 Sharaku』の時は、主人公の写楽という人間よりも、江戸時代の風俗や江戸の町を描くことに神経を注いでいた。『梟の城』の時は、VFXを使って江戸の風景を描くことに多くの意識が注がれていた。
そして今回は、昭和初期の上海や日本の景色を描くことに、大半の意識が向けられている。

映画のエンドロールでは、ジョン・レノンの『イマジン』がインストゥルメンタルで流される。
「どのようにゾルゲという人物を描写するのか」という問題に対する篠田監督の答えが、『イマジン』ということらしい。
『イマジン』は反戦ソングだから、篠田監督はゾルゲを「反戦や平和のために活動した人物」という風に評価していると受け取るべきなんだろう。
いやあ、すげえな。
ゾルゲは日本の軍事情報をソ連に知らせたスパイなのに、「平和のために活動した素晴らしい人物」として評価できる辺りは、さすが篠田監督だなあ。

(観賞日:2014年10月18日)

 

*ポンコツ映画愛護協会