『そのときは彼によろしく』:2007、日本

海沿いの病院の一室で、滝川花梨が静かに眠っていた。遠山智史と五十嵐佑司はベッドサイドに座っていた。佑司は「子供の頃に聞いた ことがある。眠ると起きられなくなる病気。夢に捕らわれたら、目を覚ますことなく、そのまま死んでいくって。夢の中で花梨に会ったん だ。早く帰れって言われた。一緒に帰ろうって言ったんだけど、首を横に振って、それは無理なんだって。ただの夢だと思う。だけど花梨 が救ってくれたって思いたい」と語った。
智史は「トラッシュ」という名前の小さな水草屋を経営している。雑誌にも取り上げられたことのある店だが、客の数は少なく、経営は 苦しい。彼はバイト店員の夏目貴幸に店を任せ、唯一の得意先であるパン屋へ赴いた。店長の柴田美咲は、智史に好意を寄せている。だが 、智史は全く気付いていない。智史は父・悟郎が院長を務める実家の遠山医院に立ち寄り、水草の世話をする。悟郎は「整理していたら 出て来た」と言い、一枚の写真を渡した。それは、幼い頃の美咲、智史、佑司が並んでいる写真だった。
夜になり、智史は住居も兼ねているトラッシュへ戻った。すると、店の前には森川鈴音という女性が待ち受けていた。「私が捜してる物、 分からない?」と訊かれた智史は、「水草、ですか?」と困惑しながら答えた。その答えを受け、鈴音は落胆の表情を浮かべた。彼女が バイト募集の張り紙を見たので、智史は「もう募集はしていないんです」と説明した。しかし鈴音は「お給料は要らないから」と言い、 トラッシュに居着いて1階で眠り込んでしまった。
2階の部屋に上がった智史は、13年前のことを思い返した。小学校に転校してきたばかりの智史は、ゴミ捨て場の廃バスで眠っている花梨 を発見した。目を覚ました彼女は、「誰だ、お前。ここで何してんだよ」と怒り出した。智史が慌てていると、佑司が現れて「僕の友達 だよ」と助け船を出した。自己紹介を促され、智史は「一週間前に転校してきた遠山智史です」と述べた。親友である佑司の友達という ことで、花梨は智史を受け入れた。こうして、3人は仲良しになった。
鈴音が店に来た翌朝、彼女は引退した元モデルだと智史に告げた。店のことを訊かれた彼は、「2年前からやっています」と答えた。鈴音 に「水草だけ売って、儲かるもんなの」と問われ、智史は「正直、ギリギリです。でも子供の頃からの約束なんで」と述べた。トラッシュ には、鈴音のファンである松岡郁生たちがやって来た。智史は夏目から、鈴音が海外でも有名なトップモデルだと教えられた。
夜、鈴音が薬を飲んでいるのを目にした智史は、「具合でも悪いんですか」と尋ねた。鈴音は慌てて「不眠症なの」と言う。彼女がして いるプリズムのペンダントが視線に入り、智史は気になった。智史と共にパン屋を訪れた鈴音は美咲の好意を悟り、「今晩、3人で御飯 食べない?」と誘う。しかしレストラン「フォレスト」に鈴音は行かず、智史は美咲と2人で食事をすることになった。
美咲は鈴音が店に寝泊まりしていると聞いて驚き、「ドキドキしませんか」と智史に問い掛けた。隣の席に誕生日ケーキが運ばれたのを 見て、智史は子供時代を回想する。智史の誕生日パーティーが開かれ、悟郎と母の律子、花梨、佑司が集まった。花梨の顔が曇ったのに 気付いた智史に、佑司は「花梨はさ、生まれた時からお父さんとお母さんの顔を知らないんだよ」と教えた。花梨と佑司は児童養護施設に いるのだ。花梨は両親がおらず、佑司は父が死んで母に捨てられていた。後日、花梨の誕生日パーティーが遠山家で開かれ、智史と佑司は 壊れた双眼鏡から取り出したプリズムをプレゼントした。
トラッシュに戻った智史は、鈴音に「やっと分かったよ。君が捜している物」と告げる。ようやく彼は、鈴音が花梨たと気付いたのだ。 智史が「ずっと、ここにいられるんでしょ」と尋ねると、花梨は「佑司って、どうしてるかな。この町を出ちゃってから、音信不通なの」 と話題を逸らした。智史は「まだ絵を描いてるのかな」と口にする。子供時代、佑司は「大人になったら画家になれるかな。有名な画家 になったら、お母さん、帰ってきてくれると思うんだ」と話していた。智史は自分の夢を「水草屋の店長さん」と言い、花梨にも尋ねた。 花梨は「じゃあ、画家のモデルと、水草屋の看板娘」と答えた。
夏目は会計士の試験に合格したらバイトを辞めるつもりなので、「花梨さんがいたら、いつでも辞められますね」と口にした。智史は花梨 のアパートを探し始め、彼女にチラシを見せた。深夜、智史が目を覚まして下に行くと、花梨は水草を眺めていた。智史は、子供時代に 花梨が父の診察を受けた時のことを思い出した。待っている間に、佑司から「智史って智史のこと、好きじゃないの」と訊かれ、智史は 「えっ、だって口も悪いし、男の子みたいだし」と戸惑った。すると佑司が「僕は好きだよ」とストレートに言ったので、智史は小さく 驚いた。病室から出て来た悟郎は、花梨の具合について「心配ないよ、ただの貧血だ」と告げた。
智史は花梨を連れて、遠山医院へ赴いた。既に律子は亡くなっている。智史が寝た後、花梨は悟郎に薬を見せて「一番、強い薬です。この 薬も効かなくなっちゃいました」と述べた。悟郎は深刻な顔で、「治ってなかったんだ」と言う。「もう限界だと思います。どんどん眠り が深くなってきています。今度眠ったら、二度と目が覚めなくなるんじゃないかって」と花梨は言い。泣き出してしまった。
花梨はパン屋へ行き、美咲に「智史のこと、よろしくお願いします」と告げる。一方、トラッシュには葛城桃香という女性から電話が入り 、智史は佑司が交通事故に遭ったことを知らされた。智史と花梨が病院へ行くと、佑司は意識不明の重体となっていた。佑司の恋人である 桃香は、2人に「佑司くん、ウチの画材店でバイトしてるんです。その帰りにオートバイで転倒して」と説明した。佑司は、智史が彼と 出会った子供時代と同じ町に、今も暮らしていた。
子供時代、引っ越しをすることになった智史は、「また会えるよ」と言って花梨&佑司と指切りを交わした。駅まで見送りに来た花梨は、 智史にキスをした。その時と同じ駅のホームに立った花梨は、智史に「私、佑司の傍にいる。ここに残る。もう戻らないと思う」と告げた 。一人戻って来た智史は、美咲と食事をしている時に「女性の気持ちに鈍感なのは許してあげる。でも自分の気持ちには鈍感になっちゃ ダメですよ」と言われた。
トラッシュに戻った智史の前に、悟郎が現れた。悟郎に「花梨ちゃんには、もう時間が無い。深い眠りに入ると、起きられなくなる病気 なんだ。もう、一番強い薬も効かないそうだ」と聞かされ、智史は衝撃を受けた。「眠ったら、どうなるの?」と尋ねると、「そのまま 植物状態になって、いずれ死ぬ」と悟郎は答えた。智史が廃バスへ行くと、花梨が眠っていた。智史が慌てて呼び掛けると、彼女は目を 開いた。智史が泣きながら「花梨のことが好きなんだ。あの頃からずっと、好きだったんだよ」と告白すると、花梨は微笑んで「智史、 さよなら」と告げる。「花梨が目を覚ますまで、いつまでも待ってるから」と言う智史の前で、花梨は眠りに就いた…。

監督は平川雄一朗、原作は市川拓司 『そのときは彼によろしく』(小学館・刊)、脚本は いずみ吉紘&石井薫、製作は島谷能成& 信国一朗&亀井修&安永義郎&久安学&原裕二郎&井上良次&沢井和則、エグゼクティブプロデューサーは市川南&濱名一哉、企画・ プロデュースは春名慶 プロデューサーは神戸明&山中和成&川村元気、アソシエイトプロデューサーは大岡大介、プロダクション統括は 金澤清美、撮影は斑目重友、編集は今井剛、録音は横溝正俊、照明は上妻敏厚、美術は磯田典宏、VFXスーパーバイザーは小坂一順、 水草レイアウト制作・監修は天野尚、音楽は松谷卓、音楽プロデューサーは北原京子。
主題歌『プリズム』は柴咲コウ、作詞:柴咲コウ、作曲:Jin Nakamura、編曲:市川淳。
出演は長澤まさみ、山田孝之、塚本高史、小日向文世、和久井映見、国仲涼子、北川景子、黄川田将也、黒田凛、深澤嵐、桑代貴明、 本多力、秀島史香(声)、射場こごみ、大森絢音ら。


『いま、会いにゆきます』『ただ、君を愛してる』に続き、市川拓司の同名小説を基にした作品。
監督はTBSドラマの演出を手掛けてきた平川雄一朗で、これが初めての映画作品。
花梨を長澤まさみ、智史を山田孝之、佑司を塚本高史、悟郎を小日向文世、律子を 和久井映見、美咲を国仲涼子、桃香を北川景子、夏目を黄川田将也、子供時代の花梨を黒田凛、子供時代の智史を深澤嵐、子供時代の佑司 を桑代貴明、松岡を本多力が演じている。

市川拓司原作の映画は、「これはファンタジーである」ということを全面的に受け入れることが出来る人でなければ、観賞に向かない。 しかも、並大抵のファンタジーではない。
古い少女漫画でも、ここまで徹底してリアルを排除した作品、絵空事の世界観を構築した作品は、本当のファンタジー世界を舞台にして いるならともかく、日本を舞台にしている作品では、そう簡単にお目に掛かれないのではないかと思うぐらい、スイートなファンタジーで ある。
あんぱんに砂糖を塗りたくっても、まだ足りないぐらいにスイートである。

それにしても市川拓司って、難病を持ち込むのが好きな人なんだね。
映画化された作品は3つとも、全て難病が盛り込まれている。
ただし、彼がが好きというのもあるけど、日本の映画プロデューサーが「難病を入れておけば、女性の観客を泣かせることが出来るだろ」 という安易な考えで、そういう題材を選んでいるという部分も大きいんだろう。
で、その狙い通り、簡単に泣いちゃう女子が少なくないという現実もあるんだよな。

で、その難病だが、『ただ、君を愛してる』では「恋をしたら死んでしまう」というトンデモな病気を持ち込んでいた。
そして今回は、「深い眠りに入ると死んでしまう」という、常に雪山状態なのかというような病気である。
「そんな病気、実際にあるのか」と、無意味なツッコミをしてはいけない。
これはファンタジーであり、その病気はファンタジーの装置として用意されている設定だ。

この映画は全てが絵空事なので、長澤まさみは世界で活躍するトップモデルというキャラを演じている。
彼女は可愛いけど、ガタイの部分でトップモデルを演じるには無理がある。
そこに説得力が無いことは分かっているのか、モデルとしての活動していた頃の映像はチラッとしか写らない。
「女優としても、これからだったのに」という夏目のセリフもあるが、そういう経歴を示すための映像も皆無だ。

絵空事なので、智史は鈴音が花梨であることに、なかなか気付かない。
絵空事なので、いきなり美人が住み着いても、智史は全くリビドーを刺激されない。
そりゃあ男女が一つ屋根の下で暮らしても、男が我慢するとか、女が拒否するとかで、「何も起きない」という可能性はあるだろう。
しかし、そこで智史が全く性欲を感じないというのは、凄いよな。
一日だけじゃなくて何日も寝泊りするのに、全く悶々とすることが無い。
ホモなのかと思ったよ。

美人の女がいきなり住み着くというのは絵空事だが、それでもコメディーとしてやれば、そのファンタジーは受け入れやすい。
っていうか、普通、それはコメディーとして用いるような初期設定だ。
しかし、それをマジな感動ドラマの発端として使う辺り、市川拓司という人は只者ではない。
そして、それを映画の題材に選んだプロデューサーや、そのままマジなテイストで演出した監督も只者ではない。
まあシリアスって言うより、ただ無闇に陰気なだけなんだが。

幼い頃は花梨、智史、佑司が「仲良し3人組」という関係だったのに、現在のシーンにおける佑司の存在の薄さは、見事にペラペラだ。
正直、「こいつって要るのか?」と思うぐらいだ。
前半戦は、現在の花梨と智史が佑司のことを思い返すことも全く無いし、後半になって佑司が登場しても植物状態なので、そこで三角関係 が生じるわけでもない。
花梨はずっと智史のことが好きで、気持ちが揺れることも全く無い。
そうなると、佑司って要らないでしょ。友達としての価値さえ、まるで感じられない。

花梨が眠って佑司が目覚め、そこで急に繋がりの強さをアピールされても、全くピンと来ないよ。
「3人の絆」なんて、回想シーンでさえ、それほど感じられないのに。
現在のシーンに至っては皆無だぜ。
悟郎が「3人は強い力で引き合っている。この世には物理学の教科書にも載っていない強い力が一つある。どんなに距離が離れてても、 どんなに時間が経っても、少しも弱まることがない」とか語っているが、無理がありすぎるよ。

タイトルにも使われている「そのときは彼によろしく」という言葉が、劇中で花梨が残した手紙の中の言葉として使われているのだが、 「まずタイトルが先で、強引にハメ込んだなあ」という印象が否めない。
だってさ、ずっと智史のことを「智史」と呼んでいるのよ。
そこだけ急に「彼」とは呼ばないでしょ。どう考えても、「そのときは智史によろしく」となるでしょ。
それだとタイトルにふさわしくないから「彼によろしく」にしたんだろうけど、そこまで無理をして、タイトルと同じ言葉を劇中で 使わせなくてもいいんじゃないの。
っていうか逆に、そのタイトルはどうなんだろうかと思うんだけど。

花梨が入院している場所は、リゾートホテルなのかと思うようなオシャレな病院である。
花梨は難病を患っているはずなのだが、その病室には医療用具が何もセッティングされていない。
一応、点滴らしき道具だけはあるが、それが彼女に繋がっているようには見えない。
本人は意識が無くて起きられない状態なのだから、他の人間が栄養補給をさせたり、水分を摂取させたり、排尿・排泄をさせたりする必要 があるはずなのだが、そのための道具は見当たらない。
花梨は、ただ普通にベッドで寝ているだけだ。

ずっと病気で眠り続けていた花梨が5年後に復活した時に、全く同じ髪型、同じ顔色、同じ体型で登場するのもファンタジーの 極み。
やはり元トップモデルだから、短期間でプロポーションを戻したってことなんだろうか。
でも「出産してからの復帰」とかじゃなくて、重い病気だったのに、体型だけじゃなくて顔色まで元に戻すなんて、すげえや。
それ以前に、何度も智史が病室を訪れており、その間に歳月が経過しているにも関わらず、花梨の髪の毛は伸びず、痩せることも無く、 顔色も変化せず、ずっと同じ姿のままなのである。
まさにファンタジー。
眠りの森の美女なのね、ようするに。

そこには「長澤まさみを清らかな状態で見せよう」という意識が垣間見える。
この映画、とにかく彼女を「清純派」としてアピールするためのアイドル映画なのだ。
同じシチュエーションで、子役にはキスさせても、長澤まさみにはキスさせないぐらい、「清純派」としての徹底がある。
清純派女優としてアイドル的な人気を誇っていた若かりし頃の吉永小百合でも、ここまで美しく見せることを徹底された絵空事の映画は、 そう無いのではないか。
清純派と呼ばれていた頃の松田聖子が主演した映画だって、キスシーンは用意されていたもんな。

(観賞日:2011年9月14日)

 

*ポンコツ映画愛護協会