『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』:2008、日本

前線基地に配属された函南優一は、女性整備士の笹倉永久から自分が乗る戦闘機を見せられる。優一が今まで使っていた戦闘機は、業者が回収するという。出来れば今までの機体を引き続き使いたいと考える優一だが、ボスの命令だと笹倉は説明した。優一は指揮官の草薙水素に挨拶し、用意された204号室に荷物を運び込んだ。優一は大部屋へ赴き、同僚となった湯田川亜伊豆と篠田虚雪に会う。湯田川によると、基地のパイロットは優一の同室である土岐野尚史を含めて4名で、水素を加えても飛べるのは5名しかいないという。
次の日、優一は土岐野と共に飛行し、戦闘を行った。基地に戻った彼は、自分の戦闘機に乗っていた前任者のことを水素に尋ねる。水素は「栗田仁郎。ここに赴任したのは7ヶ月前。63回出撃。なかなかの腕前だった」と話す。しかし「どこへ行ったんですか」と優一が訊くと、「その質問には答えられない」と口にした。転出した理由についても、「同じく」と短く告げた。「貴方もキルドレですか」という優一の問い掛けに、水素は何も答えようとしなかった。
その夜、土岐野は優一を連れて、ドライブインに連れて行く。店のテレビでは、ロストック社に所属する優一たちがラウテルン社の2機を沈めた昼間の出来事が報じられている。しばらくすると、土岐野が呼んだ娼婦のフーコとクスミがやって来た。土岐野が仲良くしているのはクスミで、優一の相手として呼んだのがフーコだった。4人は娼館へ移動し、フーコが優一を部屋へ案内して情事に及んだ。
フーコが「貴方が来たってことは、仁郎が死んだったことよね」と漏らすので、優一は「さあ。仁郎って誰なのか良く知らないから」と言う。「どんな人だったの?」と彼が尋ねると、フーコは「優しかったわ。アンタみたいに甘い顔で。なのに何かに行き詰まっているようで、見てると不安になった」と話す。優一は「空飛ぶの、好き?」と問われ、「好きだよ」と答える。基地に戻った優一は、笹倉に仁郎の死因を尋ねる。だが、笹倉は質問に答えず、「早く戻って寝な」と口にした。
次の日、出撃した優一は機体のオイル漏れに気付き、すぐに基地へ戻った。広間へ行くと、一人の少女がいた。彼女は水素の妹・瑞季だと自己紹介した。学校が休みなので、遊びに来たのだという。「優一君はキルドレなの?貴方たちって大人になれないんでしょ?どうして大人になれないの?」と彼女が尋ねると、優一は「なれないんじゃなくて、ならないんだ。君は大人になりたいと思う?」と質問を返す。少し考えた瑞季が「嫌だ」と答えると、彼は「だろ?」と口にした。
後から戻って来た土岐野は、優一に「あれは妹なんかじゃない。娘ってことさ」と教えた。土岐野と入れ違いでやって来た水素は、「あの子を見ていると、時々、嫌になる。あの子はもうすぐ私に追い付く」と語った。彼女は優一に、見学者の相手をするよう頼んだ。優一が湯田川の元へ行くと、見学者について「ウチの会社のスポンサー関係とか、応援してますっていう奴らの集まりだ」と教えてくれた。見学するという発想に対して、篠田は「きっとぶっ殺してやりたくなるだろう」と言う。湯田川は「あの女なら、とっくに撃ってる。いつも拳銃を持ってる」と水素のことを口にした。彼は優一に、水素が仁郎を撃ったのだと述べた。
見学ツアーの面々が基地に到着したので、優一は案内役を担当し、写真撮影に応じたり質問に答えたりした。戦闘機の墜落事故が発生したため、優一たちは現場へ急行した。落ちたのはロストック社の戦闘機で、隣接する基地のパイロットが死亡した。泣いている人を目にした水素は、「可哀想なんかじゃない。同情なんかで、あいつを侮辱するな」と怒鳴った。ダイナーへ食事に出掛けた優一は、ラウテルン社の連隊が基地へ向かうのを目撃した。彼は基地に連絡を入れ、そのことを知らせた。
優一が基地に戻ると、パイロットたちは出撃していた。優一の戦闘機には水素が搭乗していた。戦闘から戻った水素は戦区司令部に電話を入れ、なぜ連絡が遅れたのかと厳しい口調で追及した。水素は優一を同行させ、戦区司令部へ向かう。すると所員の本田が外で待っており、「部長は外出中だ」と告げて水素を追い返そうとする。しかし水素は引き下がらず、強引に中へ入った。「子供はこれだから困る」と本田が漏らすと、優一は「でも、明日死ぬかもしれない人間が大人になる必要ってあるんでしょうか」と問い掛けた。
司令部からの帰り道、水素は優一を連れて、パイロットのゲストルームとして用意されている家に立ち寄った。優一が食事の最中に時計を気にすると、水素は「帰るの?泊まって行ってもいいんだよ」と言って服を脱ぎ始めた。「仁郎って人も、ここに泊まったことある?」と優一が訊くと、彼女は「ええ。なぜ?」と言う。そこで優一は、湯田川が「水素が仁郎を殺した」と言っていたことを話す。すると水素は、「もしかして、君も殺してほしい?」と静かに告げた。
別の日、優一と共に出撃した湯田川は、彼が「ティーチャー」と呼んだ相手に撃墜された。基地に戻った優一は、土岐野からティーチャーが「奴に空の上で出会ったら生きて戻れない」と恐れられるラウテルン社のエースパイロットだと聞かされる。「ここしばらくスコアが一方的だったから、他の戦域から回されて来たのかもしれない」と彼は推測を述べた。さらに土岐野は、「これは噂だが、彼は俺たちとは違う、大人なんだそうだ」と口にした。
雨の日、水素は湯田川と篠田を率いて出撃する。だが、基地に戻って来たのは湯田川と篠田だけで、水素とは連絡が取れない状態だった。もう戻ろうと湯田川が進言したにも関わらず、水素は遠くにティーチャーの戦闘機を視認して編隊を離れたのだ。夜になり、フーコが怪我を負った水素を車で基地へ連れて来た。娼館の近くに不時着していたのだという。フーコは優一に、かつて水素が自分の客に会うため、娼館を訪れたことがあると話す。その時、水素はフーコを部屋から追い出し、何時間も出て来なかったという。
水素の容態について、笹倉は優一に「骨も内臓も大丈夫そうだから」と言う。さらに彼女は「大規模なプロジェクトがあるらしい。たぶん、ウチの飛行隊も移動することになる。一時的なものだろうけど、この戦域を離れる前に決着を付けておきたかったんだろうね」と述べた。優一は笹倉に、瑞季の父親が仁郎ではないかという質問をぶつけてみた。だが、笹倉はその質問に答えようとはしなかった。
優一たちは別の基地に移動した。歓迎会が退屈なので、優一と土岐野は外に出た。すると三ツ矢碧という女性が来て、2人に声を掛けた。翌朝、優一が彼女がその基地のエースパイロットだと知った。優一たちは基地司令官の山極麦朗から、参加するプロジェクトについて説明を受ける。目標は中部戦域にあるラウテルンの最大拠点だ。この基地からは8機が飛び立ち、各基地からも戦闘機が徐々に集まってチームが編成される。もう1つのチームも編成されており、先に前線基地を叩くという作戦だ。大規模な戦闘によって、双方に犠牲者が出た。基地に戻って来た碧の説明を聞いた優一は、ラウテルン側の編隊にティーチャーが参加していたことを知った…。

監督は押井守、原作は森博嗣 「スカイ・クロラ」シリーズ(中央公論新社刊)、、脚本は伊藤ちひろ、製作指揮は小杉善信&石川光久、製作は渡辺繁&小岩井宏悦&鈴木大三&平井文宏&西垣慎一郎&安永義郎&夏野剛&大月f&鳥山輝&小松崎和夫、製作プロデューサーは奥田誠治&石川光久、プロデューサーは石井朋彦、演出は西久保利彦、キャラクターデザイナー・作画監督は西尾鉄也、美術監督は永井一男、美術設定は永井一男&久保田正宏、メカニックデザイナーは竹内敦志、レイアウト設定は渡部隆、色彩設定は遊佐久美子、ビジュアルエフェクツは江面久、CGIスーパーバイザーは林弘幸、サウンド・デザイナーはランディ・トム&トム・マイヤーズ、音響監督は若林和弘、整音は井上秀司、編集は植松淳一、脚本監修は行定勲、軍事監修は岡部いさく、音楽は川井憲次。
声の出演は菊地凛子、加瀬亮、谷原章介、栗山千明、榊原良子、竹中直人、ひし美ゆり子、山口愛、平川大輔、竹若拓磨、麦人、大塚芳忠、安藤麻吹、兵藤まこ、下野紘、藤田圭宣、長谷川歩、杉山大、水沢史絵、渡辺智美、望月健一、西尾由佳理(日本テレビアナウンサー)ら。


森博嗣の小説『スカイ・クロラ』シリーズと『ナ・バ・テア』を基にした作品。
原作シリーズは全6作で、脚本の執筆段階で刊行されたいたのは前述の2作だった。ただし時系列順に並べると、『ナ・バ・テア』が第1巻で、『スカイ・クロラ』は第6巻になる。
監督は『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』『イノセンス』の押井守。脚本の伊藤ちひろは、この映画まではデビュー作から5作連続で行定勲監督の作品を手掛けて来た人(『世界の中心で、愛をさけぶ』『クローズド・ノート』など)。
水素の声を菊地凛子、優一を加瀬亮、土岐野を谷原章介、碧を栗山千明 、笹倉を榊原良子、ドライブインのマスターを竹中直人、その妻のユリをひし美ゆり子、瑞季を山口愛、湯田川を平川大輔、篠田を竹若拓磨、山極を麦人、本田を大塚芳忠、フーコを安藤麻吹、クスミを兵藤まこが担当している。
原作の挿絵ではショートヘアーだった水素の髪型を、押井守は「自分が好きだから」という理由でオカッパ頭に変更している。

主要キャラクターの声優は全てオーディションを行ったものの、水素の声優を決めあぐねていた中で、押井監督が対談で出会った菊地凛子に出演をオファーしたらしい。
そういう経緯があるぐらいだから、よっぽど菊地凛子が水素として適任なんだろうと思いきや、そんなに合っているとは感じない。
っていうか、普通に下手だし。
たぶん、菊地凛子は押井監督のタイプだったんだろうな。オカッパ頭と同じで、監督の好みが出たってことだろう。
あと、加瀬亮もあまり合っていないし、声優として上手くない。

ヒロインの髪型が「監督の好み」というだけで変更されたこと1つを取っても、この映画のスタッフに押井監督をコントロールする人間がいなかったことが透けて見える。
押井監督ってのは好き勝手にやらせるとロクな結果にならない人で、必ず手綱を引っ張って制御する役割が必要なのだ。そういう人がおらず、押井監督が自分の好きなようにやりまくった映画ってのは、まず間違いなく失敗に終わる。
なぜ押井監督が制御不能の状態で撮った映画が失敗するかっていうと、彼は娯楽精神の欠如した映像作家だからだ。さらにタチの悪いことに、彼は自分自身では娯楽映画を作るセンスがあって、そして娯楽映画を作っていると思い込んでいる。
もちろん、彼は基本的に商業映画の世界で活動してきた人ではあるのだが、中身は「ゲージツの世界の人」であって、誰かが上手く制御してやらないと、簡単に娯楽映画の世界から足を踏み外してしまうのだ。

この映画でも、相変わらずの押井節がさく裂している。
この人の作品の特徴としては、「無駄に分かりにくい」「登場人物に小難しいことを喋らせる」「哲学チックで難解なメッセージを主張したがる」「登場人物への愛が薄く、突き放して描写する」などか挙げられる。
この映画も、そういう彼の特徴が惜しみなく発揮されており、無駄に難解な作品に仕上がっている。
ただし、まず間違いなく、押井監督自身は「難解にしてやろう」とは思っていない。分かりやすくしたつもりが、こういう仕上がりになっているのだ。
つまり、基本的に物語を分かりやすく噛み砕いて描写する感覚が欠如しているってことなんだろう。

映像、特に戦闘機が飛ぶシーンの映像にはこだわっているんだろうけど、そこが魅力的だとは全く感じない。まず冒頭の飛行シーンからして、コントローラーの付いていないゲームの映像を見せられているような感じ。
また、戦闘機とキャラクターの質感が全く異なっており、戦闘機と並んだ時にキャラクターが画面から浮き上がったように見えてしまう。
戦闘機に限らず、背景の質感とキャラクターの質感が異なっているのだが、特に戦闘機との違いが目立つ。
戦闘機が飛んでいるシーンではキャラクターが写らないので、そこからキャラクターが写るカットに切り替わると、まるで別物のような印象になってしまう。

一言で言えば、とても退屈な映画である。
「地上では退屈を感じているキルドレが、飛んでいる時だけは生きている実感を抱くことが出来る」という仕掛けのようだから、退屈に満ち溢れているのは当然っちゃあ当然なのかもしれない。
だけど、「優一たちが地上では退屈を感じている」ってのが分かれば事足りるわけで、観客を退屈にさせるってのはダメだと思うんだけどね。
それと、もっとダメなのは、飛んでいるシーンは退屈じゃないはずなのに、やっぱり退屈だってことだ。

まず優一たちが「キルドレ」という人種であることが分かるまでに、30分ほど掛かる。
優一が「貴方もキルドレですか」と水素に質問するシーンはあるが、その時点では「キルドレ」が何なのか全く分からない。
娼館ではフーコと優一の間で「“僕”だって。子供みたい」「僕は子供だよ」というやり取りがあるが、その時点では優一が本当に子供であることは分からない。
瑞季と優一の間で「ゲームとかそういうのは?」「無い」「子供なのに?」という会話があり、その後に「優一君はキルドレなの?貴方たちって大人になれないんでしょ?」という瑞季の質問があって、そこのパイロットたちが大人にならないキルドレと呼ばれる面々であることが分かる。

「キルドレとは何ぞや」ということに関しては、「大人にならないことを選んだ人種」という優一の説明が回答であるならば、そこが分かるまでに30分ぐらい掛かったところで、そんなに支障は無い。
ただし、最初に説明した方がいいってのは確かだ。そこを明らかにするまでに時間を掛ける意味など全く無い。
そして、もっと問題なのは、優一の説明が正しい答えじゃないってことだ。
そこが異なることによって、ものすごく大きな影響が生じるのだ。

というのも、優一の説明によればキルドレってのは大人になりたくないから成長を止めたはずなのに、タバコを吸ったり、酒を飲んだり、車を運転したり、娼婦を抱いたりするってのは大人としての行動なのよね。
で、都合が悪くなったら「僕は子供だから」と言い訳するのよ。
ようするにキルドレってのは、大人の責任は負いたくないけど、大人の快楽や権利だけは享受したいという、ものすごく身勝手な連中にしか見えないのよ。
そんな人生を舐め腐ったような奴らに、ちっとも感情移入なんか出来やしない。

でも、実はキルドレって、自分たちが望んで成長を止めたわけじゃないんだよね。
実際には、ロストック社の遺伝子制御剤の開発途中で突然変異によって誕生した人種で、年を取らずに永遠に生き続けるのがキルドレなのだ。
しかし、それが明らかにされるのは、もう残り20分ぐらいになってからだ。
それを隠したまま終盤まで話を進めるメリットなんて、何も無いでしょうに。なぜ隠してたんだよ。
ホント、相変わらず押井監督は、話を無駄に分かりにくくする人だなあ。

それと、「キルドレとは何ぞや」というのが分かったところで、やっぱり「テメエら、とっちも子供じゃねえだろ」という感想は全く揺らがないんだけどね。
それに、「自分で望んだわけではない不老不死を持って産まれた人種」ってのが分かっても、そのことで同情心が湧くとか、感情移入したくなるとか、そういうのも皆無だ。
何しろ、「戦闘で死なない限りは同じ時間を生き続けなければいけない」というキルドレの宿命に対する彼らの苦悩や葛藤ってのは、まるで伝わって来ないし。

あと、優一の説明で「キルドレは大人にならない人種」と把握した段階で、ものすごく違和感を覚えるのよね。
優一は「精神的に子供」という意味で自分が子供だと言っていたわけではなく、実際に肉体が子供のまま成長が止まっているはずなのに、子供のキャラには全く見えないのだ。
それは水素や他のパイロットたちも同様だ。そして吹き替えの声も、「子供の声」を当てているようには全く感じられない。
あと、子供と言っても何歳なのか全く分からんし。

終盤になって、「実は優一は仁郎の生まれ変わりだった」ということが明らかにされるが、そこには何の衝撃も無い。
劇中でも、優一は特に驚くことも無く、その秘密を碧が明かすシーンは淡々と処理されている。
そして「優一は仁郎の生まれ変わりだった」という事実が明かされても、そのことが物語において何の意味を持っているのか、まるで分からない。
たぶん、それって重要な要素のはずなんだど、もしも優一が仁郎の生まれ変わりじゃなかったとしても、筋書きは大して変わらないんじゃないかと思えてしまう。

ラスト、優一はティーチャーに挑んで、そして命を落とす。
「閉じられた世界から若者たちが抜け出そうとする」ってのは、押井監督が『うる星やつら2 ビューテイフル・ドリーマー』でも持ち込んでいたモチーフだ。
ただし、『ビューテイフル・ドリーマー』の時は、諸星あたるたちは同じ日常を繰り返す閉じられた世界から脱出したのに対し、この映画の若者たちは抜け出せていない。
最終的に押井監督は、「子供(優一)は大人(ティーチャー)に勝てない」という答えを提示する。

押井監督は本作品で「いかにして生きるか」をテーマに据え、若者たちに生きることの意味を伝えようとしたらしい。
で、その答えが、「閉じられた世界からは抜け出せない」「子供は大人に勝てない」ってことなのかよ。そんな救いの無い答えを教えてもらって、若者たちはどうすりゃいいのさ。
そもそも、その着地だと、そこに「いかにして生きるか」という問題提起に対する答えは無いでしょ。
それこそ「だったら死んだ方がマシ」ってことにならないか。

(観賞日:2013年10月15日)


第2回(2008年度)HIHOはくさい映画賞

・特別賞:ワーナー・ブラザーズ映画
<*『L change the WorLd』『Sweet Rain 死神の精度』『銀幕版 スシ王子! 〜ニューヨークへ行く〜』『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』『ICHI』『252 生存者あり』の配給>

 

*ポンコツ映画愛護協会