『白鳥麗子でございます!』:1995、日本

1977年春、花園幼稚園に通い始めた白鳥麗子は、男の子たちから「ブス」と罵られた。そこに秋本哲也が現れ、「カワイイじゃん」と口にした。内気で気の弱かった麗子は、その日を境に生まれ変わった。1991年秋、麗子は哲也の傍にいたい一心で、両親の反対を押し切って公立高校に進学した。念願叶って哲也から告白された麗子だが、プライドの高さから心にも無いことを言って袖にしてしまった。1993年冬、麗子は自ら哲也の元へ行き、同棲生活を始めた。
そして1995年夏、ついに麗子は哲也と結婚式を挙げることになった。豪華な会場には大勢の招待客が集まり、5億円で放映権を獲得したフジテレビの中継スタッフも来ている。しかし待ちに待った日のはずなのに、麗子は浮かない顔をしていた。彼女はメイドのうずまきに、「やっぱり、ちゃんと話すべきかしら?」と相談する。うずまきが「いつまでも隠しておけることではありませんわ」と助言すると、麗子は「でも哲也に分かったら、結婚しないって言うに決まってるわ」と口にする。
数ヶ月前、麗子は哲也の住む安アパート「白樺荘」で、幸せな同棲生活を送っていた。バイト代が入った哲也は、麗子に靴をプレゼントした。麗子は色に文句を付けるが、本当は嬉しくて仕方が無かった。その靴を履いて哲也と外出した麗子は、友人の可愛京子が仲間の明美、里子、薫と一緒にいるのを見掛けた。靴を自慢しようとした麗子だが、彼女たちは京子の付けている指輪に夢中だった。それはダイヤの指輪で、京子が恋人の高田からプレゼントされた物だという。
麗子は「ハナクソみたいなダイヤ」と見下した態度を取るが、婚約指輪だと聞いて動揺する。京子は高田からプロポーズされ、大学を卒業したら結婚することに決めたのだという。そのことは、哲也も親友の高田から聞かされて知っていた。「羨ましいんだったら、早く哲也君に頼んで結婚してもらえば?」と京子に告げられた麗子は、強気な態度を取って立ち去った。「結婚ごときではしゃいじゃって、みっともないったらありゃしないわ」と言ってみた麗子だが、本当は羨ましくて仕方が無かった。
バイト先で高田と一緒になった哲也は、京子が共働きでもいいと言っていることを聞かされる。哲也は「麗子じゃ無理だな」と呟いた。哲也がアパートに戻ると、テーブルの上に結婚式場のパンフレットが置いてあった。麗子は「京子ちゃんが見て見てって押し付けるのよ」と言い、自分は結婚を嫌がっている素振りを取りながらも哲也にプロポーズしてもらおうと目論む。しかし哲也は、「俺も同じ考えなんだ。俺たち、まだ結婚すべきじゃないよな。自分たちの力で生活できるようになってからの方がいいと思うんだ」と述べた。
麗子は買い物に出掛けた京子に付き合い、哲也が求婚してくれないことに対する愚痴をこぼす。京子は指輪のお礼として、高田に服を購入しようとする。しかし麗子には、その感覚が全く理解できない。呆れた京子は、「一生プロポーズされないわよ」と告げる。彼女は麗子に、「結婚はお互いに思いやる気持ちが大切なんじゃないかなあ」と説いた。すると麗子は、「哲也の欲しい物をプレゼントすればいいんでしょ?そんなの簡単じゃない」と軽く告げた。
麗子は父の正太郎と電話で話し、フェラーリを買ってほしいと頼んだ。麗子から靴のお礼としてフェラーリをプレゼントされた哲也は、「要らないわ」と口にした。京子は断られた理由が全く分かっておらず、「お父さんが買ってくれたフェラーリじゃ哲也君は喜ばないよ」という麗子の言葉を受けると「ロールスロイスの方が良かったかしら?」と口にした。正太郎の主治医・滝本にレントゲン写真を届けようとしていた看護婦の道代は、ハンサムな若手医師から飲み会に誘われた。浮かれた彼女は転倒し、レントゲン写真を落とした。慌てて封筒に戻す際、彼女は正太郎と別の患者のレントゲン写真を取り違えてしまった。
その夜、麗子は哲也に、何が欲しいのか尋ねる。哲也は「そんなこと考えなくてもいいんだよ」と優しく告げ、就寝しようとする。その時、うずまきがヘリコプターで現れ、正太郎が大変なことになっていると麗子に知らせる。実家へ戻った麗子は、母の花代から正太郎が癌で余命半年だと知らされる。麗子が寝室へ行くと、すっかり弱気になった父の姿があった。彼は麗子に、「せめて生きている間に、お前の花嫁姿を見て旅立ちたかった」と漏らした。
翌朝、麗子は哲也の元へ舞い戻り、「私たち、結婚するのよ」と言う。困惑する哲也に、麗子は「しなきゃいけない事情が出来たの」と告げた。事情を知った哲也は、迷いを抱きながらも結婚を承諾した。麗子は彼を連れて実家へ戻り、正太郎に結婚することを報告した。正太郎は花代に「費用は幾ら掛かっても構わん」と言い、結婚式の準備を進めるよう告げた。哲也は「そんなに贅沢な式は」と困った表情を浮かべるが、正太郎が「最後のワガママだ」と言うので、全て任せることにした。
哲也は正太郎から「君なら麗子を安心して任せられる。麗子を幸せにしてやってくれ」と手を握られ、「はい」と答えた。干物店を営む実家に戻った哲也は、父の光平と母の芳江に結婚することを報告した。結婚式の日取りは、正太郎の57回目の誕生日に決まった。場所に関しては、名門のエンパイア・ホテルが全館貸切で使ってほしいと申し入れて来るが、麗子は「みんながあっと驚く場所がいい」と言う。彼女がストーンズの公演を延期させてまで東京ドームを使いたいと言い出したので、慌てて哲也が説得し、考えを修正させた。
結納の儀式が白鳥家で行われることになり、哲也は光平と芳江を連れて赴いた。豪邸を見た芳江は恥ずかしくなり、逃げ出そうとする。光平は白鳥家の両親と会って挨拶する際、緊張でガチガチになった。秋本家の3人が干物店に戻ると、町内の人々や親族が集まっていた。テレビの取材まで押し掛ける中、秋本家の2階では宴会が開かれた。哲也は叔母の梅子と叔父の正夫から馴れ馴れしく話し掛けられるが、まるで知らない親族だった。みんなが金目当てで近付いて来たことは明らかであり、哲也は苛立ちを募らせた。
結婚の話題は新聞で大きく取り上げられ、哲也は麗子に「なんでマスコミとかみんなが結婚のことを知ってるんだよ。これ以上、大げさにしないでくれ」と文句を言う。麗子が平然とした態度で「しょうがないでしょ。この私と結婚するっていうのは、そういうことなのよ」と告げると、哲也は「勘違いしてないか?麗子の親父さんに花嫁衣装を見せれば済むことだろ?」と訊く。「パパの病気が無かったら、私と結婚しないってこと?」と麗子が質問すると、哲也は「そりゃそうだよ」と告げた。
哲也に「麗子だって結婚は嫌だって言ったじゃないか」と確認すると、麗子は「私だってそうよ。結婚なんかしたくないわよ」と強がった。すると哲也は静かになり、「そうだよな。どうせ、あと少しの辛抱だ。悪かったよ、怒鳴ったりして」と述べた。自室に戻った麗子が口喧嘩をしたことに落ち込んでいると、うずまきは「きっと上手く行きます。お二人は愛し合っているんですから」と励ました。
道代はレントゲン写真を取り違えたことに気付き、慌てて滝本に報告した。滝本が白鳥邸を訪れると、正太郎は寝室で休んでおり、花代は外出中だった。応対した麗子とうずまきに、滝本はレントゲン写真の取り違えがあったことを告げて謝罪した。正太郎が癌では無かったと知って、麗子とうずまきは喜んだ。しかしハッと気付いた麗子は、正太郎に知らせようとするうずまきを呼び止めて「このことは、まだ誰にも話さないで」と頼む。そして、麗子の両親も哲也も事実を知らないまま、結婚式の当日が訪れた…。

監督は小椋久雄、原作は鈴木由美子『白鳥麗子でございます!』(講談社KC「mimi」)『新・白鳥麗子でございます!』(講談社KC「Kiss」)、脚本は両沢和幸、製作は村上光一&周防郁雄、企画は重村一&堀口壽一、エグゼクティブプロデューサーは松下千秋&中山和記、プロデューサーは小川晋一&石原隆&池田知樹&岩田祐二、美術プロデューサーは板村一彦、撮影は福田紳一郎、照明は澤田篤宏、録音は三井登、美術デザインは柳川和央、編集は田口拓也。
主題歌 ZARD『サヨナラは今もこの胸に居ます』作詞:坂井泉水、作曲:栗林誠一郎。
出演は松雪泰子、萩原聖人、宝田明、水野久美、美保純、小松千春、彦摩呂、河原さぶ、茅島成美、左右田一平、畠山明子、鈴木美恵、前田つばさ、長井槇子、西村雅彦(現・西村まさ彦)、袴田吉彦、阿知波悟美、金田明夫、西村淳二、有福正志、山口晃史、小林すすむ、松本じゅん、田付貴彦、湯浅けい子、今田里子、金子琴江、よしの舞、デニス・フォルト他。


鈴木由美子の同名少女漫画を基にした連続TVドラマの劇場版。
フジテレビジョン映画部と東映が共同制作した若者向け企画「ぼくたちの映画シリーズ」第1弾として、『花より男子(だんご)』と同時上映された。
TVドラマ『チャンス!』『お金がない!』などの脚本を手掛けた両沢和幸と、ドラマ版第1期の演出担当だった小椋久雄が、それぞれ初めての映画脚本&映画監督を務めている。
麗子を松雪泰子、哲也を萩原聖人、正太郎を宝田明、花代を水野久美、うずまきを美保純、京子を小松千春、高田を彦摩呂、光平を河原さぶ、芳江を茅島成美、滝本を左右田一平、道代を畠山明子、明美を鈴木美恵、里子を前田つばさ、薫を長井槇子、中継ディレクターを西村雅彦、ハンサムな医師を袴田吉彦、梅子を阿知波悟美、正夫を金田明夫が演じている。哲也役は、ドラマ版第2期では松岡俊介に交代していたが、この映画版では第1期の萩原聖人が復帰している。

ドラマ版は第1期も第2期も、「ボクたちのドラマシリーズ」の枠で放送された。
「ボクたちのドラマシリーズ」とは、若手女性タレントを主演に起用した若者向けの連続ドラマ企画である。
1992年10月から1993年3月と、1993年10月から1994年3月の2シーズンに渡って合計8作品(1作品につき5話。ただし『白鳥麗子でございます!』の第2期のみ全6話)が放送され、その発展系として企画されたのが「ぼくたちの映画シリーズ」である。

「ボクたちのドラマシリーズ」は、ザックリと言うならば1990年代の月曜ドラマランドのような存在である。
月曜ドラマランドは1983年4月から1987年11月までフジテレビで放送されていた単発ドラマ枠で、当時のアイドルが多く起用され、軽いタッチのドラマばかりが製作されていた。
アイドルの拙い演技、チープな特撮映像、安っぽいストーリーが組み合わさり、まるで学芸会のようなノリの番組だった。
その月曜ドラマランドの魂(どんな魂だよ)が、ボクたちのドラマシリーズには脈々と受け継がれていたのだ。

それを考えれば、ボクたちのドラマシリーズの発展形である「ぼくたちの映画シリーズ」として企画された本作品が、とても安っぽくて陳腐に仕上がっているのは、ある意味では「正しい形」と言えよう。
それこそが、この映画が取るべき真っ当な道であったのだ。
そこを変えてしまったら、「ぼくたちの映画シリーズ」としての意味が失われてしまう。
だから、あえてチープな出来栄えにしているのだろう、たぶん。
いや、きっとそうに違いない。

冒頭、結婚式のパーティー会場でシャンパンを盗み、歩いて行く男がいる。だが、カメラは男視点で歩く先を捉えており、その人物の顔は写らない。
哲也の控室に入ったところで、ようやく高田の姿が写し出される。
高田の正体を隠したまま、そこまで引っ張る意味は全く無い。
せめて麗子の姿を隠して彼女視点の映像で始めるならともかく、高田では何の効果も期待できない。
だから、その演出は無意味でしかないのだが、そういうのを平気でやる辺りも、「ぼくたちの映画シリーズ」ならでは、ということなんだろう。

正太郎の癌が誤診であることは、道代が転倒してレントゲン写真を拾い集めるシーンでバレバレになっている。そしてバレバレにした上で、麗子が花代から「正太郎は癌で余命半年」と聞かされるシーンを描く。
どうせレントゲン写真のシーンを描かず、取り違えを隠したまま麗子が癌のことを聞かされる様子を描いたとしても、それが誤診であることは容易に予想が付くだろう。しかし、それでも一応は隠しておいた方がいい。
だが、そこを堂々とバレバレにしてあるのも含めて、「ぼくたちの映画シリーズ」らしさってことだろう。
シナリオの粗さや演出の雑さも含めて、「ぼくたちの映画シリーズ」の特色ってことなんだろう。

終盤、事実を知った上で、哲也が改めてプロポーズすると、麗子は感涙し、2人は抱き合う。それを見ていた白鳥家の人々や高田&京子が、拍手で祝福する。
その後、場面が切り替わって教会での結婚式になるが、明美たちの「結婚したら秋元麗子になるのね」「なんかパッとしないわね」というヒソヒソ話を耳にした麗子は、「この私が結婚なんかするわけないじゃないの。未来永劫、白鳥麗子じゃないと神が許さないのよ」と言い放ち、高笑いで教会を去る。
「みんなで祝福して感動的なハッピーエンドと見せ掛けて、やっぱり麗子のプライドの高さで結婚式がダメになる」という落差でオチを付けるなら、「哲也の求婚に麗子が感激して抱き合い、周囲が祝福」というところから「でもキャンセル」というオチまでは一連の流れで見せた方がいい。
シーンを分けてしまうと、笑いの効果は格段に変わって来る。
しかし、そこを弱くする程度のことなんて気にしないのが、「ぼくたちの映画シリーズ」らしさってことだろう。

麗子は何かに付けてタカビーな態度を取り、周囲をバカにするような振る舞いを示す。
プライドの高さが邪魔をして素直になれず、それが仇となって狙い通りに行かないこともある。そういう麗子の性格を哲也は理解し、時に呆れたり、時に受け入れたりする。
ただし何でも金で解決しようとするのは極端に嫌うが、麗子にはそれが良く分からない。
そういうのを楽しむのが、ドラマ版から続く本作品の味わいだ。
もちろん、それは映画になっても全く変わらない。

麗子は京子から「羨ましいんだったら、早く哲也君に頼んで結婚してもらえば?」と言われると、「私と結婚したがってる相手は五万といるのよ。世界中の男が私と結婚したくて仕方が無いのよ。その私が哲也に頼んで結婚してもらえですって?」と、まるで哲也など相手にしていないように振る舞う。
しかし、本当は哲也と結婚したくて仕方が無い。
「結婚なんてモテない女の保険みたいなモンじゃなくて?」と結婚に興味が無いようなことを口にするが、本当は羨ましくて仕方が無い。
本当は結婚したいからパンフレットを用意するが、「結婚なんか、どこがいいのかしら?嫌だわ、結婚なんて」と心にも無いことを口にする。

人間関係も、キャラクター描写も、物語のフォーマットも、笑いの作り方も、全てがドラマ版の時と同じだ。
ずっとドラマを見ていた人からすれば、「いつものノリ」「いつものパターン」という予定調和の安心感を得ることが出来るだろう。それは吉本新喜劇のようなモノだから、受け継ぐべきなのだ。
そこを変える必要は全く無いし、むしろ変えるべきではない。
麗子は人間的に全く成長していないとも言えるのだが、成長させるとキャラとしての面白さが消えるので、そこも「相変わらず」でいいのだ。

「月曜ドラマランド的な作品」として捉えれば、色々と粗は多いけど、そんなに悪くはない。それなりに楽しめる仕上がりだと言ってもいい。
だから本作品の間違いは、「映画にしてしまったこと」という一点に集約される。
全てがドラマ版と同じなんだから、TVドラマとして作れば良かったのだ。わざわざ映画にする必要性も意味も全く無い。
しかしテレビ局の上層部で、それを理解していない人ってのは今でも大勢いて、だからヒットしたドラマの劇場版というのが次から次へと無節操に作られ続けているのだ。

(観賞日:2014年5月12日)

 

*ポンコツ映画愛護協会