『修羅雪姫』:2001、日本

500年に及ぶ鎖国政策が今も続く国。法改正を求めた運動は、国家によって徹底的に鎮圧された。その際、反政府組織の制圧に政府が雇った暗殺集団が、建御雷家(たけみかづちけ)一族である。建御雷家は隣国で古来よりミカドの近衛兵として仕えていたが、帝政の崩壊により祖国を追われ、この国に辿り着いていた。そして彼らは、報酬を受け取れば誰をも殺す暗殺集団と化したのである。
建御雷家の血を引く雪は、一族の首領・白雷の下で仲間達と共に任務を遂行していた。雪は白雷から、組織を逃亡した裏切り者・安嘉を始末するよう命じられた。仲間の剪を連れて行くよう告げられた雪だが、足手まといになるだけだと断った。雪は安嘉の前に立ちはだかり、命乞いをする彼を容赦なく斬り捨てた。
雪の前に、亡き母・亞空に仕えていたという男・空暇が現れた。空暇は雪に亞空を殺したのが白雷だと語り、一族継承の座を奪うか一族を抜けるか、いずれかを選ぶよう求めた。そして、一族を抜けるのであれば鉱山跡へ来るよう告げ、その場から立ち去った。雪は白雷の命を狙うが返り討ちに遭い、通り掛かったトラックの荷台に転がり込んで逃亡する。
トラックを運転していた青年・隆は、妹・彩の指摘で雪の存在に気付く。隆は雪に手当てをするが、自分を殺しに来た刺客だと考え、手足を縛り上げた。気が付いた雪は拘束を外し、勝手に隆の住処で一泊した。鉱山跡に出向いた雪は空暇に会い、彼女が2歳の頃に白雷が父を謀反人に仕立て上げ、殺害したことを知らされた。鉱山跡に白雷の手下・檮や双磨らが現れ、空暇が殺された。雪は重傷を負いながらも双磨を倒し、何とか逃げ延びた。
反政府組織に属している隆は、リーダーの城所と会っていた。かつて隆は、城所の命令を受けて連邦政府の議会を爆破したことがあった。しかし無人だと聞かされていた場所には大勢の一般人がおり、彼らを巻き添えにしたことに隆は強いショックを受けた。しかし城所は目的のための犠牲は必要だという考えを示し、そろそろ次の計画を実行すると隆に告げた。
隆が住処に戻ると、大量出血して気を失っている雪の姿があった。隆は雪を介抱し、食事を与えた。回復した雪に、隆は「建御雷家は何の理由も無く人を殺す」と批判をぶつけた。しかし隆自身も、反政府組織としての行動理由を見失いつつあった。隆は雪に、8歳の頃に両親が殺されたこと、復讐を果たして刑務所に入ったこと、出所して組織の一員になったことを語った。しばらく共に過ごす中、やがて雪は隆から「一緒にこの国を抜け出そう」と誘われる・・・。

監督は佐藤信介、アクション監督はDonnie Yen甄子丹ドニー・イェン、原作は小池一夫&上村一夫、脚本は佐藤信介&国井桂、脚本協力は須賀大観&廣田恵介&田辺健司&林壮太郎、プロデューサーは一瀬隆重、製作は豊忠雄&熊澤芳紀&松下晴彦&石川富康&阪尾好将、製作補は永江信昭&辻畑秀生&榎本憲男&秋元一孝&平井健一郎、アソシエイト・プロデューサーは梶研吾、助監督は李相國、撮影監督は河津太郎、編集は阿部浩英、録音は柿澤潔、照明は中川大輔、美術は丸尾知行、スタント・コーディネーターはKenji Tanigaki(谷垣健治)&下村勇二、特技監督は樋口真嗣、音楽は川井憲次、音楽プロデューサーは慶田次徳、主題歌「The First Night」はUNITED JAZZY。
ナレーターは鈴木英一郎。
出演は伊藤英明、釈由美子、佐野史郎、嶋田久作、沼田曜一、真木よう子、長曽我部蓉子、六平直政、松重豊、園岡新太郎、塚本高史、雅子、城戸裕次、渕野俊太、博通哲平、下原浩二、奥原邦彦、木村慶太、佐々木共輔、松原末成ら。


小池一夫・作&上村一夫・画の同名劇画を基にした作品。
いちいち書かなくてもお分かりだろうが、「修羅雪姫」は「白雪姫」のもじり。さすがはダジャレ大王の小池一夫先生である。
隆を演じる伊藤英明と雪を演じる釈由美子が、並列にクレジットされている。白雷を嶋田久作、空暇を沼田曜一、城所を佐野史郎、彩を真木よう子、双磨を長曽我部蓉子、檮を六平直政、白雷の右腕・蓮去を松重豊、安嘉を園岡新太郎、剪を塚本高史、亞空を雅子が演じている。

1973年にも同じ原作が映画化されており、その時の監督は藤田敏八、主演は梶芽衣子だった。
原作と1973年版は明治時代の東京を舞台にしているが、この2001年版は架空の国を舞台にしている。
だから一応は「SFアクション」ということになるのだろうが、その風景にSFっぽさは全く無い。『マッドマックス』のような荒廃した近未来という感じでもないし。

冒頭、テロップとナレーションによって、建御雷家や鎖国が続く世界についての説明がある。
そこをコンパクトに処理するのは賢明な選択だが、しかし特異な世界設定を説明するためには、テロップ&ナレーションだけでなく映像によるフォローもあった方がいい。つまり語りのバックで映像を入れるか、語りに続くオープニングシーンを「世界観を表現する」という目的の時間にするか、そういうことが必要だった。
そこへの配慮が足りないから、アナザー・ワールドへスンナリと入っていくのが難しい。
その後も、出てくる風景に異世界としてのイメージは乏しい。
隆が城所から連絡を受けて会うシーン、高架を列車が走り過ぎる所で、ようやく異世界っぽさが感じられる。

この映画がアクション俳優の主演作であれば、「せっかくドニーさんにアクション監督を任せているんだから出演もしてもらえよ」とか「白雷はビリー・チョウにやってもらって、檮がション・シンシンで、蓮去はヤン・サイクーンで、城所はン・ジャンユーかな」とか思っただろう(っていうか、そこまで来たら主演もジェイド・リョンにして完全に香港映画にしてしまえって話だが)。
しかし、主演は釈由美子であり、スタント・ダブルを使いまくっているわけで、「アクションスターによる本物の格闘シーンを見せる」ということを売りにした映画ではない。なので、戦う相手が格闘俳優でなくてもOKだ。
いや、そこら辺に転がっている若手タレントを集めてきたら文句も付けただろうが、アングラ色の濃いメンツを揃えたのが良い感じだ。

釈由美子は当時、バリバリのアイドルであり、しかもテレビ番組では何本かネジの外れたようなトボけた物言いをするキャラだったわけだが、クールな芝居が、なかなか上手くハマっている。芝居が抜群に上手いとは言わないが、しかし雰囲気は持っている。
少なくとも、トップ扱いの伊藤英明(雪が大量出血しているのに、なぜか止血せずに人工呼吸を始めるというバカ男の役)よりは遥かに存在感を示している。
前述したように格闘シーンではスタント・ダブルを使いまくっているのだが、アップになった際の佇まいには説得力がある。
舌足らずで、特に「き」の発音に難があるのは残念だが。

「冷酷無比だった雪が隆と触れ合うことで、人間らしい感情が芽生えていく」という流れを、この作品は使おうとしている。だからこそ、隆が最初に雪に着替えとして渡す服も、ワンピースにしてある(初めて雪を女性らしい服装にさせるのだ)。
「殺人マシーンが感情に目覚める」というのは良くあるパターンだが、王道なので、そこを進もうとするのはOK。
しかし「無表情だった雪が初めて笑顔を見せる」というシーンは重要なはずなのに、そこを軽く流しちゃうのはイカンだろ。

配役も格闘シーンもなかなか良い感じなのだが、だからこそ余計にアクションの無いドラマ部分の弱さが目立つという皮肉な形となっている。
しかも中盤、アクションの無い時間帯が、かなり長く続くんだよな。
雪が双磨を倒した後は、もうラストバトルまでアクションが無い。
もっとアクション過多にしてドラマを諦めてもいいんじゃないかと思ったりもするが、そこまでの開き直りは出来なかったようだ。
というか、むしろ人間ドラマもアクションと同じぐらいキッチリと描くつもりだったんじゃないかという感もあるんだよな。でも、それは上手くいかなかったようだ。

まあチンタラしているってのも問題なんだが、何よりもマズいのは、ドラマ描写がアクションシーンに何の影響も及ぼさないってことだ。
「殺人兵器が人間らしくなる」という筋書きを持ち込むのであれば、「雪が隆に惹かれて殺しの道を捨てようとするが、隆が殺されたので復讐に燃える」とか、どんな形であれ、それを雪の殺人行為と関連付けないといけない。
それが無いから、最後の戦いもエモーションの高揚が無い(最初から前述した「殺人兵器が〜」という要素が無ければ気にならなかったのかもしれないが)。
その頃には、もう「母の仇討ち」という目的意識も消えちゃってるしね。
だから「敵が襲ってきたから戦う」というだけのモノでしかない。

もう1つ、雪が城所と全く絡まないってのは、構成として酷すぎる。
隆が組織のことで悩みを抱えようとも、痛みを感じようとも、それに雪は全く関わらない。隆と城所の話は、そっちだけで閉じているのだ。
そしてスゴいことに、雪が全く知らないところで、その理由さえ良く知らないまま、隆は城所に殺されてしまうのだ。

プロデューサーが一瀬隆重なので、最初からパート2を作る気マンマンで、そのために引っ張る要素として城所との絡みを残したことは間違いない。
だが、やり方が露骨すぎた。そして杜撰すぎた。残すにしても、せめて城所というエサに視線を向けたり、匂いを嗅いだり、箸を付けたりしておくべきだった。
っていうか、仮に箸を付けたとしても、そのエサを食わずに終わるやり方は好かんけどね。
ホラー映画ならともかく、アクション映画でそういう食べ残しはイカンだろ。「最初から3部作が決まってます」ということなら話は別だけど。

 

*ポンコツ映画愛護協会