『守護天使』:2009、日本
横浜。中年男の須賀啓一は起床して顔を洗い、ビクビクしながら居間へ赴く。妻の勝子は、1年前に発生した児童連続バラバラ殺人事件について報じるワイドショーを見ている。事件では3人の児童が犠牲になったが、未だに犯人の手掛かりは得られていない。須賀は遠慮がちな様子で勝子に声を掛け、その日の小遣いを求める。勝子は面倒そうな態度で五百円玉を渡し、ゴミを出しておくよう命じる。いつも不機嫌で乱暴な勝子に、須賀は全く逆らえない。
満員電車に乗り込んだ須賀は、強そうな男に睨まれたり、女性客から痴漢に間違えられそうになったりする。老人に席を譲る女子高生の姿を目撃した須賀は、彼女を追い掛けて電車を降りようとする。須賀はドアへ向かうが、乗って来た乗客に押し返されてしまった。須賀は「さわやか若者支援塾」という事務所でカウンセラーの仕事をしており、引きこもり中学生の家へ赴いた。しかし部屋に入ろうとすると、中学生に突き飛ばされてしまった。
引きこもり中学生の家で香水を目にした須賀は、翌日から同じ香水を付けてみることにした。勝子は「くっせえな」と苛立ち、不機嫌な態度で小遣いを渡す。また昨日と同じ女子高生を見掛けた須賀は、追い掛けて電車を降りる。しかし転倒してしまい、新聞と五百円玉を落としてしまった。すると女子高生が戻って来て新聞と五百円玉を拾い、彼に渡した。須賀は悪友の村岡昌志を呼び出し、「この嫌な世の中の全てから、あの子を守りたい」と述べた。すると村岡は呆れて、「お前に何が出来る?」と問い掛けた。
須賀は「金が無ければ何も出来ない」という現実を村岡に指摘され、勝子が眠っている隙に金を盗もうとする。しかし見つかってしまい、顎に掌底を食らって前歯が抜けてしまった。支援塾の教え子だった元引きこもり高校生の佐々木大和から「進学のことで相談があります」というメールを貰った彼は、喜んでファストフード店へ出掛けた。あの女子高生と同じ制服の女子たちが歩いているのを見た須賀は、大和に質問した。それが聖華女学院の制服だと知った彼は、「お嬢様学校だったんだなあ」と嬉しそうに呟いた。
大和は「お嬢様学校だからって、真面目とは限んないよ。こんな奴もいる」と言い、『ある聖女高校生の日記』と題したブログを見せた。そのブログの作者は淫らな性癖を持っていることを綴り、「明日、山手町駅ホームのベンチで待ってる私に声を掛けてくれたら淫らな真実を教えてあげる」と書いていた。「けしからんなあ」と憤る須賀だが、「ホームで倒れたおじさんの落とした小銭と新聞を拾って、感謝されたんだ」という文章を読んで動揺した。
次の朝、須賀は山手町駅ホームのベンチに座り、あの女子高生の様子を密かに観察した。彼女が後から来た中年男と立ち去るのを目撃し、須賀はショックを受けた。そんな須賀に、大和は大型掲示板でブログの聖女に関するスレッドが立っていることを教えた。そのスレッドは「プロデューサー」と名乗る男が立てており、ブログの女子高生と会うオフ会の開催を企画していた。オフ会の参加者は「ハーベスト」と「ブッチャー」と名乗る2人で、「明日の夜8時、みなとみらい公園の大観覧車で会う」と書き込まれていた。
町を歩いていた須賀は、例の女子高生が難病患者のために街頭募金をしている姿を目撃した。須賀は話し掛けようとするが、募金するだけで立ち去った。その夜、黒いワンボックスカーを運転する岩手訛りの男から大観覧車への道を問われた須賀は、彼がブッチャーだと確信した。須賀が掲示板のスレッドを確認すると、ブッチャーは「ハーベストと合流完了。今週中には仔猫ちゃんを捕獲してベッドで戯れる予定です」と書き込んでいた。
須賀は村岡が通っている麻雀荘「ろん」で彼に相談し、「敵が動き出したんだよ。彼女を守るべき時が来た」と口にする。「明日からは会社を休んで彼女を護衛する。クビは覚悟の上だ。家を出て、明日からここで寝泊まりする」と彼が言い出したので、雀荘の常連である豊川やアケミママは嘲笑する。しかし須賀は真剣な表情で、村岡に協力を要請した。村岡が「協力してほしかったら金を用意しろ」と要求したので、須賀は家から印鑑と通帳を盗み出そうとする。しかし勝子に見つかり、失敗に終わった。
須賀は大和に金を貸してもらい、護身グッズを大量購入した。「なんで、そこまで?」と訊かれた須賀は、「恋したことあるかな?俺は40年間、一度も無かった。それが生まれて初めて恋をした。初恋だ」と話す。大和は聖華女学院から横浜実業高等学校へ転校した友人の渡辺麻美と会い、狙われている女子高生が宮野涼子だと知った。須賀は聖華女学院を張り込み、下校する涼子を尾行しようとする。教師の牧瀬和彦や生徒たちから不審者と誤解されて捕まったため、彼は必死で否定した。
須賀は涼子を尾行して家を突き止め、危機を伝えるために書いた手紙を郵便受けへ入れようとする。しかし家から出て来た涼子に睨まれ、「警察呼びますよ」と告げられる。通り掛かったニット帽の男は、須賀に「今度見掛けたら、通報しますよ」と警告した。須賀は大和に涼子の護衛を頼み、折を見て危機を訴える手紙を渡してもらうことにした。大和は彼に、ブログの作者が涼子ではないことを話す。最新の更新時刻に涼子が町を歩いていたことが、須賀の尾行で明らかになったからだ。
須賀は妻の指輪を質に入れて工面した金を村岡に差し出し、協力を要請した。すると村岡は「こんなハシタ金で危ない橋渡れるか」と言い、ますらお出版でモデルをするバイトを紹介する。出版社を訪れた須賀は、それがデブゲイ雑誌のモデルだと知った。一方、涼子を尾行した大和は麻美の不審な動きを目撃するが、捕まえようとすると逃げられた。涼子に尾行を気付かれた大和は「おかしな奴が君を狙ってるみたいだから、心配で。これを読んでくれたら事情は分かるから」と告げ、須賀の手紙を渡した。
涼子を見送った大和は麻美を見つけ、逃げる彼女を追い掛けた。すると向こうから黒のワンボックスカーが走って来たので、大和は慌てて避けた。その車には、ブッチャーとニット帽の男が乗っていた。ニット帽の男の正体がハーベストだった。須賀はフードやマスクで顔を隠し、涼子を尾行して東京こども医療センターに辿り着いた。センターに入った彼は、山手町駅で涼子と去った男が医師だと知った。彼は難病患者である斉藤大紀の主治医で、涼子は日曜日になると必ず見舞いに来ていたのだ。
須賀は募金の関係者だと偽って医師と話し、涼子が幼少期はセンターに通っていたこと、心臓が悪くてペースメーカーを使っていることを知った。一方、大和は麻美を捕まえて雀荘へ連行し、村岡と共に問い詰めた。麻美は自分がブログの作者ではないこと、しかし涼子も電磁波の出る携帯電話やパソコンは使えないことを話した。須賀はセンターで涼子に見つかり、逃げる彼女を慌てて追い掛ける。必死で逃走した涼子は、待ち伏せていたハーベストたちの車に拉致された。
雀荘へ戻った須賀は、涼子が拉致されたことを村岡たちに話す。麻美は心当たりがあることを明かし、「そいつのトコに連れ込まれてるに違いない」と口にした。村岡は知人が麻雀に負けた担保として店長に預けていた拳銃を引き取り、麻美に案内を要求した。麻美が須賀、村岡、大和の3人を案内したのは、牧瀬の家だった。ハーベストから携帯にメールが入り、牧瀬がプロデューサーであることは確定した。しかし牧瀬の家に、涼子は監禁されていなかった。
村岡が拳銃を突き付けて居場所を教えるよう恫喝すると、牧瀬は「あいつらに後は任せているから、ホントに知らないんだ」と言う。彼は偽ブログで涼子を退学に追い込むのが目的だったこと、ハーベストたちを恐れて監禁場所は聞いていないことを話す。涼子を退学させようとした動機は、麻美が須賀たちに教えた。牧瀬は学校の教え子たちを家に連れ込み、凌辱の限りを尽くしていた。その犠牲になった麻美が涼子に打ち明けたため、牧瀬は警察へのタレ込みを危惧して陥れようと目論んだのだ…。監督は佐藤祐市、原作は上村佑『守護天使』(宝島社刊)第2回「日本ラブストーリー大賞」受賞作品、脚本は橋本裕志、製作は千葉龍平&川崎代治&山田良明&北林由孝&武政克彦&相澤正久&劔重徹、企画は高木政臣、プロデューサーは柳崎芳夫&井口喜一、共同プロデューサーは伊藤和宏、アソシエイトプロデューサーは竹内一成&冨久尾俊之、撮影は川村明弘、照明は阿部慶治、美術は荒川淳彦、録音は金杉貴史、映像は高梨剣、編集は田口拓也、音楽は佐藤直紀。
主題歌はエイジアエンジニア『僕にできる事のすべて』作詞:エイジアエンジニア、作曲:TABO&YANAGIMAN、編曲:YANAGIMAN&TABO。
出演はカンニング竹山、佐々木蔵之介、與真司郎(AAA)、忽那汐里、寺島しのぶ、大杉漣、柄本佑、池内博之、佐野史郎、日村勇紀(バナナマン)、波瑠、吉田鋼太郎、キムラ緑子、升毅、椿鮒子、渡辺敬介(ぼれろ)、林和義、田崎日加理、須藤凌大、掘ひろこ、高橋努、浅川雅広、平野勝美、小林大祐、澁谷武尊、藏内秀樹、菊地真之、宮地眞理子、山田洋、大谷俊平、指出瑞貴、斎藤莉奈、浅利英和、紺野智史ら。
第2回「日本ラブストーリー大賞」を受賞した上村佑による同名小説を基にした作品。
監督は『シムソンズ』『キサラギ』の佐藤祐市、脚本は『仮面学園』『フレフレ少女』の橋本裕志。
須賀をカンニング竹山、村岡を佐々木蔵之介、大和を與真司郎(AAA)、涼子を忽那汐里、勝子を寺島しのぶ、豊川を大杉漣、ハーベストを柄本佑、牧瀬を池内博之、「ますらお出版」編集長を佐野史郎、ブッチャーを日村勇紀(バナナマン)、麻美を波瑠、麻雀荘「ろん」店長を吉田鋼太郎、アケミママをキムラ緑子、「東京こども医療センター」医師を升毅、支援塾の事務員を椿鮒子が演じている。個人的な評価は置いておくとして、『キサラギ』は高い評価を受けてヒットした。
だから本作品の公開に際して、「あの『キサラギ』の監督による作品」ってのが売りになるのは当然のことだろう。
しかし、『キサラギ』が高い評価を受けた要因は、原作の舞台劇と映画脚本の両方を担当した古沢良太による所が圧倒的に大きい。
「置いておく」と前述した『キサラギ』の個人的な評価も、「終盤を除けば脚本は良く出来ているが、演出面の問題が多い」というモノだった。須賀という中年オヤジは、「何も知らない周囲の人間からすると単なる変質者のストーカーにしか見えないが、恋した女子高生の守護天使として純粋に守ろうと必死で行動する」という人物に設定されている。
つまり「全て知っている」という立場にある観客からすると、彼は 「懸命に頑張る純粋な中年オヤジ」に見えなきゃダメなわけだ。
そして、共感や同情を誘わなきゃ困るわけだ。
しかし実際には、変質者のストーカーにしか見えないのである。早い段階で露呈する致命的な欠陥として、幾ら相撲取りに押し切られて強制結婚させられ、暴力的な妻に怯えて暮らしているとは言え、女子高生に恋して盲目的になってしまうってことが挙げられる。
その時点で、もう「ヤバすぎるオッサン」という印象が強い。
中年男性が女子高生にのぼせ上がることが、全てダメだとは言わない。簡単ではないと思うが、それでも「真面目で純粋な恋模様」として好意的に捉えさせることは出来なくないだろう。
でも、この映画では出来ていないわけだから、失敗と言わざるを得ない。須賀を「涼子の守護天使」として受け取れないってのは、この映画にとって重大なダメージとなっている。
例えば守護しようとする対象を「恋した女子高生」ではなく「一人娘」に変更し、「娘からは嫌われているが、煙たがられても全力で頑張り、命懸けで奮闘する父親」という設定にでもすれば、間違いなく「守護天使」として受け取ることは容易になったはずだ。そうすれば、「不審者」や「ストーカー」という印象は絶対に回避できるしね。
もちろん、「須賀が周囲の人間だけでなく肝心の涼子からも不審者やストーカー扱いされる」とか、「中年オヤジが女子高生に恋をする」という部分が重要なんだろうし、原作通りの設定にしてあるってことも分かるのよ。
ただ、諸々を考慮すると、そもそも、そういう原作を映画化したことからして、どうなのかと思ってしまうんだよね。
「家庭に居場所の無い父親が、自分を嫌う娘を救うために奮闘する」というオリジナル脚本で作った方が、よっぽど快作になった可能性があるんじゃないかと思ってしまうのだ。「須賀が不審者のストーカーにしか見えない」という部分だけじゃなくて、「基本的にはコメディーのテイストが強いのに、それに全く似つかわしくない残忍だったり凶悪だったりする要素が強すぎる」という問題もある。
「ハーベストが児童連続バラバラ殺人事件の犯人」とか、「麻美が牧瀬に強姦されている」とか、そういうのってコメディーの範疇で消化できるような要素じゃないでしょ。
この映画の肝となる部分、描きたい部分からすると、あまりにも深刻だったり悲惨だったりする要素を盛り込み過ぎており、バランスが全く取れていない。
最終的に「須賀が涼子を救出し、ストーカーの誤解も解けて感謝される」というハッピーエンドのような形に着地させても、麻美が受けた深い心の傷ってのは全く癒えないわけで。
だから、気持ちが全く晴れないのよ。『ある聖女高校生の日記』は、涼子が作者じゃなくて、誰かが彼女を陥れるために作ったブログであることがバレバレだ。ブログで使用されている作者の写真なんて、「本人ではない人物による盗撮」ってことが明らかだし。
それなのに、須賀だけでなく、村岡や大和までも「涼子が作者」と思い込んだまま行動しているので、「無理がありまくりだろ」と言いたくなる。
須賀を「まるで気付かないボンクラ」と受け止めるにしても、村岡や大和も信じているってのは、さすがに苦しい。それはコメディーとして機能する類のモノではなく、ただ映画を陳腐にしているだけ。
しかも、須賀たちが信じ込んでいるというだけでなく、どうも映画のミスリードとして「涼子が作者」という形で進めているみたいだけど、それは無理だわ。プロデューサーたちが利用している掲示板は、明らかに「2ちゃんねる」をモデルにしている。しかし、そういう誰でも利用できる大型掲示板で、明らかに危険な犯罪を計画している書き込みがあり、それが放置されたままになっているのは、ちょっと不可解だ。
そりゃあ大型掲示板には問題のある書き込みもあるだろうけど、さすがに「女子高生を拉致して輪姦しようぜ」という企みが書き込まれたら、そのままになるってのは考えにくい。
管理者サイドが動かなくても、普通はスレッドを見つけた誰かが書き込むでしょ。
誰かが非難や警告の書き込みをすることも無く、他の参加者が押し寄せることも無く、冷やかしの書き込みが増えることも無く、ずっと3人だけでスレッドが続いているってのは、不可解極まりない。闇サイトじゃあるまいし。
ちなみに、大和が簡単に発見しているので、「実は闇サイト」という言い訳は成立しない。須賀が初めて涼子を意識した時、彼女は席を譲った老人から礼を言われて「そんなに恐縮しないで下さい。私は次の駅で降りますから」と言っている。その言葉が、満員電車の中で、離れた場所にいる須賀にまで聞こえている。
つまり、かなり大きな声で喋っているわけだ。
その時のセリフ回しが自然に思えないってことも含め、「あざとい」という印象になってしまう。
募金活動で大きな声を発しているシーンも含めて、「涼子は良い子」ということをアピールするための描写が、あまりにも整い過ぎ&作り過ぎているために、何となく偽善的なイメージに見えてしまう。須賀は涼子が老人に席を譲る様子を見ただけで、途中で電車を降りてまで追い掛けようとする。
だが、その理由がサッパリ分からない。
次に須賀が追い掛ける時は、映像がスローモーションになり、転んだ彼が落とした新聞と五百円玉を涼子が拾ってくれるまでの様子を、壮大なBGMに乗せて描写している。しかし、そうやって大々的に盛り上げる演出に見合うだけの内容があるとは到底言い難い。
そこまで須賀が涼子に固執する理由が伝わって来ないから、必死で追い掛けようとするのも、涼子が戻って来て新聞と五百円玉を拾ってくれるのも、「高揚感のあるドラマ」としての力を持っていないのだ。須賀が村岡に「あの子を守りたい」と言い出すのも、そこに向けたドラマが不足しているので、唐突にしか感じない。須賀の決意に共感できるだけの説得力が、そこまでの映像からは見出せないのだ。
須賀は「生きるって苦痛の連続だろ。相撲取りに押し切られ、その娘と強制結婚。お前に使い込まれたせいでカード破産。子供の頃は学校でイジメ、大人になってからも社内イジメで退職。やっと見つけた再就職先は安月給」と嘆く。
そんな辛い日々の中で、涼子だけが純粋で輝く存在に見えてまぶしかったってことなんだろうとは思うよ。でも、そういう設定から来る須賀の思いに、観客を引き込むための表現が全く足りていないのよ。足りていないどころか、何も無いと言ってもいいぐらいだ。
だから、どれだけ須賀が「涼子を守りたいんだ」と熱く訴えて、BGMにも頼りつつ「それは純粋で真っ直ぐな気持ちなのだ」ってことで感動的に盛り上げようとしても、「気持ち悪い」という印象は微塵も払拭できていない。涼子がプロデューサーたちに狙われていると知った須賀は、「敵が動き出したんだよ。彼女を守るべき時が来た」と口にする。
だが、本気で涼子を守りたいと思うのなら、まずは警察に通報すべきだろう。
その上で「まだ事件が起きていないから警察が本気で取り合ってくれず、だから自分が守ってやろうと考える」という手順になっていれば、まだ分からないでもない。
しかし、そこの手順を飛ばして、いきなり「彼女を守る。会社を首になっても構わない。家を出て雀荘で寝泊まりする」と意気込んでいるので、そういうことを言う自分に酔っているだけであり、涼子を利用してヒロイズムに浸っているだけにしか思えないのだ。須賀は涼子から「怪しい人に付きまとわれている」と相談されたわけでもないし、まるで関係の無い赤の他人に過ぎない。
なので、「彼女を守る」と言っているのを嘲笑する豊川たちに賛同したくなってしまう。
涼子がクズ野郎どもの標的になっていることは事実だが、そのことが「彼女を守るために行動する」と決めた須賀に共感させるための仕掛けとして作用していないのだ。
須賀が不審者やストーカーに誤解される描写にしても、本来なら笑いの要素として機能したり、同情心を誘ったりすべきだろうに、「ホントにヤバい不審者のストーカー」でしかないのよね。そもそも、須賀が「敵が動き出したから守らなきゃ」と決意した時点で、まだ彼は「ブログの作者は涼子である」と信じ込んでいる状態なのだ。そして、ブログの作者が涼子だとすれば、もちろん拉致監禁や強姦は醜悪な犯罪だが、「淫らな私を見つけて」と誘っていることがあると「自業自得じゃないのか」ってことになってしまう。
っていうか、そんな風に誘っているのなら、そもそも拉致監禁を目論むのが不自然であり、普通に彼女と接触してセックスすればいいだけなんじゃないかってことになるので、色々と不可解だったり不自然だったりすることが多い。
ようするに、そもそも涼子が書いているように偽装したブログの存在を抹消して、単純に「真面目少女の涼子をクソ野郎どもが拉致する計画を立てている」ってことにしてしまえばいいのよ。
ぶっちゃけ、涼子を装ったブログの存在って、それを読んだ時に須賀はショックを受けているものの、後半は無意味な存在になっちゃうんだし。
「ブログも原作の設定を踏襲している」ってことなんだろうけど、そういう「原作通り」の要素が、ことごとくマイナスにしか作用していないと感じるんだよね。須賀がゲイ雑誌のモデルを務める展開は、そこだけを抽出すればコメディーのネタとしては悪くない。しかし全体の構成から考えると、寄り道が酷いと感じる。
須賀の目的は「涼子をハーベストたちから守る」ってことにあるのだが、「そのために村岡の協力が欲しい」→「そのために金が必要」→「そのためにゲイ雑誌のモデルをやる羽目になる」という形だから、本来の目的からは距離が遠すぎるのよね。
涼子の身に危険が迫っているのに、何を悠長なことをやってんのかと言いたくなってしまうのよ。
そもそも須賀が本気で涼子を守りたいのなら、犯人サイドについて調べた方がいいんじゃないのかと。そっちの行動や正体を突き止めることが出来れば、犯行を未然に阻止することが出来るんだからさ。
そっち方面は完全にスルーしておいて、「涼子について調べる」とか「しつこく尾行する」ってことばかりに囚われているのは、ただカッコ付けたいだけじゃないのかと。須賀がゲイ雑誌のモデルを務めていると、雀荘に勝子が殴り込む。彼女は村岡を脅し、ますらお出版に須賀が言ったことを白状させる。
その後、彼女がますらお出版へ乗り込むシーンもある。その段階で勝子がそこまで突き止めたのなら、涼子を守ろうとする須賀たちの行動に深く絡めるぐらいのことをやらないと筋が通らない。
ところが実際には、涼子の監禁場所を突き止めた須賀たちが向かおうとする直前になって登場し、懇願されて見送るだけなのだ。むしろ、そこまで来たなら、涼子を救う行動に協力するぐらいの役回りでもいいのに。
勝子というキャラを、ちっとも上手く活用できていない。
あとさ、そのタイミングで雀荘に来るのも不自然だよ。ずっと雀荘で待ち伏せていれば、そこに須賀が戻って来るのは分かり切っているんだからさ。大和がワンボックスカーにひかれそうになって避けるシーンでは、ナンバープレートがハッキリと写し出される。
それは「大和が逃亡する車のナンバーを記憶した」という表現になっているはずだ。実際、彼は雀荘に戻り、岩手ナンバーだったことを報告しているし。
だから、そこから「ナンバープレートが犯人の居場所を突き止める手掛かりになる」という手順になるのかと思いきや、そこは全く使われない。
だったら、思い切りナンバープレートをアピールした意味は何なのかと。終盤、牧瀬の目的は涼子を退学に追い込むことだったってのが明らかになる。
それならば、偽ブログを作って涼子が作者だと見せ掛け、学校関係者に知られるようにすればいいだけだ。スレッドで彼女の拉致を持ち掛け、ハーベストとブッチャーに行動させる必要性なんて全く無い。
一方で、涼子をクズどもに拉致させることが目的なら、偽ブログなんて作る必要は全く無い。
その2つの行動が、同一犯が同じ目的で取った犯行としては、まるで整合性が取れないモノになっている。涼子はワンボックスカーで拉致された時も、監禁場所のアパートで目隠しを外されても、悲鳴を上げようともせず、助けを懇願しようともせず、おとなしく黙り込んでいるだけ。
それが「恐怖で何も話せない」ということならともかく、そうじゃなくて落ち着き払っているようにしか見えない。
手足を拘束されてベッドに寝かされる時も、何の抵抗もしないし、助けてほしいと訴えることも無い。感情が死んでいるのかと思うぐらい、ほぼ「でくのぼう」の状態なのだ。
それは不可解極まりない。監禁シーンでは、他にも色々と不可解な描写が続く。
まず、ハーベストとブッチャーが涼子を残し、買い出しに出掛けてしまう。2人が出掛けたのに、涼子は逃亡を図ろうとしない。
須賀に助けを求める電話を掛けた時、都合良くハーベストたちが戻って来る。手足を拘束されてから須賀たちが駆け付けるまでに何時間も経過しているのに、涼子は何もされていない。
「ビビッたブッチャーが涼子を助けようとする」という御都合主義丸出しの展開で突破しようとしているけど、それだけじゃ全く足りない。
やっぱり、監禁されてから須賀たちが到着するまでの時間を短縮しないと無理があるわ。終盤、ハーベストが逃走を図ってマンションから飛び降りると、警察と関わりたくない村岡が須賀に後を任せて大和と共に去る。涼子が意識を取り戻すと、目の前には笑みを浮かべた須賀がいる。
もちろんヤバい奴だと感じた涼子は彼を突き飛ばし、手紙の番号に電話する。その相手が須賀だと判明し、彼女は驚く。須賀が「勝手ながら初恋をしました。ただ貴方を守りたいんです」と言うと、涼子は微笑む。
つまり須賀を全面的に受け入れたってことになるんだけど、それは無理があるわ。
そこで「初恋をしました」と真面目に言い出すメタボなオッサンなんて、気持ち悪いだけだよ。
ハーベストたちの仲間じゃないことは分かっても、どっちにしろ須賀がヤバいストーカーってことに変わりは無いぞ。(観賞日:2016年6月2日)