『食堂かたつむり』:2010、日本

おっぱい山のある村で、倫子は生まれ育った。彼女の父は家族持ちで、母・ルリコは男好きだった。おっぱい村は噂好きで、いつも倫子は イジメを受けていた。15歳の時に村を飛び出した彼女は、東京の祖母の家に移り住んだ。倫子は料理が得意な祖母の作ってくれる料理を 詳しくメモし、いつか料理店を開く夢を持った。その祖母が死亡し、最後に作ってくれたドーナツと魔法の糠床が残った。
倫子は自分の店を持とうと修業を積みながら貯金し、インド人の恋人と同棲するようになった。ところが物件を決めてアパートへ戻ると、 彼が家財道具と貯金を全て盗んで消えていた。残されたのは祖母の糠床だけだった。恋人に裏切られた倫子は、そのショックで声が出なく なった。倫子は仕方なく実家に戻った。ペットの豚・エルメスを溺愛しているルリコは、倫子に冷たい態度を取った。倫子が金を貸して ほしいと頼んでも、ルリコは相手にしなかった。
ルリコは「アムール」というスナックを経営しており、常連客の源さん、山さん、雅子さんは、いつも店に来ていた。コンクリート会社を 経営するネオコンは、ルリコ目当てで通っていた。倫子は自分が作ったパンをエルメスに食べさせようとするが、全く食べてもらえない。 「トイレ、掃除しといてね」とエルメスに言われた倫子は、「ここは私の家だよ」と反発した。するとエルメスは静かな口調で、「ここは 私とオカンの家だよ」と言い返した。
倫子は森で木の実を見つけ、それを混ぜたパンを焼いた。それを差し出すと、エルメスも食べてくれた。草むらでおっぱい山を眺めていた 彼女は、村の農夫・熊さんと再会した。倫子は彼に、食堂をやるので金を貸してほしいと頼む。帰宅した倫子はルリコに、物置を貸して くれと頼んだ。ルリコは「あんなトコで出来るわけないじゃない」と馬鹿にするが、物置を貸すことについては「勝手にすれば」と容認 した。倫子は熊さんに手伝ってもらい、物置を改造して食堂を作った。
「食堂かたつむり」の看板を立てた倫子は、「明日、夜7時に来てください。お客さん第一号です」と熊さんにメモを渡した。調理場に 立った彼女はザクロを手に取り、子供の頃に熊さんから貰ったことを思い出す。熊さんが来ると、彼女はバターライスとザクロのカレーを テーブルに出した。食べ終わった頃を見計らって厨房から覗くと、熊さんは泣き出していた。熊さんは倫子に、妻のシニョリータが娘を 連れて出て行ったことを語った。
翌日、熊さんは倫子に、シニョリータから初めて電話があったこと、彼女と娘がカレーを食べていたことを嬉しそうに話した。倫子が ヨロズヤストアへ買い物に出掛けると、中学の美術部で一緒だったミドリがレジに立っていた。彼女は倫子が食堂を始めたことを知って おり、「今度、遊びに行くよ」と告げた。倫子が戻ると、ネオコンから開店祝いの華が届いていたので、すぐに片付けた。
女子高生の桃が店を訪れ、「予約したいんですけど」に倫子に告げた。彼女は熊さんから、店の料理を食べると願いが叶うと聞いて訪問 したのだという。桃が食事に連れて来たのは、片思いの相手である同級生のサトルだった。倫子がハート型の器で出したスープを、2人は 美味しく飲んだ。その後、2人は静かに手を繋いだ。それが噂として広まり、「ジュテーム・スープ、下さい」と立て続けに女子高生2人 が予約に来る。それ以降も、恋愛成就の願いを持つ客からの予約が次々に入った。
ある日、ミドリが友人4名を連れて食堂にやって来た。倫子がサンドウィッチを作っていると、ミドリは運ぶのを手伝った。ところが、 そこに虫が入っていたので一人が悲鳴を上げ、全員が店を出て行った。客足が遠のく中、倫子はミドリの父が営むカフェレストランを 訪れた。ミドリの祖父は痴呆症だった。店は全く繁盛しておらず、ミドリがパートで稼ぐ金の方が上回っていた。ミドリは倫子に「アンタ の店なんて潰れてほしいって思ってるよ。だから虫、入れたんだよ」と打ち明けた。
倫子が暇を持て余す中、熊さんが「予約を頼む」と言ってきた。いつも黒い服を着て外を歩いている、お妾さんの予約だ。熊さんの近所に 住んでいるらしい。熊さんは「子供がいなくて、可愛がってもらった。昔は明るい人だった。店のシャンデリアも彼女に貰った物だ」と 語った。倫子はお妾さんに、多国籍のコース料理を出した。翌日から彼女は、喪服を辞めて明るい服装で外を歩くようになった。倫子は 熊さんから、お妾さんの夢に夫が出てきて「今を楽しんでくれ」と告げたことを聞かされた。
ある夜、倫子はルリコから、醤油が切れたからアムールに持って来るよう電話で頼まれる。店に行くと、フグパーティーの真っ最中だった 。ネオコンは高慢な態度で、これからフグを食うからネギを切れと命じる。ネオコンはルリコに、「彼一回ぐらいヤラせろよ」とせがんだ 。すると雅子が、「今でも想い続けている人がいるんだもんねえ」と言う。ルリコは立ち上がり、倫子に「貴方はね、処女懐胎なのよ。 水鉄砲ベイビーなの」と軽い口調で言う。
ルリコは高校時代、おっぱい山のバンジージャンプ台から恋人とダイブしたが、ロープが切れて川に流された。ルリコは運良く助かったが 、恋人は見つからなかった。いつか戻ってくるはずと信じて、ルリコは待ち続けた。全ての求婚を断り、永遠に処女を通すと誓った。そこ でルリコは水鉄砲で精子を注入して解任し、倫子を出産したのだ。翌日、倫子が入浴しているとルリコが現れ、高校時代に結婚を約束して いた先輩の谷口修一と偶然に会ったことを告げる。その直後、ルリコは谷口が担当医であり、自分がガンで手術しても治らないことを 明るく語った…。

監督は富永まい、原作は小川糸、脚本は高井浩子、 エグゼクティブプロデューサーは三宅澄、製作は木下泰彦&島谷能成&畠中達郎&重村博文&氏家夏彦&百武弘二&坂井宏先&村松俊亮& 宮路敬久&辰巳隆一&倉田育尚&林尚樹&松田英紀&大宮敏靖&喜多埜裕明、企画は市川南、プロデューサーは渡邉直子&亀田裕子& 赤城聡&仁平知世、プロダクション統括は塚田泰浩、撮影は北信康、編集は森下博昭、録音は橋本泰夫、照明は渡部嘉、美術は小澤秀高、 料理制作はオカズデザイン(吉岡知子、吉岡秀治、平愛美、森影里美、井田耕市)、VFXスーパーバイザーは佐竹淳、アニメーション・ ディレクターは坂井浩、音楽は福原まり、音楽プロデューサーは杉田寿宏&平石敦子。
主題歌『旅せよ若人』 Fairlife feat. 岡野昭仁 from ポルノグラフィティ 作詞:春嵐、作曲:浜田省吾、編曲:水谷公生。
出演は柴咲コウ、余貴美子、三浦友和、江波杏子、ブラザートム、田中哲司、志田未来、満島ひかり、山崎一、上田耕一、佐藤二朗、 諏訪太朗、徳井優、草村礼子、佐々木麻緒、岡村多加江、中島愛子、森口彩乃、李千鶴、桜田通、清水くるみ、瀧本美織、エフマッド・ シブリ、瓜生和成、結城洋平、万里紗、石田竜輝、揚詩帆莉、千田菜月ら。


小川糸の同名小説を基にした作品。
倫子を柴咲コウ、ルリコを余貴美子、修一を三浦友和、お妾さんを江波杏子、熊さんをブラザートム、 ネオコンを田中哲司、桃を志田未来、ミドリを満島ひかり、ミドリの父を山崎一、ミドリの祖父を上田耕一、源さんを佐藤二朗、山さんを 諏訪太朗、雅子さんを徳井優、倫子の祖母を草村礼子、幼少期の倫子を佐々木麻緒が演じている。
劇団「東京タンバリン」を主宰する劇作家の高井浩子が脚本を担当している。

冒頭シーンでイラストや歌を使用し、ファンタジーとしての世界観を表現しようとしているんだろうけど、残念ながら、それが伝わらない (ひょっとすると『アメリ』的なモノを狙っていたのかなあと思ったりはするが)。
それどころか、そこで紹介している「倫子の置かれている状況」が、今一つ伝わって来ないというマイナスまで付いてくる。
その後、倫子が豚と会話を交わしている(倫子は失語状態なので、たぶん心で会話しているということなんだろう)シーンもあったりする が、それが馴染んでないんだよな。
ファンタジーとしての味付けをしている箇所が、ことごとく浮いてしまっている。
ようするに、全体を通してファンタジーになっていないのだ。

倫子が話せなくなったことが、完全に無意味になっている。それが何の効果も生んでいない。
最後に彼女が話せるようになっても、別に何も感じない。
それに、彼女が話せないということが、不幸や悲しみの象徴になっていないし。
単に、本来なら会話で済むところを、筆談のやり取りを見なきゃいけないということで、煩わしさを感じるだけだ。
最初から倫子が話せたとしても、特に支障は無い。

祖母から料理を教わったという設定なのに、倫子は世界各国のあらゆる料理をマスターしている。
そうなると、もはや祖母は単なる「料理好き」の域を遥かに超えている。
倫子が作る料理が「祖母から教わった」ということなら、多国籍のコース料理まで作るのだから、祖母はプロフェッショナルの領域で ある。
祖母が家庭料理だけでなく、世界中の料理やデザートを網羅していた理由が何か説明されているのならともかく、何も無いのだ。

上手く表現されていないことはひとまず置いておくとして、この映画はファンタジーである。
だから、祖母が世界中の料理をマスターしている理由が現実離れしていても、それは構わない。
重要なのは、ちゃんと説明を用意しておくことだ。
倫子が作る材料の手配にしても同様で、どこから手配しているのか分からないことが問題なのだ。
調達の方法さえ説明してくれれば、それが有り得ないような方法であろうとも構わないのだ。
この映画の大きな欠陥は、「非現実的だ」ということではなく、「説明不足だ」ということである。

食堂かたつむりは、ちっとも「行きたい」と思わせないような場所になっている。
音楽は流れておらず、店主は何も喋らず、他に客はいないので、ものすごく静かだ。
それは心地の良い静けさではなく、居心地の悪い不気味な静寂である。
そんな中で、ポツンと一人だけ座らされて食事をするなんて、そんなの楽しめないよ。
あと、倫子の調理は、丁寧にやっているのではなく、単に手際が悪くてノロいだけに見えてしまう。
それと、賃料が要らないとは言え、客は1日1組で、しかも高級な料理を出しているわけではないので、あれだと全く採算が取れないと 思うぞ。

ようするに倫子がやっているのは、自己満足に過ぎないんだよね。お客様のことなんて、まるで考えていない。
本人が満足できればいいと いう、芸術家チックな考え方なのだ。
料理店はサービス業だと私は思っているのだが、どうやら彼女は違う考えのようだ。
「美味しい料理さえ出せば正解」だと思っているのかもしれんが、それは間違い。
料理店というのは、食べる環境や雰囲気作りも大切だ。
ネオコンの態度は悪いが、「嫌いな奴には作れないよな。相手を選ぶようじゃプロじゃねえよ」というコメント、そこからデカい鰹節を 削り始める倫子に対する「時間を掛けりゃ誰だって作れるよ」というコメント、お茶漬けを出す彼女への「こんなに待たせて茶漬けかよ」 という批判は正しい。
それが仮に絶品の茶漬けだったとしても、「腹が減ったから何か作れ」という要求に対して、長々と待たせている時点で、プロとして 失格だろう。

熊さんは倫子のカレーを食べた夜、妻のシニョリータが娘を連れて出て行ったことを語る。
だけど、なぜ彼が妻のことを思い出したのか、それが全く分からない。
倫子がザクロを手に取った時に思い出したのは熊さんとの幼少期の思い出だが、そこに彼の妻は介在していない。つまり、ザクロから 思い出したわけではない。
仮にカレーから思い出したとしても、どういう繋がりなのかは説明されないので分からないし、そもそも倫子は熊さんと奥さんのことを 意識してカレーを作ったわけでもない。
『ザ・シェフ』の味沢匠とは違うのだ。

その後、熊さんの元にシニョリータから電話が掛かるが、それは偶然に過ぎない。倫子が料理を作ったこととは何の関係も無い。
例えば「倫子の料理を食べたことで熊さんの気持ちに変化が生じ、シニョリータに電話を掛ける」ということではない。
そこも『ザ・シェフ』とは違うのだ。
それを「料理がもたらした不思議な幸せの魔法」みたいに受け取るのは無理だよ。
熊さんは「ザクロのカレーは美味いだけじゃなくて不思議な力があるな」と言うが、そうじゃねえよ。熊さんがカレーを食べたことと、 シニョリータが電話を掛けようとしたことに、何の繋がりも無いじゃねえか。

次の客である桃とサトルにしても、倫子の料理を食べたからカップルが成立したわけではない。たまたま、料理を食べた後に手を繋いだと いうだけだ。
どうやらサトルは、最初から桃のことが好きだったみたいだし。好きじゃなかったら、その店で2人で食事をする誘いに 乗らないだろう。
倫子の料理が、桃にアタックする勇気を与えたわけでもない。そもそも会食に彼を誘っている時点で、ほぼ告白している に近いし。
だから、「料理を食べたことで恋が成就した」というのは成立していない。

仮に別の店で食事をしていたとしても、桃とサトルは同じ状態になっただろう。
「その店だからこそ」「倫子の料理だからこそ」というスペシャルなモノは、何も見当たらない。
お妾さんの時も同様で、彼女の夢に夫が出て来たのは偶然に過ぎない。
倫子の料理を食べたことによって、食べた客の感情や考え方が変化し、その客が何か行動を起こした結果としてハッピーが訪れるわけでは ないのだ。

ミドリと友人たちが店に来るシーンでは、まず「店が噂になって、大勢の人々からの予約が入って大人気」というところの描写が不足して いる。
さらに、ミドリが入れた虫がカメラに写らないで、セリフだけで処理しているのもダメでしょ。そこは虫を見せるってのは必須だぞ 。
そして、その噂によって店に閑古鳥が鳴くようになったことも伝わらない。そもそも1日1組なので、「繁盛していたのが閑古鳥」と いう落差が全く伝わらないし。
例えば「壁に貼ってある予約の紙が一気に減っていく」というところで表現すればいいんだろうけど、その 手の表現に対する意識も薄いようだ。

ミドリは倫子に「アンタの店なんて潰れてほしいって思ってるよ。だから虫、入れたんだよ」と打ち明けるが、それなら、先にレストラン を見せるべきなんだよ。そして食堂かたつむりが評判になっていること、一方でレストランに全く客が来ていない現状をミドリが見ている シーンを描いてから、虫を混入する展開に行けよ。
そこは最初からミドリの仕業だとバレバレでも一向に構わないのよ。犯人を隠しておくことの効果、ミドリが白状することによる サプライズ効果なんて皆無なんだから。
っていうか、もっと根本的な問題に触れてしまうけど、そこで食堂の客足が途絶えるというエピソード、必要だろうか。
一旦、評判を呼ぶようになったら、そこからは順調でいいと思うんだが。
どうせ評判になっても、大勢の客で賑わうようなことは無いから、店の様子は全く変化が無いんだし。

ルリコが水鉄砲で精子を注入して解任し、倫子を出産したことが、まるで美談か何かのように語られるが、かなりグロテスクな 話だぞ。
あと、そこから「死にゆくルリコのためにエルメスを調理する」という展開になっていくと、「倫子の料理で不思議な力が生じて、食べた 人がハッピーになれる」という仕掛けの意味が無くなってしまう。
ルリコの時は、倫子が料理を決めたわけじゃなくて、ルリコから食材を指定されているし、それに食べた人が不思議な力でハッピーに なることも無いし。

ルリコはエルメスを食べることを倫子に告げるが、それも全く意味の無い行為になっている。
ただ単に「飼っていた豚を食べました」という、表面的な現象があるだけだ。そこに葛藤や逡巡は何も無いし、「食べることは生きること 」という深いテーマがキッチリと表現されているわけでもないので。
それまで何度か登場していた白い鳩がラスト直前に死亡し、それを倫子が調理して食べるというシーンも、エルメスと同様に無意味だ。 あえて意味を探すなら、「残酷」ということになるかな。
そのまま放置するのが可哀想だと思ったのなら、どっかに埋葬でもしてやればいいわけで。

(観賞日:2011年3月20日)

 

*ポンコツ映画愛護協会