『SHINOBI〜HEART UNDER BLADE』:2005、日本

1614年。伊賀と甲賀、2つの忍発祥の地の、さらに山深くに鍔隠れと卍谷という隠れ里があった。それぞれの里では、400年の昔より 不可思議な術を使う忍を密かに育てている。あまりの強さゆえ、先代服部半蔵は彼らを用いることを恐れた。この2つは犬猿の仲だが、 互いの争いを禁じる約定を服部家と結び、その印として里の境に洞を建てている。
そんな中、伊賀鍔隠れの党首・お幻の孫である朧と、甲賀卍谷の党首・弾正の跡継ぎ・弦之介は川辺で知り合い、惹かれ合う仲となった。 同じ頃、徳川家康は将軍職を2代目の秀忠に譲り、自らは大御所として駿府城に鎮座していた。家康は側近の南光坊天海から、豊臣の残党 が鍔隠れと卍谷の忍を用いて謀反を企んでいると聞かされ、戦の火種となることを危惧する。
お幻と弾正は家康によって駿府城に呼び出され、それぞれの里の術を披露することになった。お幻は夜叉丸、弾正は筑摩小四郎と、双方が 手練の忍を用意し、三代目服部半蔵や柳生宗矩らが立ち会う中で術を披露した。半蔵はお幻と弾正に対し、争いの禁を解くと告げる。双方 の手練者5名ずつが戦い、それによって世継ぎを決めるというのだ。勝ち残った者が伊賀なら秀忠の長男・竹千代、甲賀なら次男の国千代 が後継ぎに選ばれることになるという。
お幻と弾正は里に戻り、5名の手練者を選抜する。鍔隠れの5名は、鍵爪を使う野生児・蓑念鬼、紐を武器とする長髪の男・夜叉丸、毒蛾 を操る少女・蛍火、不死の知恵者・薬師寺天膳、そして“破幻の瞳”なる技を使う朧。卍谷の5名は、盲目の男・室賀豹馬、棒手裏剣を 操る筑摩小四郎、変身の術を使う如月左衛門、口から毒を放つ美女・陽炎、そして弦之介。お幻は朧に党首の座を譲り渡し、弾正と戦う。 そして2人は、共に命を落とした。
弦之介は戦いの無意味さを強く感じ、駿府へ赴いて半蔵に事の真意を確かめようとする。仲間を伴って駿府へ向かった弦之介は、鍔隠れの 里に「刀交えたくば追ってこられよ」と記した文を送った。朧は仲間を引き連れ、後を追う。やがて彼らは戦うこととなり、陽炎が蓑念鬼 を、小四郎が夜叉丸を、それぞれ倒した。左衛門は夜叉丸の顔を写し取り、彼に成り済ました。
豹馬は天膳に殺され、蛍火は小四郎から朧を庇って命を落とし、小四郎は朧に倒された。天膳と陽炎が相討ちに倒れ、ついに残るは朧と 弦之介だけとなった。弦之介は朧にわざと刺され、両里の命運を託して死んだ。同じ頃、両里には幕府が送り込んだ軍勢が迫っていた。 この戦いは最初から、隠れ里の忍を根絶やしにするための罠だったのだ…。

監督は下山天、原作は山田風太郎、脚本は平田研也、製作は久松猛朗、プロデューサーは榎望&斉藤寛之、製作総指揮は迫本淳一、 アソシエイトプロデューサーは中嶋竹彦、撮影は近森眞史、編集は川瀬功、録音は鈴木肇、照明は渡邊孝一、美術は磯見俊裕、 衣裳デザインは小川久美子、コンセプトデザインは山田章博、VFXプロデューサーは浅野秀二、CGディレクターは林弘幸、 テクニカルスーパーバイザーは横石淳、アクション監督は下村勇二、音楽は岩代太郎、主題歌「HEAVEN」は浜崎あゆみ。
出演は仲間由紀恵、オダギリジョー、椎名桔平、石橋蓮司、北村和夫、黒谷友香、沢尻エリカ、升毅、坂口拓、永澤俊矢、松重豊、 りりィ、寺田稔、虎牙光揮、伊藤俊、木下ほうか、三好健児、仁科克基、なべおさみ、和鞍さほり、赤塚篤紀、三浦祐介、 白井真澄、大石寛太、米山勇樹、水島あやめ、白井雅士、田端かや乃、春田ゆり、茂木和範、恩田恵美子、渡辺海渡、冬馬、佐藤祥太、 小澤湖太郎、中川美莉、鈴木明里、梅澤菜奈子、田中みいや、長吉悠希ら。


山田風太郎の小説『甲賀忍法帖』を基にした作品。
朧を仲間由紀恵、弦之介をオダギリジョー、天膳を椎名桔平、陽炎を黒谷友香、蛍火を 沢尻エリカ、天海を石橋蓮司、家康を北村和夫、豹馬を升毅、小四郎を虎牙光揮、左衛門を木下ほうか(と三好健児が2人で担当)、 夜叉丸を坂口拓、お幻をりりィ、弾正を寺田稔、宗矩を永澤俊矢、半蔵を松重豊、蓑念鬼を伊藤俊が演じている。

私は未読だが、原作とはかなり内容が違っているようだ。
例えば蓑念鬼は体毛を自由自在に動かす特徴が無くなっているし、筑摩小四郎は伊賀から甲賀に移っているし、武器がカマイタチから 手裏剣に変更されている。また、チーム編成が10人から5人になっている。
原作と大きく違うからダメだ、という言い方はしない。
そういう問題ではないからだ。
時間の枠があるから、チーム編成の数を減らしたのも賢明な選択だと思う。
上映時間を延ばしたからといって、面白くなったとは思えないし。

険しい山道を旅したり激しい戦いを繰り広げたりしているのに髪も乱れず顔も衣装もキレイなままだが、そのウソは受け入れよう。
メイン2人はマトモに戦わない(つまりクライマックスのアクションが無い)が、どうせ仲間由紀恵とオダギリジョーにアクションを やらせてもショボいものになっただろうから、それも受け入れよう。
で、許容範囲は、そこまでだ。

メインを張る2人は、共に大根ぶりを発揮する。
どちらも繊細な心の揺れ動き、複雑な心情を表現することを拒絶する。
オダギリジョーは、序盤で飼っている鷹のハヤテに「お前が立ち会いだ」と叫ぶ際の気の抜けた台詞回しが素晴らしい。
それはもう、「時代劇の台詞回しをこなすだけで精一杯だったから」という域を超えている。
というか、この映画においては、それほど時代劇らしい台詞回しになっているわけではない。

仲間由紀恵は、「刀交えたくば追ってこられよ」との文書が弦之介から届いた時、特に葛藤や苦悩があるわけでもなく、仲間に別の選択肢 を封じられて追い込まれたわけでもないのに、あっさりと出立の準備をさせる。
目の前で天膳が豹馬を殺し、弦之介と視線が合うシーンでは、その顔に負い目であったり愛する者への哀しみであったりといった感情は無い。
「迷いを抱きながら戦いに入るが大切な仲間を殺されて怒りに燃え、しかし弦之介の命懸けの訴えで心が解かれる」といった変遷も無い。

この映画は、松竹創業110周年記念作品として製作された。
また、日本で初めて個人事業家向け映画ファンドが実施された。
これは、個人から集めた資金が製作費に充てられ、利益が還元されるというものだ。
で、ファンド目標額は15億円だったが、興行収入は14億1000万円。
まあ、ハッキリ言えば失敗で、それ以降は個人事業家向け映画ファンドは実施されていないようだ。

たぶん製作サイドとしては、「原作を基にした漫画『バジリスク─甲賀忍法帖─』が大ヒットしてるし、主演は人気絶頂の仲間由紀恵 だし」ということで、当たるのは確実と踏んでいたのだろう。
そこまでは、安全に、確実に儲けを出す映画を作るための戦略を練っていたわけだ。
何しろ松竹創業110周年記念作品、日本初の個人事業家向け映画ファンドということで、コケることは許されないのだ。
しかし、彼らは決してリスクを怖がって無難な要素ばかりを集め、臆病な映画作りに徹したわけではない。
彼らは最も重要と言うべき部分で、果敢なチャレンジを行っている。
このような大事な映画で、『弟切草』『マッスルヒート』というポンコツ映画を送り出した下山天という人材を監督に据えたのだ。
ここは普通なら、既にヒット作を何本も撮っているような大物に依頼したくなるところだが、あえてリスクを恐れないチャレンジだ。
そこに映画人スピリットが込められている。

下山天監督は多くのCMやミュージック・フィルムを手掛けて映画界に進出した人物であり、映画の演出家としては類稀な才能の持ち主だ。
何しろ、人間ドラマ、恋愛劇、サスペンス、ミステリー、アクション、ジャンルを選ばずポンコツに仕上げるセンスがある。
それも、笑えるチンケさに仕上げるのではない。
ただ単純に「つまらない映画」として仕上げるという、素晴らしい演出センスの持ち主だ。
そして本作品では、脚本の平田研也も素晴らしいセンスを発揮し、さらに駄作としての質を上げている。

もう冒頭から、この映画は見事な駄作ぶりを披露する。
朧と弦之介が出会うのだが、朧を美しく魅力的な女性として撮ろうとする意識は無く、一方で弦之介がハッと魅入られるといった演出も無い。
朧はただそこにいるだけで、弦之介はただ無表情なだけ。
しかし2人は、なぜかしら簡単に愛し合う関係になる。
その経緯など全く無い。
だったら、いっそのこと登場した時点で既に恋愛関係にしておいた方がマシだろうに、出会いから開始して惹かれ合う経緯を省略するもの だから、恋愛の薄さが際立つ結果となっている。
恋愛劇が全く無いままで「引き裂かれる恋人達の悲恋」へ持って行こうとするものだから、おのずと観客は置き去りにされるハメになる。
また、2つの隠れ里の対立の図式がマトモに描かれていないものだから、そこで「許されざる恋」として朧と弦之介の関係を提示しようと しても、そういう感じは全く伝わってこない。
チーム戦の火蓋が切られるまで、双方が忍術を披露することも無い。
何のキャラ紹介も無いまま、戦いが始まる。
だから、その時点で何の思い入れも抱くことが出来ない。

メイン2人でさえそうなのだから、他の面々は言わずもがなである。
チーム戦までに、小四郎と夜叉丸のエキシビジョン以外、双方の忍が技を披露することは無い。
それどころか、キャラとしてスポットを当てられることも無い。
戦いの中で、各キャラを見せていくわけでもない。
各キャラが忍としての特徴を見せたかと思ったら、すぐに命を落とすということが繰り返される。

チーム戦の前にお幻と弾正が一騎打ちしているが、なぜ戦うのかサッパリ分からない。
そのアクションが面白ければまだしも、特にこれといった盛り上がりも無く、あっさりと共倒れしている。
「かつて愛し合っていた2人が決意を固めて戦った」というわけでもないし(映画では2人の恋愛設定は無い)、まさに無駄死に以外の何物でもない。
マトモに格闘するシーンはほとんど見られず、小四郎と夜叉丸の戦いが唯一と言ってもいい。
その小四郎と夜叉丸の戦いにしても、格闘の出来る2人を起用しているのだが、カットを割りまくっているので意味が無い。
戦いのシーンは片方がすぐ死ぬか、VFX&香港風ワイヤー・アクションか、いずれかになっているが、いずれにせよ見得を切るとか、 緩急を付けるとか、アクションを見せ場として仕上げるためのセンスが無いので、ただ漫然と流れていく。

朧、弦之介、天膳、陽炎を除く面々は、単なる数合わせと時間稼ぎで、存在意義は非常に薄い。
ほとんど何の忍術を使っていたのか記憶に無いまま死んでいく奴もいる。
というか、豹馬や弦之介は何の忍術も使わないまま死んでいる。
万人受けを狙ったのか、忍術シーン、格闘シーンに不気味さや残酷描写は無い。
というか、あまり「忍術合戦」というイメージが強くない。
武器を使った格闘は、前述したような「香港風アクション」というイメージの方が強い。

「世継ぎを決めるという名目で5人のチーム戦が繰り広げられる」という話の作りが、もう完全にバカバカしいモノなのだ。
だったら、それをマジにやろうとしても空回りするだけだ。
いかに荒唐無稽に突き抜けるか、いかにケレン味溢れる忍術合戦を描くか、そこに本作品は懸かっていたのだ。
だが、監督は序盤に掴みとしてのアクションシーンを用意していない辺りからして、意識の持ちようが間違っていたということなんだろう。

劇中では「忍は武器だ。武器を使う人間がいなくなれば、忍の存在価値は無くなる」というセリフもあるが、だからといって忍者としての 生き様、忍者として生きることの虚しさや哀しみが描かれるわけでもない。
そこもそうだし、メイン2人の恋愛もそうだし、感情の高まりを見せるには、良い意味でもっとクドい演出が必要だったかもしれない。
同じ原作を、監督と脚本と配役と製作会社を全て変更して、再映画化してくれないかと切に願う。
例えば、弦之介を松田悟志、天膳を萩原流行、豹馬を須藤正裕、小四郎を山口祥行、左衛門を清水昭博、夜叉丸を高野八誠、蓑念鬼をアンドレってな感じでどうよ。
って、もう完全にヤクザ物のVシネマだな、そりゃ。

(観賞日:2007年1月19日)


第2回(2005年度)蛇いちご賞

・作品賞
・女優賞:仲間由紀恵
・男優賞:オダギリジョー
・監督賞:下山天

2005年度 文春きいちご賞:第1位

 

*ポンコツ映画愛護協会