『新・雪国』:2001、日本

新潟県越後湯沢。50歳の芝野邦夫は、雪が降り積もる新発田駅にバッグ1つで降り立った。月岡温泉のそば屋に入った芝野は、店主の小林に宿があるかと尋ねた。小林は、一人旅の客は自殺の可能性を疑われて敬遠されると説明し、「今出て行った萌子に頼めば良かったのに」と告げた。24歳の萌子は、地元の芸者なのだという。
芝野は店を出て萌子を追い掛け、旅館の紹介を頼んだ。萌子は、「坂を上った所にあるホテルなら大丈夫かもしれない。もし泊まれたら、お座敷に呼んで」と告げ、車で去った。芝野は柊亭という旅館を見つけ、立ち寄った。芝野が女将の菊江に萌子のことを告げると、「そんな名前の芸者は月岡にいない」と冷たく言われてしまった。
芝野は柊亭を後にして、萌子に言われたホテルへ行く。そこのフロント係や女将は、萌子が良くお座敷に来ると語った。お座敷に出ていた萌子は、踊りの師匠でもある大先輩の芸者・登美代から動きの悪さを注意される。座敷を途中で放り出した萌子は、芝野の部屋へ出向いた。芝野は部屋で飲んだ後、萌子と共にカラオケに繰り出した。飲んで騒いだ芝野は、そのまま意識を失った。
芝野が意識を取り戻した時、そこはホテルの部屋で、既に朝となっていた。彼は萌子に起こされた。昨晩は部屋に泊まるようしつこく萌子を口説いたらしいが、芝野は全く覚えていない。少しだけだが借金があると口にした萌子に、芝野は200万円の入った封筒を差し出した。そして、「今日から君に預ける。好きにしていい。ただ、これが無くなるまで一緒にいてくれると嬉しい」と言った。
萌子は芝野に、「死ぬつもりで来たんでしょ?」と告げた。すると芝野は、「そうかもしれない」と否定しなかった。萌子は、「イヤだ」と激しい動揺を示し、芝野に抱き付いた。2人は、その場で肉体関係を持った。先輩芸者の染乃や置屋の女将・美帆は萌子と芝野の関係を心配するが、萌子は「月岡を楽しんでもらい、お金が無くなるまでに東京へ戻って欲しいと思っている」と告げた。
芝野は萌子に、自分が月岡へ来た事情を語った。彼は祖父の代から続いていた会社を倒産させてしまい、妻と息子は家を出て行った。萌子が指摘した通り、彼は死に場所を求めてさまよっていたのだった。一方、萌子にも暗い過去があった。月岡に住んでいた恋人の国夫が、目の前でトラックにはねられて死んだのだ。萌子は自殺を図ったが死に切れず、月岡で芸者になったのだった・・・。

監督は後藤幸一、原作は笹倉明、脚本は笹倉明&後藤幸一&門馬隆司、プロデューサーは福山正幸、撮影は羽方義昌、編集は鶴田益一、録音は小川武志、照明は森谷清彦、美術は太田喜久男、音楽はマリオ鈴木、音楽プロデューサーは原荘介、主題歌「雪の花」作詞は笹倉明、作曲は加藤登紀子、唄は坂本冬美。
出演は奥田瑛二、笛木夕子(現・笛木優子)、南野陽子、吉行和子、坂上二郎、内海桂子、あき竹城、結城しのぶ、不破万作、高橋明、村田真、鶴田忍、比企しのぶ、尾崎祐二、渡会久美子、三浦伸子、小林かずえ、橋本勇一、岡村洋一、峯加代子、登美子、一栄、やすこ、橋本キヨ、飯田浩三、飯田美紀子ら。


1999年は、川端康成の生誕100周年だった。その年、笹倉明は川端康成の代表作『雪国』をモチーフにした小説『新・雪国』を発表した。
その小説を基にしたのが、この映画である。
芝野を奥田瑛二、萌子を笛木夕子(笛木優子)、染乃を南野陽子、菊江を吉行和子、小林を坂上二郎、登美代を内海桂子、美帆をあき竹城、芝野の妻を結城しのぶが演じている。

原作者の笹倉明は脚本に携わっただけでなく、自らの事務所が中心になって製作している。
で、映画がコケて、数千万円の借金を作ったらしい。
この映画、監督とスタッフが揉めたり、奥田瑛二が映画の宣伝への協力を拒否したりと、幾つも問題があったようだ。
奥田瑛二の一件は、プロとして失格なんじゃないかと思ったんだが、実際に映画を見てみると、それも仕方が無いかなあと納得してしまう。
こんな映画の宣伝に協力して、「素晴らしいです」とか「見てください」とか、ちょっと言いにくいわな。

序盤から、話の進め方がギクシャクしている。
芝野は萌子から「坂の上のホテル」を紹介された後、柊亭へ立ち寄る。この時点で、私は「萌子が紹介した宿が柊亭だ」と勘違いしてしまった。
ここで勘違いすると、「萌子が紹介した宿なのに、女将が萌子など知らないと言う」という解釈になってしまう。
ここの勘違いに気付いたのは、後半に入ってからだった。
なぜ気付いたかというと、後半に入って芝野が萌子に「君に言われたホテルに行く前に旅館に立ち寄った」と言うシーンがあるからだ。
そんなの、柊亭に行く時点で分からないとマズいだろうに。
そりゃあ「ホテルと旅館は違う」と言われりゃそうなんだが、そんなの分かりにくいぞ。そもそも、芝野が真っ直ぐホテルへ向かわず柊亭に立ち寄る必然性も無いし。
あと、序盤で芝野が最初に萌子を呼んだ時に、柊亭の女将のことを口にしないのも不自然に思えるのだが。

萌子は最初のお座敷から去った後、芝野の部屋へ行く。
ここも、芝野が呼んだのかどうか曖昧なんだが、それよりも彼を見た時の萌子がノーリアクションなのが引っ掛かる。
普通、そこは「ああ、あの時の」とか、何か反応があるべきだろうに。
あえて客には初見のように振舞う、という設定なのかと思ったら、そういうことでもないし。
他にも、急に萌子が「久しぶりに染乃姉さんの踊りが見たいわ」と言い出してナンノの踊りが挿入される不自然さとか、回想シーンで響くギター伴奏の不自然さとか、国夫が見通しの良い真っ直ぐな道路でトラックにはねられるので不注意なバカにしか見えないとか、スムーズな所を探す方が難しいんじゃないかと思えるぐらい、あちこちでギクシャクしまくっている。

萌子は目上の人間や客に対しても丁寧語ではなくタメ口で喋り、ジャジャ馬と言われるような生意気な娘である(客やホテルの女中に対してタメ口なのは違和感が強いが)。
しかし一方で、芝野を色気で誘惑する大人びた一面もある。さらには、深く傷付いた過去を抱えているという部分もある。そして芝野を深く愛する一途な心も持っている。
萌子は芝野の部屋に呼ばれてすぐに、大胆な振る舞いで彼を誘惑する。だが、例えば芝野の指を舐めたりする行動に、ぎこちなさを感じてしまう。
それが「ウブだけど無理に大人っぽく振舞っている」ということなら、ぎこちなさがフィットすることもあるだろう。しかし萌子はホントに「若いのに大人びた艶がある」というキャラのはずだから、それではマズい。

芝野と萌子は、出会ってすぐに深い関係に落ちるのだが、その急激な男女の接近に、全く付いていけない。そこにはスムーズとは正反対のモノがある。
この映画の場合、萌子に「出会ったばかりで男を惹き付けるだけの説明不要の色気」「全て包み込んでくれそうな包容力」「若々しさと純真さ」など、多くのモノが「男女の一気に燃え上がる恋愛」の説得力として必要になる。
実は芝野には、それほどのモノは必要とされない(もちろん持っているにこしたことは無いが)。
とにかく萌子というキャラクターは、ものすごく難しい役だと言っていいだろう。
そんな難役を新人の笛木夕子(その前に『ホタル』の脇役で出た程度しか経験が無い)に演じさせるなんて、そりゃ無謀だ。
新人離れしたモノを笛木夕子が持っているのなら話は別だが、新人らしい芝居しか(つまり御世辞にも上手いとは言えない芝居しか)出来ていないんだし。

笛木夕子をヒロインに据えるなら、萌子のキャラクター設定を変えるべきだった。
キャラクター設定を優先するのであれば、配役を変更すべきだった。
でも、こんな難役、演じられる女優は簡単には見つからないだろうから、やはりキャラ変更の方が懸命だろう。
ジャジャ馬の部分を強調して、「無理に大人っぽく演じてるけど根っこはウブ」というキャラにした方が良かったんじゃないかな。あるいは、逆に穏やかでおとしやかな女性にして、喋り方も「ですます」調に変えた方が良かったかもしれない。萌子のタメ口が、どうも笛木夕子に馴染んでいないように感じるのだ。
まあ話として、かなりムリヤリに生意気っぽい喋り方を要求しているという部分はある。いきなり芝野に「アンタと呼ぶことにする」と言い出したりして、「はあっ?」と思っちゃうもんな。どういう理由でアンタと呼ぶことに決めたのか、思考回路がサッパリ分からないんだよな。

奥田瑛二は熟練の味わいで、何とか映画の質を上げようと奮闘している。そんなわけだから、この映画、とにかく萌子のキャラクターと演じる女優に尽きる。芝野と萌子のやり取りだけで引っ張っていき、他は何も無いに等しい作品なんだから。話がペラペラで演出もヘロヘロなものを、2人の存在だけで全て補わなきゃいけないんだから。
もし萌子のキャラクターを重視するのであれば、この作品は、日本のトップ女優になれるぐらいズバ抜けた演技力と存在感を持った女優が見つからない限り、映画化は不可能だったのではないかと思う。
そんな若手女優、たぶん見つからないよな。あるいは、もう少し年齢設定を上げて、女優を探してみるのも1つの手だったかもしれない。
でも年齢設定を上げたところで、ふさわしい女優は見つからないような気もするなあ。結局、キャラ設定に大きく手を加えない限り、無謀な映画化だったんじゃないかな。

何も無い映画なのか、何の価値も無い映画なのかというと、そうとも言い切れない。笛木夕子が濡れ場でオールヌードを披露しているので、それはセールスポイントに出来るだろう。
ただし、せっかく彼女が惜しげもなく脱いでいるのに、どうしようもなく濡れ場の見せ方がヘタなのだ。
もっと艶めかしさが伝わるように、エロく撮らんかい。

 

*ポンコツ映画愛護協会