『新・喜びも悲しみも幾歳月』:1986、日本
昭和48年3月、京都府舞鶴。海上保安学校に通っていた大門敬二郎は、卒業式を迎えた。一方、丹後半島の経ヶ岬灯台で勤務する藤田芳明は、2日後に伊豆への引っ越しを控えていた。芳明の部下である長尾猛は、敬二郎の最初の赴任地が佐世保だと知って羨ましがった。芳明妻である朝子は娘の雅子と長男の英輔を伴い、駅まで車で敬二郎を迎えに出向いた。次男の健三は灯台の坂を嫌がるため、今回は置いて来たことを彼女は敬二郎に説明した。
朝子たちは経ヶ岬灯台に到着し、芳明と猛に会った。朝子は長崎が生まれ故郷であり、両親は亡くなったが弟が住んでいることを敬二郎に話した。芳明が主任に昇進することを聞き、敬二郎は祝福した。芳明は経ヶ岬の所長から電話を受け、父の邦夫が翌日に訪ねて来ることを知らされた。それを聞いた朝子は、「何しに来るんですか。あと2日しか無いんですよ」と口を尖らせた。山梨の山中で暮らす邦夫は、芳明か赴任する灯台に来ては何日も泊まるという行動を繰り返していた。
翌日、芳明は西舞鶴駅へ出向いて邦夫と会った。芳明が母のことを尋ねると邦夫は悪態をつき、今回は離婚するつもりで出て来たと話す。邦夫が天橋立を見たがるので、芳明は宮津市成相寺へ連れて行く。既に日本三景の内の松島を見ている邦夫は、「あと1つ、秋の宮島だけだ」と芳明に礼を述べた。朝子は引っ越しの荷造りを済ませていたため、所長夫人に頼んで邦夫が宿泊するための布団を用意してもらった。そこへ芳明から電話が入り、旅館で泊まることを告げられた彼女は腹を立てた。
翌朝、朝子が畳の天日干しをしていると、芳明が戻って来た。彼は邦夫が灯台へ行ったので2時間後に迎えに行くこと、父が若狭の海を気に入って観光したいと言い出したことを話す。ついでに車で石廓崎まで連れて行くと芳明が話すと、朝子は腹を立てた。しかし子供たちが乗りたがっていた新幹線で行くよう芳明が促すと、彼女は喜んだ。芳明は邦夫を案内し、舞鶴市の松尾寺と小浜市の明通寺を訪れた。邦夫は明通寺で北見由起子という女性と出会い、車に同乗させるよう芳明に告げた。由起子は大学を出て気ままな一人旅をしており、米原まで行く途中だった。
サービスエリアで休憩した時、由起子は行く当ても無いので石廓崎まで行きたいと言い出した。芳明は困惑し、由起子が席を外すと邦夫に「とんでもない人を拾って来たんですよ」と告げた。2年後、昭和50年。伊豆の石廓崎灯台を訪れた由起子は、初めて来た時に崖から飛び降りるつもりだったことを杉本夫妻に告白した。当時、彼女は母の浮気を知り、それを恋人に相談すると相手の両親の反対で決まっていた結婚が亡くなった。札幌に単身赴任していた父を尋ねると、彼にも恋人がいた。そんなことを、彼女は夫妻に話した。
由起子は邦夫を呼んでおり、藤田夫妻に家族全員で夕食に行かないかと誘った。彼女は原稿の募集で入賞して3万円を獲得しており、食事を御馳走すると告げた。一行はホテルのレストランで夕食を取るが、先に食べ終えた子供たちが退屈したので朝子はゲーム室へ連れて行く。邦夫は由起子に、芳明には腹違いの一郎という弟がいることを話した。芳明は邦夫の実子だが、一郎は妻の連れ子だった。邦夫と妻は、どちらも再婚だった。邦夫は先妻を病気で亡くした後、事故で夫を亡くした後妻の家へ養子に入っていた。
由起子は芳明と邦夫に、灯台の人と結婚しようと思っていることを打ち明けた。彼女は2年前から灯台のことを調べ、現地にも足を運んでいることを語った。仕事を問われた彼女は、東京で昼間は機関誌のインタビューや原稿書き、それでは稼げないので夜はパブレストランで働いていることを話した。海上保安庁の福岡空港基地では希望していた飛行士になった敬二郎が訓練を積んでいた。同僚とヘリコプターで飛行した彼は、豊後水道の水ノ子島灯台から手を振る猛を見つけた。
猛が次長の小松と水ノ子島灯台で勤務していると、由起子が訪ねて来た。由起子の考えを聞いた芳明が、結婚相手を探している猛に紹介したのだ。猛は由起子を見ると緊張してしまい、上手く接することが出来なかった。由起子が去った後、彼は朝子に電話を掛けて「俺は伊豆の蜜柑のような人を探してくれと言いましたよ。でも、あの人はメロンかパパイヤじゃないですか。とても我々の口に入るようなモンじゃありませんよ」と愚痴をこぼした。朝子は芳明に電話の内容を伝え、由起子と猛は合わないと告げる。彼女は灯台職員の妻が苦労することを語り、由起子には無理だと述べた。
昭和54年9月、水ノ子島灯台が大津波に襲われて浸水した。佐伯航路標識事務所の面々は心配するが、猛と小松は無事だった。昭和55年、邦夫は八丈島灯台で勤務する芳明を訪ねるため、フェリーで八丈島に到着した。芳明は英輔と健三を連れて船着き場へ行き、邦夫を車に乗せた。灯台へ行く途中、邦夫は複数の場所に立ち寄って記念写真を撮った。灯台に着いた彼は写真を撮っている時に眩暈を起こし、芳明が休ませて医者に診てもらった。
邦夫は芳明に、藤田家を離籍するので一緒に杉本姓にならないかと持ち掛けた。そこへ敬二郎が訪ねて来たので、芳明は邦夫に紹介した。敬二郎は4月から羽田で勤務しており、今回は密猟の取り締まりで八丈島に来ていて、明日には帰ると話す。東京の大学に通う雅子が来て、敬二郎との久々の再会を喜んだ。しばらく滞在する予定だった雅子は、翌日に東京へ戻った。彼女が敬二郎に惚れたのではないかと朝子が心配すると、芳明は「いいじゃないか。結構な話だよ」と軽く告げた。
朝子は「複雑ですからね、女の気持ちは」と語ると、芳明は「由起子さんにもそう言ったからな。だけど今は幸せになってるじゃないか」と指摘する。由起子は猛と結婚し、灯台守の妻になっていた。芳明は朝子に、父を引き取るつもりだと明かした。彼は邦夫が今までのように行く先々を訪ねることが出来ないし、離籍した後も1人で山梨に置いておくわけにはいかないのだと説明した。反対されるだろうと予期していた芳明だが、朝子は何の迷いも無く賛同した。下北半島尻尾崎灯台で働く猛は、由起子から異動の電報が届いたことを知らされた。次の赴任先が広島だと聞いた彼は、ようやく雪景色から解放されると喜んだ。由起子は猛に、杉本姓になった芳明が函館で課長になることを伝えた…。原作 脚本 監督は木下惠介、製作は大谷信義&引田惣弥&渡邊一夫、プロデューサーは脇田雅丈、撮影は岡崎宏三、美術は芳野尹孝、編集は杉原よ志、照明は佐久間丈彦、録音は島田満、音楽は木下忠司。
出演は加藤剛、大原麗子、中井貴一、紺野美沙子、田中健、植木等、小坂一也、三崎千恵子、武内亨、篠山葉子、岡本早生、小笠原良知、原田樹世士、高山眞樹、清水良英、平田朝音、高木誠司、小森英明、増田再起、光映子、小西邦夫、高橋研介、高橋有衛、高橋方希、時田成美、中林正智、坂田有規、坂田高浩、木内大介、河島弘、森江雅孝、堀内きくえ、三岡洋一、長岡日出雄ら。
『父よ母よ!』『この子を残して』の木下惠介が原作&脚本&監督を務めた作品。
タイトルからは木下惠介が監督を務めた1957年の『喜びも悲しみも幾歳月』の続編、もしくはリメイクを想像させる。
ただ、「灯台守の一家の何年にも渡る物語を描く」という骨格だけは共通だが、物語としては何の繋がりも無い。
芳明を加藤剛、朝子を大原麗子、敬二郎を中井貴一、由起子を紺野美沙子、猛を田中健、邦夫を植木等が演じている。
他に、佐伯の小松次長を小坂一也、経ケ岬の所長夫人を三崎千恵子、経ケ岬の所長を武内亨、雅子を篠山葉子、英輔を岡本早生、健三を小西邦夫が演じている。序盤、邦夫が経ヶ岬灯台を訪ね、佐伯の所長と話すシーンがある。所長が会話の流れで「それこそ『喜びも悲しみも幾歳月』ですよ」と言うと、邦夫は「あの映画、良かったですな。10回も見ました」と返す。そして2人は、『喜びも悲しみも幾歳月』の主題歌を一緒に歌う。
つまり、この映画は「1957年に『喜びも悲しみも幾歳月』が公開された日本」という設定なのだ。
そこをメタ構造にしちゃうのね。
それだけ監督が前作に思い入れを持っているってことなんだろうけど、作品のテイストを考えると悪手じゃないかなあ。前作は昭和7年から始まり、「戦前から戦後に掛けての灯台守一家の物語」になっていた。当然のことながら、一家には戦争という出来事が大きく影を落とすことになった。
今回は昭和48年がスタートなので、終戦から何年も経過して高度経済成長期に入っている。しかし邦夫に「戦争中に妻を亡くした。当時の戦争未亡人は再婚が許されなかった。だから事故で夫を亡くした女と再婚した」などと語らせて、そこで戦争と関連付けようとしている。
また、芳明たちが長崎へ向かう途中で広島に立ち寄った時には、邦夫が原爆ドームで黙祷する時間を求めるシーンがある。
ただ、戦争に絡める描写は完全に浮いている。邦夫に「芳明が赴任する先々の灯台を訪ねて観光地を巡るのが好き」という設定を用意し、彼が観光地を巡る様子が何度か挿入されている。
芳明の勤務地である「丹後半島・経ヶ岬灯台」や「伊豆・石廓崎灯台」だけでなく、邦夫が巡る「宮津市・成相寺」「舞鶴市・松尾寺」「小浜市・明通寺」といった場所も文字で表記される。
邦夫が八丈島に来た時は、灯台へ行くまでに「千畳岩海岸」「玉石垣」「宇喜田秀家の墓」に行く観光パートが入る。
それにより、何となく観光映画のような印象も受ける。
芳明が経ヶ岬灯台から異動する前のパートなんて、ただ「芳明が邦夫と観光地を巡って由起子と出会う」ってだけで、人生ドラマもへったくれも無いしね。なぜ由起子が「灯台の人」という条件で結婚相手を探しているのか、その理由がサッパリ分からない。
芳明と邦夫に出会った時の体験から、灯台に興味を盛ったり調べたりするのは分からんでもないよ(そこでさえも説明が全く足りていないけどさ)。
だけど灯台に興味を持つのと、「灯台の人と結婚したい」と思うのは、まるで別問題だぞ。
それを聞いた芳明と邦夫が「なぜ灯台の人と結婚したいと思ったのか」と疑問を抱いたり、由起子に質問したりする様子が皆無なのも不可解だし。敬二郎がヘリコプターで訓練飛行するシーンでは、「関門海峡」「部埼灯台」「大分県姫島」「別府市」「大分市」「豊後水道・水ノ子島灯台」を巡り、それぞれの場所で文字が出る。
でも、そんなのは全く必要の無い情報ばかりだ。何か各地の場所を明示しなきゃいけないという条件でもあったのかと邪推したくなるぐらい、やたらと場所の表示が出る。
でも、「だから何なのか」としか思えんよ。邦夫の旅行と違って、それは「観光地を巡る」ってことでもないし。
だから、ただ「ヘリコプターで訓練飛行している」ってことだけが伝わればいいし、もっと言っちゃうとヘリコプターの飛行シーンを丸ごとカットしても成立しちゃうぞ。敬二郎と藤田夫妻や猛との関係性が、冒頭シーンでは良く分からない。
親しい関係ってことだけは分かるけど、敬二郎は灯台職員じゃないから「芳明の後輩や教え子」ってことでもなさそうだし。
訓練飛行のシーンで敬二郎が猛について「海上保安学校の時に良く経ヶ岬灯台で会っていた人」と説明するけど、それで完全に納得できるわけでもないんだよね。
海上保安学校の授業で、灯台に通ったりするものなのか。その辺りの説明が何も無いので、ずっとボンヤリしたままなんだよね。水ノ子島灯台が大津波に襲われるシーンでは、前作の主題歌だった『喜びも悲しみも幾歳月』が流れる。
そして「大ピンチです」と演出しているのだが、「カットが切り替わると大津波に襲われている」という形で何の前触れも無く描かれるので、ドラマとしての力が全く無いんだよね。
なので緊迫感もへったくれも無くて、歌も唐突なだけだ。
ただ、そんな強引な方法でも取らないと、今回の物語って起伏をもたらすようなエピソードが皆無に等しいんだよね。基本的に、ものすごく平穏なのよ。粗筋でも触れたように、猛と由起子の結婚は芳明と朝子の会話によって事後報告される。そんな雑な形で、短い台詞だけで片付けるのかよ。
結婚に至るドラマを丸ごとカットして、何の得があるのかと。そこに尺を取らず、じゃあ代わりに他のドラマが充実しているのかというと、そんなことは全く無いんだし。
離籍を巡る件に関しても、扱いが雑なんだよなあ。そりゃあ邦夫の妻への愚痴がしつこいなあとは思っていたけど、離籍するほど嫌っていたのかよ。
そんで邦夫が離籍するどころか芳明も杉本姓に戻すってことは、彼も母親を嫌悪していたのか。でも、一方的に邦夫が妻を悪く言うだけで終わる欠席裁判みたいな感じになってるのは、なんか嫌な感じなんだよなあ。終盤に入り、死期が狭くなった邦夫は、ようやく「ババアと言い過ぎた」と妻への態度に反省を示す。
だけど、それで今までの全ての暴言が帳消しになることは無いからね。本人には一言も詫びていないしね。
芳明にしても、終盤になって「苦労を掛けた」と朝子に初めて感謝を伝えるけど、今までの冷たい言動が全てチャラになることは無いからね。
芳明も邦夫も、典型的な昭和の男であり、ゴリゴリのマチズモで全身が覆われている。芳明と朝子の元に、邦夫が倒れたという知らせが届くシーンがある。どうなるのかと思ったが、カットが切り替わると昭和57年に飛んでおり、車椅子の邦夫が敬二郎と雅子の結婚式に出席している。
では結婚式のシーンを丁寧に描くのかというと、2分ほどで昭和59年に飛ぶ。そして呉市の海上保安大学校に通う英輔を由起子が子供連れで訪れ、芳明が五島列島に異動することを伝える。
何もかもが淡白に処理され、どのエピソードも充分に高まることが無い。
そして物語の芯が弱いまま、映画は幕を閉じる。(観賞日:2024年2月15日)