『新サラリーマン専科』:1997、日本

日向電機庶務課の課長に昇進した石橋万作は、英会話を習い始めている。ある日、万作の妻・たか子が、公園で痴呆の症状を見せていた 父・庄助を発見した。たか子が家に連れ帰り、しばらく面倒を見ることになった。たか子の兄夫婦・寺内公平と英子が石橋家を訪れ、 父に老人ホーム行きを勧めたら拒否されたと語る。公平と英子、たか子の3人は、遺産の話を始めた。
庄助は万作に、痴呆はウソで、たまにボケたフリをするのだと告げた。万作が外国語の達者な庄助に英会話の上達法を尋ねると、彼は 「その国の女と仲良くなることだ」と告げた。石橋家で暮らし始めた庄助は贅沢な食事を要求し、たか子を怒らせる。庄助は未だに性欲 が旺盛で、アダルトビデオを万作の息子に借りに行かせたりもした。
万作の会社では、中元を取引する時期になっていた。万作は仲丸屋デパート外商部の大曽根課長と新任の吉野に会い、話を進める。 だが、万作は全ての取引が仲丸屋デパートとの間で行われていることに疑問を抱く。前任課長の織田に尋ねると、当時から取引が不明朗 だとは感じていたが、余計なことに首は突っ込まないほうがいいと告げられる。
後日、万作は冬木部長が個人的な取引も会社の購入費に計上していることを知る。しかし部下の津村によれば、いつものことだという。 万作は冬木と共に、大曽根と吉野から豪華な接待を受け、おみやげまで貰った。帰宅した万作は、紙袋の中に200万円の商品券が入って いるのを発見する。万作は吉野に会って返そうとするが拒否され、結局は持ち帰ることになった。
万作は織田に会い、事情を説明する。すると織田は、冬木に渡るはずの商品券が、誤って万作に渡ったのだろうと告げた。冬木は 仲丸屋デパートから賄賂を受け取り、その見返りに独占取引を続けさせていたのだ。万作は織田の反対を押し切り、腐敗の事実を社長に 報告することにした。彼は商品券と直訴状を、社長が設置した目安箱に投函した。一方、庄助は家族に何も言わず、福井県の三方五湖へ 旅行に出掛けた。そこで彼は、新宿でソープ嬢をしているルカに出会った…。

監督は朝原雄三、原作は東海林さだお、脚本は山田洋次&朝原雄三&鈴木敏夫、製作は幸甫&山本久、プロデューサーは秋葉千晴&森重晃 &岩田均&白石千江男、企画協力は藤原審爾(『初夢』より)、撮影は近森眞史、編集は石島一秀、録音は岸田和美、照明は中須岳士、 美術は横山豊、音楽は重実徹、音楽プロデューサーは小野山二郎、主題歌『シ・ア・ワ・セ』は作詞・宮沢和史、作曲&歌は小野リサ。
出演は三宅裕司、岸本加世子、森繁久彌、伊東四朗、左とん平、宮下順子、松下由樹、中村梅雀、平泉成、山田雅人、日下武史、あき竹城、 竹田高利、山崎大輔、山本エレナ、田中巧、住吉理栄、井上夏葉、三谷侑未、尾崎英二郎、桜木たま、大久保いずみ、大坪佳代、半田高士、豊永利行、 和泉ちぬ、三谷悦代、加納健次、うえやなぎまさひこ、田代優美、仲佐かおり、川野良子、柳野幸成ら。


東海林さだおの漫画を基にしたシリーズ第3作。どうやら前2作の評判が今一つだったようで、万作の三宅裕司だけを残してキャストを 総入れ替え(山田雅人は前作にも出ていたが、役柄が違う)。設定も変更されており、家族の名前が違うし、前作まで登場していたチェロ 奏者の弟・淳司も存在が抹消されている。
評判がイマイチなのだからシリーズを終了させてしまえばいいのだが、たぶん松竹としては『男はつらいよ』が消えた後の看板シリーズ を、『釣りバカ日誌』以外にも1つ育てたいという気持ちが強かったのだろう。
しかしタイトルにも「新」と付けるなど仕切り直しを図ったものの、無駄な足掻きだったようで、これでシリーズは打ち止めになった。
中身を見れば、そりゃあ打ち止めになって当然だろうと思わされる。
というか、ホントにシリーズを続ける気があったのかと疑問を抱いてしまうような出来映えだ。
少なくともシナリオに関しては、「途中でシリーズ続行に対する意欲が無くなったのか、諦めちゃったのか」と思ってしまうぐらい、 気合いが感じられない。

まず冒頭、たか子が庄助を見つけるところから始まる。しかし、そこで掴みとしての笑いを全く取りに行かないまま、タイトルを表示して しまう。続く万作の英会話スクールでのシーンでも、普通に英語を喋るだけで何も笑いも取りに行かない。
のっけから、喜劇を作ろうとする意識の乏しさばかりが目に付いてしまう。
たか子が文句ばかり言うのも、その見せ方、相手の受け方さえ工夫すれば笑いに繋がるはずなのだが、そのまんま普通に映すだけなので、 「ただ金のことばかり気にする、性格のよろしくない妻」に見えてしまう。
しかし、「がめつい妻に尻に敷かれ、万作が弱ってしまう」という部分で笑いを作ろうとしているわけでもないし、ただ無意味に悪妻の イメージを与えるだけ。

かつて東宝の社長シリーズや東京映画の駅前シリーズに出演した森繁久彌を、庄助役に起用している。
しかし、彼をフィーチャーするにしても、序盤からモノローグを語らせるという演出の意味が全く分からない。なぜ万作が主人公のはず なのに、庄助の視点によって進行させる箇所を作るのか。
しかも、その進行方法がずっと続くわけでもないし。
最初に庄助が家に来るところから話が始まるのだから、どう考えたって彼と万作の関係を軸にして話を進めるべきだ。ところが、その後は 庄助とは無関係に、会社での腐敗に関する話が進められていく。
だったら、森繁久彌を会社関係の人間として登場させれば良かったのだ。
わざわざゲストを呼んでおいて、ないがしろにするって、どういうことだ。

森繁の社長シリーズとは違って、この作品で取り上げられている会社のトラブルは、全く笑いにならないものだ。
ここを、もっと軽妙な笑いで処理できる問題にしておいて、さらにはお調子者の庄助が勝手に首を突っ込んでくるような展開にすれば、 たとえ万作がごく普通の男であっても、「周囲の傍迷惑な連中に振り回される」という形で喜劇に出来たはず。
あまりにも笑いを取りに行く意識が乏しいので、喜劇だと思ったのは私の勘違いで、ひょっとすると人間の倫理観や優しさを描く ヒューマン・ドラマとして作っているのかとも思った。しかし、そうだとしても、中途半端に古臭いだけの、退屈なサラリーマン映画である。
いや、後半には話がバラバラになるので、サラリーマン映画とさえ呼べないだろう。
それに、例えば万作が商品券を吉野に返却しようとして、互いに押し付け合うというシーンなどは、明らかに喜劇を意識した演出である。
だから、やはり喜劇なのだろうと思うのだ。
ただし、そのシーンは全くスウィングしていない。
なぜなら、そこまでの万作のキャラクターや物語のテイストから、そこだけが完全に分離した別物となっているからだ。

万作は何の面白みも無いキャラクターで、堅物すぎて逆に笑いになることも無いし、周囲に振り回されるという展開で笑いを作るわけ でもない。どういう方向性で、どういうポイントで、どういうテイストで喜劇を構築していこうと製作サイドが考えていたのか、 それが全く見えてこない。
さらにツラいのは、正義感が強くて会社の腐敗を許せない真面目で正直な万作の姿に、全く共感できないということだろう。
彼が真面目でバカ正直であるがゆえに困り果ててアタフタするのであれば感情移入も容易だったかもしれないが、熱い魂を燃やす男として積極的に 腐敗を正そうとする行動を起こすのをマトモに見せられても、なんか鼻につくだけだ。
製作サイドも万作という男に愛情を感じられなかったのか、後半に入ると庄助を旅行に出掛けさせ、こっちで勝手に物語を始めてしまう。
本来の主人公であるはずの万作を放置して、それとは別に庄助を主人公にした話を作るのだ。
万作が庄助の旅先に駆け付けて合流することもなく、最後まで2つの話は分離したままで終わる。
やっぱり、やる気が無かっただろ、製作陣。

 

*ポンコツ映画愛護協会