『真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 殉愛の章』:2006、日本
北斗神拳は一子相伝の拳法であったが、先代のリュウケンは子供に恵まれなかった。そこで彼は、ラオウ、トキ、ケンシロウの3人を養子 として迎え入れた。少年となったケンシロウは、ラオウ、南斗六聖拳「将星」のサウザー、南斗六聖拳「仁星」のシュウが見守る前で、 南斗十人組手に挑戦することになった。最後の挑戦者としてシュウが名乗りを上げ、ケンシロウに圧勝した。
ケンシロウは傷付きながらも、シュウに感謝の言葉を述べた。掟では、南斗十人組手に敗れた者は殺されることになっていた。サウザーは 掟を守ろうとするが、そこへトキが現われる。さらにシュウがケンシロウを助けるよう求め、その代償として自らの両目を潰した。さすが のサウザーも、引き下がるしかなかった。シュウは、ケンシロウを抱えてその場を去った。
時は過ぎ、ラオウ、トキ、ケンシロウの3人はいずれ劣らぬ拳の使い手となった。世界は度重なる戦争によって壊滅状態に陥り、暴力が 支配する時代がやって来た。ケンシロウは北斗神拳の伝承者となり、死の灰を浴びたトキは拳を医学として生かすようになった。ラオウは 恐怖の拳王と呼ばれる存在となり、世界の覇者として君臨するため殺戮を繰り返していた。
少年バットや少女リンたちと行動を共にしていたケンシロウは、聖帝軍に襲われて傷付いた少年カイトを助けた。カイトはバットの旧友で あり、故郷の村が危機にあることを告げた。ケンシロウはバットとリンを伴い、カイトの村を訪れた。ケンシロウは甲冑の人物に命を 狙われるが、バットの育ての親マーサが悪人から助けてくれたことを説明すると、その人物は馬で去った。
ラオウは冥王軍との戦いを前にしながらも、覇権を伺う聖帝サウザーの存在を気にしていた。そこへ甲冑の人物が現われ、先陣を切って 冥王軍に乗り込んだ。その人物は、拳王軍親衛隊の隊長レイナだった。一方、ケンシロウは、マーサが親を失ったり見捨てられたりした 子供たちを世話していることを知った。マーサは、サウザーが子供狩りをしていることを語った。
ラオウは冥王を倒し、宴の席を設けた。ラオウの忠臣でレイナの兄でもあるソウガは、特別な趣向として修羅の国の舞姫を呼んだ。修羅の 国は、ラオウやソウガ、レイナたちの生まれ故郷である。だが、舞姫は隠し持っていた刀でラオウを狙う。レイナが飛び出し、舞姫を殺害 した。ラオウは激怒し、裏切っていないと弁明するソウガをその場で抹殺した。
レイナはソウガの配下の老人ヨウから、ソウガに託されたという手紙を渡された。ヨウはレイナに、舞姫の事件がソウガの計画だったこと を語った。病魔に蝕まれていたソウガは、全軍の秩序を正すために自らが犠牲になることを選んだのだ。ラオウはソウガから計画を 知らされており、苦渋の決断として手を下したのだという。最後にヨウは、ラオウの覇権成就のために三兄弟が集まることをソウガが 望んでいたとレイナに告げた。
レイナはケンシロウのことを思い出し、彼の元へ向かおうとする。だが、その途中で彼女は聖帝軍に取り囲まれた。戦いで傷付いたレイナ は、マーサの村まで辿り着いて意識を失った。リンはレイナをトキの村へ運ぶ。意識を取り戻したレイナは、トキにラオウへの協力を 求めた。しかしトキは、「恐怖による支配では真の平和は訪れない」と告げる。拳王軍に戻るレイナに、トキは「今のラオウではサウザー に勝てない。帝王の星とでも言うべき謎を解かねばならない」と告げた。
ケンシロウは、聖帝軍による子供狩りの現場に遭遇した。そこへレジスタンスを率いるシュウが現われ、聖帝軍を倒した。さらに彼は、 ケンシロウにも戦いを挑んできた。だが、ケンシロウはシュウに殺気が無いことを見抜いた。シュウは、聖帝を倒せる唯一の男として ケンシロウを待っていたことを語った。ケンシロウは、少年の頃にシュウと会っていたことを思い出した。
シュウは、大勢の子供たちを育てているアジトへケンシロウを連れて行く。そこへ、レジスタンスの面々が聖帝軍から奪った食料を持って 戻ってきた。リョウという少年は、嬉しそうにパンに噛り付く。自分もパンを食べようとしたシュウは、すぐに毒が入っていることに 気付く。しかし既にパンを食べていたリョウは、苦悶して死んだ。ケンシロウは、サウザーへの怒りに燃える。
ケンシロウは聖帝軍の本拠へ赴き、サウザーと拳を交えた。だが、北斗神拳で秘孔を突いてもサウザーは微動だにせず、ケンシロウは 敗北を喫した。その戦いを崖の上から眺めていたラオウは、ケンシロウがサウザーの謎を解けなかったことを確認して去った。監禁された ケンシロウは、シュウの息子シバによって救い出された。だが、すぐに聖帝軍の追っ手が迫って来た。シバは深手を負ったケンシロウを 助けるため、自ら囮となって飛び出し、聖帝軍を巻き込んで爆死した。
意識を失ったケンシロウを助けたのは、通り掛かったラオウだった。ラオウはケンシロウを手当てし、シュウのアジトの前に置いて去った。 ケンシロウは意識を取り戻し、シュウにシバのことを詫びた。ケンシロウが薬で眠っている間に、聖帝軍がアジトを取り囲んだ。シュウは バットに、ケンシロウを小舟に乗せて秘密の地下水道から脱出するよう指示した。
サウザーはシュウの両足の腱を切り、子供たちと共に聖帝十字陵の建築現場へと連行する。シュウの叫びを耳にしたケンシロウは復活し、 聖帝十字陵へと向かう。ラオウの元をトキが訪れ、ケンシロウを助けるよう求めた。だが、ラオウは謎が解けていないことを理由に拒否 する。そこへ、レイナがケンシロウを助けるために親衛隊を引き連れて出立したとの報告が届いた。それを聞いたラオウは、全軍を率いて 聖帝十字陵へと向かう…。監督は今村隆寛、原作は武論尊(作)&原哲夫(画)、脚本は堀江信彦&鴨義信&真辺克彦、製作総指揮は井本満&堀江信彦、 アニメーションプロデューサーは吉岡昌仁、製作プロデューサーは山本秀基&宮直樹、スペシャル・アドバイザーは香山晋、 絵コンテは今村隆寛&平野俊貴、キャラクターデザインは荒木信吾&清水貴子&香川久&佐藤千春、総作画監督は佐藤正樹、 作画監督は石川晋吾&野武洋行&加藤洋人&高橋信也、演出は元永慶太郎&浅見松雄&西山明樹彦&辻泰永、アクション監督は平野俊貴、 撮影監督は佐藤正人、編集は田熊純、美術監督/レイアウト監修は坂本信人、エフェクト監督は西井正典、レイアウトは加藤洋人、 色彩設計は 國音邦生(邦夫は間違い)、音響監督は小山悟、音楽は梶浦由記、
ナレーションは柴咲コウ、
テーマソング「Theme from Fist of the North Star 〜The Road of Lords〜(Tak Matsumoto)」作曲:松本孝弘、編曲:松本孝弘、徳永暁人
主題歌:「ピエロ」(上木彩矢)作詞:稲葉浩志、作曲:松本孝弘、編曲:葉山たけし
挿入歌:「愛をとりもどせ!!(MOVIE ver.)」(クリスタルキング)作詞:中山公晴、作曲:山下三智夫、編曲:米光亮
声の出演は阿部寛、宇梶剛史、柴咲コウ、大塚明夫、大塚芳忠、堀内賢雄、石塚運昇、浪川大輔、坂本真綾、入野自由、藤本兼、 天田益男、藤生聖子、花輪英司、渋谷茂、宮田幸季、城雅子、園部啓一、鈴木琢磨、坂口候一、園部好徳、酒井敬幸、白熊寛嗣、 仁科洋平、宮島史年、三戸貴史、川上貴史、青山桐子、石村知子、久嶋志帆、ロドリゲス井之介。
かつて週刊少年ジャンプで連載された人気漫画『北斗の拳』を基にした作品。
『北斗の拳』は1984〜1988年にTVアニメ化されており、1986年には映画『世紀末救世主伝説 北斗の拳』、小説版を基にしたOVA 『新・北斗の拳』、さらにゲイリー・ダニエルズ主演の実写版が作られている。
今回は、映画3本とOVA2本の5部作として映像化するプロジェクトとなっている。
メインキャラの声優には、有名俳優を揃えている。ケンシロウは阿部寛、ラオウは宇梶剛史、映画オリジナルのキャラであるレイナは 柴咲コウ(ナレーションも担当)。他に、サウザーを大塚明夫、シュウを大塚芳忠、トキを堀内賢雄、ソウガを石塚運昇、バットを 浪川大輔、リンを坂本真綾、シバを入野自由、ヨウを藤本兼、冥王を天田益男、マーサを藤生聖子が担当している。
ちなみにナレーションで「リュウケンは3人の養子を迎えた」とあるが、我らのジャギ様は無視ですか(後のシリーズでは出てくる)。最初に思ったのは、「説明を省略しすぎだろ」ということ。
「ケンシロウが北斗神拳の伝承者となり、トキが死の灰を浴びて医療の道を選び、ラオウが覇王を目指すようになった」ということを、 ナレーションで簡単に処理してしまう。
どうやってケンシロウが伝承者に決まったのか、なぜトキは死の灰を浴びたのか、そういうことの説明は一切無いのである。
他にも、ケンシロウとバットやリンとの関係性、北斗神拳と南斗神拳の関係性、南斗六聖拳とは何なのか、といったことなど、説明の無い 事項が山ほどある。この映画の狙っている観客層がどこにあるのか、サッパリ分からない。
ここまで説明を省いた不親切な内容だと、原作を読んでいない人、TVアニメ版を見ていない人は理解が難しいだろう。
そうなると、「いちげんさん」ではなく原作を読んでいた、TVアニメ版を見ていたという『北斗の拳』のファンをターゲットに考えて 製作されていると解釈すべきだろう。
だが、『北斗の拳』ファンなら当然のことながらTVアニメ版を見ていたはずで、すなわち「ケンシロウは神谷明、ラオウは内海賢二」の 声が刷り込まれている。
従来のファンを取り込むのであれば、声優を変えることは相当に危険性が高い。
それでも、せめてTV版と似た声の人を新たに起用するというのなら、まだ分からないでもない。 しかし何をトチ狂ったか、プロの声優ではなく知名度のある俳優をメインキャラ3人の声として起用しているのだ。有名タレントを声優に起用するというのは、大勢の観客層を呼び込むために取られる戦略だ。
しかし前述したように、この映画は明らかに「いちげんさんお断り」の内容になっている。
映画の内容と売り込みの戦略が、完全にズレているのだ。
「コアなファンも取り込みたい、でも『北斗の拳』を知らない観客層も取り込みたい」と欲張ったのかもしれないが、一兎を追う者何とやらだ。それでも、阿部寛は思ったほど悪くなかった。
これは、ケンシロウが感情をあまり表に出さないクールな語り口のキャラクターだということも助けになっているのだろうと思われる。
柴咲コウに関しては、彼女がどうかということより、そもそもレイナという新キャラを出す必要性の方が疑問としては大きい(これに ついては後述する)。
最大の問題は、宇梶剛史。
この人は俳優としては好きなんだが、ラオウの声優としてはヒドい。
ラオウだからダメだということでしなく、基本的に声の質が声優に向いていないのだろう。さて、レイナというキャラクターについて。
そもそも、新たな視点から物語を再構築するにあたって、なぜ新キャラを前に押し出さねばならないのか。
このキャラが原作で書かれなかった部分を広げる役目を果たすのならともかく、そうではない。
善玉チックなキャラであるレイナが、なぜ殺戮を繰り返すラオウを信奉しているのかも分からない。
「故郷は力が支配する場所だった」という簡単なナレーションだけで納得させるのは難しいぞ。しかも、このレイナのキャラクター設定がヒドい。
あの拳王のラオウ様に対して、部下であるにもかかわらずタメ口を聞くという無礼なキャラクターなのだ。
兄のソウガが敬語なのに、なぜレイナだけはタメ口なのかと。
この映画の製作者はそういうところへの配慮が全く無かったようで、ラオウの少年時代の一人称を「オイラ」にするという無神経なこともやっている。レイナのやられ方がマヌケなのもゲンナリだ。
だってさ、戦地で子供を見つけてあやしていたら、飛んで来た矢に背中を刺されるんだぜ。
つまり、矢に気付かなかったってことなのよ。
マヌケだろ、それ。
子供を助ける優しさを見せたいのなら、「攻撃には気付いているが、子供を守るためにあえて盾になった」ということでいいじゃねえか。
で、さらにヒドいのは、そこで死んだと思ったら、後になって「ラオウの秘技で生き返った」となっていること。
せめて死んでおけよ。レイナはラオウを愛する役回りだが、そんなに2人の関係が描かれているわけでもない。
にも関わらず、「ラオウがレイナのために行動したり怒りに燃えたりする」という「愛の人」になっちゃってる。
「また友を失った」と吐露したり、ラオウが愛や友情に厚いキャラになってるのはゲンナリだ。
覇権のために情を捨てたような男が、たまに強敵への敬意を見せるからこそ魅力的だったわけで、最初から情に厚い性格が見えすぎだぞ。ラオウとレイナの話が進行している間、ケンシロウはずっと消えている。
この時間が結構長い。
そしてケンシロウの話に移行すると、今度はレイナが消えている時間が結構長い。
ようするに、双方のシーンのバトンタッチが少ないのだ。
今回の最大の敵はサウザーなのだが、最初にチラッと出た後、リョウが毒入りパンで死んだ次のシーンまで再登場しない。
これも構成の悪さだ。
というより、ようするにラオウをフィーチャーするためにメインの物語がハイライト化したってことなんだろう。最初に少年ケンシロウがシュウによって助けられるシーンがあるのに、レジスタンスを引き連れたシュウと再会したケンシロウは、そんな ことは無かったかのように戦っている。
シュウが目的を明かした後、ケンシロウが思い出す描写が来て、初めて「ああ、こいつは少年時代のことを覚えていなかったのね」と分かる。
それまでは、ケンシロウがシュウを覚えていないことが分からないのだ。
これは明らかに説明が上手く行っていないということだ。タイトルには「ラオウ伝」とあるが、そこまでラオウが主役というわけでもない。
立ち位置としては完全に脇にいるシュウが、ほとんど主役の座を奪っているような状態となっている。
それはシュウが魅力的ということよりも、ラオウとケンシロウがあまり光っていないということの方が大きい。
敵役であるラオウを主役にしたいけど、ケンシロウを主役から外すことも出来ず、だから2人の扱いがどっちも中途半端になってしまったということなんだろう。大体、サウザーとの戦いをクライマックスに持って来るのであれば、どうやってもラオウは主役になれないのよね。
サウザーを倒すのはケンシロウであり、ラオウは傍観しているだけなんだから。
で、そうなってくると、「レイナが殺された(生き返るけど)ことによって、ラオウが怒りに燃えて突進する」という仕掛けも、サウザー と戦わないのだから生きない。
そもそもサウザー編を、ラオウが主役の話として再構成するという企画そのものに無理があったんじゃないのか。全く活躍してないじゃん。サウザーが師匠オウガイを殺してしまった悲しみから愛を拒絶するようになったという設定がザックリと削除されているので、彼が 聖帝十字陵を作ったか意味も無くなり、ただの権力の象徴になった。
サウザー自身も、愛深き故に愛を拒んだ哀しい男ではなく、単なる子供を狩る悪党になった。
そうなると、ケンシロウがトドメを刺す際に、相手に情けを掛ける技「北斗有情猛翔破」を使う意味も全く分からなくなってしまう。最後に子供時代のラオウやソウガたちの回想シーンがあるが、「今さらそんなものを描いても意味が無い」としか感じない。
それを最後に見たからといって、「そうだったのか」と観客が感じるようなことは何も無いのだ。
結局、何の見所も無い、ヒドいリメイクだった。