『シン・ゴジラ』:2016、日本

東京湾横浜沖で漂流中のヨットが発見され、その直後に東京湾アクアラインが崩落事故を起こした。内閣官房副長官の矢口蘭堂は、秘書官の志村祐介から報告を受ける。内閣総理大臣の大河内清次は死者が出ていないことから下に任せようとするが、補佐官の赤坂秀樹が二次災害の危険を告げる。レクチャーが始まり、郡山内閣危機管理監や花森防衛大臣、金井防災担当大臣や柳原国土交通大臣らが意見を言い合う。閣議では自然災害という方向で対策を進めようとするが、矢口は海底に巨大生物が生息する可能性を指摘する。しかし誰も相手にせず、矢口は赤坂から忠告された。
噴火活動が沈静化したという報告が入った後、矢口は改めて巨大生物の可能性を指摘する。その直後、テレビのニュース番組では海上に出現する巨大生物の尻尾が映し出された。直ちに学識経験者が召集されるが、その意見は全く役に立たなかった。矢口の要請を受けた志村は、大学の先輩である環境省自然環境局野生生物課課長補佐の尾頭ヒロミに来てもらう。尾頭は上陸の可能性も捨て切れないと発言するが、関口文部大臣や菊川環境大臣は真っ向から否定した。
大河内は東の進言を受け、緊急の記者会見を開いた。確実な情報だけを話すよう釘を刺されたにも関わらず、彼は「巨大不明生物の上陸は有り得ない」と断言する。その直後に巨大生物が蒲田へ上陸し、次々に建物を破壊した。東京都庁の小塚知事は、すぐに避難指示を出すことが出来ない状況への苛立ちを示した。災害マニュアルは役に立たず、都民の自主避難に任せるしか無かった。矢口や赤坂たちは大河内に対し、超法規的処置で自衛隊を出動させるよう求めた。決断を迫られた大河内は、困惑しながらも防衛出動を決定した。
自衛隊の財前統合幕僚長や矢島副長たちが作戦を話し合い、花森は駆除を目的とすることを大河内に報告する。巨大生物は進行を一時停止し、第3形態に変化して二足歩行となった。自衛隊が出動するが、線路を渡っている人の姿が確認されたため巨大生物への攻撃について官邸への確認作業が行われる。大河内は中止を指示し、巨大生物による被害は拡大した。巨大生物は海に戻り、姿を消した。再上陸を想定して監視体制が強化されるが、早期発見は困難だった。
矢口は初期対応に問題があったことを痛感し、巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)のメンバー選びを保守第一党の泉政調副会長に依頼した。矢口と尾頭の他、厚労働医系技官の森文哉や城北大学大学院生物圏科学研究科准教授の間邦夫、文科省研究振興局基礎研究振興課長の安田龍彦らが集まり、基礎情報を共有して意見を出し合う。巨大生物のエネルギー源について、尾頭は核分裂ではないかと推測した。安田は否定的な見解を示すが、直後に事実だと判明する。都内各所で放射線量のデータが上昇し、それが巨大生物の移動したルートと完全に一致したのだ。
矢口は赤坂や東たちに報告し、すぐに会見を開くべきだと訴えた。東は承知し、大河内へのレクチャーを指示した。米国大統領次席補佐官が極秘に来日し、大河内との非公式な階段を要請した。同行した大統領特使のカヨコ・アン・パタースンは、矢口との面会を希望した。矢口は自分が指名されたことに困惑するが、カヨコはレポートを読んで決めたのだと話す。彼女は矢口に、巨大生物の存在を数年前から予言していた日本人科学者の捜索を要請した。その科学者は日本から追い出され、米国の研究機関に所属していた牧悟郎という人物だった。警察庁の沢口官房長は、本部刑事局長を呼んで彼の捜索を指示した。
すぐに牧の足取りは判明し、カヨコの元へ情報が届いた。牧は小型船で漂流していたところを保護されていたが、矢口は彼自身よりも所持していた資料をカヨコが欲しがっていたことを見抜いた。その資料には、牧が巨大生物に名付けた「GODZILLA」の文字が記されていた。そのままでは発音が難しいため、矢口は今回の巨大生物を「ゴジラ」と呼ぶことに決めた。志村はフリージャーナリストの早船と密会し、牧の調査を依頼した。
カヨコは矢口たちに、ゴジラが海にある放射性廃棄物を食べ、放射性に耐性を持つ生物として急速に変化したと米国エネルギー省が結論付けていることを教える。カヨコは牧が残した謎の解析表を見せるが、巨災対の誰も理解できなかった。ゴジラの体内には未知の新元素が存在していると判明し、赤坂は大河内に連絡する。大河内はテレビで会見を開き、ゴジラによる放射能汚染について国民に説明する。間はゴジラが体温調整のために海へ戻ったのではないかと推測し、巨災対は対処法を寝る。そして血液凝固剤の経口投与によって体内冷却システムを強制停止させる作戦が固まり、「矢口プラン」として大河内に提案されることになった。
ゴジラが相模湾から出現し、鎌倉に再上陸した。ゴジラは初上陸の時より遥かに大きく成長し、第4形態へと進化していた。矢口プランは実行段階に達しておらず、決断を求められた大河内は自衛隊による攻撃を花森に指示した。武器使用は無制限まで想定し、徹底的に攻撃して都内侵入前にゴジラを駆除することが市ヶ谷に伝えられた。タバ作戦戦闘団団長の西郷が隊員に指令を下し、全該当地区の避難完了が確認されたことを受けて大河内は武器使用を許可した。
自衛隊の攻撃ヘリによる攻撃が開始されるが、ゴジラを駆除することは出来なかった。そこで花森の提案を受け、大河内はミサイルの使用を許可する。しかしミサイルを使ってもゴジラを止めることは出来ず、戦車隊の防御陣地は崩壊した。花森は攻撃続行が不可能だと判断し、大河内総理が作戦終了を通告した。ゴジラが移動する中、米軍の空軍機がグアムを離陸したという知らせが官邸に届く。米国が爆撃を予定している範囲は予想以上に広く、小塚は都民の避難を急がせた。
大河内は郡山から、官邸を捨てて退避するよう促される。大河内は都民を置いて逃げることに難色を示すが、矢口の説得を受けて承諾した。大河内を含む多くの閣僚はヘリで避難し、矢口は車で移動することにした。渋滞で車が進まなくなったため、矢口は地下へ避難することにした。ゴジラは口から熱線を発射して東京に壊滅的な打撃を与え、専用ヘリで移動していた閣僚は死亡した。ゴジラが突如として活動を停止する中、里見農林水産大臣が臨時の総理に就任した。矢口は特命担当大臣に任命され、ゴジラ対策を練る。米国政府から派遣された科学者チームと共に調査した結果、ゴジラは2週間後に活動を再開して増殖する可能性が濃厚だと判明する。米国の主導によって国連がゴジラへの核攻撃を決定し、里見は受け入れることにした…。

脚本・編集・総監督は庵野秀明、監督・特技監督は樋口真嗣、製作は市川南、エグゼクティブプロデューサーは山内章弘、プロデューサーは佐藤善宏&澁澤匡哉&和田倉和利、プロダクション統括は佐藤毅、ラインプロデューサーは森徹&森賢正、編集・VFXスーパーバイザーは佐藤敦紀、VFXプロデューサーは大屋哲男、撮影は山田康介、照明は川邉隆之、美術は林田裕至&佐久嶋依里、録音は中村淳、音響設計は庵野秀明、美術デザインは稲付正人、扮飾統括は柘植伊佐夫、ゴジラコンセプトデザインは庵野秀明、ゴジライメージデザインは前田真宏、ゴジラキャラクターデザイン・造形は竹谷隆之、特殊造形プロデューサーは西村喜廣、准監督・特技総括は尾上克郎、音楽は鷺巣詩郎&伊福部昭、音楽プロデューサーは北原京子。
出演は長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、野村萬斎、ANI、阿部翔平、粟根まこと、石垣佑磨、市川実日子、犬童一心、柄本明、大内厚雄、大杉漣、大塚ヒロタ、大槻修治、大根田良樹、大林丈史、緒方明、小川紘司、小川真由美、小倉星羅、小野孝弘、片桐はいり、加藤厚成、加藤貴宏、神尾佑、神谷真士、蒲生純一、川井つと、川口丈文、川崎誠一郎、川瀬陽太、菊池康弘、岸田研二、岸端正浩、國村隼、國本鍾建、KREVA、黒田大輔、小磯一斉、小出恵介、河野洋一郎、神谷大輔、高良健吾、小久保寿人、児玉頼信、小林隆、小松利昌、近童弐吉、斎藤工、佐藤貢三、信太昌之、嶋田久作、諏訪太朗、関谷亜矢子、高井正憲、高橋一生、竹下宏太郎、ダニエル・アギラル、谷口翔太、塚本晋也、津田寛治、土屋良太、鶴見辰吾、手塚とおる、鳥山昌克、中島伸、中田春介、中田裕一、中村育二、野口雅弘、野間口徹、橋本じゅん、浜田晃、原一男、原知佐子、ピエール瀧、土方鉄、日中泰景、平泉成、藤木孝、古田新太、堀岡真、前原滉、松井晶熙、松尾諭、松尾スズキ、松木研也、松澤仁晶、三浦清光、三浦貴大、水野智則、光石研、三輪江一、ムラヤマ・J・サーシ、モロ師岡、矢島健一、山中敦史、余貴美子、横光克彦、吉家章人、吉田ウーロン太、渡辺哲ら。


ハリウッドでレジェンダリー・ピクチャーズによるリブート版『GODZILLA ゴジラ』の製作が決まったことを受け、東宝が「本家の方も復活させよう」と考えて企画した映画。
「ゴジラ」が日本で復活するのは2004年の『ゴジラ FINAL WARS』以来、12年ぶりとなる。
まあ『FINAL WARS』の時から「絶対に本気で終わらせる気なんて無いだろ。しばらくしたら復活させる気満々だろ」とは思っていたけど、やっぱり復活したわけだ。

「ヱヴァンゲリヲン」シリーズの庵野秀明が脚本&編集&総監督、『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』や『進撃の巨人』前後篇の樋口真嗣が監督と特技監督を担当。
出演者の内、矢口役の長谷川博己、赤坂役の竹野内豊、カヨコ役の石原さとみ以外は50音順での表記。
とにかく出演者がバカみたいに多い映画である。それはエキストラが多いという意味ではなく、ちゃんと役名のある出演者、名のある俳優多く出ているってことだ。
なので「主要キャスト」と呼べる面々を挙げていくだけでも、かなりの人数になる。なので配役については、あえて前述の3名だけに留めておく。

一言で言えば、「もし日本に正体不明の巨大生物が襲って来たら」という軍事シミュレーションだ。
だから登場するのは政治家や自衛隊員や科学者ばかりで、市井の人々はモブシーンに限定されている。「実際に巨大生物が襲って来たら、その対処に一般人が関わることなんて無い」ということだろう。
裏を返せば、「怪獣から逃げる庶民」を掘り下げて描く意識は全く無いってことだ。
そういう場所に落ちている人間ドラマは、徹底的に排除している。とにかく「リアルな軍事シミュレーション」を描くことに集中しているのだ。
その結果として、映画の大半は「政治家たちが話し合う」という様子になっている。

事なかれ主義の政治家たちが、やたらと会議を開きたがる。しかし具体的なことは、なかなか決めようとしない。誰も明確に責任を取ろうとせず、縦割り行政が邪魔になる。形式的な会話に固執し、無駄な手続きを経ないと何も先へ進まない。
緊急事態への準備は全く整っておらず、対応は常に後手後手となる。何かに付けて「想定外」ということで逃げに入り、ロクな対処法が出て来ない。災害マニュアルは役に立たず、目の前に危機が迫っているのにダラダラと喋っているだけで時間を浪費するので甚大な被害が出る。
「総理から閣僚、閣僚から自衛隊幹部、自衛隊幹部から隊員へ」という指示、あるいは逆方向への連絡が、何度も丁寧に描かれている。そのルートに自衛隊が入らず都知事や巨災対が入るようなケースもあるが、ともかく何か新たな行動を取ることが求められる度に、「何人かを伝達して指示が届く」という手順が繰り返される。
話の流れだけを考えれば、そこは省略しても全く問題が無い。
しかし、リアルに軍事シミュレーションを描くことが主たる目的なので、指示を伝達する手順は絶対に削れないのだ。

枠組みとしてはリアル志向でやっているが、細かい描写を見ていくと真逆にしか思えないことも色々とある。
会議のシーンでは全員が立て板に水で流暢に言葉を発し、詰まったり噛んだりすることは絶対に無い。誰かが喋り終わると直ちに他の人物が喋るという具合で、隙間を開けずにテンポ良く進行していく。
まるで舞台劇のような状態だ。
誰かが喋っている最中に、他の人物が口を挟むようなことは絶対に無い。複数の人間が同時に喋るとか、そういうことも無い。
かなり速いテンポが会話劇を進めていくのは、きっと「用意した情報は全て詰め込みたい」という日本テレビのスポーツ実況アナウンサー的な精神があったからだろう。

大河内を含む閣僚が死亡した後は、「誰も責任を負いたくないから」ってことで、派閥の年功序列&首班指名の功労賞だけで大臣になれた里見が臨時の総理に就任する。
矢口は泉に、「次のリーダーがすぐに決まるのが、この国の長所だということが良く分かった」と皮肉を言う。彼は総理の座について問われ、10年後を考えていると告げる。泉は総裁選に立候補するよう勧め、応援するので幹事長のポストを用意するよう持ち掛ける。
赤坂の会見を見た彼は、「政治家に必要なのは策略と強運だ」と口にする。
ゴジラとの戦いに集中するのではなく、そういう政治関連の会話にも時間を使う辺り、この映画がどこに重点を置いているかが表れていると言えよう。

前述したように「巨大生物が襲って来た場合を想定したシミュレーション」を描くことが目的であり、「ゴジラ映画」でも「怪獣映画」でもない。
襲って来る対象が、ゴジラがある必然性は全く感じられない。それどころか、怪獣である必要性さえ無い。
それが例えば使徒であろうと、巨神兵であろうと、まるで支障は無い。
重要なのは「危機的状況に陥った時の政府関係者の動き」を描くことであって、この映画における巨大不明生物は、そのための道具に過ぎない。

最初に巨大生物が登場した時、「まさか、これがゴジラじゃないよね?」と言いたくなった。
とてもじゃないが、我々の良く知っているゴジラとは似ても似つかぬ形状の怪獣だったからだ。
「後からゴジラが登場するのかな」と思っていたら、そいつがゴジラだった。少しずつ変形していくという設定で、それが最初の形態だったのだ。
その時点でリアル志向から外れているような印象を受けるし、「いかにも作り物」という感じにも見受けられた。

ただ、それはゴジラじゃなくて「シン・ゴジラ」なので、最初にの形態が我々が知っている姿じゃなくても全く問題は無いのだ。
後からゴジラっぽい姿に変化するものの、あくまでも「シン・ゴジラ」なのである。
名前はゴジラに似ているし、劇中でも「ゴジラ」と呼ばれているが、全く別物だと捉えるべきだ。
言ってみれば、タラバガニが「カニ」と付いているのにカニじゃないのと似たようなモンだ。
あるいは、「サソリモドキ」や「アゲハモドキ」みたいなモンだと思っておけばいい。

伴奏音楽としては、過去に「ゴジラ」シリーズの音源も使われている。 それは「今までのシリーズとの関連性を想起させる」という狙いがあるのだが、それだけでなく「ヱヴァンゲリヲン」シリーズのBGMも使用されている。
こちらの方は、なかなか大胆な仕掛けだ。当然のことながら、観客は「ヱヴァンゲリヲン」シリーズを連想するわけで。そんなことは庵野秀明だって百も承知であり、ってことは意図的に「ヱヴァンゲリヲン」シリーズを連想させようとしているわけだ。
その狙いは、「ヱヴァンゲリヲン」シリーズが好きなオタク層を引き込むことにある。
どこかパロディー的なテイストも感じられるが、そういう仕掛けで喜ばせようとしているわけだ。

そういうBGMも含め、かなりオタク受けを意識した仕上がりになっていることが強く感じられる。
それが顕著に表れているのが、カヨコというキャラクターだ。
彼女はアメリカ育ちの日系三世なのに、日本人としか思えないような流暢な日本語を喋る。そして、帰国子女のような英単語を会話の中に盛り込む。
その役職からすると異様に若く、やたらと周囲から浮いた存在感をアピールする。
リアル志向からは大きく逸脱した荒唐無稽なキャラクターだが、いかにもオタク的な味付けと言える。

日本では大ヒットしたが、残念ながら海外では全く受けなかった。東宝としては世界規模でのヒットを目論んでいたはずだから、当てが外れただろう。
しかし中身を見れば、海外でヒットしないのは納得できる。
ゴジラが暴れる様子や軍隊(自衛隊)との派手な戦争シーンを期待していたら、劇中の大半は「政治関係者が話し合う」という様子で占められているわけで。そりゃあ、退屈を感じさせたとしても、仕方が無いだろう。
日本人なら、「有名俳優が次々に登場する」というトコで興味を繋ぐことも出来るだろう。でも海外の人にとっては、誰が誰だかサッパリで見分けを付けるのも難しいわけで。
登場した時に役名や役職が表示されるが、あっという間に消えるので形式的なモノに過ぎないし、何しろ人数が多すぎるので、まるで覚えられない(これに関しては日本人でも同じことが言える)。

もう1つの問題として、東日本財震災を連想させる内容になっていることが挙げられる。
全体としては軍事シミュレーションなのだが、シン・ゴジラには「原発事故のメタファー」という意味合いも持たせてあるのだ。
だが、そこは東日本大震災を体験して間もない日本人だからこそ、リアルなモノとして感じ取ることが出来る問題であって。
それを知らない海外の人からすると、「放射能漏れが云々」とか「放射線量がなんたらマイクロシーベルトで」とか言われても、まるでピンと来ないだろう。

この映画が公開された後、1992年に発表された巴啓祐の漫画『神の獣』との類似がネット上で指摘された。
偶然の一致と呼ぶには、あまりにも内容が酷似している。
『神の獣』は有名な漫画じゃないし、既に絶版となっている。しかし庵野秀明がオタクであることを考えれば、その漫画を知っていたことは充分に考えられる。
もちろん「偶然の一致」という可能性もあるだろうが、その漫画が有名ではなく既に絶版となった「幻の作品」であることも含めて、何となくM・ナイト・シャマラン的な匂いを感じてしまうのであった。

(観賞日:2018年2月16日)


2016年度 HIHOはくさいアワード:第5位

 

*ポンコツ映画愛護協会