『死国』:1999、日本

高知県矢狗村。日浦家には依頼者の夫婦が訪れ、死者の霊を呼び出す口寄せの儀式が執り行われていた。日浦照子が経文を唱えると、依童 である小学生の娘・莎代里の体に依頼者夫婦の亡くなった息子の霊が憑依した。そして息子の霊は黄泉の国から、莎代里の口を借りて 「なんで僕だけ、こんな目に遭う。ウチに帰りたい。ここから出たいがよ」と、両親への言葉を語った。
莎代里には明神比奈子、秋沢文也という仲の良い友達がいた。莎代里は文也に好意を寄せており、比奈子の前で板切れに「ふみや」と文字 を書いた。3人は学校をサボって遊び、莎代里は「村を早く出て色んなことをしたい」と語った。そこへ父の康鷹が現れ、「行こうか。 お母さん、待っちゅうきに」と告げた。嫌がる莎代里だが、父になだめられて一緒に去った。
莎代里の家へランドセルを届けに行った比奈子は、口寄せの儀式を覗き見た。翌日、学校で比奈子は莎代里から「見たがやろ」と言われた。 莎代里は鋭い形相で、「誰にも言わんいうて約束して。言うたらもう友達じゃないきね」と告げた。3人で遊んでいた時、比奈子が川で 溺れたので、文也は大人を呼びに行った。戻ってくると、比奈子は川から上がって莎代里にすがり付いていた。やがて比奈子は家族と共に 引っ越しすることになり、莎代里に鈴を手渡した。
15年後、東京でパッケージなどのデザイナーをしている比奈子は、久しぶりに帰郷した。親に言われて、田舎の持ち家をどうするか決める ことになったからだ。生家に戻った後、彼女は日浦家へ足を向ける。外から呼び掛けるが、返事は無かった。立ち去ろうとした比奈子は、 2階の窓に人影を見た。彼女が呼び掛けると、その人影は窓から離れた。
村を歩いていた比奈子は、小学校で一緒だった浅川ゆかりと再会した。彼女から莎代里が高校の時に川に落ちて死んだと聞き、比奈子は 驚いた。祭りの手伝いをする彼女に付いていった比奈子は、役場で働いている文也と再会した。比奈子は文也に、「溺れて助けてもらった 時、莎代里ちゃんから離れるのがとても怖かった。しがみついていないと心細かった」と語った。
文也は、莎代里が死んでから毎年、照子がお遍路に出ていることを告げた。康鷹は登山中に崖から転落し、町の病院に入院しているという。 川で話していた時、比奈子は人の気配を感じ、「莎代里ちゃんが私たちのことを見ていたような気がした」と口にした。彼女は、日浦家で 人影を見たことを話した。すると文也は、照子もお遍路に出ているので、今は誰もいないはずだと言う。
谷の地蔵の頭部が何者かに壊される事件があり、文也は警官を呼んだ。地蔵の先には壊れた柵があり、その向こうは森になっていた。警官 は、柵の向こうに入ると祟りがあるという噂を口にした。役場に出勤した文也は、地蔵の事件をどうすべきか上司に相談した。すると上司 は「谷のことは谷の神様に任せとったらええ。ワシらが手を出すことやない」と告げた。
比奈子は文也から、高校時代の莎代里の写真を見せてもらった。莎代里は家を継がなければならず、高校進学を照子は反対していたという。 「莎代里ちゃん、文也くんのことを好きだったんだよ」と比奈子が言うと、文也は交際していたことを明かした。その夜、比奈子が生家で 眠っていると、高校生の莎代里が枕元に現れた。彼女は正座したまま、ゆっくりと手を伸ばして比奈子に触れた。比奈子が目を覚ますと、 部屋に誰もいなかった。だが、畳の上には、引っ越しの際に比奈子が莎代里に渡した鈴が落ちていた。
翌日、文也が谷の柵にロープを張っていると、比奈子がやって来た。彼女は「昨夜、莎代里ちゃんを見たの。夢だとは思うけど、何だか夢 じゃないみたいだった」と言い、鈴を見せた。「何か言いたいことがあるのかな」と口にした比奈子に、文也は「莎代里が川で死んだん じゃなくて、儀式の最中に悪い霊を憑り込んで殺されたという噂がある」と打ち明けた。
文也は、柵の向こうの土地が日浦家と関係があるらしいと言い、「昨日、僕も見たがや」と比奈子に告げた。比奈子と文也は柵を越え、森 に足を踏み入れた。しばらく歩くと小さな泉があり、真ん中には石柱が立っていた。泉の向こう側には洞窟があった。中が真っ暗だった ため、明かりを持ち合わせていない2人は立ち去ることにした。村の少年は、もう死んでいるはずの祖父が立っているのを目撃した。少年 は帰宅して母親にそのことを話すが、もちろん信じてもらえなかった。 比奈子は町の病院へ行き、康鷹と面会した。看護婦によると、康鷹は8年前から入院しており、喋ることも出来ないし、話し掛けても反応 は無いという。比奈子が病室の天井に目をやると、「16」という数字に見えるシミがあった。比奈子から病院に言ったことを聞いたゆかり は、「日浦家とはあまり関わらない方がいい。そういうのを村の人は嫌がる。もう村の人間じゃない比奈ちゃんが文也くんと一緒にいる ことも快く思われていない」と教えた。
ゆかりは比奈子に、引っ越してから莎代里が怒っていたことを話した。「一人で東京に行って生意気や」と言い、比奈子から届いた手紙を 燃やしていたという。「先を越されて悔しかったんだろう。彼女は変に孤立しているところがあって、自分のことを聞いてくれる仲間が 欲しかった。その仲間に裏切られたと思ったのでは」と、ゆかりは言う。さらに彼女は、莎代里が手紙を燃やしていた時に、比奈子のこと を金魚の糞と称していたことを語った。
比奈子は文也の元へ行き、そのことを話した。文也は「莎代里は羨ましかったんだろう」と言うが、比奈子は「彼女は友達だなんて思って なかったんだね」と漏らす。「あたし、来ない方が良かったのかな」と呟く比奈子に、文也は「比奈ちゃんと一緒にいると安心できるわ。 こんな気持ち、初めてやきに」と告げた。その夜、谷の地蔵を調べていた文也の上司は、何かに怯えて逃げ出した。翌朝、彼は急に発作を 起こし、救急車で運ばれた。
比奈子が生家にいると、少年がボールを投げ込んで窓ガラスを割った。少年は比奈子に「はよ東京に帰りや。おばちゃんがいると、お化け が出るきに」と言い放ち、走り去った。文也は専門家の小田を連れて、森の洞窟に向かった。小田は「黄泉の国の入り口は大抵、そんな 洞窟やきに。大昔はここもそう思われとったやろうね」と述べた。
2人が洞窟に入ると、誰かが来た形跡があった。中には小石が幾つも積んであり、「何かの儀式みたいやけど」と小田は言う。近くには、 15本の杖が置いてあった。文也が日浦家のことを尋ねると、小田は「前に日浦という人が書いた本の広告を見たことがある。それは四国の 古代史関係の本だが、出版されんかったと思う」と言う。文也は図書室で民族史研究の本を開き、康鷹が執筆した『四国の古代史』という 本の広告を見つけた。文也は出版元に電話を掛け、本の内容について尋ねた。
文也は比奈子に会い、分かった範囲で康鷹の本の内容を語り始めた。お遍路は最初の寺が徳島で、そこからグルッと四国を回って88番目が 香川だ。どの寺から始めてもいいが、順番に回っていく。その風習は昔からあるらしいが、康鷹によると、それは四国に結界を張るため だったのではないかという。それは、この世を死者の世界から守るための結界だ。
康鷹の本によれば、結界が破られると、四国が死者の国になるという。「莎代里ちゃんとお母さんがお遍路に出ているのと、何か関係が あるのかな」と比奈子は呟いた。文也は地面に「死国」と書いた。比奈子は、洞窟の杖が16本ではなかったかと尋ねた。彼女は、病院の シミが16に見えたことを語った。すると文也は、莎代里が死んだのは16歳の時だったことを告げた。
深夜、比奈子と文也は日浦家に裏口から侵入した。文也は康鷹の原稿を発見した。奥の部屋へ行くと莎代里の仏壇があった。その部屋には 15枚のふすまがあり、一枚につき88ヶ所の印が貼ってある。15回のお遍路を終え、今が16回目ということになる。印を見た文也は、お寺の 回り方が普通と違い、88番目から1番目へと逆になっていることに気付いた。その時、部屋に風が吹き込んだ。
日浦家を出た文也は、「莎代里は気持ちに迷いが無くて息苦しかった。でも、それだけ強く愛されることは嬉しかった」と比奈子に言い、 今でも莎代里を引きずっていることを打ち明けた。文也は「比奈ちゃんやったら、莎代里のことを忘れられる」と告げ、2人はキスをした。 文也は比奈子の生家へ行き、康鷹の原稿に目を通した。後ろから肩に手を置かれたので、文也は比奈子だと思い、振り向かずに語り掛ける。 だが、手を置いていたのは莎代里だった。
お茶を持って部屋に入ろうとした比奈子は、莎代里の姿を見て驚いた。比奈子が震える声で「文也くん」と声を掛け、文也が振り向くと、 莎代里の姿は消えた。しかし比奈子が部屋に入ろうとすると、下から莎代里に腕を掴まれた。比奈子は慌てて莎代里を突き飛ばし、文也に 駆け寄った。莎代里は2人を見つめ、そして消えた。比奈子は、川で溺れた時、莎代里に頭を押さえて沈められたことを思い出した。彼女 は文也にすがりつき、「私が儀式を見ちゃったから、いけないんだ。私のことを憎んでたんだ」と泣いた。
翌日、比奈子と文也は小田の元を訪ねた。小田に話を聞いた比奈子は、照子が黄泉の国を開こうとしているのではないかと考える。小田は 2人に、石槌山にいる修験者の仙頭直郎を訪ねるよう言う。仙頭は、四国に結界を張る目的でお遍路をしているという。一方、照子は康鷹 の病室を訪れ、「ぜんぶ終わりました。もうじきに、あの子が帰ってきますきに。だから、どんなに邪魔しても無駄やけ」と言い、「私は アンタに勝ったが」と不敵な笑みを浮かべた…。

監督は長崎俊一、原作は坂東眞砂子、脚本は万田邦実&仙頭武則、プロデューサーは柘植靖司&永井正夫、エグゼクティブプロデューサー は原正人、撮影は篠田昇、編集は奥原好幸、録音は山田均、照明は中村裕樹、美術は種田陽平、音楽は門倉聡、音楽プロデューサーは 浅沼一郎。
主題歌「ぼくは雨となり星となる」作詞:かの香織、作・編曲:門倉聡、歌:米良美一。
出演は夏川結衣、筒井道隆、栗山千明、根岸季衣、佐藤允、大杉漣、大寶智子、諏訪太朗、神津はづき、 大方斐紗子、金井大、ただのあつ子、阿部朋子、掛田誠(隣家の主人役)、山口晃史、川俣しのぶ、岡林桂子、松本幸三、児玉頼信、辻聡子、金子志乃、 相能美那子、鈴木美帆(少女時代の莎代里役)、森脇史登、長谷川桃、朝比奈滝弥、橋本亘、スオウアキラ、岡敬三、川島健次、辰田栄、 橘美佐知、坪井カズハル、土田真奈美、大橋浩展ら。


坂東眞砂子の同名小説を基にした作品。
「角川・冬のホラー第3弾」として公開された。「角川・冬のホラー」は、『パラサイト・イヴ』が当たったので、翌年もホラー路線を 継続して『リング』と『らせん』を同時上映し、これが受けたので、じゃあシリーズ化けしようってことで、これと『リング2』の 同時上映が第3弾になったわけだ。角川サイドが『リング2』をメインに考えていたことは明白で、こちらは「『リング2』を見ると 、もれなく付いてきます」という感じだろう。
比奈子を夏川結衣、文也を筒井道隆、莎代里を栗山千明、照子を根岸季衣、康鷹を大杉漣、仙頭を佐藤允、小田を諏訪太朗、ゆかりを 大寶智子が演じている。夏川結衣は1994年の『夜がまた来る』に主演しているが、メジャー映画の主演は本作品が初。栗山千明は1999年に 第1回ミス東京ウォーカーを受賞し、これが映画デビュー。
監督は『ナースコール』『ロマンス』の長崎俊一。

冒頭で口寄せの儀式が描かれる。最初の掴みとして、それで観客を脅かしたかったのかもしれないが、それよりも比奈子が覗き見てしまう シーンで、「比奈子が莎代里の異様な姿を見て衝撃を受ける」というリアクションも含めて、初めて儀式を見せる形にした方が いいと思う。
比奈子が覗き見るシーンでは、彼女のリアクションは写さないんだよな。で、後半の回想シーンで初めて見せている。
莎代里から「(儀式を)見たがやろ。誰にも言わんいうて約束して。言うたらもう友達じゃないきね」と怖い表情で言う場面の後、比奈子 が川で溺れ、莎代里にすがり付くという姿を見せると、「何かあったのか」と考えてしまう。後半の回想で、実際に「何か」があったこと は明らかにされるが、序盤の時点では、それを隠している。
だったら、その流れはよろしくないだろう。
莎代里が怖い表情で脅しを掛ける様子を見せると、そこで友達関係に壁が出来たような感じになるのよね。
まあ、それを言い出せば、儀式を覗き見た時点で比奈子の気持ちが引いてしまってもおかしくないんだけど、そこでの態度の変化は 無いのね。
っていうかさ、そこは引っ越しで別れを惜しむ場面をカットして、いきなり大人のシーンへ飛べば解決する問題のような気がするが。

大人になった比奈子が生家を訪れたシーンで「何かがいる、彼女を見ている」と感じさせようとするSEを入れているが、まだ早い。
あと、その辺りでノスタルジーを誘うための同じメロディーを繰り返し流しているのは、しつこい。
比奈子が文也と再会し、川の近くで話す時も、また「何かいる」という風な演出をするが、ワザとらしいし、恐怖は喚起してくれないん だよな。
根本的に、長崎監督に恐怖描写のセンスが無いんだろう。

ゆかりが「莎代里は変に孤立しているところがあって、自分のことを聞いてくれる仲間がほしかった」と語るシーンがあるが、少女時代が 描かれる序盤において、それを感じさせる描写は無かった。彼女が孤立していて、比奈子と文也が数少ない仲間だったと感じさせるような 描写は見られなかったぞ。
また、文也が「莎代里が気持ちに迷いが無くて息苦しかった」などと語る場面があるが、交際していた頃に、それぐらい莎代里が文也を 強く愛していたことは、そういうセリフでしか説明されないから、強く伝わってこない。高校時代の莎代里の激情が、回想シーンで描写 されるわけでもないし。
ゆかりが「もう村の人間じゃない比奈子が日浦家や文也と関わるのを村人が快く思っていない」と語るシーンがある。
だったら、外の人間を排除しようとする田舎の「閉じられた場所」としての不気味さが描かれるのかというと、そういう雰囲気は全く 伝わらない。村人が比奈子を敬遠したり白い目で見たりという様子も無いし。少年が窓ガラスを割るシーンで、ようやく少しだけ見えるが 、子供だと力不足。そこは大人じゃないとね。
っていうか、たぶん田舎の排他的主義を描こうとする気は全く無かったんだろうけど。

比奈子と文也の恋愛劇などもあって、静かに進んでいく。
キスからベッドシーン(布団だけど)への流れも、普通に恋愛劇として描かれている。
それが一段落した後で、仏壇の部屋に風が吹く様子が描写されるが、怖がらせるつもりなら、もうタイミングが遅い。
全体を通して、ホラー的雰囲気は薄い。伝奇ミステリーという感じだ。
それに怖さよりも哀しみの色が強い。

この映画、終盤に入るまでは人が全く死なない。そして登場人物が悲鳴を上げることも無い。
そもそも比奈子も文也も、「幼馴染みの莎代里が何か言いたいんじゃないか」ということで、怖がってる感じは薄いのよね。
むしろ、彼女に会いたがっている感じだ。
登場人物が全く怖がっていないのに、観客を怖がらせるなんて、それは難しいことだと思うなあ。

文也が原稿を読むシーンで幽霊の莎代里が登場するが、ちっとも怖くない。
その後には比奈子に突き飛ばされているが、もうハッキリと目に見えて、触ることもできるのね。なんか、あまり幽霊っぽさが無いなあ。
もう死んでいるんだから、設定として幽霊なのは分かる。でも、恐怖の対象としての幽霊という感じが薄い。
それは見せ方の問題。
その場面で、ようやく比奈子は少しだけ怖がっているけど、こっちは全く怖くないなあ。
この映画で何より怖いのは幽霊じゃなくて、根岸季衣だよ。

比奈子は莎代里の幽霊が消えた後、子供時代に川で溺れ死にさせられそうになったことを思い出す。
そんな真相があったのかよ。
だったら幽霊の莎代里が登場することより、そっちの方が怖いぞ。
っていうか、莎代里は幽霊になって恐怖の対象になるんじゃなくて、むしろ小学生で同級生を殺そうとするんだから、人間だった頃の方が 遥かに怖いじゃねえか。

ここで初めて比奈子が儀式を覗き見た時の様子も描かれ、「私が見ちゃったからいけないんだ。私のことを憎んでたんだ」と彼女は泣くが、 何だよ、その幽霊の恐怖と全く無関係な展開は。
っていうか、そういう真相があるなら、ますます溺れて抱き付くシーンとか、涙の別れのシーンは不要だろ。
「溺れた時に離れたくなかった」と比奈子は語っていたけど、それも嘘じゃねえか。
本人は嘘をついているつもりなど無いんだろうが、観客には嘘をついてることになるわけで、それは卑怯に思える。

黄泉の国から完全復活した莎代里は、抱き寄せる照子をベアハッグで殺す怪力ぶりを見せる。
ほとんどホラー・コメディーの世界だ。
その後は、文也もベアハッグで殺してしまう。本人は殺すつもりが無いんだが、怪力なので無意識の内に絞め殺してしまうのだ。
そこを、まるで感動的なシーンか何かのようなBGMで演出されても、いや感動しないって。
っていうか、そもそも怖がらせなきゃダメな場面じゃないのかよ。
監督に恐怖映画を撮っている感覚は全く無さそうだな。

莎代里が完全復活しても、比奈子は悲鳴を上げたり顔を引きつらせたりすることもなく、なんか冷静。
で、莎代里は「一人じゃなんにもできんがやろ」などと比奈子を扱き下ろすんだが、なんで普通に友達関係という設定にしておかなかった んだろうか。
原作がどういう処理にしてあるのかは知らないけど、この映画だと、莎代里が比奈子を見下しているという設定に全く意味を感じない。
話として、それが活用されているとは思えない。

仙頭が来て莎代里を黄泉の国に戻そうとする辺りの展開も、ホラーの手触りはゼロ。
最後も比奈子が莎代里を怖がらず、それどころか同情しちゃってるし。
そもそも莎代里には、人を殺そうとか怖がらそうという気が無いんだよな。
出来映えも良いとは思わないけど、最大の失敗は『リング』と同時上映で、ホラーとして製作サイドが宣伝・公開したことだと思うよ。
これ、ホラーじゃないわ。

(観賞日:2009年12月31日)

 

*ポンコツ映画愛護協会