『時雨の記』:1998、日本

昭和63年。未亡人の堀川多江は、鎌倉で華道教室を開いている。ある日、彼女は先輩の小早川奈津に頼まれ、ホテルの披露宴で飾る生け花を手伝うことになった。一方、明和建設の専務として働く壬生孝之助は部下の田村を伴い、セミナーに出席するためホテルへ赴いた。彼はエレベーターで多江に気付き、披露宴の準備をする彼女の元へ向かった。壬生は多江に声を掛け、20年前の葬儀で会っていることを告げる。多江は良く覚えていなかったが、壬生は「私はずっと覚えていました」と口にする。多江が今も鎌倉に住んでいることを聞いた壬生は、「一度、お訪ねします」と述べた。
後日、壬生は馴染みの天ぷら屋に学生時代からの友人である庄田を呼び出し、多江のことを話した。彼は「誤解しないでくれ。浮気や遊びとは違う」と前置きした上で、「長い間ずっと会えずにいて、やっと会えた人のことなんだよ」と言う。ホテルで再会できた翌日に、彼は天ぷらを土産にして多江の家を訪問していた。彼は庄田に、「毎日でも会いたい。この気持ちを押さえようとは思わないんだ。本気だ」と多江への熱い気持ちを語った。
翌日、壬生は会社から多江に電話を掛け、今から訪ねたいと告げる。多江は「今日は高校へ生け花を教えに行く」と説明して断るが、壬生は高校まで押し掛けた。多江が「不意打ちは困るんです。人目立ってありますし」と注意すると彼は「僕が悪かった」と言うが、全く反省する様子は見られなかった。壬生はカフェに多江を誘い、持参した徳利を贈った。彼が「僕は貴方が好きだ」と毎日でも会いたい気持ちをぶつけると、多江は「重いお付き合いになるのが嫌なんです」と困惑する。しかし壬生は「重くなければいいんですか。それじゃあ貴方に合わせますよ」と言い、半ば強引に交際を承諾させた。
次の日、また壬生は多江に電話を掛けて、会う約束を取り付けた。胸が苦しくなっちた彼は、医師の祖父江に診察してもらう。その時には既に痛みが消えていたが、祖父江は急に倒れて死ぬ恐れのあるサイレントキラーだと警告した。帰宅した壬生は息子の浩二から、交際している年上女性の幸子と幼い娘の香織を紹介された。壬生は妻の佳子から、浩二の交際を注意するよう頼まれる。しかし壬生は浩二に「お前を大人だと思ってる。分かってるな」としか言わず、佳子は不満を漏らした。
買い物帰りの多江は教え子の古谷悠子と遭遇し、従姉の井川朋子を紹介された。壬生は多江に電話を入れ、その日の訪問を中止する代わりに東京で会わないかと誘った。後日、多江は東京へ行き、壬生はウォーターフロントの公園へ案内した。しかし若者たちが騒がしいので、壬生は鎌倉へ行こうと持ち掛けた。彼は多江の家へ行って一緒に夕食を取り、今日は誕生日だと明かした。彼が唐突に頬へ口付けしようとしたので、多江は慌てて逃げ出した。壬生は彼女を追い掛けて押し倒し、「これが僕流なんだ。欲しい物は何でもこうやって手に入れる」と唇を奪った。
大雨が降り出すと、多江は「雨漏り」と慌てる。多江の住まいは古い一軒家で雨漏りがするため、彼女は複数の器を置いた。その間に壬生は多江の机を調べ、『明月記』や『新古今和歌集』を読んでいると知った。多江は和歌への興味を熱く語り、壬生は歌で愛を語り合ったと聞いて強い関心を示した。泊めてほしいと壬生が持ち掛けると、一度は断った多江だが最終的には「泊まるだけなら」と承知した。壬生は布団を隣に移動し、京都旅行に誘った。
多江と壬生は京都へ出掛け、小倉山にある藤原定家の時雨亭を見学した。夜、壬生は多江を料亭へ連れて行き、庄田に会わせた。壬生が席外した時、多江は自分と彼の関係をどう思っているのかと庄田に尋ねた。庄田は「人が人を好きになるのは止められない」と言い、戻って来た壬生から自分たちを応援してほしいと頼まれると快諾した。翌日も多江と壬生は、京都の寺を巡る。壬生は奈良の吉野まで行きたいと考えるが、仕事で福岡へ向かう時刻が迫っていたので諦めた。壬生は多江に、「西行のように、ここに2人の庵を建てよう」と提案した。多江は軽く笑って「期待しないで待っています」と返すが、彼は本気だと告げた。
壬生は福岡へ出張し、工期が遅れている沼田建設を訪れた。彼は旧知の間柄である社長の沼田と会い、話を付けた。ホテルに戻った彼は、胸が苦しくなって倒れた。東京へ戻って診察を受けた壬生は、女医から狭心症だと通告された。女医は常に携帯するニトログリセリンを渡し、しばらく入院する必要があると告げた。壬生は多江に電話を掛けるが、ただの検査入院だと嘘をつく。しかし心配になった多江は、見舞いに行くと申し出た。
多江が病院で壬生と話していると、佳子が浩二を伴って見舞いにやって来た。壬生は妻から「会社の人?」と問われ、「いや」と否定した。多江は佳子に挨拶し、逃げるように病院を去った。多江は奈津から京都の華道展を手伝ってほしいと頼まれており、ずっと断っていたが引き受けると返事した。奈津は華道芸術学院を引き受けてほしいと依頼されていることを打ち明け、一緒に京都へ進出することを考えてほしいと多江に話した。
大晦日、退院した壬生は多江の家を訪れ、「今日はギリギリまで過ごす」と宣言した。しばらくは楽しく過ごしていた多江だが、壬生に別れを切り出した。「2人だけで幸せになることは許されない」と彼女が口にすると、壬生は「妻や家族のことならケジメを付ける」と約束した。年が明けたら京都へ行くことを多江が話すと、彼は自分もスペインに行くと言う。壬生はスペインで最後の仕事を片付け、2人で新しい生活を始めようと持ち掛けた。
壬生は庄田と会い、仕事を辞めて多江と暮らす決心を伝えた。彼は病気を告白し、万が一の時には多江を頼むと告げた。壬生は田村や常務の三田、支店長の大林と共に、スペインのリゾート開発予定地を視察した。リゾート開発は撤退派の野村社長と推進派の副社長の間で対立が起きており、三田は副社長の一派だった。田村は壬生に、三田が既成事実を作って強引に進めようとしているのではないかと告げた。田村が調査すると言うので、壬生は任せた。帰国した壬生は会議に出席し、社長に撤退を進言した…。

監督は澤井信一郎、原作は中里恒子(文藝春秋刊)、脚本は伊藤亮二&澤井信一郎、企画は黒澤満&村上光一、プロデューサーは六鹿英雄&岡田裕&服部紹男&久板順一朗&松下千秋、撮影は木村大作、美術は桑名忠之、照明は椎野茂、録音は橋本文雄、編集は西東清明、音楽は久石譲。
出演は吉永小百合、渡哲也、佐藤友美、林隆三、原田龍二、天宮良、細川直美、裕木奈江、神山繁、佐藤允、前田吟、金久美子、大出俊、岩崎加根子、倉田てつを、山辺有紀、白島靖代、津村鷹志、大林丈史、中丸新将、徳井優、今井和子、佐野アツ子、後藤圭子、山本与志恵、青木卓司、一ノ瀬喜子、松本じゅん、峰蘭太郎、窪田弘和、西村泰輔、林孝一、金井大、藤岡大樹、岡本恵理子、若杉麻里亜、白鳥夕香、九鬼美佐子、中島玲奈、鈴木美千代、前田奈緒、田中伊吹、増田実、山内美幸、高橋幸弘ら。


中里恒子の同名小説を基にした作品。
監督は『わが愛の譜 滝廉太郎物語』『日本一短い「母」への手紙』の澤井信一郎。
脚本は『日本一短い「母」への手紙』でも澤井信一郎と組んだ伊藤亮二。
多江を吉永小百合、壬生を渡哲也、壬生佳子を佐藤友美、庄田を林隆三、浩二を原田龍二、田村を天宮良、悠子を細川直美、朋子を裕木奈江、野村を神山繁、沼田を佐藤允、祖父江を前田吟、女医を金久美子、副社長を大出俊が演じている。
吉永小百合と渡哲也は日活所属だった1966年の『愛と死の記録』以来、32年ぶりの共演となる。

序盤、ホテルで壬生が多江と話した後、庄田の「堀川多江と壬生孝之助、2人の巡り合い。こうして、この2人の恋の話が始まる。今から見れば一昔前、時は昭和の時代が終わり掛けている昭和63年のことである」という語りが入る。
庄田が壬生から多江のことを聞いた後には、「壬生は本気だった。彼と私はお互い、学生の頃からの付き合いで、今さら多くの言葉は要らない友であるが、それにしても、この時、私に何が言えただろう。ただ、あまり熱くなるなと、それくらいを言うしか無かった」という語りが入る。
でも、ナレーションなんて全く要らんよ。
壬生と多江の恋の話ってのは、見ていれば誰にでも分かる。壬生と庄田が学生時代からの親友なのは会話劇で説明すればいいし、何なら触れなくても構わない程度の情報だ。昭和63年ってのは、スーパーインボーズで処理すれば済む。

そもそも、これは1998年の公開映画なのに、なぜ10年前の昭和63年という時代設定なのかという部分に引っ掛かる。
どうやら、製作当時は『失楽園』が大ブームになっていて、「肉体関係を結ばない男女の恋愛劇は受けないだろう」ってことで過去の設定にしたらしい。
それでも昭和63年というのは中途半端であり、もっと遡った時代にした方がいいはずだ。
そこは「予算の都合で、現在の風景をそのまま使える時代じゃない困る」という事情があったらしい。ただ、もっと根本的な問題として「時代設定を変えようと、公開されるのは1998年だから、肉体関係を結ばない男女の恋愛劇が受けないという流行は変わらんだろ」ってことだよ。

物語の内容だけを考えると、昭和63年でなきゃいけない意味合いは全く感じられない。
一応、「昭和から平成に時代が移り変わり、多江と壬生のような恋愛は無くなった」という形で描こうという狙いがあったらしい。昭和天皇の病状を報じるニュースを何度か流し、天皇崩御の新聞記事を見せるのも、「昭和の終わり」という時代の変化を強調するためだ。
じゃあ「昭和の日本の風景」を強調するのかと思いきや、急にスペイン出張のパートが入る。
ここは明らかに浮いているのだが、企画の黒澤満がグラナダでのロケを要求したらしい。
原作にも無いパートなわけで、そりゃあ不自然になるのも当然だわな。

壬生は多江との関係について、「浮気でも遊びでもない」と言う。自分で「本気だ」と言っているので、「だから浮気じゃない」という理屈だ。
だけど壬生は結婚しているんだから、そういう意味では紛れもない浮気でしょうに。佳子には内緒にしているし、夫婦関係が破綻しているわけでないんだし。
しかし壬生は「妻に内緒で別の女性と付き合う」という行為への罪悪感を全く抱かず、ゴリゴリと突き進む。一方の多江にしても、壬生に家族があるのを知りながらも、「重くならなければ」と交際を承諾する。
「なんだ、こいつら」と言いたくなる。
肉体関係が無ければ大丈夫とか、そういう問題じゃないだろ。

しかも「重くない」と口では言いながらも、この雰囲気の中で渡哲也が壬生を演じると、充分に重くなっちゃうのよね。ちっとも軽やかさなんて感じないのよ。
壬生は強引に何度も多江の元へ押し掛け、注意されても反省の色は皆無でヘラヘラしている。そういう意味では軽いけど、それは意味が違うし。
しかも、そういうキャラクターに渡哲也が全く合っておらず、「強引で勝手だが憎めない男」に見えないのよ。
吉永小百合は「日活で共演していた頃の渡哲也のイメージ」ってことで受け止めていたらしいが、年を取って変化しているからね。若い頃の渡哲也と同じイメージで見るのは無理だよ。

壬生が逃げる多江を追い回し、押し倒してキスするのも、充分に重いぞ。肉体関係が無ければ重くないとか、そんな言い訳は通用しないぞ。
あと、そのシーンは急に壬生が乱暴になるので、普通に怖いし。
ちょっと軽妙さのあるシーンとして描いているつもりかもしれないけど、渡哲也がドスの利いた声で「開けろ」と言ったり、ニヤニヤしながら追い掛けたりする様子は、ホラーみたいな雰囲気さえ漂うぞ。
下手すりゃ『シャイニング』の世界だぞ。

壬生は東京のホテルで多江と会っている時、「初めて会った時、あれは昭和44年か。東京は、あの5年前のオリンピックから建築ラッシュになって急に変わり出したんだ」と話し始める。
そして関連する白黒のアーカイヴ映像を写しながら、「新幹線の開通とオリンピック。44年には東名開通。翌年が大阪万博。2年後には田中内閣の列島改造で土地ブーム。その後がオイルショック。成田の開港が53年。東北新幹線開通もあったな」などと喋り続ける。そして自分が建築の仕事を続け、東京や日本の風景を変えてしまったと話す。
ここに2人の恋を関連付けようとしているみたいだが、まるで上手く行っていない。
同じ時代を生きた観客のノスタルジーを喚起しようと狙ったのかもしれないけど、壬生が急にノスタルジーに浸るウザいオッサンに見えるだけだわ。

壬生は20年前に多江を見て一目惚れしたのに、その時に彼女を追い掛けて口説こうとしなかったのは、なぜなのか。「今は多江が未亡人になったからOK」ってことなのか。だけど自分は結婚しているから、そういう問題じゃないし。
っていうか子供たちの年齢からして、壬生は20年前も結婚していたはず。そして当時は、まだ結婚してから長く経っていないはずだよね。
そんな中で他の女性に惚れるって、どうなってんのよ。
他の女性に惚れている状態で結婚生活を続けていたわけで、佳子に対する酷い裏切り行為だよ。

壬生が「家を出て別の女性と暮らす」と佳子に打ち明けるのは、小田原の土地を売る計画を聞かされたからだ。それを待ってほしいと頼み、理由を問われたので「家を出る」と告白せざるを得なくなる。
それでも佳子に追及されるまでは、別の女性と暮らす考えは言わない。それまでに打ち明けるチャンスは何度もあったはずだが、ずっと逃げていたわけだ。
で、ようやく告白する時も、やはり罪悪感は皆無だ。
壬生は「君の大事な物は壊さずに、1人で出て行くつもりだ」と言うけど、佳子にしてみりゃ彼が家を出て別の女性と暮らすのも「大事な物を壊される行為」になるからね。

壬生は「どうしても別の生き方がしたくなった。生きてる実感が欲しい。これからは自分本位に残りの人生を生きてみたい」と説明するが、ってことは今は生きてる実感が無いわけで、それも佳子からすると大きなショックだろう。
壬生も本人で口にしているが、ホントに彼は身勝手極まりない。
でも自分で身勝手ってのは認めるものの、妻に対して「申し訳ない」という気持ちは全く見られない。
「だって好きなんだもん」ってことなんだろうが、それで成立する役者じゃないからね、渡哲也って。

この映画は庄田に「人が人を好きになるのは止められない」と言わせて、多江と壬生の関係を全面的に肯定している。
別に「不倫、ダメ、ゼッタイ」とまでは言わないけど、せめて苦悩や葛藤、逡巡はあってほしいのよ。
そういうのが何も無いまま突き進まれると、「佳子が可哀想」という気持ちばかりが強くなってしまう。
分かりやすいフラグを立てているので当然の流れとして壬生は病死するが、「バチが当たったんだ」としか思えんよ。ちっとも悲劇とは思わんよ。

(観賞日:2023年1月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会