『しあわせのかおり』:2008、日本

金沢の町外れにある小さな中国料理店「小上海飯店」は、店主・王慶国の作る料理の味が評判の店だ。今日も彼が料理を作り、手伝いの 老女がテーブルに運ぶ。王が常連客の島史朗、野村良雄、石田一と話していると、北陸百貨店食品営業部の山下貴子がやって来た。彼女は 百貨店への出店を交渉するために、店を訪れたのだ。しかし王は彼女が差し出した名刺も受け取らず、引き取るよう告げた。
営業部に戻った貴子は、課長や部長から必ず契約を取って来るよう命じられた。夜遅くになって、彼女は娘の紀子を迎えに幼稚園へ行く。 それからアパートへ戻り、食事を作って娘と食べた。翌日も貴子は小上海飯店へ行くが、今度は交渉に入らず、定食を注文する。出て来た 定食を口にした彼女は、その美味しさに魅了された。それ以来、貴子は店に通うようになり、様々な種類の定食を食べ続けた。
王は通っている針灸医から「働きすぎて体がガタガタ。弟子でも取ったら」と勧められるが、「そんな面倒なことは要らん」と告げる。 病室を出た彼は、貴子と遭遇した。彼女は紀子が夜中に咳き込むため、漢方を貰いに来ていた。貴子は王に、「ちゃんと食べもしないで、 ぶしつけに伺ったりして反省しています」と謝罪した。王が店で夜の宴席の準備をしていると、農家の息子・高橋明が野菜を届けに来た。 明が去ろうとした時、王が脳梗塞で倒れた。
貴子は入院した王の見舞いに訪れ、カニシュウマイの美味しさの秘密を尋ねた。すると王は冗談めかして、「どうしても知りたかったら、 会社を辞めてウチにおいでなさい」と告げた。王は担当医から、「ある程度は回復するが、以前と同じように料理を作るのは無理です」と 宣告された。貴子は退院した王の元を訪れ、自分の父親も料理人をしていたことを話した。そして「美味しい料理が食べられるまで、 待ちます。慌てずに、ゆっくり治してください」と告げた。
夜、アパートで布団に入った貴子は、少女時代にコック姿の父と撮った写真に目をやった。貴子は起き上がって台所へ行き、料理を作った 。翌日、彼女は会社を休み、朝から晩まで中華料理を作り続けた。彼女は会社を辞めて王の元を訪れ、「お店を手伝わせてください」と 弟子入りを志願した。考え直すよう告げて追い返した王だが、貴子の熱い気持ちに動かされ、料理を教えることにした。
貴子は東京都児童相談所の植田和義と会い、「再出発から半年で会社を辞めるなんて」と呆れられた。貴子は彼に、「今でも幼い頃に見た 父の姿が誇りなんです。だから紀子が見ている私も嘘をつきたくない」と語る。植田は「生活に変化があったら必ず報告してください」と 告げた。貴子は王の店で修業を積みながら、スーパーのパートをして生活費を稼いだ。王は丁寧に、スープの取り方や鍋の振り方を教えた 。貴子はパートの最中も、レジが暇な時には鍋振りの練習をした。
明は貴子に、王がスカウトされて日本へ来たこと、勤めたホテルで嫌がらせを受けて辞めたこと、東京へ出張していた社長の口利きで金沢 へ来たことを語った。その社長・永田百合子が、小上海飯店にやって来た。息子の結婚が決まり、クリスマスの頃に両家の食事会を開く 手はずになったので、小上海飯店で取り仕切ってほしいというのだ。百合子は王の症状を知っており、「出来る範囲でいいから」と言うが 、王は「ハレの日を台無しにしますから」と断った。夜、王は厨房で鍋を手に取るが、全く振ることが出来なかった。
貴子は王と共に祭りの会場へ赴き、地元の料理人たちと遭遇した。そこで貴子は、明月会という宴の存在を知った。秋口に、料理人が世話 になっている生産者を招いて開く宴のことだ。料理人たちが一品ずつ料理を振る舞い、王も体が万全なら参加するはずだった。王から 岩ガキの蒸し物を教わった貴子は、「この一品だけなら明月会で作れますよ」と言う。試食した明も、その意見に賛成だった。しかし王は 、「また来年にしましょう」と告げた。
後日、明は貴子に、王の代理として明月会に参加するよう持ち掛けた。組合の寄合に参加した彼は、他の面々が王や貴子を悪く言うのを耳 にして、腹が立ったのだ。「段取りは全てやります」と言われ、貴子は参加することに決めた。しかし食事会の参加者が食中毒になり、 貴子の作った岩ガキが原因とされてしまった。植田は王の元を訪れ、2年前に夫と死別した貴子が意識障害で1年ほど通院していたこと、 その頃は夫の母親が紀子を預かっていたことを話した。
保険所の調べで食中毒の原因が岩ガキでないことが判明したが、また再発しかねないため、紀子は夫の母親に預けられることになった。 それを植田は話しに来たのだ。王は憔悴している貴子の元を訪れ、上海にいた頃に妻と娘がいたこと、2人とも流感で死んだことを語る。 そして幸せになるおまじないを教え、貴子を励ました。王は百合子に会い、食事会の料理を貴子に作らせてほしいと頼んだ。
王から食事会のことを聞かされた貴子は、「無理です、出来ません」と尻込みした。すると王は「師匠の命令です」と告げた。王は貴子を 連れて、中国へ渡った。久しぶりに見る上海は発展を遂げており、王の知っている上海ではなかった。王が貴子と共に故郷の紹興を訪れる と、待ち受けていた町の人々が歓迎した。祝いの宴の席で、王は貴子のことを尋ねられ、「私の娘です」と紹介した…。

脚本・監督は三原光尋、企画は遠藤茂行&平山博志&島本雄二&西垣慎一郎&高桑秀治&多井久晃&三木和史&大谷英彦、 エグゼクティブプロデューサーは白石統一郎&三好順作、プロデューサーは三木和史&野村敏哉、共同プロデューサーは岡本東郎& 仁科昌平&二村真一&土田一登、撮影は芦澤明子、編集は宮島竜治、録音は畑幸太郎、照明は金沢正夫、美術は松本知恵、音楽は安川午朗 、音楽プロデューサーは津島玄一。
、主題歌『空』: JUJU 作詞:山本加津彦&川島葵、作曲:山本加津彦、編曲:松浦晃久。
出演は中谷美紀、藤竜也、田中圭、八千草薫、平泉成、渡辺いっけい、下元史朗、木下ほうか、山田雅人、関えつ子、甲本雅裕、松浦愛弓 、山口美也子、翁華栄、徳井優、桂雀々、水島涼太、並木史朗、山中聡、水木薫、松岡璃奈子、川屋せっちん、田坂公章、稲垣絢子、東修 、東千恵、眞島秀和、石崎眞子、沢木ルカ、山中敦史、志水正義、樋口史、柳天翔、真日龍子、杉谷愛華、美緑トモハル他。


『あしたはきっと…』『村の写真集』の三原光尋が監督と脚本を務めた作品。
貴子を中谷美紀、王を藤竜也、明を田中圭、百合子を 八千草薫、百合子の息子の結婚相手の父親を平泉成、王の担当医を渡辺いっけい、島を下元史朗、野村を木下ほうか、石田を山田雅人、 店を手伝う老女を関えつ子、植田を甲本雅裕、紀子を松浦愛弓、明の母を山口美也子、針灸医を翁華栄が演じている。

映像作品で、料理の味や香りを伝えることは難しい。しかし美味しそうだと思わせることは可能である。
この作品は冒頭、王が料理を作る過程を丁寧に描写し、音を効果的に使うことで、美味しそうだと感じさせてくれる。食材を中華鍋の強火 で炒める時の音が、食欲をそそる。
残念なのは、その「音で美味しさを伝える」という意識が冒頭シーン以降は薄くなること。
貴子が最初に定食を頼むシーンなんて、そこで彼女が美味しさに魅了されるんだから、王が調理をする音は必要不可欠だと思うんだけど、 それが無いんだよなあ。

貴子に紀子という娘を設定したのは失敗だろう。
序盤、幼稚園へ紀子を迎えに行った後、貴子は料理を作って紀子と食べる。
ここが普通に「親子の微笑ましい食事」になっている(料理を朝から晩まで作るシーンも同様)。
でも、そこは貴子にとって楽しくない調理、寂しそうな食事にしておいた方が、王の店での食事や、そこで貴子が料理を振る舞うことと 対比になっていいと思うんだよな。

もう一つの問題として、貴子が独り身であれば、会社を辞めて王に弟子入り志願するというのは「自分が安定した仕事を捨てて料理の道に 飛び込む」という「覚悟」という部分だけが伝わる。
ところが娘がいるとなれば、安定した仕事を捨てることは、娘に迷惑を掛けることに繋がってくる。
しかし娘にも犠牲を強いることになるにも関わらず、貴子は全く葛藤が無いんだよな。それどころか、貴子は紀子に笑顔で「いいことを 思い付いた」と言う。
そうなると、「娘よりも個人の願望を優先するのか」と批判的な意見を言いたくなってしまう。
大体、後半に入ると紀子は完全に消えてしまうので、無意味な存在になってしまうし。離れて暮らすことになってから、貴子が紀子のこと を考えるような様子も全く描かれないし。
明らかに、紀子の存在は忘れ去られている。

貴子が明月会に参加することは、王の承諾を得ているんだろうか。
承諾を得るシーンが無いので、どうやら勝手に参加しているんだろうな。
だとしたら、そこの行動は軽率極まりない。
まだ店の常連客にも料理を出したことが無いような状態で、いきなり大事な食事会に参加するなんて、無謀としか言いようがない。
これが「貴子は参加する気が無かったが、明が強引にセッティングしたので仕方なく」ということならいいんだけど、本人も前向き だからねえ。
同情の余地が無い。

王が貴子に百合子の食事会を任せると決めるまでの展開は、細かい粗は色々とあるけど、大まかな流れとしては、そんなに悪くない。
だが、そこからの展開には大いに問題がある。
中国へ行く必然性が全く無いのだ。
そこで必要なのは、「料理を作ることに不安を抱くようになっていた貴子が、再び意欲を取り戻すようになる」という展開だ。
それを描くために、中国へ行く必要があるとは思えない。

王が故郷の人々に貴子を「娘だ」と紹介し、それを知った貴子が料理を作ることへの意欲を取り戻すという流れになっているのだが、別に それは王の故郷へ行かなきゃ出来ないようなことでもない。
日本でも、金沢でも、充分に可能だ。
王が親しい人に対して貴子を「私の娘です」と紹介し、そこに貴子が同席している状況を作ればいいだけのことだ。
「中国語なので、その時点では王が何を言っているのか理解できず、貴子は後から通訳に聞いて意味を知る」という形になっているが、 その手間は大して重要でもない。
それに、同じようなことをやりたければ、日本でも「貴子はその場におらず、後から人づてに聞く」という形にすればいいだけのことだ。

王の望郷の思いというのも、彼のルーツを辿る旅も、この映画において、それほど重要だとは感じない。
「死んだ娘がいて、貴子を娘と重ね合わせる」という要素があれば、それで充分だ。
正直に言って、王が中国人だろうと日本人だろうと、どっちでもいいのだ。
彼が中国人であることは、この映画において、あまり意味の無い設定だ。
三原監督は意味のあるモノとして持ち込んだのかもしれないが、結果としては、意味の無い要素になっている。

それと、食事シーンの無い明月会を除くと、貴子が初めて人に料理を出すのが百合子たちの食事会というのは、いかがなものか。
そこは、営業を再開した小上海飯店で、一般の客に対して料理を出すべきではないのか。
ハレの日の特別な料理じゃなくて、いつものメニューを作って、今までの常連客に美味しいと言ってもらうことが重要だと思うのよ。貴子 にとって、美味しい料理を作ることも大事だけれど、「店の味を受け継ぐ」ということも重要なはずなんだから。
あと、その食事会で百合子の息子の結婚相手が歌い出すのは、「なんじゃ、そりゃ」と言いたくなる。
声楽をやっているという設定なんだけどさ、感動させようという狙いなのかな。
苦笑しか出て来ないけど。

(観賞日:2011年3月21日)

 

*ポンコツ映画愛護協会